嫁ぐ朝
レーベンズベルク公爵家では、今朝も公爵が食後の胃薬を飲んでいた。
朝一番に報告を受けた公爵は、食堂で向かいの席に座っている娘を見る。
娘が嫁ぎ先に出立するので、領地から戻ってきたが、娘も息子も平常と変わらない。先に娘が出立し、3日後に結婚式出席の為、領地に公爵夫人を迎えに行ってからワイズバーン王国に向かう予定になっている。
公爵は胃薬をテーブルに置くと、水の入ったグラスを手に取るが、口に持って行くことはなく視線を床に動かす。
今日、娘が嫁いで行く、そんな感傷はもうない。
娘の足元にひれ伏すように国王がいるからだ。なのに、娘も息子も何もないように食事をしている。
「シルビア、止めてもいいんだぞ?」
今更何を言うか、ユークリッドの言葉に公爵の胃がキリキリ痛む。
「不安だ、遠い異国で病気になったらどうする? すぐに帰ってきていいから」
「ユークリッド」
娘に名前を呼ばれて、嬉しそうに顔をあげるユークリッド。
「お前、横に座っていいから、食事をしろ。国王が栄養足りないと執務に支障がでるだろう」
ユークリッドはいそいそと立ち上がると、シルビアの横の椅子をひいた。
「やっぱり、シルビアは優しいな」
なぁなぁ、とシルビアに話しかけるが返事は返ってこない。
「シルビアがいないと、変な女にひっかかってしまうよ。いつも女を追い出してくれてたじゃないか」
テーブルに野菜と卵の皿が置かれると、パンに手を伸ばすユークリッド。
「お前がろくでもない女を連れているからだ。しかも私が婚約者だったからな」
鬱陶しくなったシルビアが口を開く。
ロイスは向かいの席で、シルビアとユークリッドの会話を聞いている。言いたいことはたくさんあるが、今更である。
シルビアとマーベリックの婚約は、レーベンズベルク公爵家とワイズバーン王家で進めたものだ。
ネイデール王家は蚊帳の外だったが文句はなかった。それが、シルビアがいなくなると実感が出て来たのだろう。しかもシルビアが出立する朝になって、あわてて公爵家にやって来たのだ。
「お前、国王になってもバカは治らなかったんだな」
不敬罪と言う言葉は、シルビアの為にあるのかもしれない。
「シルビアが嫁いだら、もう戻って来ないじゃないか」
それは寂しい、とユークリッドがもう会えないと呟く。
「早々に戻ってくる方が問題です」
そこでやっと、ロイスが言葉をはさむ。
「私だって、娘と最後の朝食と思うと寂しい」
公爵の胃が痛いのは、ユークリッドのせいだけではないらしい。
「私は寂しくありませんよ」
この中でロイスだけが、平気だと言う。
「外務大臣を兼ねることにしましたから、年に数回はワイズバーンに行くつもりです」
「さて、ユーク、王宮に行きますよ。今日は午前中に隣国に嫁ぐ、公爵令嬢の謁見がありますからね」
ロイスは立ち上がると、ユークリッドを急かす。
「シルビア、父上を連れて王宮の謁見の間に来てくれ。それまでにはユークは国王仕様にしておくから」
ロイスに追い立てられるように食堂を出て行くユークリッドは最後に吐き捨てるように言う。
「ワイズバーン王太子より、私の方がシルビアを好きだからな」
もちろん、シルビアの耳には届いているが、反論するのもバカらしい。
では、何故婚約破棄などと言ったのだ。
ワイズバーン王太子の方が、好きだと思うぞ。
二人を見送ったシルビアは、父親と共に王宮に向かう。
国王仕様になって、冷静さと貫録を備えたユークリッドであったが、未練バレバレの瞳なのでロイスに睨まれていた。
もう、この国に戻る事はない、と王家から用意された馬車に乗る前に振り返ると、沢山の令嬢達が見送りに来ていた。
「ありがとう」
シルビアが手を振ると、お幸せに、と声があがる。
シルビアを乗せた馬車が進む先には、近衛を先頭に軍の見送りの隊列があった。
「レーヘンズベルク司令官に敬礼!」
ザンッ!
踵を揃え、右手で礼をとる儀礼の兵士の長い列。
あの顔もその顔も知っている、とシルビアが馬車の窓から確認する。
シルビアのネイデールでの生活が終わろうとしていた。




