公爵令息ロイス
「そういうことで、殿下には困ったものです」
シルビアの話を、報告の通りだ、と確認しながら、公爵は水の入ったグラスを手に取る。
胃が痛い。
「困ったのは、お前だ。
王太子殿下なのだぞ、敬意はどこにやった!?」
「どこにやったも何も、敬意は最初からありません」
シレっとシルビアが言うのを、公爵は胃を押さえながら聞いている。
「殿下のいいところは、顔だけです」
「シルビア!」
王宮では、出仕してきたレーベンズベルク公爵家嫡男ロイスにユークリッドが詰めよっていた。
「シルビアをどうにかしろ!」
「可愛い妹です、どこが不満ですか?」
憤慨するユークリッドに、ロイスも怯まない。
「分かっているんだよ。
シルビアは正論さ。だが、息が詰まるんだ。
バカな女の子の方が気が楽だ、可愛いじゃないか」
はあ、と息を吐きながら、ユークリッドが椅子に身体をあずける。
「それに振り回されて、婚約破棄と言うようじゃ本末転倒ですね」
ロイスの言葉を、王太子執務室の全員が聞いている。
夜会での出来事はすでに広まっており、知らない者はいない。
今更、隠すことでもないということだ。
王太子の婚約者が男装、それが婚約破棄の原因にならないのが皆の疑問である。
いや、それを原因にするわけにいかない人物が、王太子の側近でいるからだ。
書類を仕分け、王太子の執務机にロイスが置く。
ロイスが動くと衣擦れの音がする。
シルビアと同じブロンドの長い髪を結いあげ、喉元まで襟の詰まったレースのドレスを着ているロイス。
妹のシルビアは男装で、兄のロイスは女装である。
シルビアは男装に見えるが、ロイスは女性に見える。
ユークリッドと並んで立つと、お似合いのカップルにしか見えないロイス。
恐ろしい兄妹である。
「それで、殿下のリーナだっけ?
彼女はどうした?
シルビアと別れて結婚したい相手だろ?」
ロイスは、ドレスの裾を気にしながら椅子に座る。
朝の執務に、完璧なドレス姿で現れるロイスは、侍女達に早朝手当てを出している。
座る姿も淑女である。
普段は男言葉だが、その気になれば、女言葉も使う。
「どうやら、私は彼女の期待に沿えなかったらしい」
書類を読む手を休めずに、ユークリッドが答える。
「シルビアから連絡があるぞ。
慰謝料を請求していたぞ。
王宮の宝物庫に眠っている剣が欲しいそうだ」
ロイスの言葉に、ギョッとしてユークリッドが立ち上がる。
「あれは、どれも国の宝だ!」
「宝石のギラギラしたヤツでなく、実用性の剣だそうだ。
そのリーナの実家にも使いをやっていたぞ。
あの金額払えるのか、男爵家に同情するよ」
ロイスは、もう一度席を立ち、別の書類をユークリッドの机に置く。
「やめてくれよ。
婚約破棄は出来ず、慰謝料だと」
書類に目もむけず、ユークリッドは頭を押さえる。
「まぁ、ユークったら、2回目でしょ?
前回は、軍の第2部隊司令官の地位を慰謝料に要求したのだから、今回はマシじゃない?
剣1本よ」
ユークリッドにしなだれかかるように、女言葉を使うロイス。
「女は恐いのよ」
笑みを浮かべ、王太子の腕を取るロイス。
「ロイ、私で遊ばないでくれ。
恐ろしい兄妹だな」
ロイスの腕を払い、ユークリッドが嘆く。
「もし、シルビアがあの状態で婚約破棄を受け入れていたら、下手したら王太子位剥奪よ。
王太子としての資格なし、とされても仕方ないぐらいよ。
兄弟のいないユークの次は、王弟レーベンズベルク公爵、その次は私よ」
はぁ、と溜息をつきながらロイスが言う。
「もう少し、女を疑いなさいよ」
「彼女達は可愛くて、守ってあげないとと思うんだ」
分かっているよ、とユークリッドが頭を横に振る。
それはシルビアと比べるからでしょ、とロイスは言葉にしない。
「普通の可愛い女の子は、婚約者のいる王太子に近づかないわ。
ユークが守らなくとも、そういう子は強いのよ」
どこから見ても、奇麗なお姉さんに慰めてもらっている王太子である。
こうやって女に騙されるんだな、と周りの執務官は見ている。
ロイスは女性ではないが、極上の美女である。
「はぁ、陛下に剣1本、なんと報告しようか」
「今更よ、すでにご存じだと思うわ」
頭を抱えるユークリッドに、流し目で答えるロイス。
幼馴染の従兄同士とあって、息はピッタリである。