12
彼が出ていってしまってから、状況がうまく把握できず、しばらく私は彼の部屋のソファに座って、ぼんやりと壁を見つめていた。
この部屋に住む人は、私を置いてどこかに行ってしまう運命なのだろうか。
「運命……」
鼻で笑ってしまう。こんなさみしい運命なんてない。やっと見つけた友情。この人にならと思えた人に、置いてきぼりを食らってしまった。
なつ子と仲直りしたといったら、彼は戻ってきてくれるのだろうか。
でも、彼が出ていったから仲直りしましょう、となつ子にいうのも、変な感じだ。
「話さなきゃ……」
なつ子と話さなければ。わかっている。謝らなければ。わかっている。どんな理由であれ、彼女を傷つけてしまった。嫌な思いをさせてしまったのだ。謝らなければならない。秀はいっていた。心配したのだと。そうだ。なつ子のことを、私は誤解していた。彼女はなんでもまっすぐに伝えてくる人だと思っていたけれど、私のことを心配しているということは、まっすぐ言葉にしてこなかった。鈍感な私は、言葉の端々から、彼女の優しさをくみとることができなかった。私のことを心配して、勇気を出してくれたのなら、そのことについても、お礼と謝罪をしなければならない。
でも、それ以上どうすればいいのだろう。
私は理解してほしい。
秀と私との間にあるような友情もあるのだと。それだけでいい。ほかには何も、なつ子には求めていない。私たちを認めてほしい。ただ、それだけでいい。
遠くで雷が鳴っている。その音で、私の世界から音が消えていたことに気がついてはっとする。そんなに集中していたのか。それとも、そんなにもぼんやりしていたのか。
雨が降っていることにも、今気がついた。さっきまでは曇っていたのに。
秀は雨に濡れていないだろうか。
なつ子は泣いているかもしれないな。
「……明日は何もかもお休みしよう」
私は自室に戻って、着替えないまま横になった。大学もバイトも休む。そう心に決め、布団を頭からかぶった。スマートフォンは、時計が嫌でも目に入るので、触れなかった。
今何時なのか、だんだんわからなくなっていく。
目をつむり、目を覚まし、また眠りを繰り返す。いつの間にか次の日になって、いつの間にか朝になっている。
いつもこうだ。何かあると、行動を停止させなければ頭が回らない。私ってこんな人だったんだ。知らなかった。
秀に出会ってからたくさん、自分のことを知った。
「秀……」
本当は、なつ子のことだって、一緒に悲しんでほしかった。ひどい、そんなのってないよ、と。
でも、そんなことをいわない彼だから、一緒に住めていたのだろう。
優しい人だ。
心配したんでしょ、と彼はいった。
そうだ。なつ子だって、優しいのだ。
私だけが。
「……苦しい」
がばりと起きたそのときは、もう昼過ぎだった。
何か美味しいものを食べようと思い、近くのコンビニで大量の食糧を買いこんだ。
バイト先に欠勤の連絡をした後、部屋でお菓子を頬張りながら、本を読んだ。お気に入りの本だ。コメディで、最後にほろっと泣けるような、友情物語。読みはじめると止まらないその本は、時間がたっぷりあるときに読むと決めていた。一文字も読み飛ばさず、しっかりと読んだ。読み終えて、窓の外を見ると、薄暗くなっていた。雨はまだ降っている。
さてこれから何をしよう。考え始めたそのとき、ふと、秀がいっていたことを思い出した。
「雨の日には映画……」
スマートフォンを取りだして、数百円で入れる動画サイトに入会した。秀が好きだといっていた俳優の名前を入力する。私も、名前だけは知っていた。もう亡くなっているけれど、今でもポスターになったりしている、綺麗で可愛らしい女性。
秀はどれが好きなんだっけ。映画の羅列を見て考えたけれど、忘れてしまっていた。彼女の出ている映画の中で、一番古い映画を見ることにした。
淡い恋物語だった。モノクロの世界の中で動く彼女はとてもかわいかった。純粋無垢な少女が、叶わぬ恋を経て、一人の女性の成長する物語。
エンドロールを眺めながら、何とかして彼女の恋は叶わなかったものかと想像をめぐらせたが、無理だった。どうあがいても、彼女の恋は最初から悲しさをはらんでいて、どうやっても叶うことのない恋だった。
私と秀の関係も、この映画の中の恋のように、叶わないものだったらどうしよう。
どうやっても、誰が見ても、それは悲しい友情であったと。
そう思った瞬間に、涙がとめどなくあふれてきた。
ただ、そんなのは嫌だと叫びだしたい衝動にかられた。
エンドロールが終わった。
雨の音は、もうしない。
秀に会わなければと思った。話さなければ。何より私は、あなたと一緒に過ごしたいのだと。あなたのことを知りたいのだと。友人として、とっても好きなのだということを、伝えなければならない。
電話はどうか。そうも思ったが、やはり顔を突きあわせなければだめだと思った。彼の目を見て、いわなければならないことが、たくさんある。
私はすぐに着替えて、髪を適当に結んだ。支度をしながら、秀の向かいそうな場所を考えた。すぐに答えは出る。律太さんのところだ。絶対にそうだ。実家に帰るとは思えない。律太さんを頼るはずだ。
律太さんの自宅は知らない。でも、店は知っている。今日は、秀のバイトは無い日だけれど、それでも店にいるはずだ。
謎めいた確信と共に、私は家を出た。
暗くなっている通りを、街灯が照らしている。
「あ、いたじゃん」
走り出そうとする私の前に現れたのは、大柄な男と、なつ子だった。なつ子と目が合う。彼女は、安堵の笑みを浮かべていた。私は、思わず後ずさってしまう。
「ほら、大丈夫だったじゃん」
背の高い男が、私を顎でさしてくる。この人、どこかで。記憶をたどると、学食のパン屋で会った男だということを思い出す。なつ子の恋人だ。