十五話
ドオンと地の鳴る音と共に倒れた『黒鉄』に、黒鬼はタロの姿のまま近付き様子を窺った。
左目を射抜かれ、仰向けに倒れた『黒鉄』の口の中にはさえが放った無数の矢が舌や喉奥を貫いている。
ゴボゴボと溢れ出る血は、『黒鉄』の黒褐色の毛皮を濡らし、巨体が震える。
『移し』を解いた黒鬼は、己の奪われた妖力で再び『黒鉄』が回復してしまわぬ内にと、手を翳し、『黒鉄』の中にある己の妖力を探った。
やがて見つけた妖力を手繰り寄せ、一つに練ると、黒鬼は自分の体の中に奪われた妖力が戻るのを感じた。
そして、断末魔の叫びを上げ、激しい痙攣の末、『黒鉄』の体は完全なる沈黙を迎えた。
北の地で猛威を振るい、この流れ着いた狩人の里でも多くの狩人や猟犬を食い殺した化け物熊『黒鉄』の、これが最期の姿だった。
「終わったのか…」
「ああ、終わった」
黒鬼がそう応え、振り向くと同時にさえの体は雪に沈んだ。
「さえっ!!」
黒鬼が駆け寄り、さえの体を支える。
頭に巻かれた包帯は意味を成さぬ程に赤く染まり、『黒鉄』に噛まれた腹からも大量の血が流れていた。
「さえっ!さえっ!」
さえを抱く黒鬼の腕もさえの血で真っ赤に濡れて行く。
焦燥に駆られる黒鬼に、さえが掠れた声で問い掛けた。
「妖力は、戻ったのか…?」
「ああ、戻った。おまえのおかげだ。」
「…そうか、良かったな、」
目が霞み、黒鬼の姿が朧気になる中、何故か自分を見つめるあの黄金色だけがしっかりとさえには見えた気がして、口の端が上がった。
「…おまえ、私に、名を付けられなくて、良かったな…こちらに来て早々、危うく寡夫に、なるところだったぞ…」
「馬鹿な事を!さえ!我の妻はおまえだけだ!我に真名を与えるのはおまえの他におらぬ!」
黒鬼がさえを掻き抱き叫んだ。
ゆっくりと冷たくなって行くさえの体を温め、今にも離れそうな魂を引き留める様にその腕の中にしっかりと抱き込んで。
震えているのは、さえの体か、黒鬼の体か。
「また、いつもの戯言か…だが…いつか、私が生まれ変わり、再び出会ったその時は、おまえに名を付けるのも、悪くないかも知れないな…」
そう、それはいつかの話。
どれだけの時、どれだけの想いが必要か、
それでも二人、再び巡り合う事が出来たのなら…
「…今日は、椿を、貰い損ねたな…」
黒鬼の腕の中、さえは微笑み目を閉じた。
『黒鉄』の襲撃の日、生き残った里人の中に一つ角の黒い鬼を見たと言う者がいて、その鬼が全ての災いの元凶だったのではと、真しやかな噂も流れたが、真相は知れず。
それも月日を重ねると噂は歪曲し、黒い鬼は狩人の乙女が『黒鉄』を討ち取る為に力を貸した神の眷属であったと伝えられる様になるのだが、それはまた別の話である。
狩人の里には『黒鉄』に殺された里人の魂を鎮める為の供養塚が出来、さえの遺体もその供養塚に埋葬された。
供養塚には、いつも椿の花を咥えてやって来る錆色の犬がいて、里人達はよくその光景を見掛けていたが、やがて何処かへ行ってしまったのか、いつしかその姿を見る事は無くなった。
だが、その錆色の犬が落としただろう椿の種が成長し、いつの間にか供養塚の周りには椿の花が溢れる程、咲く様になり…
そうして、今でも供養塚の周りには、毎年、椿が綺麗に花を咲かせている。




