三話
囲炉裏の薪がパチリと爆ぜた。
次第に温まる室内に反して、さえの体は一向に震えが止まらなかった。
カチカチと歯を鳴らし、ヒューヒューと声に成らぬ声が喉元から零れて行く。
血塗れの祖父を置き去りにし逃げ出した後ろめたさよりも、今はまだ『黒鉄』に対する恐怖が勝っていた。
討伐隊が『黒鉄』を討ち取らず、おめおめと里に逃げ帰った事に里に残って出迎えた者達は初めきつく彼らを批難した。
狩人に取って、半矢の獲物をそのまま逃がすのは名折れでもある。
その上、彼らは又吉を見捨てて逃げ帰ったのだ。批難も当然の事だった。
だが、戻って来た狩人達のほとんどが恐慌状態であり、異常とも言える状況であった為、それ以上の追求は出来なかった。
それよりも、残された者達に取っては、これからどうするかが重要だった。
生き残った者の中で何とか話の出来る者から状況を聞き出し、『黒鉄』がどの程度損傷しているか推測する。
又吉の矢が左目を射抜いたと言えど、よもや出血死で倒れる事は無いだろうが、かなりの痛手を負っている筈だ。
それならば…
夜明けを待ち、翌日再び討伐隊を組んで『黒鉄』退治を行う事が決まった。
カタンと引き戸が鳴る音がした。
さえはビクリと身を竦めたが、続いたカリカリと言う爪で戸を引っ掻く様な音に、水屋の包丁を手にしながら近づいた。
「…誰だ?」
さえの誰何する声に戸の向こうの主は「オン!」と一声鳴いて応え、それを聞いたさえは急いで戸を開けた。
戸の向こうには又吉の猟犬であるタロが壊れた弓を咥え、さえを見上げていた。
「タロっ!おまえ、生きていたのか!?」
タロは『黒鉄』との闘いの際に、第一陣であるさえ達の早撃ちと連携して『黒鉄』に立ち向かい、その爪で腹を裂かれて倒れた筈。
さえは慌ててタロを家の中へと入れてやった。
「タロ、傷は…」
さえは膝をつきタロの腹を見やったが、確かに見た筈の爪痕が何処にも見当たらない。
「どうして…」
呆然とするさえを前に、タロの体はゆっくりと溶けて形を変えて行った。
そうしてタロだったものは、その錆色の体毛をクセのある長い黒髪に変え、同じ様に黒い着物を着た長身の男へと変化した。
無論、この様な怪異を起こす人物がただの人間である筈も無く、その男の両の耳は天を向く様に尖り、頭頂部の右側には白銀の角が生え、瞳は黄金色に輝いていた。
「っ、化け物っ!」
さえは咄嗟にそれとの距離を取って、手元の包丁を構えた。
「ふっ、化け物とは酷い言われ様だ。我は確かに鬼界より門を潜り、この地に渡りし者ではあるが、お前達に取っての『化け物』は他にいよう?」
タロに化けていた時に咥えていた弓を掲げて鬼が笑った。
「…貴様、『黒鉄』を知っているのか!?」
「ああ、知っているとも。そこでさえ、おまえに頼みがある。『黒鉄』退治に我も加えてはくれまいか?」
黄金色の瞳を細め、一つ角の黒い鬼はそう言った。