10
「そう……なんだ」
そうだっけ、と秀が首をかしげながら、パイプ椅子を広げている。私のために用意してくれていたようだ。秀はそこに腰かけ、律太さんはレジのすぐ近くにある高い丸椅子に座る。私もゆっくり、秀の隣に腰をおろした。
「どんな子かなって思っていたけれど、いい子だね、すぐわかる」
「でしょう?」
秀が目を輝かせながら胸をはる。
「なんてったって、帰る家が無くて途方に暮れていた俺を泊めてくれて、そのまま住まわせてくれた素晴らしい人だからね」
「俺が断ったあの日ね」
「ああ、秀が唯一泣きつけた友達って、律太さんのことだったんだね」
私の言葉に、唯一? と律太さんはにやりと笑った。みのり、と秀が手で顔を覆う。どうやら照れているようだ。
「そうだったの、秀。かわいいとこあるねえ。あのさ、みのりさん、こいつ、親みたいなこといわない? ごはんをしっかり食べなさいとか、帰る時間を教えなさいとか。一緒に住んでいたことがあるんだけど、もう、しょっちゅう叱られていたよ、俺」
思わず笑ってしまう。過去に、律太さんも私と同じようなことをいわれたことがあるようだ。
秀のおかげで規則的な生活を送れることができるようになったことを伝えようと口を開いたそのとき、レジの隣に置いてある電話が鳴った。律太さんはごめん、と電話をとる。
「律太は、アクセサリーのデザインもするし、作ったりもする。あの電話も、お客さんからの注文だと思う」
小声で秀が教えてくれる。アクセサリーをデザインするって、どうやってするのだろうか。作るって、何で作るのだろう。私にはわからないことだらけの世界だ。
その後も、話をする途中途中で電話がかかってきたのには驚いた。秀曰く、メールでの対応も含め連絡が絶えないそうだ。
四度目の電話で、もう、と律太さんは眉を八の字にして笑った。その電話を切った後、ごめん、と両手を自分の胸の前で合わせる。
「せっかく来てもらったのに、もてなせなくて」
「いえ、そんな」
「ゆっくり話ができたらなって俺、思うんだけれど、よければ今日の夜とかどう?」
素敵な誘いだ。秀を見ると「うちでのむ?」と乗り気だ。
そうと決まれば仕事を早く終わらせるに限る! と、律太さんはスマートフォン片手に店の奥に引っこんでしまった。多忙な人だ。私の来店時間を指定しなかったのは、いつ来たってきっと電話がひっきりなしにかかってくるからだろう。それなのに、わざわざ私のために時間を作ろうとしてくれたのが、嬉しい。
今日は特に電話が多い、と苦笑する秀はどこか誇らしげだ。
「接客してよ、店員さん。いろいろきかせて」
店に並ぶアクセサリーの説明は、とてもおもしろかった。
今の流行り、昔から変わらない魅力、モチーフの意味、製作者のこだわり、売れ筋、そして私に似合うアクセサリー……。
「秀はいい定員さんになるね。私、秀に薦めてもらったの、全部ほしいもん」
そういうと、秀はなにもいわずに、壁にかかっているネックレスを手に取った。ネックレスではなく、ペンダントと秀はよんでいた。トップに小さなリンゴがついている、銀を基調にしたシンプルなものだ。みのりという名前にぴったりだといってくれた。
秀はネックレスについている値札をハサミで切ると、はい、と私に差しだしてきた。
「あげる」
「え?」
「もちろん俺が、買う」
「なんで、そんな急に……」
秀が、口をへの字に曲げる。
「嬉しかったんだよ。みのりの言葉が。いいからもらっとけって」
秀は耳まで真っ赤にして、それでも私をまっすぐ見つめて、そういった。嬉しくて、私は思わず笑ってしまった。笑うなという秀の口調が子どもっぽくて、ますます笑ってしまう。
「はやく受けとって」
ぶっきらぼうな言い方が、小学生のようだ。ありがとう、と受けとって、すぐにつけた。鎖骨の間で、リンゴが小さく揺れる。
「かわいい」
「似合ってるよ」
秀はクールにそういった。そういうことはさらっといえるのか、と思ったけれど、黙っておく。
お店が閉まったのは、午後九時だ。近くの駅で待ちあわせして、一緒に電車に乗って、家の近くのコンビニで食料とお酒を買った。あまりお酒が呑めないという秀のために、ソフトドリンクもいくつか買った。
律太さんはお酒を飲むとおしゃべりになるタイプで、秀はすぐに眠たくなってしまうタイプだった。私は酔っぱらったことがない。
「酒豪だねえ」
日付が変わるころ、頬を少し赤くした律太さんが、缶ビール片手ににやりと笑った。秀の部屋で飲んでいたため、秀は自分のベッドに横たわって、まどろんでいる。時折うん、とか、ああ、とか何かに返事をしているけれど、おそらく意識はないだろう。
「酔っぱらってみたいな、とは思うんだけれど」
「こいつみたいにすぐに寝ちゃうよりは、いいでしょ」
からからと律太さんが笑うと、秀が、んん! と声を荒げた。まどろんでいても、自分のことをいわれているのはわかるようだ。
「秀はね、こういうギャップ? がたまらない人に、このままお持ち帰りされちゃうの」
「なるほど……かわいいってなるんですかね」
そうだねえ、と律太さんが秀の頭をなでる。秀は、気持ちよさそうに眠っている。
「秀は、自分が必要とされていると嬉しくなっちゃって、それでいてまあ異性にもてるから、さらには恋人関係が長続きしないもんだから、周りからはとっかえひっかえに見えちゃうみたい」
律太さんが、少しだけ悲しそうに笑う。
「それでもいい、俺は生きたいように生きる、なんていってたから、はいはいって放っておいたけれど……みのりちゃんに出会って変わったみたい。ある日店に着くなりいったんだよ。なあ律太、俺気がついたんだけど、男女で一緒に住んでいても友達だったら友達だし、その逆もあるよな? 知ってたかよ、って」
容易に想像できる。私が笑うと、笑えるよね、と律太さんも微笑んだ。
「秀は、異性の友達って、みのりちゃんが初めてだったんだって。こんな子もいるんだ! って、目からぼろぼろ鱗が零れ落ちたっていってたよ。幸せだっていってた」
「私も、秀に会って、たくさんのことに気がついたの」
ふ、と秀が笑う。きいているのか、それとも、素敵な夢を見ているのか。
「今まで三人、すごく素敵な異性の友達がいて、その子たちからつきあおうっていわれて、いいかもなってつきあって、でもうまくいかなくて……秀と一緒に暮らしてわかったの。私は、今までつきあっていた人たちも、秀と同じように、友達だと思っていたんだなって。だからうまくいかなかったし」
「そっか……俺さ、思うんだよね。男女の友情は永遠のテーマみたいにいわれている時代も、そろそろ終わるって」
律太さんは、ぐっとビールをあおる。
「秀から聞いているかな、俺は今まで恋愛をしたことがなくて……そして、これからも多分しない。確信があるんだよね。俺は俺らしく。そう気張っていた時期もあるけれど、最近気がついたんだ。俺らしくっていうのはさ、勇気づける言葉や、背中を押す言葉でもあるけれど、あきらめの言葉でもあるなって」
「いい意味でのあきらめってことでしょ?」
私の言葉に、さすがみのりちゃん、と律太さんは指を鳴らす。
「そう、どうしようもなく、自己を肯定しなきゃいけないときの言葉だなって。どうあがいたって、自分は自分にしかなれない……だから、つまり、何がいいたいかっていうと」
律太さんが、空になった缶を高々と掲げる。
「みのりちゃんがこれからも、秀と仲良くしてくれることを、俺は願っているということ!」
「もちろんそのつもり!」
持っていた缶を、律太さんが掲げた缶に当てる。
横になっている秀が、ふふ、と子どものように笑う。
幸せな時間はあっという間に過ぎていって、それなのに永遠に続いていくような気がした。きっとこれからも、こうやって集まってのんで、たくさん話して、眠たくなったらその場で眠って、朝の光で目覚めて……なんてことを繰り返せると、本気で思っていた。
わかっていたはずなのに。永遠には続かないって、何度も自分にいいきかせていたはずなのに。
矛盾している。期待が、私の邪魔をするのだ。