十一話
囲炉裏の薪がパチリと爆ぜた。
毛皮の中で黒鬼に包まれていたさえは、軋んだ体に呻き声を上げた。
さえが意識を取り戻したのは、山の中腹に建てられたあの狩猟小屋の中だった。
濡れた着物を脱がされ、黒鬼の素肌に温められたさえの体は満身創痍。
血の流れた頭には包帯が巻かれ、さえは息をするのもやっとの有様だ。
「恐らく、あばらも何本か折れている…さえ、何故、あんな無茶をした?」
黒鬼はさえの体にも包帯を巻いてやりながら、黄金色の目を据えて言った。
あの時さえは『黒鉄』を道連れに、自ら崖の下へと身を投げた。
黒鬼は強かった。
まさに化け物と言った『黒鉄』を相手に、見事な太刀捌きで急所を突き、身の竦む様な咆哮を前にしても一歩も退かぬ。
林の中で矢を番えたまま、その闘いを見ていたさえは、そこに人の領域では敵わぬ力の差を見せつけられていた。
けれど、その化け物同士の領域の中にあっても優劣はあったのだろう、『黒鉄』の狙いが黒鬼からさえに変わった。
…いや、きっとさえが初めて『黒鉄』と対峙した時から、『黒鉄』はさえを狙っていた。
さえは又吉を見捨てて逃げた際に、自分を見て笑った『黒鉄』をよく覚えている。
だから、さえは身を投げた。
黒鬼と闘うか、崖の先端に立つさえの誘いに乗るかを天秤に掛けた『黒鉄』が、必ずさえの誘いに乗ると分かっていたから。
崖の下は岩場であるが、その隙間には人の泳げる深さの早瀬がある。
早瀬の中へと落ちれば良し、最悪、死ぬ事になるかも知れぬが、上手くやれば『黒鉄』も道連れだ。
例え、『黒鉄』が生き残ろうと、無事では済まないだろう。
そうなれば、今度こそ黒鬼が奴を始末してくれる筈。
これで少しは、又吉とタロの仇は討てただろうか…そんな思いで、さえは崖の下へと身を投げたのだった。
「…『黒鉄』はどうなった?」
自分に向かう怒りを滲ませた黄金色を逸らさずに、さえは尋ね返した。
黒鬼は眉根を寄せて何か言おうとしたが、開いた口を閉じ、溜息を吐いた。
「知らぬ。我は流されたおまえを助け、ここへ連れて来るのに手一杯で、奴の行方を追う余裕など無かった故な。」
その言葉にさえは激昂した。
体の痛みも忘れ、黒鬼に掴み掛かる。
「馬鹿なっ!みすみす好機を逃すとは!私など捨て置けば良かっただろう!?」
「良い訳無かろう。我がおまえを見捨てる事は無い。例えどの様な状況であろうと、我が優先するのはおまえだ。」
さえの手を両手で包み、黒鬼はきっぱりと告げた。
黒と黄金が交差する。先に逸らしたのはさえだった。
「…奪われた妖力はどうする気だ?」
「無論、取り返す。だが、今はその時では無かっただけだ。」
大人しくなったさえに、黒鬼はしっかりと毛皮を被せてやった。
川から引き揚げた時、さえの体は氷の様だった。黒鬼が少しでも助けるのが遅ければ、さえの命は無かっただろう。
黒鬼の長い腕が毛皮ごとさえを包んだ。
「さえ、そろそろ我に名を与える気になったか?」
「…おまえの戯言は、いい加減聞き飽きたぞ。」
「つれないことを。…だがさえ、戯言を聞けるのも生きていればこそ。そうでは無いか?」
毛皮超しに黒鬼の体温がさえに伝わる。
怪我に障らぬ様に触れているのだろう、その腕は随分と優しいものだった。
さえは暫しの逡巡の末、「そうだな」と呟き、黒鬼の腕の中で目を閉じた。




