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「みのり、同じ学科だよね?」

 彼は、リスのようにホットケーキを頬張っている。

「そうだよ。授業もかぶっているよ」

「話したことは、あんまりないよね」

「挨拶ぐらいじゃないかなあ」


 結局ホットケーキは、二人でつついて食べることにした。彼が最近見た映画で、そういうシーンがあったのだという。古い映画で、恋人たちの初めての朝食だったというから、どういう意味でいっているのかとも思ったが、彼はただ純粋に、好きな映画のあこがれのシーンについて話しているだけだった。


「なんでみのりは、よくも知らない俺を、泊めてくれたの?」

「困っていたから」

「俺が家を追いだされた話、知っていたの?」

「……大声で話していて、聞こえた。ごめん」

 なるほどねえ、と彼はホットケーキを飲みこんだ。




 昨日の夕方、講義が終わってすぐ、彼の友人が大きな声でいったのだ。ええ、お前、家を追いだされたの! 何事かと周りにいた人が振りむく中で、そうなんだよと秀は笑っていた。駅前の二十四時間開いているファストフード店で時間をつぶす予定だという。


 大学のすぐ近くにあるカフェでのバイトが終わった後、私はまっすぐ家に帰ろうとした。駅の改札を通ろうとしたところで、視線の隅に、ファストフード店の看板が見えた。


 そんなわけは、と思いながら、踵を返していた。


 二階の隅っこの席に彼はいた。目の前に小さなカップが置いてある。スマートフォンをいじっている。その目は、ひんやりとしている。


 その冷たい視線が、初めて、悲しさをはらんでいるように見えた。


 心臓がばくばくと鳴っていた。彼は私に気がついていない。このまま帰ってしまえばいい。放っておけばいい。どうにかなるだろう。そういう思いはもちろんあった。声をかけたところでどうなる。何もできないだろう。そうも思った。


 それでも私は、彼をそのままにしておけなかったし、解決方法も知っていた。


 狭い通路を縫うように進みながら、彼に近づいた。私が隣に立っても、彼は興味を示さない。


「ねえ」

 突然声をかけたのに、彼は落ち着いたものだった。視線を私に向ける。少し、冷ややかに。

「ん? あ、こんばんは」

「こんばんは。本当に泊まるとこないの」

「うん、親と喧嘩して、出ていってやるとかいったら、マジで出ていけっていわれた」

「あのさ、私の住んでいるところ、部屋がふたつあるのね。ひとつ空き部屋なの。つい最近空き部屋になっちゃったから」


 彼の目が、少しだけ見開かれた。その目が語っていることを、私はすぐに読みとった。

 それ、どういう意味? 

 私は慌てた。


「ただの善意」


 額がじんわりと熱くなる。今更になって、下心ありだと思われても仕方がないことに気がつく。もしかしたら、私よりも前にこうやって彼のことを誘って、どうにかなろうとした人がいたかもしれない。

 消えてしまいたいほど恥ずかしい。困っていたから助けたい。ただそれだけなのに、どうしてこうも難しいのだろう。


「本気……」

 私の言葉を繰り返した彼は、にこりと微笑んだ。

「……だね。本気だよね。わかるよ」

 わかってくれた。そこで彼の言葉を疑ってもいいと思うけれど、彼もまた、本気だと思った。ほっと胸をなでおろしたところで、彼が立ち上がる。私が思っていたより、背が高かった。私の鼻先に、彼の顎がある。

「すごくありがたい。お言葉に甘えます」

 頼れる人、いなかったのかな。あんなに、人に囲まれてるのに。

「俺、友達多いけれど、今晩泊めてっていえるような関係の人はひとりしかいなくて。そいつに連絡はしたけれど、知るかって断られたところだった」

 私の心を読んだようにそういって、彼は困ったように笑った。




「何かにつけてもう二十三になるんだから、って親がいうんだよ。俺の同級生は、就職して、独り暮らししてる人も多い。俺は浪人生だからまだ大学生だけれど、俺と同じように、この歳で勉強している人だって山ほどいる。でも、親は、就職して独り暮らししている奴らが普通だと思っている」

「普通」


 私が顔をしかめると、いい表情だと褒められた。


「最近そういうことを親からよくいわれるようになって、じゃあいいよ、独り暮らししてやるよ! って叫んだら、やれるものならやってみろ! って」

「じゃあ、追いだされたっていうか……」

「正確には、出ていった。それで、帰れない」

「プライドは大事です」

 だよね、と、彼はホットケーキを頬張る。私も食べる。甘くて、おいしい。

「このまま帰ったら、かっこ悪いじゃん」

「まあ、気持ちはわかる」

「だから昨日は助かったよ、本当にありがとう」

「これからも住めばいいじゃん」


 いってから、あ、と思ったがもう遅い。私の提案に、彼の目はまた、少しだけ見開かれる。昨日の夜と同じような表情だ。笑ってしまう。

「安心して、昨日と同じ意味での提案だから」

「みのり、マジでいってるでしょ」


 私はいつでも大まじめだ。


「さすがにこの大きさの家にずっと住むのは、家賃的にも広さ的にも無理。親はさ、妹が出ていっちゃったから、お姉ちゃんごめん、妹の家賃は出すよっていってくれているんだけれど、それもなんだかね。でも、引っ越しするのもお金がかかる。さてはて、と思っていたところだったし……」

 ホットケーキの甘さは、金木犀の香りに似ていると思った。優しく、私を包みこむ。

「いいの、俺で」

「ウィンウィンでしょ」


 最近覚えた言葉を使ってみる。彼は、目をぐるぐるさせている。


「俺を信用しすぎじゃない?」

「どういう意味?」

「いや……わかんないけれども」


 わかんないならいいじゃん、と、最後の一切れに手を伸ばす。私がそれを口に入れて飲みこんでしまう頃には、彼も決意したようで、ま、いいか、と笑っていた。


 私はここでひとつ、彼に確認すればよかったのだ。


 ただ、私たちはよくても……——。

 少しだけ、その言葉は浮かんだのだ。それでも、私は飲みこんでしまった。


 彼と暮らせることが、純粋に嬉しかったから。偶然拾った綺麗な石を、そっとポケットにしまう子どもが抱くような喜びを、たった一瞬のものにはしたくなかったのだ。


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