失望
その日、ネイデール王執務室にはレーベンズベルク公爵の声が響いた。
「何故ですか!
陛下。彼が次期ガイメル辺境伯だからですか?!」
「そうだ。
こんなことで、辺境伯の機嫌を損ねるわけにいかないのだ」
王の言葉が信じられない、とレーベンズベルク公爵は瞬きもしない。
「シルビアは激流の川に落とされ、死にかかったのです」
「だが、軽傷で済んだではないか。
証拠があるわけでもない」
王は、話は終わらしたいのか散漫に言う。
「シルビアが目の前で見たのです。
副官も部隊長の腕が動くのを見ている」
レーベンズベルク公爵は、王に掴みかからんばかりである。
「部隊長の馬が小石を跳ねた、それにシルビアの馬が驚いたのだ。」
王は、辺境地方の警備を負担している辺境伯と対立を避ける為に、今回の事を不問にすると言っているのだ。
シルビアの殺人未遂も、横領も。
「横領と言っても、巨額という程の金額ではない」
「民が納めた税です!
王家こそ清廉でなければ!」
レーベンズベルク公爵の言葉に王は首を振る。
「お前の頭は固いな。
王とは、それだけではダメなのだ。」
理想だけでは国を動かせない、わかっているが、その意志があるからこそ民の信頼を得るのだ。
これを許せば、他にも許されると思う者が現れるかもしれない。
王はガイメル辺境伯に恩を売ったつもりだろうが、これは罪を握り潰したという弱みを持たれるということだ。
何故、それがわからない。
だが、兄は王、弟の自分は臣下の貴族。
レーベンズベルク公爵は、深い哀しみと共に頷くしかなかった。
第2部隊長は即時放免となり、王都にあるガイメル辺境伯のタウンハウスに戻って行った。
王からの指示書を出されると、牢番が止める事は出来ない。
領地を父親の老伯爵が管理し、部隊長は妻子と共にタウンハウスで暮らしている。
王太子執務室では、椅子が蹴り飛ばされていた。
椅子は壁に当たり、大きな音を立てて壊れた。
「シルビアが軽傷だったのが奇跡なんだ!
あの濁流にシルビアを突き落とした男だぞ!」
飛んで来た椅子を避けたユークリッドがロイスをなだめる。
「落ち着け」
「ああ?!」
次はスタンドを投げようと手にしたロイスが、睨みつける。
「そういえば王はお前の父親だったな」
「ロイス、目がすわっている!
陛下はお前の叔父でもあるんだぞ!
反対したんだ!
だが、どうしようもなかった」
ユークリッドが悔しそうに言う。
「許せるはずないだろう!
私だって腹立たしいんだ、王太子といっても王の権力には敵わない」
ドスンと執務椅子に座るユークリッド。
カツカツとロイスがユークリッドの執務机に歩いて来る。
「取るぞ、王座。
ユーク、お前王になれ。私が裏から操ってやる」
「ロイス、思っても口に出すな」
誰が聞いているかわからない、と言うユークリッドは否定しない。
その夜、ガイメル辺境伯のタウンハウスに賊が侵入した。
マントに仮面、数人の男達が音もなく忍び込む。
翌朝、町の広場に裸で支柱に括りつけられた部隊長の姿があった。
剃髪され、顔は殴られ腫れあがり、泣いたらしく涙でぐしゃぐしゃになっている。
裸の身体には、『私は第2部隊長トニー・ガイメル。民の税を使い込み豪遊した天罰を受けてます』と落書きされていた。
私有軍を有し武を誇る辺境伯の嫡男が、軍の第2部隊長であるのは有名な事である。
辺境伯は国境を守っているという自負があり、国に大きく貢献している。
その男の恥ずかしい姿は、すぐに王都中に広がり、辺境伯であっても庇いきれるものではなかった。
そして、ガイメル辺境伯爵家に消えない汚名を付ける事になった。
ベランダから自分の部屋に戻ったシルビアは、ベッドサイドのテーブルの引き出しに、外した仮面を納めた。
入ってきたベランダを振り返ると、朝風にカーテンが揺らめいている。
クスッと溢れる笑みは隠しようがない。
「王が許しても、私が赦しはしない」
誰も聞いてない空間にシルビアの声が消えていく。




