1.二人寄らば
「最近どうなのよ、あの嬢ちゃんとは」
「なにもないよ」
マスターの言葉を、ロックはきっぱりと否定する。
喫茶《小鳥の宿り木》のテーブルでロックとマスター二人向かい合う状況を、内心うんざりとしていた。
のんびりと紅茶を嗜んでいたのが運の尽きだった。
何も無ければさっさと離れていたのだが、マスターに見つかってしまった。
「またまた、一緒に住んでるのに何もないってことはないでしょ?」
「無いな。ユリエルとはしっかり寝床もプライベートも区切っている」
「なに? だがベッドはひとつだけ……じゃあ今お前さん、ソファで寝てるとでもいうの?」
「十分寝れるさ」
「そこは一緒のベッドを分け合いなさいよー!」
「あいにくシングル一つだ。そもそも俺をどうしたいんだ、マスター」
にやついた笑みをマスターは浮かべている。
誰かと話したい時のマスターは、中々にしつこい。そしてここ最近の興味の矛先は新たな入居者に関することに向けられていた。
「探偵見事に少女の依頼を解決、行き場のない彼女たっての希望もあって己の家に住まわせ、二人同じ屋根の下、早一ヶ月……これで何もないってのはおかしいだろうよ!」
「無い」
「なんでよぉ……!」
三度きっぱり否定して、マスターはようやく首をがっくり落とした。
──そこまで"何か"して欲しいのか。
呆れたような眼差しに、マスターも何か諦めたように首を振る。
「堅物だなぁ、お前さんも」
「彼女の家はまだ残ってる。この事務所に目を放せないモノごと避難しただけだ。大体依頼人に手を出すわけないだろ」
「……まあお前ならな。それで馴染みの馬車で学校にしっかり行かせるんだから、よくやるよ」
「元々行ってたんだ。なら行った方がいい。馬車任せなのも、信頼できる馭者だからだし、俺は他の依頼が来ることもあるからな」
「他の依頼ね。昨日もそういや行ってたな。何を探した?」
今度こそからかおうとするその笑みに、ロックは愉快そうに口を吊り上げた。
「宝石窃盗犯だよ」
「へえ、ずいぶんといい依頼来たじゃないの。で、結果は?」
「上々。忽然と部屋から宝石が消え去ったようでね。探してほしいときた」
「へぇ、泥棒か、それとも身内か。それで?」
「鳥が巣に持っていったんだ」
へぇ、と感心する声が上がる。
「光り物を集める鳥の習性を現場の警官が知らなかったのはさすがに嘆くよ。だけどすぐに解決できたし、身の入りも素晴らしかった。もっと来てほしいもんだ」
「そりゃあすごい。だけどそんなこと言っちゃって、時間あるのかい?」
鼻を高くするロックを、今度はマスターが愉快そうな顔をする。
「毎日あの犯人探しているんだって嬢ちゃんから聞いたぜ。なんか嬢ちゃんにも色々ひどいことしてたってんでしょ?」
「……まあ、な。成果は無いが」
目をそらしながら、肯定する。
ユリエルの祖父を殺し、資料を盗んでいった研究者ベロムズ。
依頼のために彼を追い、果てにゴルフォナイト《ノックス》に乗り込み戦ったことはロックの記憶に新しい。
そのベロムズが警察への移送中に逃げ出したことから、ロックを頼ってユリエルが事務所に住み込んだことも。
マンチェスターの町に消えた彼の行方に警察が手をこまねくなか、ロックも依頼の合間をぬって、その行方を追っているが未だに影も掴めない。
「逃げれるやつとは思えないが……」
漏れた言葉は、自身に言い聞かせているかのようだった。
それを聞いたか聞いてないのか、感心するようにマスターは何度も頷く。
「嬢ちゃんのため、女のために尽くす。良いことじゃないか……でもそれなら警察にも話は聞かないのか? こういうときこそ使い時だぜ。エリックも協力なんてよくしてたよ」
「それこそユリエルのために、だ。親の影響もあってめっぽう警察は苦手だ。……まあ、スコットランド・ヤードならともかくなぁ」
「あれはロンドンで精一杯だろうよ。迷宮入りも何件か出てるって話だ。老人一人にかまけてられるか」
精鋭揃いのロンドン警察でも、お手上げの事はある。
それに他所の事を言ってもしょうがない。マンチェスターの警官らが遜色ない奮戦をすることを期待する。
いざ行方を探さねばと、思索にいざ潜らんとするロックだったが、マスターの声が打ち砕いた。
「だけどしっかり他の依頼もこなしてくれよ? また滞納とかはごめんだからな」
「……うるせぇやい。あんたもまともに店員やってろ」
図星であった。精一杯の反撃も、軽いジャブにしかならない。
「ひどいなあ。もっと年長を敬ってくれ!」
「それならマスターとしてすることは? コーヒーも菓子もいまいちなのに休んでばかり。紅茶ならまだましだが」
ロックの言葉に、マスターは悔しそうに歯軋り。否定する材料もないので言い返せないのか。
「それでもな……」
だが、とロックが店内を見渡してみれば、見目麗しい装飾品が喫茶店を飾っているのが見える。
皿や花瓶、絵画に鉢。彩る草花まで、見事に店内を彩っている。
知識はともかくセンスには乏しいロックにしても、どれ程調和しているのかよくわかるほどだ。
「インテリアは最高だよなぁ……美術商というかなにかそっちの方がよかったんじゃないの?」
「はは……誉められてるはずなのに嬉しくない」
「喫茶店員としちゃあお飾り気味なの、どうにかしなよ」
「なら、もう少し稼いでこないか?」
睨みあい、にわかに高まる不穏な気配。
そこへ一人、割り入った。
「もう、あまりいじめちゃダメよ!」
「おお、ハニー!」
「ちょっと、ミリーよ!」
「大家さん」
「んもう、ミリーで良いって言うのに!」
「対応違くない?」
「違うわよ?」
マスターの言葉に口を尖らせるのは、若い女性。
ピンと伸びた背筋とやや大きな背丈からは、きつめな印象を受ける。
だが、一度その柔らかな表情をみれば、霧散していくだろう。
淡い香水の香りとともにエプロン翻して、ロックへと指を振った。
「こんなのでもね、この店には大切なのよ」
ミリー・ハドック夫人。
彼女はロックの住まう『エリック・セイムズ探偵事務所』の大家さんであり、喫茶店のオーナー。
オーナーに大切と称えられ、マスターは目を潤わせて感涙する。
”こんなの”呼ばわりであることは気にならないようだ。
「おお、ハニー……!」
「こんな人でも飾りつけだけで十分違うんだから、必要よ!」
「飾りだけはって。それ、本当にお飾りじゃないですか?」
「ちょっと酷いって、ロック!」
「あなたも、もう少し紅茶の練習しましょ、ね?」
「はい……」
「はは、言われてらぁ」
釘を刺されたマスターを笑ったのもつかの間、くるりとミリーはロックにも振り返る。
でね、と添えて、ひんやりとした眼差しが向けられる。
「あなた、来月は大丈夫なの?」
「──た、たぶん払える……」
「シェアしてるからって、あなたもしっかり出すもの出しなさいね。また延滞なんてなったら困るんですから」
「はい……」
家賃を忘れては困る。
釘を刺されて、ロックもまたうなだれた。
●
馬車の車輪が石畳を叩く音が響いたかと思うと、喫茶店の前で止まった。
「ただいまー!」
来店のベルが鳴るのに合わせて、威勢の良い声が響いた。ユリエルだ。
「はい、お帰り。学校はどうでした?」
「今日も色々あったけど……」
ミリーから声をかけられるもその背後、片隅のテーブルでの二人に気をとられた。
「……どうしたのですか、二人とも?」
「バカな男どものことは良いでしょ?」
その言葉に、はぁと空返事。
「ご注文は?」
「紅茶とクッキー、あります?」
「はい、今日は本場の印から取り寄せたダージリンよ!」
「クッキーは?」
「カカオたくさんの手作りクッキーですよ。今新しく焼いてるから、ちょっと待っててくれる?」
「じゃあお願いします……あ、二セットずつで!」
「はい二つね。いつもありがとうね!」
厨房に消えるミリーを見送り、ユリエルは背後を見る。
怪訝な顔で声をかければ、ゆらりと幽鬼のようにロックが顔を巡らせた。
「何やってるの?」
「ああ……かえってきてたのか、お帰り」
「はい、ただいま……ホントに何やってるの、辛気臭いったらありゃしない」
力ないロックの声に、渋い顔。
男二人が向かい合って気力なくうなだれているのだから、いい顔をするわけがない。
「うるさーい、男には色々あるんだよー」
「だらけて寝ているだけでしょうが。休むとサボるは違うのよ!」
マスターに釘を刺し、天を突かんばかりに吠える。
「そんなんじゃ雑騎士も弄れやしないわ!」
「まーたワークナーかい嬢ちゃん……」
彼女は祖父を失い、住まいを出たことも気にしていないかのように、学校へと通っている。
口を開けば騎士の話題が飛び出すとあって、ずいぶんと元気になったようにロックは思っていた。
「ずいぶんと気が立っているな」
「私でもそりゃ立つわよ。色々あるし、雑騎士”すら”いじれないんだもの」
「お嬢ちゃんは前はワークナー研究手伝ってたんだっけ?」
「そっちは重騎士。学校では主に雑騎士のことを学んでいるわ」
当然重騎士もやってるけどね、と付け足す。
誇るように薄めな胸を叩き、自慢げな笑みをユリエルは浮かべた。
「その二つ、学校でもそんな違うの?」
「今の主役な雑騎士は現物もいじれるが、どうしても貴重な重騎士は文献資料研究ばかり、だったか」
その通り、とユリエルも頷いた。
今もどこかの工場で組み立てられる雑騎士と違い、重騎士はまともに生産する方法はない。
今から手に入れるとなると、所持している家の血縁となるか、どこかの家が手放したり、地中から発掘されたものを買うだけだ。
それほどに貴重で高価となると、学校が手に入れられるのはなかなか難しいものがある。
わざわざ貸し出す奇特な者も今は居ない、とユリエルは常々愚痴っていた。
当の彼女もノックスを差し出す気はない。
「楽しいわよ、研究するってのは!」
「まさかゴルフォナイトでやったりするのか?」
「なにバカなこと言ってるのよマスターさん。使えるのがあったらやってるわよ。それでなきゃなんかねぇ!」
「おいおい、前から思ってたが、そんなワークナー狂いでちゃんと勉強できてるのか」
「わかってないわね、マスターさん。その程度できずに騎士がいじれると!?」
妙な含み笑いとともにぐい、とマスターの目前にユリエルは迫る。
「はは、ち、近い──」
威嚇するような笑みと爛々と輝く瞳に見いられて、マスターは動くこともできない。
「歯をむき出しで笑うのはよしなさいよ」
「何よロック! 騎士もわからぬこの男に教えてしんぜようというだけです!」
怒りとも喜びともつかぬ強い眼差しに、ロックは口を閉じた。
そっと向けられた無言の懇願には肩をすくめる。
「いいですか──」
授業の始まり。要らぬことを言っては舌鋒浴びせられるのは、最近良くある光景だ。
ロックも何度か受けてから警戒するようになったのだがマスターはまだに懲りていないらしい。
逃げる素振りをすれば睨まれるのだから逃れようもなく、おとなしく頷いている。
「まるで首振り人形だな……」
右から左へと聞き流しているのだろうか。
授業の内容は毎度毎度異なるのだから、面白くはあるのだが。
●
「あーしんど……見捨てるとかひどいぞロック……」
「俺も聞かされてるから問題ない」
授業は大家が紅茶とクッキーのセットを運んでくるまで延々と続いた。
ようやく解放されたマスターは首をならし、腕を伸ばして体をほぐしている。
ユリエルは二人のことも眼中になく、配膳された紅茶とクッキーに目を輝かせている。
クッキーを一口食べれば、すぐに顔をほころばせた。
「おいしい!」
「あらあら」
頬も垂れそうなその表情に、大家も嬉しそう。
「騎士ばっかりのユリエルにそんなこと言われて嬉しいわねぇ」
「そ、そんなこと、ないわよ……?」
「あらあら。じゃあ──騎士と私のお菓子どっちが好きかしら?」
いたずらっぽい笑みとともに聞かれて、ユリエルは不満げに頬を膨らませた。
「騎士も大好き、ミリーさんのお菓子も大好きよ!」
「そうまで言ってくれるなんて……!」
言って、また一つ口に放り込んだ。
「もっと騎士を弄っていたい……」
「学校にはあるんじゃないのか?」
──《ノックス》ならばいいのでは。
そう思うのだが口には出せない。
あの重騎士の話題を外に持ち出すことを、ユリエルはどうにも憚っていた。
「いいのがないのよ。実習用が二体だけだし、自習で触るのも多くの人を掻い潜って申請しなきゃいけない。まともに触れる機会がどっかにないかしら……もっと気楽にいじれるのぉ……」
紅茶を流し込んだかと思えば、くだを巻く。
その乱高下ぶりにはさすがにマスターも不安顔だ。
「ロックよぉ、ほんと大丈夫かい、この娘」
「やっていけてるから大丈夫だろ。騎士持ってる家にお邪魔したときは本題そっちのけで騎士談義するらしいが」
「ダメそうだな……」
マスターは深くため息。
そして、ロックの前に紅茶とクッキーが運ばれてくる。
「さあ、どうぞ」
「……ねぇ、ハニー。おいちゃんのは?」
「ご自分でどうぞ」
「オォ……!」
再びうなだれるマスターを横目に、ユリエルはロックに向き合った。
かしこまった姿勢での差し入れ。何かあると、ロックは感じていた。
向き合ったユリエルは、ねぇと小さな口を開く。
「依頼を一つ、受けていただけないかしら」
ロックがクッキーを一つ口に放り込むと、ユリエルは微笑んだ。
甘味のなかに混じった仄かな苦味が、口の中に広がっていく。
「話を聞こうか」