6.あいつ、ゆるせない
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朝を迎えた山あいの町は、薄もやの中にあった。冷えた空気に草葉が湿るなか、人影がひとつ。
茂みの影をしばらく動き、足を止める。うかがうのは小さな家。
客、というにはあまりに不自然。周囲に眼を凝らし、あきらかに警戒を絶やさない。
見計らったように扉により、そっと開けてなかに飛び込んだ。
誰かの甲高い叫びと鳴り響く警笛にみなが色めきたったのは、まさしくその直後のことであった。
●
「──ん?」
騎士の手の中にいるまま町に入るなり、ロックは
違和感を覚えて周囲を見渡した。
妙に町は静まっている。だと言うのに、何やら騒がしい気配。
それはアルムも感じたようで、騎士の足を止めて訝しげに辺りを見る。
そしてロックはその違和感に気づいた。
──あぁ、そうだ。人の姿が妙に少ない。
都会とは言わずとも、そこらを忙しなく荷車やらが行き来していた。
だというのに、今はずいぶんと空いているのだ。
町から人が消えたかのようで、思わず首を巡らせた。
『これは──どうした』
意外なように、アルムも呟いた。
「なら、下の彼が知ってるんじゃないか」
そうロックが示した、騎士の足元。脇道から青年が一人、顔を覗かせていた。
おい、と呼び掛ける青年を待てないように膝まづいた騎士の胸元から、アルムが飛び出していく。
「おいショーン。なにかあったのか」
「あったんだよ、ちょう──じゃねえ、アルムよう。とにかく大急ぎってんだ」
町長、と言いそうになったのをわざわざ訂正した青年が、騎士を見上げた。
その視線の先には、変わらず天を向いた手のひら。その指の間から身を乗り出している──
「──そこの探偵さんをを借りたいんだとよ」
唐突に名を呼ばれて、ロックは眼を瞬かせる。
けれどすぐに、その視線は鋭くなった。
わざわざ、探偵を呼び出すと言うのだ。
「事件、というのかな?」
青年は、はっきりと頷いた。
●
青年の言う事件の現場は町の反対側だが、騎士の脚ならあっという間だ。
彼らにつれていかれたのは、町の外れの牧場の家。
周囲には人だかりもあって、何事かあったのは明らかであった。
集団となったためかどこか興奮する野次馬の抑えをアルムに任せ、ロックが声をかけたのは家のまえに陣取った制服姿の男。
この町の駐在の警官だ。
「なんの騒ぎかな」
「よう、探偵さん。朝っぱらからご足労かけてすみませんね。こんなもん、私はなにぶん久々で」
駐在警官は、どこか気だるそうで覇気のない、のどかな町の気配そのままのような男だった。
「手伝ってほしいって?」
「ええ。まあ見てくださいよ。そしたらわかります」
家のなかに入るなり、ロックは思わずぼやいた。
「泥棒に入られたってのは聞いたが……こりゃあ、相当だな」
一瞥して目につくのは、倒れた大きな棚。散乱する衣類。撒き散らされた食器に食材。乱暴に放られた本。
小物は辺り一面に散乱し、足の踏み場もない有り様だ。
荒らされた屋内のあまりの惨状に、覗いたユリエルも眼を丸くしていた。
「ここいらの人たちはみんな早いですからな。ここは牧場持ちですが、朝の仕事に出た隙をつかれたようです」
駐在警官も、屋内を一瞥する。
その語りは軽くも、実直だった。
「その時間って、どれくらいだい」
「用向きや諸般の事情にもよりますが、二、三時間は確実ですな」
事を行う時間は潤沢。
けれどもこの被害には、頭を掻くしかない。
「騎士で家をひっくり返したとでも言うまいな、これは」
「なぁるほど、言い得て妙です。しかしそれはないですよ。騎士は今朝にここを通ってません」
「そうかい。それはそれでまいったな」
そうとでも言われた方がまだ納得のいく状況に、警官からもため息が漏れる。
何か盗られたりでもしたのか、被害の詳細どころか手がかりにも難儀しそうな状況だ。
これを片付ける住人のことを考えると、なんとも偲ばれる。
「それで、これから片付けるんだろう」
「ええ、調書をつけるにも、破損と盗難は目当てをつけませんと」
「じゃあ、その前に済ませよう」
言うなり、ロックは足元に這いつくばった。古びた板張りの床に眼を凝らす。
「どうしたんです?」
「なあに探し物──たぶん、これかな」
「──ああ、足跡」
ロックの見つめる先には、わずかに濡れた土汚れの靴跡があった。
幅といかつい形はあきらかに男物。ロックやアルム、警官とも違う形だ。
この家に男はいないし、来客もしばらくないそうで。
「恐らくこれが犯人のものだろう」
「じゃあ、跡をたどって追いかける?」
ユリエルの問いに、ロックは首を振る。
「だめだな。踏み荒らされてる」
「あぁ……野次馬」
家の周囲は、野次馬の足跡で埋め尽くされている。至るところ足跡だらけ。
今もまた、ご婦人がたが詰めよって、その足で上塗りされている。
アルムの対処で収まってはいるが、もう誰が誰のだなんて、わかるはずがあるものか。
駐在警官も、ばつの悪い顔を見せる。
「まっこと申し訳ないが、わたしが来たときにはすでにああでね」
「このあたりでは事件なんて珍しいようですからね、仕方ありません」
「まあ、街道の方じゃ山賊みたいのもいるようですけど」
「えぇ、ほんと。あれは最近来てしまったようですがそれはそれです。町には滅多にないんですからな」
「そうか」
ふと、思い出すのは、先程町を騎士が突っ切った時。子供たちは群がって、犯人探しだと駆け回っていた。
彼らは、見も知らぬ相手を怖がるよりも、ただ未知の驚きを楽しんでいたのだ。
この町は、のどかだ。
そんな場所で悪事を働くなど、腹立たしい。そう、ロックは思った。
──あまり一方的な肩入れはしないつもりだったんだがな……
そう、心に決めてはいた。そういった好意は、どうにも”眼”を狂わせる。
だからこそ、無心に事件を”観る”と言うのが、師匠から学んだこと。
けれどもそう思ってしまった。
やはり、この町を気に入ってしまったらしい。
思い出すように、警官が言う。
「一応、山の方に人影を見たって話はあるんですけどね」
「あら、もう見つかったの」
「しかし人影だろう。そうと決まってはない。当たりをつけるのにちょうどいいのは確かだが」
「ええ、まあそれでちょっと問題が──」
「──なんだって!?」
ぼやくようなその声は、アルムの叫びによって遮られた。
婦人がたからの訴えをあしらい処理していたはずのアルムが、一目散に飛び込んでくる。
「すみません二人とも! 先程の話は明日以降にお願いします。今日一日は山に近づかないように!」
そう捲し立てたかと思うと、飛び出していく。
そばに膝まづかせていた白騎士に飛び乗ったかと思うと、地響きを響かせてどこかへと行ってしまった。
その血相の変わり様と、あまりに急ぐ騎士の駆けよう。よほどに焦っている。
警官もまた、驚きをもってsの動きを見つめていた。
「お二人さん、何か山に用があるので?」
「いや、ちょいと砦の深くまで行こうかと」
「……砦っていうと山のあれですかい。それはそれは」
確かめる警官の顔は、とても同情したよう。
「どういう、ことかしら?」
ユリエルのその声は、絞り出したかのように強ばった。なにも起きないでくれと、祈る。
「いやね、山狩りですよ」
それを警官はあっさりと叩き折った。
「山狩りと言いますと……」
「猟師はじめ銃持ちは総出で山に行ったようで。見慣れないあんたたちじゃ、獲物に間違えられてしまう」
怪しい人影を山で見た。そんな話が広がって、一気に男たちは動き出したという。
アルムが飛び出したのはそれ故だろう。あの山には他の猟師や山菜採りなど事情を知らぬ者も多くいるのだ。
そうも気が立っていては、トラブルが起きるやも知れない。
「なんだってまた極端な」
「早くに懸念は取り去るに限るといいますか……男の性でしょうな」
「はあ」
「とにかく町長の通り、今日は山に立ち入らないように。警官としても命じますよ」
警官の言葉も、放心するユリエルには、聞こえたかどうか。
ただ、膝から落ちて、慟哭をあげた。
●
──なるほど、男の性か
男の大半が気張って山狩りに走った訳を、駐在警官は「男の性」と言った。
家主である婦人の姿を一目見れば、それも納得がいくもの。見目麗しいとは彼女のことをいうのだろう。
艶やかな金糸の髪、滑らかな肌。強く、はっきりとしつつも柔らかな眼差し。その胸は豊満。
自身にその気がなくとも、ほとんどの男たちは彼女のために自ずと動くだろう。
それこそ、彼女の家を荒らした犯人を一同で山狩りにいくほどに。
そう思ってもおかしくないほどの美貌が、彼女にはあった。
何ゆえこの片田舎で牧場主なぞやっているのだろうか。首を捻るしかない。
「ごめんなさいね、探偵さん。お片付けなんてこんなこと手伝わせちゃって」
「良いってことですよ。他の人たちは自分の仕事があるでしょう」
微笑む婦人を横目に、ロックは割れたテーブルを軽々と持ち上げて外に運び出した。
皿の欠片を地面に埋めていたユリエルのじっと睨む視線に、首をかしげる。
「どうした」
「いいえ、なんでもありません」
それでも、ただ頬を不満げに膨らませるだけ。それこそ、おもちゃを取り上げられた子供のよう。
「なんで片付けなんて、だろ。山には入れないし、それに、見てしまったものを放っておくのも気分が悪い」
「まあ、そうですけど」
「だが、無事に終わって行けるのなら、砦に行こう。俺も行く」
「──ええ! そうしましょう!」
そっと伝えれば、ユリエルは鼻唄までも奏でて土にスコップを当てていく。
「おいおい、ちょっとした穴でいいんだからなそんなにごみはないんだからな」
はぁい、と元気のいい返事が帰ってくる。それだけでも、どこか嬉しそう。
やはり、山の砦に行きたかったのだろうか。
ロックも惜しいとは思う。だがむやみに山に入っても、撃たれては元も子もない。
それに、これも調査を円滑にするためのものだ。そのためには回り道も仕方ない。
さっさと旦那を仕事場に戻させろと、周囲のご婦人がたの眼差しの剣呑なこと。
ロックですら冷や汗をかいてしまいそうになる。
あの苛立つような視線は、何度味わっても慣れそうになかった。
●
あまり、物を持っているわけでもなかったのだろう。片付けはあっさりと終わった。
それでも、日は直上。その日差しを見て、婦人が言った。
「ずいぶん片付いてきましたけど、お昼はどうします? よろしければここで」
「いや、申し出はありがたいのですが、まだまだ私もやなければいけないことがありますので」
「あの方のお宝探しでしょう? 懐かしいわね……私も夫も先代にちょっとお手をお貸ししたものですよ」
「そういえば、先日もそんなことを言ってましたね」
「そうそう。夫も、たまに屋敷や砦に通って手伝いをしたりねぇ」
「……宝探しのことは、やはり話してはくれませんよね」
まさかと、淡い期待を込めたその言葉。けれど、婦人ははっきりと首を横に振る。
──まあ、ダメもと。それも想定のうち。
「”夫”と言ってましたが、ご家族の方は?」
「娘が一人。今は牧場の方に行ってます。放置はできませんから。夫は昔に事故で……」
「すみません」
「いいえ、気になさらず」
気丈に、婦人は微笑んだ。
「それで……その、なにか失くなっていたりしましたかな」
「そうねぇ……」
婦人は周囲を見回した。物も片付けられた家のなかは、殺風景。
「食材はいくらか持ってかれちゃったわ。お皿は割れたし、あとはタオルとか余った布ががいくらかね」
「金目のものは?」
「宝石なんてありませんでしたから。それよりも本ですよ本。踏みつけられて、もう最悪よ」
憤慨する彼女の手元の本には、たしかにありありと足跡がついている。
払っても黒い跡はなかなか消えそうにない。
「あぁ、これはひどい」
小さな机の上に積まれた本は、どれもなにかしらの土汚れがついていた。
だが、なんとなしに手にとってみたその本だけは、あまり汚れていない。
興味をもって開いてみて、すぐに本を閉じた。
乱暴に扱ってしまっても、その手の本を見ては婦人も困り顔。
「これは……申し訳ない」
「それは私の日記ですね」
「ええ、本当に申し訳ありません。表題も書いてない時点で気づくべきでした」
「いいえ、何かしら書いておけばよかったんですから」
婦人は本を受けとれば、そばのペンでさらりと名を刻み付けた。
インクをこぼされても、壺にいくらか残っていたのは幸いだった。
「そういえば、この本だけはあまり汚れてませんね」
「衣類の上にありましたからね。布が守ってくれましたよ」
「本はてきとうにそこらに放られていましたか」
「ええ。この日記は興味がわかなくて放り投げたのかしらね。もっと大事にしてほしいわ」
「同感です。よしんば、他のものも大切にしてもらえばいいのですが」
「ほんとうにねぇ……今日書くことは、これに決まりね」
傍らの本を取り上げてそっと撫でた。
それを眼にして、ロックは眼を瞬かせる。
「……先程のは日記ではないのですか」
「あっちは昔のものよ。……ここに、全部積んでいてね。これが残っててよかったわ」
残った小さな机を撫でて、しみじみと婦人は頷いた。
その微笑みのなんと美しいことか。警官の『男の性』という言葉に、間違いはないと確信する。
──けれど、思う。
婦人は、美しい。その見目にも劣らず、その心も少し話しただけでもわかる品の良さ。
これはそこらの男がこぞって良いところを見せようとするのも、わからなくはないところ。
わからなくはない、だけ。
──そうも、惹かれるのか……?
どうにもロックの心は凪いでいる。穏やかなまでに、静かだった。
●
その男は、平凡な農民であった。
今回の山狩りにも、ちょっとばかしの奮起をして参加した、ただの一人の農民である。
──あの婦人のことなんざ考えていない。
──良い嫁さんがいるんだ。みんなに流されただけなんだ。
──あの豊満な胸のことなど、考えていないったらないのだ。
この町に流れ着いてからというもの、小さな農地を開墾して野菜を育てて、どうにかやって来た。
よそ者だからという針のむしろにも苦労したもの。
それでも可愛い嫁さんをもらえたし、その頃には視線も穏やかになっていた。
その時が、ようやく町の一員になった時なのだろう。
”あれ”があったのはは、収穫した野菜がようやく売りに出せるのでは、なんて淡い期待を抱いていたときだとよく覚えている。
なにせ町の住人が、こぞってあの男の企みに乗っかっていたのだから。
そう、あの男の息子も今張り切っている宝探しだ。
彼は当時どうにも乗り切れず、それでもどうにかやってやろうともがいたもの。
色々と不満に思いながらも、ひいこら言っていたものだ。
楽しかったとは、今だから言えること。あのときはもう訳がわからず苦労した嫌な記憶だ。
さっさと終わってほしいとよく口をこぼしたのも懐かしい。
──だから、いくら宝の情報を求められようと言わない。そう心に固く決めていた。
いくら前回と状況が違えど、言ってたまるか。
試練にならんだの、言わないでおこうだの。根回しされようが、関係ない。頼まれたって言うものか。
ああそうさ頑張って苦労したまえ! 暗中模索の末に得た成果は二十数年も経てば楽しい思い出になるものさ!
──そう言えば、そんなことを言ったっけな。ずいぶんと苛立ったものだ。
ふいに、そんなことを思い出す。
宝探しに振り回される度にあおった酒の苦い味わいは、嫌なのに離れられない極上のものだった。
思い出した酒の味がよりにもよってそれなのかと、自分自身が嫌になる。
──ああ、これは走馬灯だ。
ようやく、男は理解した。
そして、いまこの時に戻ってくる。
──首筋に、冷たい感触がある。体がこわばって、動かすことは叶わない。
奥歯が擦りあって、ガチガチとうるさい。
ああ、緑溢れる山のなか。暖かな日差しが注ぎ込む今はもう十分に暖かい。
だというのに、凍えるように体が震えてる。
手元のライフルなんて、今この場ではただの鉄パイプ。まともに使えるはずもなく。
背後で男がせせら笑う。
「なあ、あんちゃん。俺たちはちょいと困ってるんだ。飯は良いんだが、金がなかなかなあ……」
──良い儲け話、知らないか?
がきりと撃鉄をあげる音が、首筋にまで響いてくる。
「え、ええっと、その……今町ではちょっとしたことで盛り上がってましてね……」
──町長じゃないから、良いだろ?
脳裏で、そんな囁きが聞こえたような気がした。
そう思ったときには、舌はいままでになく回り始めていた。




