王太子執務室
シルビアは僅かな数の供だけを連れ、隣国に向かっていた。
メイヤーは兄に預けてある。
本人は不服そうであったが、シルビアの命令を逆らうことはしない。
「今、何と言った?」
機嫌の悪い王太子ユークリッドである。
「申し訳ありませんが、すでに私の忠誠はシルビア様に誓ってあります」
それは、シルビアが王太子妃にならないなら、王家に忠誠はない、と言っているようなものだ。
メイヤー・シュテフが、王太子に今後は側近として仕えるように言われた答えだった。
「いいねぇ。
シルビアに先着順で取られちゃったな。
貴方の剣術も文書処理能力も優れていると思うが、盗賊団盗伐の時のワイズバーン側との折衝で外交能力のすばらしさを見たんだ。
おまけに、王太子が相手でも怯まないというのもあるとはなぁ」
ロイスは嬉しそうに腕を組んで見ている。
その様子を見て、メイヤーはシルビアの兄だと納得するしかなかった。
次期伯爵として領地で父の手伝いをしていた自分は、弟のことで責任を取らねばならない立場なのに、シルビアに見いだされ、今は王太子の執務室に出入りするようになっている。
シルビアの執務室でも数か月前から勤務しだしたところだというのに、今度は王太子執務室の新人である。
「殿下、執務官の一人として尽力させていただきます。
自分には過ぎたお言葉をいただき、嬉しい気持ちはあるのですが、騎士として姫君に忠誠を誓うことをお許しください」
「シルビアを姫君と言い切るとはな。
面白い男だな。
そうだな、シルビアは姫君だな」
一瞬眩しそうにして、ユークリッドが言う。しかも反芻しているようだ。
メイヤーは、他の執務官にも挨拶すると、仕事の内容を確認しだした。
覚える事ばかりである、仕事だけではなく、人の顔も覚えねばならない。
書類を確認していて、訂正箇所を見つけたメイヤーは席を立った。
「レーゼンブルク秘書官、この書類を確認してきてよろしいでしょうか?」
どうやら、提出部署に確認に行こうとしているらしい。
ロイスは書類の重要性が低いことを確認してからメイヤーに許可を出した。
メイヤーは急いで部屋を出ると、担当部署に向かう前に扉の外に立っている護衛兵に挨拶しようとした。
護衛兵は第2部隊の近衛兵なので顔なじみの騎士が多い。
ダン!!
メイヤーの肘鉄が兵士の腹に繰り出された。
「誰だお前は!?」
メイヤーの大きな声に、室内も緊張が走る。
「ケッテン騎士、こいつは誰だ!?」
扉での立ち番は2人組で任務する。
「新人の交代兵だとききました」
ケッテンと呼ばれた片方の騎士が答える。
ぐう、とうめき声をあげる男をメイヤーが押さえつけている。
「ケッテン、他の騎士を呼んでこいつを軍部に連行しろ」
はい、と叫んで他の騎士を呼びに走っていく。
執務室から、ロイスに続きユークリッドが出て来る。
「殿下、お下がりください!
曲者です!」
メイヤーは身体で男を押さえつけ、手は剣を抜かせまいと握りしめている。
すぐに近衛騎士団が駆け付け、男を連行する。
「剣を取り上げるんだ!
抜身に触ることはならん。毒が塗られている」
メイヤーの言葉に周りが驚く。
男が連行されるのを確認して、メイヤーはロイスとユークリッドと共に執務室に戻った。
「申し訳ありません」
メイヤーが、頭を深く下げる。
「シュテフの責ではない」
ロイスが答えるがメイヤーは頭を上げない。
「あれは、あの近衛の制服は、弟が売った物に違いありません」
近衛の制服だからこそ王宮に入り込み、新人と偽り王太子の執務室まで来れたのだ。
ロイスは、それだけで事情を察したのだろう。
「毒というのは?」
メイヤーは頭を下げたまま答える。
「甘い香りがしたのです。菓子のような。
我が領地には、毒を持った蛙がいます。とても甘い匂いがする毒を持つ蛙。
傷から入ると即効性の致死毒です。
あの男の顔は、第2部隊では見たことがありませんでした。
しかもその毒の甘い匂いがしたのです」
「多分、身元が絶対にバレないようにして、金で命を売るような荒くれ者を雇ったのだろう。
私に少しでも傷を付ければ、毒が入る。
近衛の制服を着ていれば、護衛兵として接触できるということだな?」
王太子の言葉に、メイヤーは頷く。
恐れていたことが、現実になった。
「弟は制服だけでも数着、売っていたようです。
殿下の身を危険に合わせるような事になり、申し訳ありません」
「シュテフ事務官、顔を上げてくれ。
よくぞ気が付いてくれた、助けてくれて礼を言う」
ユークリッドの言葉には怒りは感じられない。
「殿下、シュテフ伯爵家は弟の罪は覚悟出来ております」
ユークリッドの言葉でも、メイヤーは頭を上げない。
「シュテフ、顔を上げたまえ。
シュテフ伯爵家に罪を問うことはない。
殿下は甘いのだ。
だからこそ、我々が守らねばならない。
そして貴殿は、殿下を守った。
それより、毒の事に付いて教えてくれ」
ロイスが呆れたように言う。
やっと顔をあげたメイヤーが、毒の説明を始める。
領地でも滅多に遭遇することのない希少種の蛙。
猛毒を持っていることと、匂いでわかるので、領地ではさほど危険視されていない。
蛙が近くに居れば匂いでわかるし、逃げるのも簡単だ。
説明を聞き終えたロイスが楽しそうに言う。
「シュテフは、軍に戻り尋問するんでしょう?
私も同行したいな」
現在の王太子は、シルビアのファンに嫌われているだけで、敵対派はいないはずなのだ。




