4.古戦跡:緑の海原
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山々には眩しい朝日が降り注ぎ、森は目一杯に枝葉を伸ばし、緑は萌える。
その木々の間、森を割る道を行くのは、真白の重騎士《ホジスン》だ。
その足運びは静かで、軽やか。鈍く足音を響かせて、歩いていく。
変わったことといえば、差し出された大きな手。天に向けられた手のひらのうちに、人影ふたつ。
「いい風ですねぇ……」
支えに立てられた指に、ユリエルは身を預けていた。日傘のなか、頬を撫でるそよ風がこそばゆい。
隣に佇むロックは、腕を騎士の指先に乗せて、ぼうっと行く先を眺めている。
その姿にユリエルは、二人微妙な距離で並ぶのは「絵」になるのでは、などとふいに考えていた。
川辺を岸壁から見下ろす、二人の男女。共に並んではいても、視線も体も向きはズレていて──
──なんでそんなことを考えてしまうかしら。
そう思ってしまうのは、近頃増えた美術への興味のせいだろうか。
それとも昨晩の資料探しのなかで垣間見た絵画目録のせいかもしれない。
それも余計なこと、と慌てて思考を振り払う。
中折れ帽を目深に被った彼は、じっと寝ているようにも見える。だが、ふいにその目がギョロリと動く。
周囲を眺めて、ずっと手がかりを探っているのだ。
目の前に広がっているのは、一面の緑なのだけれども。
──そこから何かを見つけられるのが、彼なのだ。
「あら」
ふうと少しばかり強い風が一筋、二人の間を通ったのはその時のこと。
一瞬のことといえど、髪を押さえ思わず顔を背けてしまう。
そして動かした視界に、動く影が一つ。
騎士の手のひらで、帽子がころころと転がっていた。ロックの中折れ帽だ。
転がっていく帽子を、ロックはまったく見ていない。
ため息とともにユリエルは拾い上げた。
「……はい、落としましたよ」
「ん? そうだったか。すまんな」
声をかけられて、先を見つめたままロックは己の頭を撫で付けた。ようやく帽子の不在に気づいたよう。
そして視線も変えず、帽子に手を伸ばすと、乱暴にも冠に手をやって頭に押し込んだ。
そのまま数度押さえつけ、微調整。
「よし」
「──じゃ、ないでしょうよ」
──つばで被らなければ、中折れ帽は痛むだろうに。
調整に満足したらしいロックに思わず口出ししてしまうが、もう手遅れ。済んでしまったことだ。
集中したときのロックは、わりかし無頓着であることに気付かなかったのが問題だろう。
「まさか寝ぼけてません?」
「なあに、集中してるだけさ」
「隙だらけですよ。まさか景色に見とれていた訳でもないでしょう?」
「そうも言いたくなるのはわかるがな」
彼の口は、面白がるように緩く吊り上がっている。
そんな気持ちもわかってしまう。見渡す限りは、緑が広がっている。
遠くのぞむ山もはっきりとその稜線をとらえられるし、そばの山は、まるで緑の壁が迫るよう。
「こんな景色、都会では──」
いや、少し違う。
「騎士にでも乗らなきゃ、見れませんものねぇ……」
『そう言ってくれてありがたいものです』
騎士のなかでアルムが言った。その口ぶりはどこか安堵するかのよう。
「あら、自信があってご招待されたのではなくて?」
『勝手に予定をつけて連れて来たのは僕ですから、文句ばかりではどうしたものかと、恐ろしくて恐ろしくて』
「こんな素晴らしい景色を見れるのよ。むしろお礼を言いたいくらいよ!」
馬車に揺られていれば木漏れ日を浴び、木々のトンネルのなか、木々のざわめきに包まれて行くこととなる。
しかし騎士に担がれるとなれば、視界は一変。
騎士の背丈約14フィートの目線はそこらの木々をゆうに越える。
森の緑の天井は、足元に広がる絨毯へと早変わり。
山肌の見張らしはいっそう広くなるあまり、まるで宙にでも放り出されたかのような迫力だ。
「足元の草花や動物を見れないのは、ちょっと物足りないですけどね」
『騎士は視線が高いですからねぇ。這いつくばるのはちょっと難しいし』
「それなら自分で歩くわよ」
それについては馬車が勝る。己の足ならば何をいわんや。
されど、今この時の迫力には敵うまい。
「今はこの光景を堪能するとするわ」
「だけど、これを見せたかっただけじゃないんだろ」
『さすがに、わかりますか』
背が高いだけあって、風も遮られることなく手のなかに吹いてくる。
山あいに吹き下ろす風向きもあってか、強い風は耳に響き、ごうごうとがなりたてている。
それでも、そのロックの声ははっきりと聞こえてきた。
「わかりますよ。いかに日課だからとはいえ、わざわざ自慢するがために連れ回す人じゃあないでしょう」
『おお、さすが探偵。よくわかってらっしゃる』
「このくらい、話を聞けばすぐに知れるさ」
騎士での領内行脚が彼の毎朝の日課というのは、町について聞くなかでほとんどの人から聞かされたことだ。
──『アルムは毎朝騎士で、山に、森に出る』
どこかしら異常がないか、その目で確かめるため。騎士を操る腕を衰えさせないため。
住民たちは口々にそんなことをロックたちに語っていた。
まさしくピッタリ、良い習慣だろうと言うのが、ユリエルの率直な感想だ。
何せ騎士を動かすと言うのは、個人差はあれどそれなりに頭や神経を使うし、体力も使う。
一歩脚を進める度に揺れる操縦席のなか、平静を保たなくてはいけない。
慣れているものなら、その位は当然のこと。だが、予断は許されない。
それを毎日行うというのなら、よく手に馴染むことだろう。
そう、ユリエルは感心した。
──館の庭や町を散歩するだけでも十分なのでは。
心のどこかで思ったのも、否定はできないのだけれども。
『まあ、こんな景色を知らないのはもったいないって思ったのも事実さ』
たしかに、ついでだけれどもね。
そしてアルムはどこか、わざとらしく一呼吸。
『それに、だ』
それはなにやら企んでいるような、面白がる声。
なにかの期待が、ありありと見えていた。
『──君たちをつれていく、といっただろ?』
●
──着飾った女に無茶をさせてくれる。ユリエルは悪態をつかずにはいられなかった。
調査旅行の上に仕事もあるのだから、そう派手な格好ではないと自負がある。
だがスカートだ。広がる布地は足に絡み、岩に引っ掛かる。
丘ならともかく、目の前にあるのは急勾配の山肌。
並ぶ岩の登山道を上っていくからまだいいものを、これでよじ登るなぞ言うのなら、匙を投げたに違いない。
「恨みますよ……」
「いや、申し訳ありません。普段から来てるものでして、初めての人には苦しいのを失念してました」
軽々と岩場の隙間を飛び越えながらも、アルムは苦り切った表情を崩さない。
その顔に、ユリエルはため息をこぼした。
アルムの先導のもと進むのは、山肌をうねるように通る岩の道。緑をえぐるようなその道は、まるで獣道。
苦労して進んだ一行の目の前には、大きな石畳がふたつ。間はくっきりと口を開けている。
左手にはそそりたつ岩肌。対の山肌ははるか足元。えぐれたように遠く、落ちてしまえば命はない。
ユリエルが思わずためらっていると、後ろに控えていたロックが前に出た。ひょいと岩場を飛び越える。
「そら、簡単だ。前を見てればいい」
ロックの伸ばす手に導かれて、ユリエルもまた岩場を飛ぶ。
ふわり、と飛んでしまえばあっけないもの。
「ほら、飛べた」
「えぇ、ありがと」
「良いってこと。しかし依頼人、まさかこんなのが続くわけでもあるまい?」
「もうすぐですから」
そういって、彼は頂上を見上げた。
そうして進み、飛び越え、最後に岩で作られた不揃いの階段を上りきれば、天辺につく。
一気に視界が開けて、広大な空がユリエルを迎え入れた。
振り返って足元を見れば、ふもとに両手を掲げた白騎士がすこし小さくなって見える。
騎士を二つ重ねてようやくこの山になるだろうか。
騎士の手から連なる岩場の登山道をずいぶんと上ったと思ったのだが、こんなものなの済むのは意外だった。
「意外とあっけないものねぇ……」
思わず拍子抜けしてしまう。
この程度なら、騎士の整備でよく昇り降りとしているではないか。
先の苦労はなんだったのか、自身への落胆をにわかに味わいながらも向き直り、
「──わぁ……」
つい、岩場の縁まで足を進めてしまう。気を付けろ、なんて声も聞こえるが、頭の隅に追いやった。
もっと、よく目に焼き付けたい。刻み付けたい。足を止めて、声を漏さずにいられない。
先には広く、大きな窪地。そして一杯に広がる草原があった。
風にさざめき波をたて、彩る草花の波間から野うさぎや小鳥が顔を出す。
その余りの広さ、この景色すら両手に抱えるのも厳しいほど。
「……──まるで、緑の湖ね」
「なるほど、それは面白い例えだ」
ポツリとこぼれた言葉を聞いて、アルムはどこか嬉しそう。
以前は低木の森がこの盆地でも広がっていたとアルムが言うが、疑わしいようにすら思えてしまう。
それほどに、森の面影はほとんど残っていない。
「それがたった二年で、こんなにも見違える。自然の地からを実感させてくれるよ」
「二年……それって」
「なにが起きたのかは、君たちも知ってるだろう?」
「──あぁ、そうか。ここか」
黙ってじっと盆地を見つめていたロックが、静かに口を開いた。
「ここが、記事の写真の場所なんだな」
この場所こそが、騎士の決闘の跡地。
アルムは重々しくも、頷いた。
「そのとおり。かつてここで騎士が争っていた」
「でも、教えてくれていいの? これは報酬じゃなかったかしら」
「ここには元々来るつもりだったんでね、そのついでだよ。森の案内は必要なんだからな」
それに、と。どこか意地悪げに、アルムは笑う。
「あんたたちは見せられた程度じゃ満足しないし、放り出す気もないだろう?」
「当然だとも」
迷わず、ロックは答えた。
その言葉に、アルムもたいそう感心するように、頷いた。
「そいつは良かったよ。ついでに聞いておくんだが、こんなところで何をする腹積もりだったんだ」
「ちょっとその騎士たちのことを探っていてな。話やら落とし物やらなにかしら眠っていないかとな」
──もちろん、それは後回し。
その言葉に、アルムはほっと胸を撫で下ろす。
「君たちも宝探しをしていた訳か」
「そういうことだ。森が更地になるまでの騒ぎだろ? 目撃者とか情報に遺物がいくらでも転がっているはずさ」
「あれはこの辺りじゃ結構な騒ぎになったからな。量は保証できるよ」
「それは楽しみだな……!」
その時のことを思ってか、ロックは不敵に怪しく笑う。まるで舌なめずりでもしてるかのよう。
「あとは、あれのことも気になるね。あそこに突き立っているやつ」
「あれって……剣?」
ロックが指し示すほうに、ユリエルは目を凝らす。
遠く、草原の端の方。大きな剣がひとつ、地に突き立っている。
遠目にも見える大きさの剣は、騎士のためのものだろう。
蔓や草花をまばらに帯びて、穏やかに朽ちるのを待つだけだ。
日差しを受けて、影が遠く、草原の向かいまで長く長く伸びている。
「例の騒ぎの落とし物ってやつさ。雑騎士の指には剣は合わないし処分も面倒で放ってあるんだけどね」
「へぇ。十分宝にはなりそうなもんだが」
ロックの言葉には、ユリエルも同意した。
あの剣は《ノックス》かそっくりさんのどちらかが落としたのだろう。
直接繋がるものがあるかもしれない、貴重な情報源だ。
あぁ、これは見逃せない。
「ロック、あれは持って帰れませんかね」
「あとで頼もう──郵便あります?」
「あの隣町にしかないな。鉄道はサイズオーバーだし、山越えの騎士便だな。結構掛かるけど大丈夫かい?」
ほら、と指で輪を示されれば、はっと息を呑むしかない。
「ろ……ロック……?」
「はは、ユリエル、お前さんは」
「雑費はたくさんあるけど……あの剣には足りるかどうか」
互いに、視線が混じり見つめ合う。
懐を叩いて、確かめる。ある程度なら余裕は持っているのだが。
「まぁ、大丈夫……なのかしら。でもお家賃危なくなっては」
「言うな……言うな。その程度は残している。そこまでいくことはないはずだ」
「謝礼もありますし、なんでしたら僕が出しましょうか?」
苦い顔の二人をみかねたような、アルムの言葉。
「……見積もりを先で」
ユリエルは、そう絞り出すのが精一杯だった。




