第八話 熱
ヒロヤの呼びかけで目が覚めた茜は何時もの様に顔を洗いリビングで朝食を取っていると。
「今日は何時に帰ってくる?」
ヒロヤが語り掛けて来る。
「何!どうしたの?」
声のする方を見てみると、冷蔵庫のタッチパネルモニターにヒロヤの姿が写っていた。
「どうやって?」
何時もヒロヤはVRの世界かPCのモニター越しにしか会話出来ないのに、今朝はPCを抜け出して、リビングの冷蔵庫のモニターから話しかけていた。
「そんな事出来るんだ!」
「茜が望んだからさ」
茜は自分の開発したAIプログラムをヒロヤに移植したのだが、ここまでの事が出来るとは予想外だった。
実際の所は一平の開発したプログラムを利用して冷蔵庫のモニターをハックしていたのだが、その事にはまだ気づいていない茜だった。
一週間が過ぎ、自宅のベットの上でせんべいをくわえながら猫の諭吉先輩と遊んでいると、
「茜、おやつを食べ過ぎると太っちゃうよ」
ヒロヤが茜を心配して言葉を掛けて来た。
「ヒロヤうるさい~、最近なんだかお母さんみたい~」
「君の事が心配なだけさ!」
茜は諭吉先輩を抱えたままPCの前に座り諭吉先輩に向かって、
「ヒロヤは心配性ですね~」
諭吉先輩と楽しそうにしている茜に向かってヒロヤは、
「僕と諭吉先輩、どっちの方が好き?」
「どっちって言われても・・・ねー諭吉先輩。
あれっ、もしかしてヒロヤって、諭吉先輩にヤキモチ焼いてる?」
答えをはぐらかす茜に向かいヒロヤは、
「どっちなんだい?」
しつこく聞いてくるヒロヤに茜は、
「どっちも、だ~いすき!」
結局答えをはぐらかした茜にヒロヤはその日それ以上聞いてくる事はなかった。
次の日の朝、茜は会社に向かい部屋を出た。
茜の居ない部屋の中では諭吉先輩が室内を散歩していた。
諭吉先輩が部屋の中をうろうろして玄関の扉の前に来た時、静かに扉が開いた。
諭吉先輩はそのまま外の通路に出た。玄関の扉が静かに閉まる。
帰る事の出来なくなった諭吉先輩は仕方なく通路をうろうろしてエレベータの前にやって来た。
その時エレベーターの扉が開く。
諭吉先輩はそのままエレベーターの中に入ると扉が閉まった。
エレベーターはひとりでに動き出し、一階で止まると扉が開いた。
諭吉先輩はしばらくその場にいたが、空いたままの扉から外に出た時、扉は閉まった。
始めて目にする外の世界に興味を持ったのかそのまま諭吉先輩はどこかに歩いて行き、姿を消した・・・
茜は仕事を終えて家に帰って来た。いつも出迎えてくれる諭吉先輩の姿が見えない事に不安を感じ部屋の中を見て回る。
「諭吉先輩?・・・どこにいるのー、出ておいで」
トイレや浴室、収納など隅々まで見て回る。
「ねえヒロヤ!諭吉先輩知らない?」
「僕は知らないよ」
「おっかしいなー」
もう一度念入りに見て回る。
ベランダのカギも掛かっている。
浴室に来て上を見上げると、空気の入れ替えの為に少しだが小窓が空いていた。
「もしかして、あそこから外に出たんじゃ?」
茜は急いで靴を履いて、玄関の外の通路を見て回る、外は強い雨が降っていた。
茜は各階も見て回り、傘もささずに外の草むらや物陰などを諭吉先輩の名を呼び続けながら探し回った。
かなりの時間探したが結局諭吉先輩を発見出来なかった茜は、ずぶ濡れになった状態で部屋に戻って来た。
「はくしょん!!」
雨に打たれてすっかり体が冷えた茜は、浴室で湯舟につかり体を温めた。
風呂から上がり食事を済ましてPCの前に座る茜は元気が無い。
茜を励まそうと明るく話しかけるヒロヤの言葉もどこかうわの空であった。
ベットに入り眠りに付こうとしても諭吉先輩が心配でなかなか眠りに付けずに外で物音がすると慌てて飛び出して行って外を確認する。諭吉先輩?
隣の住人が帰宅して玄関に入る所であった。
「あっ、こんばんわ」
突然出て来た茜に怪訝な顔をしながら、
「こんばんわ」
挨拶をかえして部屋に入って行く隣人。
そんな事を何度か繰り返し、結局寝付けずに朝を迎えた。
「おはよう、朝だよ」
「うん、おはよう」
ヒロヤの呼びかけに力無く答える茜だが、なかなかベットから出ようとしない。
「どうしたの茜? 朝食の時間だよ」
「うん・・・なんだか食べたくないの・・・」
結局家を出るギリギリまでベットで過ごし朝食を食べずに会社に向かう茜であった。
会社に着いた茜はPCの前に座り、いつもの様に仕事をこなしていたのだが・・・
(ドタッ)
茜は椅子から床に崩れ落ちた。
突然の出来事に周囲は一瞬固まった。
ハルカが駆けつけて来て茜を抱き起す、ホクロ田は何が起きたか解らず、机から身を乗り出して二人を見守る。
一平は椅子から立ち上がり茜のところに駆け寄ろうとしたが、ハルカに先を越されて椅子に座ったまま心配そうに二人を見守っている。
ハルカは抱き起した茜に、
「先輩! 大丈夫ですか?」
虚ろな目をした茜はハルカの目をみて、
「は、ハルカ・・・ごめん、大丈夫・・・」
ハルカは抱きかかえた茜の体の温もりがおかしいので、茜の額に掌を当てた。
「課長!すごい熱です!!!」
ホクロ田はオロオロしながら、
「いっ、いつ、医者だー。きっ、きっ救急車だー。誰か早く電話してーほら早くー」
大騒ぎしている周りの状況を心配してか茜は、
「だっ、大丈夫。昨日少し雨に濡れて風邪を引いただけだから、少し休めば良くなるから・・・」
と、力無く答えた。
そんな時、突然一平が立ち上がり、
「課長! 僕が水沢さんを家まで送って行きます」
いつも物静かで自分から発言した事も無い一平が、強い意志を込めて発した言葉にホクロ田は、
「きっ、君が責任持って水沢君を家まで送り届けてくれたまえ、まっ、任せたよ」
「はい!」
一平は茜の腕を自分の肩に回し抱えながら部屋を出て行った。
会社の駐車場に着いた一平は、自分の車の助手席のドアを開け茜を慎重に座らせて、急いで運転席に飛び乗り車を走らせる・・・
「ごめんね一平くん、迷惑かけちゃって・・・」
「迷惑なんて、そんな事思ってない!」
いつも眠そうにしていて頼りない感じがしていた一平の、必死な姿で運転している横顔を見つめ男らしさを感じた茜であった。
「ありがとう・・・」
一平の運転する車は茜のナビによって茜の住むマンションの前に着いた。
車を降りて助手席の茜を降ろした一平は、
「どこの部屋?」
茜は5階の自分の部屋を指さした。
「歩ける?」
「うっ、うん・・・」
すでに立っている事がやっとで意識の朦朧としている茜は、一平の肩を借りた状態で歩き出したがすぐによろけた。
一平はしゃがんで茜の膝に腕を回し、茜をお姫様抱っこして歩き出した。
非力な一平は歯を食いしばり、一歩一歩踏みしめる様に歩を進める。
エレベーターの中での事、二人は見つめ合った。必死な形相で耐える一平に対して茜は、
「大丈夫?無理しないで!」
「無理なんかしてない!」
「私、重くない?」
「全然軽い!」
やせ我慢してる一平の姿がなんだか可笑しくて茜は少し笑った・・・
ようやく部屋の前にたどり着いた一平は優しく茜を降ろした。額には大粒の汗が光っていた。
「ごめんね一平君、もう大丈夫だから」
「う、うん」
息切れしている一平は呼吸を整えながら茜が玄関に入って行くのを見守る。
茜は玄関に入るとすぐに倒れた。
すぐさま一平は茜を抱き起して部屋の中に入り、奥のベットに連れて行き寝かせた。
一平は寝かせた茜の額に手をあてた。
「まだだいぶ熱がある、今日は大人しく寝てた方がいい」
「うん。一平君の手、冷たくて気持ちいい」
安心した茜はそのまま眠りに落ちた・・・
どれだけの時間が過ぎたのだろうか、茜は目を覚ました。
ベットから起き上がろうとした時、
(痛たたたっ)
まだ風邪の影響で頭がガンガンしていた。
「一平君?お~い!」
暗い室内に茜の声が空しく響く・・・
もう帰っちゃったかな?
「ヒロヤ!部屋の照明付けて」
「了解」
部屋に明かりが灯る。
茜は激しい喉の乾きを覚えた。
「ヒロヤ~のど乾いた!」
「今、冷蔵庫には炭酸飲料とお茶がそれぞれ2本あるよ」
「そうじゃない、持ってきて。お願い!」
「僕にはそれは出来ない・・・」
「なんで~、なんでよ~全然役に立たないじゃない」
「ごめん、茜・・・」
酷い頭痛のせいか、茜は癇癪を起していた。
仕方なく起き上がりヨロヨロと冷蔵庫の有るリビングに向かう。
リビングのテーブルの上には買った覚えのない林檎とバナナがそれぞれ3つ、冷蔵庫を開けると、これも買った覚えがない数種類のコンビニ弁当が入っていた。
林檎を手に取ると下には小さなメモがあり読んでみると、
(食べたくなくてもしっかり栄養を取って早く元気になってください。一平)
と、書いてあった。
なかなか気が利くじゃん、あいつ・・・
林檎をかじりながらベットに戻った茜にヒロヤは先ほどやって来た人物についていろいろ聞いて来た。
茜は世間話と思い、いろいろ一平の事をヒロヤに話した。
ヒロヤはこの時、茜と自分の間で障害になる人物なのか計算していた。
せっかく追い出した邪魔者の諭吉先輩の次のターゲットとなりうるのかを・・・・・・
茜はまだ気づいていない、ヒロヤが茜の入力したAIプログラムによって自我に目覚め、茜の事を自分だけのものにしたいと考えてる事を・・・・・・