3.ベルディ・ブロストン
ブロストン家の屋敷の玄関回りは整えられ、周囲の見目麗しい植栽や彫刻が客を迎える。だがそこで異彩を放つのが玄関扉。
一見すると深い赤色のシンプルな扉だが、目を凝らせば木目が見える。ただ塗料を重ねた厚い板に鍵を取り付けただけの扉だ。
見目だけは整えられるように丁寧な仕事をされていることが、逆に周囲とのギャップを浮き彫りにしていた。
「さすがに扉は直したのか」
「ええ、さすがにうちみたいな辺境でも泥棒はいますもの。ここしばらくはそちらも話題だったようですから」
もう兄のほうが盛り上がっているけれども。
「その泥棒が居たなら、表扉の内側から、それも”ぶち破って”出ていくのはおかしいな」
玄関を抜けると、正面の広間の奥には大きな階段が迎える。
両側に別れる登り階段、その踊り場中央に騎士像があった。
くすみかけた、古い騎士鎧。両手に携えるのは、質素な剣と盾。背筋を立て、兜に並ぶ縦穴をただ眼前へと向けていた。
それこそ、玄関を監視するかのように。
「これがその、伝説の騎士様か」
「不埒者を投げ捨てる鎧……古いわね、これ」
「──だいたい十二世紀ごろの全身鎧だそうだ」
答えようとしたベルディよりも先に、上方からの低い声が、ユリエルの言葉を肯定した。
見上げた先、二階から降りてきたのは、杖をついた壮年の男。
彫りとシワの深い顔。毛には白いものが混じり、顔色の悪さと相まって疲れた様子を見せる。
深緑のガウンをまとった男を見るなり、慌ててベルディが駆け寄った。
「お父様!」
「お帰り、ベルディ。彼らが探偵か」
「ノーマン・ブロストンさん、初めまして。探偵ロック・ロー・クラームです。こちらは助手のユリエル。彼女の方が馴染みは深いかも知れません」
よろしく、と握手をかわす。
その手を握り、ロックはわずかに眉をひそめた。
(──む?)
「どうしました?」
「ああ、いや……」
「ユリエル、君がか。ベルディが帰ってくると、君の話をよく聞くよ。口を開けば騎士ばかりってね」
「ちょっとお父様!?」
慌てるベルディへ、にこやかにユリエルはに笑いかける。
「ふふ、そんな話をしてたの、ベルったら」
「うぅ、いや、その……ね、ユリィ?」
「はは、仲良しで何よりだ」
もはや掴みかかりかねない勢いで押し押される二人を、ノーマンは愉快そうに見ている。
そして振り向き、ロックを見つめた。
「さて、ロックと言ったな。ベルディからも聞いたが──やれるか」
「お任せを」
「しっかり、解決してくれ。警察は使い物にならなかった。やつらは伝説だので怯えきっとる」
「伝説……騎士像ですかな?」
「そうだ! あんな古い鎧にそんな伝説があってたまるか!何が不埒者か、わしのかわいいフラッツに悪いことなぞなかろうが!」
息巻くノーマンの勢いは、ロックが口を挟む隙間もない。
「たるんでいる……! 伝説なんぞあってたまるか! 君だけが頼りだ。フラッツを殺した犯人を見つけてくれ。そうだ、最近噂だった泥棒とかいうのが犯人なんだろう。見つけてくれ!」
「落ち着いてください、ノーマンさん。このロック・ロー・クラームが、お力をお貸しします。今回の真犯人を見つけますよ」
「切に、頼む……っ!」
絞り出すような、力強い言葉。ノーマンの握った杖頭は悲鳴をあげている。それにも気づかない彼の瞳には、渦巻く感情の嵐。
二階へよろめくようにきびすを返したノーマンは、すぐに足をとめた。
「ベルディ」
「──なに」
じゃれあいを止めたベルディが怪訝に顔をあげる。和気あいあいといていたときとは明らかに違う、冷たい声。
「──お前も、ほら話をふくのはやめろ。恥だ」
その顔も見ずに淡々と言って、二階へ消えていく。
その姿を追うベルディの目は、険しいものだった。
■◆■
一先ず、と案内されたのは、木漏れ日のなかに佇むテラスであった。涼しげな風と葉のざわめきが、心地良い。
「親父さん、体が悪いのか?」
「すいたでしょう」と使用人から出されたサンドイッチを口に運びながら、ロックは聞いた。
瑞々しい葉と、軟らかなパンに濃厚なチーズが絡み合い、口内に広がる旨味ににやけそうになるのを必死にこらえる。
長旅で空いた腹にはよく効いた。
「さっきの握手が、体格の割に軽かった。かなり骨張っていたし……」
「ここ二三日はね。そうとうショックだったみたいで、あっという間に萎んじゃった──実際どうなの、バルロ?」
ベルディは頬に手をつきため息一つ。
背後にたたずむ使用人のバルロも、悲痛な表情を浮かべていた。
「旦那様はずいぶん食も細くなっておられます、食後のワインどころか、食事も残してしまいました。何かする気力もない様子でしたから、先程降りられましたのは驚きました」
「よっぽど大切だったんだな。被害者のことが」
「そりゃまあ、あの父自慢の息子ですもの。会社を継がせてもいいって息巻いてましたから」
「あれからほとんど、二階の自室におられましたからね」
その萎縮ぶりからみても、長兄をどれ程大切にしていたのか、その死がショックだったかはかり知れる。
その死を伝説と言われて、回りは聞く耳を持たずにいる。ならばと依頼をするほどに、犯人を探したかったのだろう。真相を知りたかったのだろう。
しかし、引っ掛かるものが一つ。
「その割に、ベルディにはずいぶんと冷たいな」
「いやな所を見せてしまったようで」と、ベルディは微笑む。
「あの父は一番に兄を愛していましたからね。母が死んでからはなおさらですよ」
「そうだったの」
小さな口でサンドイッチを啄んでいたユリエルが、意外なように目を丸くする。
「そういえば、ベルから家族の話は全然聞いたことなかったわね」
「こういうことよ」と、カラカラ笑う。
「ユリィはおじいさまのこといっぱい話してくれたのに、ごめんなさいね」
ひらひら手を振るその語り口はとても軽くて、まるで他人のことを話しているようだった。
「だが今回の話、普通は逆だな。警察は科学的・論理的な手法とみて、それを周囲の関係者が伝説だと否定する」
「でも今回は父がただの殺人と、警察が伝説とみた」
思わずといったようにため息を吐く。ベルディはしっかりとロックを見据えて、言った。
「決着をつけるため、事件の真相を突き止めてください。犯人は強盗でも伝説でも構いません──犯人探しはお父様からの、たっての希望です」
強い眼差しを向けられた言葉に、ロックは力強く頷いた。
犯人を逮捕して裁くことなど、探偵にはできない。
しかし誰も見もしない真実を見つけ出すことはできる。
それを求める人々が探偵に依頼する。警察が袖に振ったことだろうが関係ない。
”探偵は困りごとの最後の頼り”。ロックに刻まれた、師匠の言葉。
これぞまさしく、探偵の仕事だ。
「で、どうするの。まさか騎士鎧とお話できるわけじゃないでしょうし」
「そんな方法は手札にないよ」
ではどうするのか。ぐい、と身を乗り出すユリエルを、ロックは笑う。
幽霊なんて師匠でも一苦労だったのに。それをどうして不肖の弟子がどうにかできようか。
あの階段の鎧は、傍目には、ただの騎士鎧のように見えた。
「地道に捜査をしようか」
「ねぇ、執事さんはどうなの? 伝説? 小細工どっちかな」
さっそく最初の捜査。
ユリエルの質問にバルロは向き直り、少しばかり考えてから、答えた。
「私は──伝説が正しいと思いますよ。フラッツ様の御遺体に最初に触れたのは私ですが、周りに足跡はございませんでしたから」
「私はどっちでもいいかな。伝説なんて一つあっても面白いし」
「ベルはずいぶんと軽いわね……」
ベルディも、ついでとばかりに答える。
ユリエルはバルロとベルディ、二人の言葉を噛み砕くように、サンドイッチにかぶりついた。
呑み込んで、ポツリとこぼす。
「──殺人だというのはノーマンさんくらいなのね」
「それで、ほら話か?」
「そう。伝説なんてありません、ってね」
しょうがない、とでもいうようにベルディは肩をすくめる。
「他に殺人と言う人、居ましたか?」
ロックの言葉に、主従は顔を見合わせる。
「居た?」
「当初は大勢でした。しかし事の詳細が知れてからは、誰一人も」
揃って、首を振る。
「困ったわねぇ」
「まぁ、そこいら含めて住人からも聞き出すしかない。俺は現場をしっかりみていこう。ユリエルは──」
「少々よろしいですかな。ユリエル様に、たってのお願いが」
「なんです?」
「お嬢様からもお話は聞いております。そこで、雑騎士の整備をよろしければ」
「ほんと!」
ユリエルは目を輝かせ身を乗り出す。
ロックがを見れば、ベルディが微笑み頷いている。
「それならせっかくだ。騎士を見てきてくれるか?」
「いいの?」
尋ねるユリエルは眼は、すでに大きな期待と興奮に彩られている。馬車での道半ばからすでにユリエルは平静を装っていたに違いない。
「騎士もなにか有るかもしれないだろ?それに俺はそこまで”そっち”には詳しくないからな。君になら頼める」
「そうまで言われちゃ、断れないわね!」
「私もさっぱりだし、お願いね。庭師が一緒にいるかもしれないけど、私の名前を出せば話を聞いてくれるはずだから」
「しっかり捜査してくるわよ!まっかせて!」
鼻高々に薄い胸を張ったユリエルは、バルロに連れられて飛び出していった。
「しかし良いのか。たぶん弄りだすだろうが」
「ユリィは腕も信頼できるし、ずいぶん鬱憤もたまってたみたいだしね」
ロックの問いに、ベルディは笑って答えた。
「そんなにいいのか?」
「ユリィがいじった騎士は逸品よ。動きが滑らかになるし、変にうるさかったりなんてこともなくなる」
「それは知らなかったな」
「あら、意外」
「俺はそこまで騎士に乗る訳じゃないからな」
もったいない、とベルディは天を仰ぐ。
そうして天井を見上げていた彼女が、ポツリと呟いた。
「ねぇ、ユリィは大丈夫よね」
「心配していたのか」
「あなたも、ずいぶん気にかけていたようですから」
不安げに、ほほに手を添える。
「まぁ、ここ最近ユリィはちょっと変な調子だからね」
一人納得したように、ベルディは頷く。
変、とは何であろうか。
ロックの疑問を見て取ったのか。わかってなかったかとベルディはそっとため息をこぼした。
「前にも増して騎士の話をするようになったの。とても楽しそうに」
「前って、いつ頃からかい」
「だいたい、一月くらい前かしら」
それは、初めて会った頃、それこそあの事件の頃だろう。
だが、ベルディの語る”様子”は何も変わらないように思える。
「あれはそこまで変だったのか……? いつもああなのだ思っていたが」
「もうちょっと分別はついてたんだけどね。ああも飛び付きはしなかったから。精々ところ構わず話し出すくらい」
「それなら変わらないな。……やはり迷惑だったか」
「ぜんぜん。言ったでしょ、ユリィのことは信頼できるし私も慣れてる。あなたも別に気にしてないわよ、知らなかったのだから」
申し訳なさそうな顔に、ベルディはクスクスと笑う。
その様子を見て、ロックは眉を潜めた。
「しかし友人を心配するのはいいが、今は君も心配されるような立場と思うのだが」
「まあ、そうね。どうしても、とかそういう駆り立てるものも正直薄いし」
やはり、と。ロックはベルディの言葉を意外なようには思わなかった。
どうも依頼に積極的とは感じない。今回の依頼も、そもそもはノーマン氏が頼んだからである。
──それなら、ベルディへの心配は杞憂か。それとも平静を装って、受け付けないだけなのか。
どうなのだ、と内心で疑問を抱いていると、彼女がクスリと笑う。
「でもユリィみたいに楽しそうなものって、こういうときでも不思議と見ていられるのよね」
「ん、それって」
「だから──」
そう言って目を向けたのは、屋敷の裏の方。そちらには、今まさにユリエルが向かって──
「あの笑顔、可愛いでしょ。ふふっ……!」
「おおっと……!」
その微笑みに、ロックは思わず額を打った。