9.”それ”が彼らを導いた
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「腹が、へった」
砦のなか、駐騎場跡に染み渡ったアルムのぼやきをまともに耳にした者は、だれもいなかった。
だれも耳を貸さずとも、ぼやかずにはいられない。
もうすでに昼頃だろう。だというのに飯がないのだ。
砦のそばには木々が溢れ、小川も流れているのだから、木の実や魚をとって食べればいいだけのこと。
もしくはさっさと家に帰って飯を用意すればいい。
だが後ろ手に縛られている状況でどうやってその糧を手に入れろというのだか。
悪党どもは、とうに腹を満たしているというのだから、余計に不満が心に降り積もる。
奴等が雑騎士を動かしてぎこちなく柱や天井を組み上げて、ようやく飯を口にしたときの満足げなあの表情ときたら、腹立たしいことこの上ない。
向こうで縛られたほかの人質の青年たちも、不満げにうなだれたり、足で床石を蹴ったりとしている。
彼らも、砦なんぞに来なければ悪党に捕まることもなく、腹をすかすこともなかっただろうに。
まあそれを見捨てることなぞできなかったアルムとて同じなのだが、棚に上げた。
恥ずべきことは内と、胸を張って言える。
──ああ、それにしても。
──飯が食いたい。
もはやほとんどがそれに染まるのを、少々意外にアルムはとらえていた。
いま一番確実な手段は、目の前でたむろする悪党どもにねだること。
だがそんなことは言語道断。あいつらが許しても自身が許せない。
なのに、そんなことも浮かんでしまうとは。
「まったく、なんだってこんなことになるんだか」
ついこぼしたため息に、悪党が一人、眼をつけた。
「──なにか言ったかい」
「いいや、なんでも」
「おうそうかい? なにか言いたいことがあるんだろ?」
にやにやと汚ならしい笑みを浮かべて、男が一人寄ってくる。
悪党どもの頭をしているらしい男だ。
これ見よがしに手元のサンドイッチにかぶりついて、意地汚い咀嚼音を発している。
──あぁ、腹立たしい。
腹立たしいのだが、アルムはその不満を飲み込んで彼と話すことにした。
望んで来ているのだから、なにもおかしくはないだろう。
これで文句を言うならアイツが悪い。
「あんたたちはおれにいったいなんの用だい。まだ詳しい話を聞いてないんだが」
「いやなに、ちょっと俺たち、困窮していてね」
「なんだ。それなら、働けばいいじゃないか。何だかんだ人では多いがいいからな。工面してやれなくもない」
”困窮”とは虫のいいことを。アルムは内心で思った。
彼ががぶりつく度に、瑞々しい葉の音が耳をつく。
パンの香ばしい匂いに焼いた干肉の脂の香り。そんなものを仲間内でたらふく食って、何が困窮なのやら。
「邪魔したやつはみんな笑ってそう言うんだ。気に食わねぇ」
「ぼくら仕事の邪魔をしておいて、よく言うよ」
「おまんま取り上げたのはそっちだろうが」
「はぁ?」
激しい怒りと敵意が、男の瞳からアルムに突きつけられる。
だが、思い当たることはなく、首を傾げるしかない。
男も気を削がれたように、鼻を鳴らした。
「まあいい。お前さんをこうして連れてきたんだ。身代金もたっぷりもらえるだろう。それに、ちょうど良い話もある」
「話、か」
「わかっているようじゃないか。お前さんの一族に伝わるとか言う伝説だよ」
どこか得意気に男は言うのだが、アルムには伝説なる”大層な代物”に思い当たるものはない。
はて、と思考を巡らせて、首をかしげて。
思い浮かぶのが、今の悲願。
「……あの宝探し、か?」
「そう、それだよそれ! 領主が代々求めてきた、この地に眠ると言う伝説のお宝だ!」
どうやら男たちも宝を求めているらしい。だがその質がどうも異なっているのだが。
噂話がどこからか漏れたのだろうが、なにゆえそんな形として伝わったのやら。
アルムは訳もわからず困惑するしかない。
だがそんな心境など気づくはずもなく、男はいやしい笑みを浮かべてアルムに迫った。
「なんでもお前さんも例に漏れずに、たんまりのお宝を探してるようじゃないか!」
「いや、宝かどうかも知らないんだが」
「なんともったいない!」
神は彼を見放したのか、男はそんな失礼なことを天を仰いで嘆き叫ぶ。
その大げさな振るまいには、アルムも辟易する。だがそんなことは男もやはり、気づかない。
他の青年や悪党たちからの冷たい視線すらも省みず、男はひとり悦に入る。
「さっさとお宝をがっぽり頂く。お宝がだめでも身代金はたんまり入る! 両方いきゃあ万々歳よ!」
「なんとまあ、ご都合だこと」
「そのためには努力を惜しまないものさ!」
「ならまっとうに働けや」
「真面目にお勤めしてるのが見てわからない?」
にこりと歯を見せ男は笑う。いくら身なりや目端を整えていようが黄ばんだ歯では目の毒だ。
「さて、おれたちもずいぶんと待ちくたびれた。いざ、お宝を手に入れようではないか!」
「なに、どういうことだ。まだ宝のありかは──」
「それこそ、ちょっと親切な方に教えていただきまして。それでは、この天井をご覧あれ!」
アルムも、その天井には気づいていた。
吹きさらしだった駐騎場跡には、男らが騎士でひいこらいって組み上げていた板張りの天井があった。
板の見目そのものは立派。わざわざ光をいれる天窓まである手の込みよう。
しかし組み立ては荒く、あちこちの隙間から光が漏れているのがもったいない。
いまもチラチラと、外の光が見え隠れしている。
──なにか見えたのは、気のせいだったか?
「こんなもの、いつの間に用意してたんだか」
「ええ今朝がたに親切な方々に用意していただきましたとも!」
──用意、ねぇ。
それは違うと、アルムはわかっている。
板それぞれに大きく振られた数字。場所の指定と同時に、加工日を示したものだ。
あれは、町の工務屋の使うやり方。
現に向こうで、人質の一人が不満げに足を打ち鳴らす。
猿轡がなければ、悪党の親玉を罵倒していたのかもしれない。
まあ彼はずいぶんと優しいから、そこまでキツい言葉はでないだろうが。
さぁ、と親玉が腕を振り上げると、悪党の一人が動いた。
さっと外に走っていったかと思うと、鈍い地響きが聞こえてきた。
──これ、は。
「わかるだろう?」
アルムの顔色が変わるのを、親玉はなんともはしゃぐような笑みで覗き込む。
──白騎士が、歩いている。
ヴィルム家の重騎士《ホジスン》が動いていた。
愛機が、我が家の至宝が勝手に粗野な男に動かされる。憤りは十二分にあった。
それでもつい、その姿を見上げてしまう。呆けてしまう。
とても、懐かしかった。
「あぁ、こんな感じだったっけ」
動く白騎士を見上げるなんて、ずいぶんと久しぶりのことだった。
排気は低く唸り、節々は高らかに鳴る。日陰でも眩しいくらいの白が、目に飛び込んでくる。
見上げたときの、この威容。あぁ、子供たちが夢中になるのもわからなくはない。
煮えたぎる怒りと、穏やかな情景にない交ぜになった視界で、親玉は危機として腕を振り上げている。
『こいつに座らせりゃいいんですね!』
「そう! ようし、良いぞ。そっとだ、そっとだぞ!」
親玉の指示に従って、ホジスンは巨大な台座に腰を下ろした。
その姿、玉座に収まった主のよう。天窓から差し込む光に照らされて、威厳すら醸し出す。
「おぉぉ、大したものじゃないか。もっとまともな内装なら良かったろうに」
「でも、ダメか。燃えちまったそうだからな!」
ゲラゲラと、悪党どもは大口を開けて笑っていた。
「俺の騎士を、どうするつもりだ」
「なに、騎士がいる、光がいる。それだけのことさ」
「はぁ?」
「──ともあれ、君のお仲間には感謝しかない。お宝探しのヒントを見せてくれたのだからな」
親玉は独り、頷いた。
「そう、是非ともお礼を──はて」
不意に他方をみて、目を瞬かせた。
すみに放っておいた少年たちがどこにもいない。
「これはまさか、逃げ出したとでもいうのだろうか?」
何事かと、周囲に目をやる。悪党たちも騒ぎだす。だが、そんなことも些事だった。
差し込む日差しに、一同はすぐに目を奪われたのだから。
光が照らすのは、白の重騎士。そしてその大きな兜。
兜の隙間から光を取り込んでか、奥まった眼差しがにわかに虹のように煌めいたかと思うと、一筋の光がまっすぐ延びていく。
「なに、なんだ、これは?」
アルムは、困惑を隠せない。”光を受けて”輝くなど、そんな仕組みがあるなんて知らなかった。
「ほほう。さすがは伝統の重騎士。こんなものが仕組まれていたか!」
親玉は感心したように、光が指す方へと振り返る。
光はそのまま騎士の真正面へまっすぐ延びていき、外へ、森の彼方へ遠く遠く続いていく。
『おれにも見せてくださいよ!』
「おう見ろ見ろ、さっさと光の先まで行くんだぞ!」
おお、と悪漢一同がその方を見たその時である。
ぐ、とアルムを後ろ手の縄が引き上げられ、無理矢理に立たせられた。
「──な、なぁ?」
「急ぐぞ」
縄を持ち急かせるのは、ロック。
困惑するアルムのことも意にかさずにその縄を引っ張り引き立てて、砦の奥へと走り出す。
「な、誰だ!」
石畳を叩く靴音に親玉が振り向き回転式拳銃を抜いた、その直後のことである。
天井から漏れでる光が、一気に増えた。
何事かと見上げた親玉も、ミシリと耳障りな悪い音が響いてくれば、青ざめる。
「──おい、おい、待て待て、それはやりすぎだろう!?」
後ずさる親玉の叫びも待ったなし。
慌てふためき逃げ出す悪漢どももよそに天井は崩れ、瓦礫となって降り注いだ。
●
「おおう……なんだぁ、こりゃあ」
駐機場を見下ろす脇道からの光景に、アルムは唖然とするしかなかった。
もうもうと立ち上る砂塵が、駐機場を埋め尽くしている。どれも、天井だった板が巻き起こしたものだ。
あきらかに急場凌ぎの代物のとはいえ、いきなりこうなるとは。
困惑しきりの顔で、背後の人物へ尋ねた。
「どういうことだい、これは。なんだって天井が落ちるわ──助けに来るわ」
「さあて、なんのことやら」
背後で、ロックはわざとらしく肩をすくめる。
なんで助けに来たとか、どうやってこの事件を知ったかとか、こんな道があったのかとか。
アルムのなかで疑問はいくらでも渦を巻く。
何を口に出すか迷って、深呼吸をひとつ。
「──なんで天井が落ちてくる」
「あの天井は町の青年らが用意して、悪漢どもが適当に積み上げた急ごしらえの安普請ってこった」
そもそもが虫食い跡や節付きで余った端材の寄せ集めと言う。それを勝手知らぬものたちが適当に扱うのだ。
それはもう、呆れんばかりに危ないこと。
「素人のその場凌ぎだからな、ちょいと調節してやれば、あっという間だ」
聞くのがそれなのか、と呆れた眼差しがアルムに送られた。
「ああ、いや、失敬。ちょっと衝撃が強すぎてな。──ほかの人質はどうなった?」
「案内人に任せてさっさと逃げさせたよ」
「案内人だって?」
「もう、後で頼むよ。これこそ急がなきゃあいかん」
ロックは、垂れ下がるロープを握った。
駐騎場の岩肌で突き出た骨組みに括られたロープは、乱暴に引っ張られてもびくともしない。
「残るは俺たちだ。だから、さっさと取り返す」
ロープの垂れる先には、今だ座り沈黙したままの白騎士。
それを見て、アルムもすぐにロープを手に取った。
見下ろすこの横穴にきたのは、このためだ。
「探偵。ぼくも行く」
「その心意気ですよ」
「こう言ってはなんですが、やれるんですか。もちろんやりますけど」
「一度やったさ」
「──え」
ほら、と出された革手袋をアルムが嵌めたのを合図に、二人は飛び出した。
縁から縄を素早く滑り降り、座る白の重騎士に乗り移った。
驚いたように顔を出した男だが、叫んだ瞬間には目の前にアルムがいる。
勝手知ったる装甲表面を軽やかに駆け抜けて、その間抜け面へと蹴りを見舞った。
勢いを持った一撃に男は揺らめき、そのまま首元で倒れ伏す。
ロックが手早く拘束した男を降ろすのを横目に、アルムは騎士の操縦席に滑り込んだ。
そして、顔をしかめる。
「……しかし臭うなぁ。レバーもずいぶん汚れてる。ベタベタ触りやがて」
「勝手に乗り込まれたんだ。そこらへんは諦めてあとで掃除だな」
ロックが苦笑しつつも胸元に掴まったのを確認し、アルムはレバーを押し入れた。
『さあ、しっかり捕まってて──いくぞ、ホジスン!』
己が名に、白騎士が震える。奮い立つかのような唸りと共にゆっくりと立ち上がった。
足に絡み付く瓦礫も構わず足を進め、慌てて這い出したり隠れる男らの声にも耳を貸さず、駐機場を後にする。
いつの間にやら、雲は過ぎ去っていた。
抜けるような青空の下、眩しい日差しに照らされて、白騎士は駆け出した。
●
白騎士の足音も、遠くに消えて。
瓦礫の隙間から男達がめいめい這い出してきた。
苛立ちは、少し。それよりも命を拾ったことに息を吐く。
各々生還を讃えあっていると、ふっと足元に目をやった。
瓦礫のあちこちから、光が漏れ出している。
顔を見合わせたのも、一瞬。
光とともに盛り上がる瓦礫から、泡を食ったように逃げ出した。




