3.深夜の密会
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山あいから吹き下ろす風は窓を叩き、ざわめく木々が耳をつく。
ふと静まったかと思えば、獣と鳥の遠吠えが怪しく響いた。
本の山の中、書斎にあってもそれは変わらないらしい。
ここはヴィルム家屋敷、その書斎。
ロックとユリエルが逗留することとなったこの屋敷は、町一番の豪邸ともあって素晴らしいもの。
広く、されど堅実な装飾は嫌みな気配は微塵もなく、品位ある姿を見せてくれる。
そして客間も、寝室もその大きさに見合う代物。それは、この書斎とて変わらない。
窓辺で月明かりにうっすらと照らされながら、ロックは資料を漁っていた。
うるさいようでいて、どこか心地よい音が周囲から染み渡る。
彼は今、ただ思案に潜っていた。
床に座り込んでぼうっと天井を見つめては、時おり傍らの小台のカップから紅茶を流し込むばかり。
喉を潤し、爽やかな香りが思考を刺激し、思考の回転機の潤滑剤となる。
今回もまた思考はさらに巡っていき──
ゆえに、ロックはその思案から浮上した。手元のカップを見つめて、首をかしげる。
──はて。紅茶を用意した覚えがない。
夕食をいただいてからというものずっとこの書斎に籠りきり。
このような紅茶がひとりでに現れるわけもないもなく。
では、どこから現れたというのだろうか。
隣をみれば、山積みの本に紛れるようにユリエルがいた。
ロックと同じように腰を下ろして資料の束を読みふけっていた彼女は、その視線に気づいて表をあげた。
「あらもうお目覚め? おはようでいいかしら」
「こんばんわ、だろうよ。それともおやすみの方がいいか?」
「そうかも知れませんけどねぇ……」
仕方ない、とばかりにユリエルは苦笑する。時間を忘れて眠るように思案に潜っていたのはどちらやら。
「さっさと寝てても良いんだぞ。自分の部屋も貸してもらえたろうに」
「少しくらいいいじゃない。それとも、紅茶はいらないかしら?」
「自分でも淹れられるからな」
──酷いわね。
そう言いながらも、ユリエルは嬉しそうに紅茶を継ぎ足していく。
傍らのランプに照らされて、鮮やかな色が再びカップに満ちていく。
それを見て、ロックは紅茶にすぐに気づけなかったことに納得した。
──いつも飲んでいるものだ。
あるのが当然、とでも考えたのだろう。
手渡された紅茶を早速とばかりに傾けてから、ロックは言った。
「ところで、何を読んでいたんだ」
「あぁ、これですか。あの白騎士の─ホジスンの整備指南です!」
「よく貰えたな」
「手伝いましたら快く貸してくれました。それに騎士も代々伝わるというのなら、調べないといけませんし!」
えっへん、と胸を張るその笑顔の明るさに、ロックも頷いた。
調べてくれるのはありがたいもの。
蛇の道は蛇。騎士については、やはりユリエルに任せるのは違いないのだ。
ユリエルが調べたところ、あの騎士の歴史も相当に古い。
貴族となる以前から先祖と共にあり、細々と小改修を続けて今に至るという。
今回あの馭者をしていたトマスが仕入れてきた部品もまた、その一環。
「関節の手入れということで見せてもらいましたが、結構丁寧に整備されてましたね」
関心するように言うものの、その顔には不満はありありと浮かんでいる。
「なんだ。あまり触れなかったか」
「ええ、まぁ大切になさっているようですし、難色を示してるのに無理は言えませんから」
「さすが、客だからな。そこまで見せるものでもないさ」
まあそれも当然。そうは言うがため息が漏れるのは堪えきれない。
「あの頭部から肩まで一体化したような仕様なんて珍しい代物、中までではっきり見たかったんですけどね……」
「珍しいのか。首もない、ずいぶんな大柄だったが」
「首まで固定されたタイプは、今の運用には邪魔だからと普通の首に変えちゃうこともあるんです。もとが防衛型らしくて貴重な清品がまして貴重になりまして……」
もっと見たかったと、気落ちした顔を見せていた。
「整備指南を見てたのはそのなぐさめってかい?」
「もう、そんなことを言いますか」
「わかっている。なにか手がかりを探していたのだろう。しかし、ならなんだってあんな険しい顔をする」
先程の喜びようのわりには、資料を眺めるユリエルは、渋い顔だった。
問われて、ユリエルはそれこそまさしくその渋面を見せている。
「整備資料が思いの外適当でしてね……」
「そうなのか?」
「そうですよ。動くのに重要な関節部は懇切丁寧に一から十まで書いてるくせして、胸から上はまるで飽きたようにそれっぽいこと適当に書いてるだけなんですから」
ほら、とユリエルがそれぞれのページの束をつまんでみれば、その差は一目瞭然だ。
「もう私が書いちゃおうかしら」
「そこらは後で、な?」
腕まくりなんてしてまで前のめりなユリエルを、ロックはそっとなだめた。
「えぇ、後でですよ」
そのくらいわかっている、と眉をつり上げてどこか意地悪げにロックを見つめる。
「その”今”のことは、何か見つかりました?」
「さぁて、どうだか」
軽く言って、溜め息ひとつ。複雑なものを纏め込んだひとつだった。
町を見て回り、目星の場所を突き詰める。いかに手慣れたロックといえども半日まるまる使う作業だ。
さらには周囲の山々までも対象とあっては骨が折れること請け合いなし。
だからこそ、夜分遅くはこうして書斎を借りて、周辺についての資料を読み込んでいるのだ。
聞かぬ歴史やらも意外とあって、面白がっているのも違いないのだが。
『なにせ町に来たばかり』と言いきるのは言い訳がましいこと。さりとて言いたくもなってしまう。
言わぬためにこそ、こうして資料を手に取るのだ。
「とりあえず人から聞いていくのはな、ほぼダメだ。大人は面白がっている人が多くて目方が狂う」
「子供は子供で……ねぇ」
無邪気な子供たちはいわんや、青年たちもまた同じ。
青年たち何人かと接触したものの、町のことは快く教えてくれたが、結局は当たり障りのない話ばかり。
結局、今日にやれたことは観光の一言に尽きてしまう。
牧場や畑から大昔の石垣跡まで、どれも何かしらの歴史があるのだと、青年たちが快く教えてくれた。
そういった史跡のことも、アルムは十分調べているらしい。
彼は長く─すでに一年半ほど、この宝探しに当たっていたのだ。
生まれ育った町なのもあって、町中はそれなりに見当はついている。
だからこそ町も飛び出し、領地の端の端、山を二つも三つも越えたあの山道にまで足を伸ばしたのだが。
「迷走してません? それ……」
「肝心の場所もはっきりしていないからな」
「ちょっと遠すぎる気がするんですが」
ユリエルも、首を捻る。
「まあ間違っちゃあいないかもな。まず宝があるのはウィルム家の領地内。隣の領地なぞには絶対ない」
それは当然のこと。よその領地にあっては手出しされても文句は言いようがない。
縁の周囲も、それは同じくだろう。目印も少ないこともあって、領地の境はあやふやになりやすいものだ。
それでもアルムは領地の端までいっていた。とはいえ領主として激務をぬってのこと。
迷走、と言いきるには酷なもの。第一、宝の目処が決まっているわけではない。
「おれがするのは、見落としがないのか、新たな視点を探ることだ」
「そもそも、歌のこともよくわかってませんからね……」
「《己あるべきところに構えよ、さすれば光をもって道は示さん》その序文からして行き詰まってるわけで──”己”があるべきところってのがはっきりしない」
「どこなのでしょうね。この家かしら」
「それがわかってたら、あの依頼人も苦労してないだろうさ」
ならば、明日は。
「とりあえず、山のほうを見てこよう」
その言葉に、ユリエルも頷いた。
「ええ、あちこち見ておきませんと。資料のほうも、ね」
「その通りだ。どこかに隠された史跡があるかもわからん。騎士の方は任せたぞ」
「えぇ、もちろん!」
ユリエルとしても、それは望むところだった。
手当たり次第に資料を引っこ抜いてきてしまったのだが、果たして読みきれるのか、不安になる。
いや、読んで見せる。さぁもう一踏ん張りと、息巻いた時である。
書斎の重い扉が開き、急に差し込んだ光の眩しさに、思わず目を細めた。
「おや、お二方」
けれどもその声とともに、すぐに光は足元に向きを変える。
アルムがランプを手にしてそこにいた。
「こんな遅くまでやっていたのですか」
「あらこんばんは、アルムさん。見回りですか?」
「いや、書斎に明かりが見えましたのでね。もしかしたらと思ったらね」
──まさか本当に居たとは。
意外とばかりに、アルムは苦笑する。
夜もとっくに更けていることを、ユリエルは改めて認識した。
そんなことも気にもしていなかったのも確かなので、ユリエルも愛想笑いを返すしかない。
けれどもロックは気にすることもなく、呑気なように応じた。
「おお、依頼人。ご機嫌いかがかな」
「頼んだ手前で言うことではないが、初日からこの熱の入りよう。これではむしろ申し訳なくなってくるな」
「なあに、素晴らしい働きと誇ってくれ。こういうことはよくやっている」
「それは心強い。しかし助手さんのほうは大丈夫ですかな」
「私も、ある程度は慣れてますので」
そう言いながらも、ユリエルはあくびをひとつ。
「無理はなさらないでくださいよ」
「わかってます」
眼を擦りながらもそう言いきって背筋を伸ばすのでは、説得力は欠けたもの。
「書斎を貸してくれてありがたいよ。町の周囲の情報もここならなんでも揃う」
「騎士の資料も一杯ありますよね。時間があればもっと読みたいのですけれどねぇ……」
さりとて、望むのは調査としては関係のないものばかりだ。惜しむように息を漏らす。
けれどもアルムは心外とばかりに瞬き一つ。
「それなら依頼が終わり次第、ということで構いませんよ?」
「──え、いいの!?」
「お好きなだけどうぞ」
「ほんと!」
重いまぶたもぱっちり開けて、ユリエルはすぐさま飛び付いた。
もちろんと、アルムは嬉しそうに微笑んだ。
「返却さえしてくれるなら構いません。祖父の遺品なんでね。読まれずに放置されるのは悲しいでしょう?」
「わかりました。できれば、すぐにでも。とにかく依頼を終わらせます!」
「あぁ、分別ついてて安心したよ。それじゃあすぐにでも解決しなきゃなぁ」
その意気込みをみて、ロックも首をならす。さあてと次の資料に手を伸ばすのを、アルムは差し止めた。
「そこまで肩入れしてくれるのはありがたい。が、今日はもう寝床についていただきたいな」
「なにかあるので?」
「明日は、ちょいと早いのでね。二人にも是非、という場所があるんだ」
「どこですかな」
「そこは明日のお楽しみ、ということで」
では、良い夜を。
そう言い残して、アルムは書斎を去っていった。
●
遠ざかる足音に、ユリエルは呟く。
「どういうことです?」
「聞いた話のなかにあったんだがな。彼は早朝に山のほうに”見回り”することが日課だそうだよ」
「……ついてこい、と?」
「だろうね」
そういうことなのだろうか。首をかしげるユリエルに、ロックも曖昧に頷いた。
「ところで、あの話はどうしましょう」
「さぁて、どうしたものかな」
それは案内のなか、青年の一人がふと言ったこと。
──あんまり、あいつと一緒に北の山には入らないでくれ。
多くを語らなかったものの、ずいぶんと渋い顔であった。
「ま、依頼主さまのご招待ってんだから問題なかろう」
「『山に行こう』とは誘われてませんからね」
「ま、そういうわけだわな。ちょうどいいし、さっさと寝るとしようか」
「そうですねぇ」
後ろ髪引かれる想いをしながらも本を片付け、二人は書斎を後にした。




