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 結局その日は集中力が欠けていて、先輩だけでなく店長やアルバイトの人たちにも心配される始末で、最終的には調子が悪いのではと体温をはかることになってしまった。そんなはずはと思ったがまさかの微熱で、無理せずに帰るようにと午後二時には店を出た。


 知恵熱だ。頭を使いすぎた。今まで使わなさすぎただけかもしれないけれど。

 店を出てすぐに、金木犀の香りが私をつつむ。昨日の朝を思い出して、ずきりと脳みその深いところに痛みがはしる。金木犀は、この季節になると急に存在を顕わにする。それでも冬あたりにはまた、どこにいたのだったかと、私たちは忘れてしまう。


 とぼとぼと歩きながら、思考を止めようと努力するも、止められない。


 ひとつずつ整理整頓するしかない。


 私が怖がっているものは? 秀との関係を誤解されることだ。

 誰から? 他人から。

 どのように誤解されるのが嫌なのか? そこに恋愛ごとがあると思われるのが嫌だ。

 どうして?

 家に帰って、ベッドに横たわる。

 枕に顔をうずめる。



 今までの恋人を思い出す。三人。全員男。

 高校一年生の夏、一年間で破局。大学一年生の初夏、三か月で破局。大学二年生の冬、一か月で破局。

 全て向こうから付きあおうと提案され、承諾した。別に嫌いな相手ではなかったから。むしろ、好きだったから。


 一人目は自然に関係が消滅して、その後の二人は自分からふった。どんどん面倒になっていってしまった。色欲の対象になっているという認識をした瞬間に心を閉ざしてしまったりもした。母親譲りの大きな胸を恨んだりもした。


 私は多分、恋愛をしたことがない。誰かに焦がれたことがない。執着がない。妬みとも嫉みとも無縁で、来るもの拒まず、去るもの追わず、さらには自分にとって不快だったらすぐにシャットアウトする。

 恋愛が苦手なのではと友人に指摘され、その通りだと思った。走るのが苦手な人がいて、絵を描くのが苦手な人がいて、それと同じように、私は恋愛が苦手だ。


 人に関心がないわけではない。例えばバイト先の先輩のことや、私は恋愛が苦手なのではと指摘してくれた友人は、とても好きだ。


「それと同じように、秀のことも好きなんだけどな……」


 先輩や友人が私のことを恋愛対象としないように、秀も私のことを恋愛対象としない。なぜだかそんな確信があった。秀が私のことを好きだといったとしたら、それは私が彼に対して抱く好きと同じだろう。

 それは、私にとっては希少なものだ。

 枕に向かって言葉を吐きだす。


「誰かに誤解されたくはないし、とやかくいわれたくないけれど、面倒だけれど、でも、ずっと秘密にしてるのは多分無理って気持ちもあって、でも私の感覚をわかってくれる人がいるのだろうかっていう……そういうことか」


 布団にもぐる。そういうことだ。

 確信した瞬間に、疲れがどっと押し寄せる。目をつむると、止まらない思考と疲れが喧嘩して、夢と現実をまどろみながら行き来する。



 秀が帰ってきたのは夜の九時過ぎだった。私は起き上がり、玄関に向かった。彼が私の顔を見るなり、今まで何をしていたのかと問うてきた。正直に、飲み食いを一切せずにだらだらと横になっていたことを告げると、何か食べなさいとあきれられた。

「親みたい」

「みのりは一人暮らしすると、食事が面倒になるタイプでしょ。俺が一緒に住んでよかった! 連絡しても見てないしさ、心配したんだからね」

「ああ……ごめん」

「いいよ! 疲れちゃうときはあるもんね!」

 もう、となぜかぷんぷんしているふりをする彼の背中を見ながら、ほら、と安心する。

 やっぱり彼の好きと私の好きの形は、一緒だ。

 それでもその背中に話しかけるほどの勇気は無くて、私はひとつあくびをし、涙が浮かんだ目をこする。



 休みの日の前日は夜遅くまで起きて、休みの日は十二時近くに起きる私にとって、彼の休日の過ごし方は新鮮だった。月曜日。彼が休みで、私が一日バイトの日だ。


 彼は私と同じ時間に起きて、私より先に出かけてしまった。朝一で映画を見るのだそうだ。元気に出かけていった彼を送った後、私もバイトに向かった。

 店のみんなは、私の体調を気にかけながら仕事をしてくれた。その優しさが、嬉しかった。

 つつがなく仕事をして、退勤し、家に帰るといい香りがした。


「ただいま。夕ご飯、何か作ってくれてるの?」

「おかえり。みのりがスマホをあまり見ない人だっていうことと、本当にご飯に対して頓着がないということを、俺はしっかりと理解しました」


 彼が笑っている。慌ててスマートフォンを取りだして確認すると、そこには、夕ご飯を作っているから気をつけて帰ってくるようにとの連絡が入っていた。


「ごめん、今見た」

「俺が夕ご飯作ってなかったら、何食べて夜過ごすつもりだったの?」

「……クッキー」


 無言で見つめられる。負けじと見つめかえす。


「……みのりちゃん、食べられないものと食べたくないもの、いってごらん」

「パクチー食べられない」


 ふ、と彼は笑う。小ばかにされているような気もする。


「それだけ? 食べたくないものもないんだね?」

「ダイエットしているかってこと? してないよ」

「俺の慮り……」

「秀は?」

「何でも食べる」

「私は、秀のいうように、食事に頓着ないかも。すぐに抜いちゃう。でも、食べなきゃだめだよね」


 無精さんめ、と彼は笑う。


「よかったね、独り暮らしじゃなくて。俺の友達に、みのりと同じような人がいてさ。ほら、俺が泊めてって頼んだら、嫌だっていってきたやつ! そいつは面倒だからって気分が乗ったときにしか食事をとらないようなやつだったよ。一時期、酒と白米で生きていたから。そいつにしっかりとした食生活を教えこんだのも、俺」

 さすがだろう、と自画自賛しながら、火を止める。

「できた。俺はすぐに食べるけれど、一緒に食べる?」


 食べる、と頷くと、出来立てが一番おいしいから嬉しいと、彼は無邪気に歯を見せて笑った。

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