あとがき
ネタばれ無し。
ただの散文詩に近いあとがき。
言葉遊びのようなあとがき。
異性の友人たち。
何人かは恋愛感情が原因で友人ではなくなってしまった。
ああなんて面倒くさいのだろうと思った。
ああなんて残念なことだろうと思った。
私の中で友人に戻ることなどできなかった友人たち。
私は私自身を、不器用な人間だとは思う。
彼らから壊しに来たこともあるし、私が大切に積み上げてきたものを蹴飛ばすようにして壊してしまったこともある。何が悪いという話では決してない。
私の考える友人としての距離感が、異性には恋愛感情がある距離感だと勘違いされ、同性には魔性やたらしであるという悪口の原因となったことが多々ある。
ああなんて面倒くさいのだろうと思った。
ああなんて複雑なのだろうと思った。
私は同性の友人とも恋愛感情を原因として友人ではなくなってしまっているかもしれないのに、どうしてそれに気がつけないのだろうと思う。
想いを伝えることが一種の美学だと考える人の中でどうして性別が違うというだけでそれは秘密めいたものになるのだろう。
ずっと心の中にあった。
私の考えるシンプルはどうやらシンプルではないようだという悲しみ。
私にはよくわからないという疑問。
それでも最高の友人たち。
川の字になって眠る。
目の前で着替える。
椅子を組み立ててくれる。
鍋を共につつく。
カフェで語らう。
テーマパークではしゃぐ。
私は彼らに感謝している。
私を百個に分けたら、多分五十一が女で、四十九が男なのだと思う。
そのひとつの違いは何なのだろうなと思う。
本当は異性の友人だなんて変な言い方だと思うけれど、あえて分けていうのは、その存在の貴重さを、貴重じゃなくなってほしいのにどうしても貴重になってしまう何かを、今までぎゅっと、感じてきたから。
私の中で今でもぐちゃぐちゃになっているクエスチョンが、あるときぎゅっと縮んで、そこから零れ落ちたのがこの物語。いまだにそのぐちゃぐちゃなクエスチョンは存在するけれど、物語が零れ落ちる前と比べると、そのクエスチョンはどこか誇らしげだと感じる。
みのりも秀も律太もなつ子も、本当にいいやつだなあと思う。