十四話
さえを咥えて蹠行する『黒鉄』に、黒鬼は直ぐに横に飛ぶとその前肢を斬りつけた。
しかし、その刃は『黒鉄』の毛皮の下にも通らず、弾き返された鈍い音を鳴らすだけ。
昨日、頸部を貫いた時には確かにあった肉を通す手応えが、今は全く感じられない。チラリと見えた首にも傷跡は無く、既にその傷が完治している事が窺えた。
きっと里人をたらふく食ったのだろう、その者達の魂を糧にして、『黒鉄』の中の妖力が異常に活性化しているのが黒鬼には分かった。
黒鬼は舌打ちをすると、そのまま流れる様にしてあばら三枚目に刀を突き入れた。
強靭な体に刀は通らぬものの、流石の『黒鉄』も急所への渾身の一撃に、堪らず咥えていたさえの体を放り投げた。
さえの体は宙を舞い、井戸にまで飛ばされた。
さえは頭を強かに打ち、巻かれていた包帯が赤く染まって行く。
「さえっ!」
さえの元へと駆け出す黒鬼の前に、咆哮を上げて『黒鉄』が立ち塞がった。
『黒鉄』も理解したのだろう、目の前の鬼を倒さねばあの獲物は手に入らぬ事を。
元は一つの妖力だったから、同じものに惹かれたのかも知れない。
黒鬼の妖力を半分その身に宿した『黒鉄』も、自分を狩に来たさえを一目見た時から欲していた。
敵意、驚愕、恐怖、絶望、怒り,
そして、崖の上で浮かべた不可思議な顔
自分を見て様々と表情を変えるさえの全てに『黒鉄』は喜びを感じた。
欲しい、欲しい、あの娘が欲しい…
狂おしいまでの欲求と執着。
但し、その執着は獣であるが故に、貪欲な食欲へと帰結された。
「あれは我の妻になる娘ぞ、おまえの様な獣にくれてやる訳にはいかぬわ!」
黒鬼が叫び、脇差を抜く。二刀の刃が煌めいた。
『黒鉄』は後肢で立ち上がり、鉤爪を伸ばした。
『黒鉄』の体は文字通り鉄の塊、黒鬼の刃がその肉体を前に、次々と弾かれ火花を散らす。最早、『黒鉄』の身の内にある妖力は、治癒の枠を超えて宿主を護る最強の盾へと変化していた。
黒鬼が間合いを取る為に下げた足も、『黒鉄』はそれを許さず、牙を剝き突進する。そして、遂には黒鬼の刀は限界を迎えた。
甲高い音と共に砕かれた刀身。
その勢いのまま『黒鉄』が喰らい付く寸前、黒鬼は『移し』でタロの姿へと変わり、逆にその喉元に喰らい付いた。
タロの牙がギリギリと鉄の肉に食い込んで行くと、『黒鉄』はタロを振り払おうと首を回し暴れた。
そうして、タロの背中に牙を剝いたその時、
「タロ!退け!」
聞き慣れた命令に、タロの体が『黒鉄』から離れた。
一陣の矢が風を切り裂いた。
耳を劈くのは化け物の絶叫。
タロを食らおうと開けた『黒鉄』の口の中に、さえの矢が命中していた。
「表面が駄目なら中身を射るまでだ!」
さえの手から次々と放たれた矢は狙い通りに『黒鉄』の咥内へ全て突き刺さり、
『黒鉄』の巨体が揺れる。
そして、さえは箙にある最後の一矢を放った。
その矢は『黒鉄』の左目に見事命中し、遂に『黒鉄』は口腔から血を吐き散らして背中から倒れて行った。




