6.事、終わって
「あれ、良いのか……?」
《ノックス》が、マンチェスターの運河に沈んでいく。波たつ水面は白く泡だち、大きな飛沫をたてている。
近くの建物の屋上から見下ろしながら、ロックは不安をにじませ尋ねた。
「頼めば、勝手に還ってくれます」
心配いらない。そうあっけらかんとユリエルが言う。
その間にもノックスは沈んでいき、その姿を完全に水面に消えさせた。
余韻に残るわずかな気泡と波も、やがて運河の流れに飲まれてしまった。
その光景に、ロックは眉をひそめる。運河の水深よりは”高い”だろうに。
「”還って”ねぇ……”喚んだり”とか本当によくわからんな、重騎士ってのは」
「ええ、私も同じです」
「へぇ?」
意外そうに見るロックに、ユリエルはおかしそうに笑う。
「私だって全部知ってる訳じゃないんです。それを知るために研究ってするんですよ」
「……おじいさんも、か」
「ええ。おじいさまも」
「──あのベロムスっての、置いてきて良かったのか。探してたんだろ」
遠く、あの《メカニクナイト》の辺りでは未だ警察の光が見える。ベロムスは恐らく逮捕されたのだろう。
メカニクナイトも明日までに撤去されてしまうに違いない。
「もう、構いません。おじいさまの仇を取りたかったのは、否定できませんけど……」
少しだけ、声を詰まらせる。
「あの、ノックスに泡吹いているのをみたら、十分意趣返しできたなって」
「結局メタメタにやったからなぁ」
「ええ、胸がスッとする思いですよ」
「そりゃあ、良かった」
その晴れやかな笑みに、ロックは心底安堵する。
そもそも依頼は、あくまで犯人の居場所を暴くことだ。その後の処遇には関知はしない。
「お礼を言わなくてはいけませんね」
「報酬はきちんと払ってくれよ」
「ああ、いえ、それとはまた別です──ノックスのことです」
「ノックスの……?」
ユリエルは、恥ずかしそうにはにかむ。
「私じゃ、あの勇姿は見れませんでした。まともに動かせませんでしたから」
「動かしたことがあったのか」
「ええ、郊外で何度も練習しましたけれど、結局ダメでしたね」
肩を落とす彼女の言葉を聞いて、不意に思い出すのは町に流れた奇妙な噂。
──いや、まさかな。
「あれほどの勇姿を見れるなんて──」
──ありがとう、と。
じっとロックの瞳を見つめて、ユリエルは言う。
暗雲の晴れたその笑みはベロムズのことなど、まるで消え去っているかのよう。
「いや、俺のほうが言うべきだ。あのままじゃ、俺が潰された。君も一緒にな」
「お願いしたからには、私が出来うる限りに提供するものでしょう? それでノックスもすぐに使ってみせたのですから、ロックがスゴいんです!」
両手を握りしめた力強い言葉に、ロックの顔は奇妙に歪む。
礼を言われるとは思ってなかった。あまりにひどい使い方に文句を言われるとも考えていた。
むしろ窮地を抜け出す術をくれたのだ。ロックのほうが礼を言いたいほどだった。
だけれどもその真っ直ぐな眼差しに、音をあげた。
「……ま、そのくらい良いってことよ。俺は探偵だ。困ってる人を助けるのが役目だからな。この程度はお安いご用だ」
「今日も助けてもらっちゃいましたしね」
「それは依頼を持ち込んだからだ。きちんと依頼としてくれれば、俺はどこでも行く」
「そう、ですか?」
首をかしげるユリエルに、しっかりと頷いた。
貧乏探偵に出来る礼は、それくらいしかない。
「困ったことがあったら、連絡をくれ。事務所に来たら喜んで迎えよう」
見下ろす運河は変わらず流れるだけ。水面に映る月は、ただ二人を照らしていた。
●
青空に包まれたマンチェスターをロックは足取り軽く歩いていた。
普段のごとく街角の売店で新聞を数種見繕って買う。これはロックが毎日やることの一つ。
新聞は情報源の一つだ。師匠も口酸っぱく言っていたこともあり、ロックも強く認識している。
名前や事件といった何気ない情報が新聞から見つかることもあり、それが一つの誌しか載っていないこともままある。
しかし生活で精一杯、家賃もままならない状況では新聞代も手痛いと言うしかなくロックの重荷になっていた。
だが今なら問題なく買えるとあって、意気揚々と金を払った。
”気にしなくて良い”と言うのは素晴らしい。
昨日の新聞には、運河沿い工業地帯での騒ぎがしっかり取り上げられていた。
《改造雑騎士で暴れた男、逮捕》と。
ベロムズのことも、《改造雑騎士》のことも、しっかりと記事に取り上げられていた。どうやらベロムズ、どこぞの研究誌に論文を載せる程度にはしっかり研究者であったらしい。
どこであれだけの改造の資金を得たのか、そして介入した重騎士は何者か、警察は捜査をするという。
──そこいらはもう、警察にまかせよう。
依頼は、犯人の行方を探ること。探偵の仕事は、終わったのだ。
事件から二日が過ぎた。
ノックスを見送った後に倉庫街を抜け出した二人は、拾い上げたタクシー馬車でアウグストル邸に戻った。
ユリエルが疲れていると見たロックは、依頼および解決料の受け渡しは翌日と取り決め、その場を後にした。
支払いばかりはロックも崩せない。師匠も契約金の取り決めはしっかりしていたのだから。
後日というだけでもずいぶんと譲歩したものだ。
そして昨日しっかりと代金をせしめたロックの懐は今、非常に膨れ上がっている。
「これにて依頼は無事解決。家賃も払えて、事務所の問題も無事解決!」
十二分に余ったために赤貧からも解放されたとなれば、足取りも上機嫌になろうもの。
さすがに我慢していた《ストランド》誌までも買っているのだから、その浮き様が伺い知れる。
そして、意気揚々と事務所の前まで戻って、足を止めた。
「──あ?」
目を見張る。
一階の喫茶店の前に止まっているのは、大きな荷馬車だ。
何やら木箱を運びだし、狭い石階段を通して二階へ次々と運び入れている。
二階にあるのこそロックの城なのだが……
その時、二階の踊り場に見覚えのある人影を見つけた。荷持ちのいなくなった間を縫って一気にかけあがり、問い詰める。
「これは一体どう言うことだい、マスター!」
「……ん、ああ、お帰り」
空を向いてパイプを吹かしていたマスターは、何事もないかのような空返事。
「どうしちゃったの、かっかしちゃって」
「あの荷物はなんだ?」
「ああこれ?引っ越し。新しい人が入るの」
「──は?」
今、なんと言った。
「なんだって荷物なんか運び入れてるんです!?俺は今日から宿無しですか!?」
「あれ? 喜んでとか言われたそうが……違うの? 妙でも良いの捕まえといて?」
「は……?」
「──は?」
暫し、沈黙。
「俺、追い出されるんですよね?」
「……何言ってるの。昨日滞納してた家賃払ったのに?……うちのオーナーはそんな薄情に見えるかい?」
「大家はともかくあんたは見える」
「さすがに酷いなぁ……」
「サボってばかりのあなたは大家に薄情な様にしか見えませんよ。今もサボってるんでしょう」
その言葉にマスターは得意気に歯を見せ、指を振る。
それはちがう、と言わんばかりの誇らしげな様子だ。
「いいや、こいつも立派な仕事だ。新しい入居人の立ち会いというな!」
「それこそ大家さんの仕事でしょうよ。あなたマスターでしょう。喫茶店の仕事はどうしたんです」
「店員が円滑に働けるようにするのも、マスターの仕事でしょう!?」
「やってることはパシりでしょうに。カウンターに立てずに何がマスターですか。腕磨きなさいよ」
ぐぅの音もでないように、マスターはうなだれ、手すりにもたれ掛かる。
ショックのあまりパイプに詰めたタバコを下へこぼしているのにも気づいていないようだか、ロックは努めて無視。
「はてさて、一体どうなっているのやら……」
曲がりなりにも自分の家なのに、なぜこうも緊張するのか。
息をのみ、ノブに手をかけようとして。
「おっと……」
向こうから開いたことで、ロックは身を引いた。
開くドアに押されて影に隠れることになり、そのまま出てきた女性を伺う。
──一目見て、思わずため息をはいた。
「ああ、マスターさん。終わりました!」
「お疲れ。もう説明は聞いてるね? わかんなかったらそこの彼から聞いてね。知り合いでしょ」
はっと起きたマスターは、ロックを示す。
「とまあそんなわけだ。かっかとなると回転鈍るのは悪い癖だな。じゃ、あとは楽しみな!」
まくし立てたマスターは、面白そうに口元を押さえながら、さっさと階段を下りていった。
なんのことやら、と首をかしげていた女性はロックに向き直る。
「また、お会いしましたね」
「──やっぱり君だったか。ユリエル。いきなりだったから驚いたよ」
「ごめんなさい。でも『何かあったら頼ってくれ』って言ってたから」
微笑むユリエルに「ああ」とロックは天を仰ぐ。
事件が一段落して、確かにそんなことを言った。
だからとはいえ、さすがに急なこと。戸惑いは隠せない。
「それで、なぜ荷物を。なんでまた家に?」
「その……ね……えっ、と……」
ユリエルは言葉をまごつかせる。
指をいじり、目を泳がせ、ほほを染める。
じっと待っていると、やがて意を決したように口を開いた。
「──ここに、居候させてくれないかしら」
「理由はさすがに聞きたいが」
「あら、探偵なのにわからない?」
「予測はできるけど……君の口からしっかりと聞きたい。さすがに急だ」
「では、今日の新聞、見ましたか?」
「今買ってきたところだ」
「《マンチェスター・ガーディアン》は? 二面下の方」
「あるぞ」
ええ、とユリエルが頷くのを見ながら、ロックは新聞を手に取った。すぐさまその見出しを見つけて、思わず間抜けな声を漏らす。
隅の方に書かれたのは《改造雑騎士暴走犯 脱走》。
どう読んでも、一昨日の工業地帯での犯人のことを書いている。
「ベロムスが逃げたみたいなの」
「おいおい、なにやってんだ警察は……」
その顔に浮かぶ不安を、ロックはしっかりと見ていた。
一方的な敵意によって襲われたことは、記憶に新しい。さらに祖父の命までも奪われたのだ。
その男が、牢を抜け出し市井に潜り込んだとあっては、気が気でないだろう。
「あの男は、私の家を知っています……怖いわ」
「それで、こっちにか」
考えたのは、一瞬。
ロックは首筋を掻きながらも、何事もないように言った。
「いささか急だったが、良いだろ」
「良いのですか……いきなり押し掛けたのに」
「ま、助けるとも言ってしまったからな。それに馬車に
荷を戻すのも面倒だろう」
そもそも自分で言ったことなのだ。それくらいは、構わなかった。
「せっかくの引っ越し祝いだ、下でなにか淹れてもらおうか。ここの大家さんのは紅茶もコーヒーも美味しいぞ」
「あら、嬉しい」
そう言って、ロックは事務所のドアに手をかけた。
「──あっ、まっ……」
「ちょっと新聞置いて……く、る──え」
引き留められたことにも気づかず扉を開けて、ロックは動きを止めた。
呆然と見つめるその先。事務所の室内を埋め尽くさんばかりの木箱。
「こ、これは……引っ越し道具ですかな?」
「えっと、その……ほとんど資料、ですの。ゴルフォナイトとかの……」
「ほとんど、ですか」
「あとは……ちょとした部品とか道具とか……」
「馬車を使ってたからってここまでか」
「やっぱり、迷惑でしたか?」
「いいや」
涙をにじませるユリエルに、ロックはかぶりを振って答える。
「後でしっかり整頓しよう。大仕事だけど、良いか?」
「押し掛けてるんですから当然です。むしろ私が!」
「そのくらい手伝うよ。じゃあ、喫茶店に行こう」
ロックは取って返し、脇に新聞を抱えたまま階段を下りていく。
追うユリエルが足を踏み外さないよう、エスコートも忘れない。
「ところで、ロック……ずいぶんと口調が変わりましたね」
「まあ、同居人なんだからな。それともずっと堅苦しいほうがよろしいかな?」
「いいえ、砕けて結構」
クスクスと、鈴を転がす声が響く。
不安な様子は見えなかった。
「せっかくだ、重騎士の貴重な話も教えてもらおうか」
「ええ、是非お教えしましょう。お茶請けにはぴったりよ」
「お手柔らかに」
喫茶店の扉が開くのに合わせて、鈴が鳴った。