7.探し求めたもの
頭上でうごめく物体を見上げて、気疲れとばかりにジミーはため息を吐く。
そこに、拍手が送られた。笑みを浮かべたユリエルだ。
彼女もまた、うごめく物体を見上げている。
「上手いわねぇ、ジミー。こんなのはそう居ないわよ」
「そ、そう?」
「ええ、二人とも無傷で生きてる! とっても上手よ、 間違いない!」
ユリエルの絶賛にどこか気恥ずかしそうに、ジミーは笑う。
けれどもすぐに、肩を落とす。どこかうんざりとしたような顔に、変わっていた。
「でも、さすがに懲りたよ。今回は”こいつ”だったからおれも手を貸したけど、こんな面倒になるんだしな。もう騎士で遊ぶなんて──」
「いいえ、いっそもっとやらないかしら?」
「──へ?」
「もっと、追求してみない?」
ジミーは信じられないような目をユリエルにくれた。
そんなことも気づかないかのように、ユリエルはそのの肩を叩く。
「この私のいる学校に将来来てみなさいな! ”ここ”みたいに、いえ、それ以上に派手に一杯弄れるわよ!」
「そこまで良いよ、ボクは遊びだから良かったんだって」
「あら、勿体ない。”その子”で二人を潰さず握れるほど、どっぷりだったんでしょう?」
──それも、下駄をつけて。
ユリエルの言葉に、ジミーは図星とばかりに苦い顔。けれど、片割れは目を輝かせている。
「……面白ろうだな」
「おいウェイン、そらないぜ?」
「でもねぇ、もっと良いこと色々あるわよ?」
さわりだけでもユリエルが二三話すだけでも、少年たちは気を引かれた様子。
ジミーは興味をにわかに隠せずにいる。ウェインはもう、前のめりにならんばかりの興奮ぶりだ。
「それで、それで?」
「──でも、また今度!」
えー、と声が二つ上がった。
もっと話せとその目が雄弁に語っているが、ユリエルは話を切り上げた。
「なんでさ」
「だってね、ジミー。あれ、いいの?」
「……あ」
ユリエルの示す方を見上げて、声を漏らす。
だから、と。しゃがみこんで、真正面から言った。
「二人を送り届けてらっしゃいな。そして、ちゃんと謝ること。騙したことには違いないんですから」
──お兄さんと一緒に、しっかりと。
言えば、二人は苦い顔。けれども、意を決したように頷いた。
「じゃあ、先の話は、謝って、落ち着いてからね」
「わかったけど……それって何時?」
「絶対巻き込まれて、長くなるんだ」
わかっては、いるけれど。そう言う少年二人の憮然とした姿に、頬に手を当て思案する。
それも一瞬、そうだと、名案とばかりに手を叩いた。
「今度、一緒にうちの探偵事務所にいらっしゃいな。その時に色々お話ししてあげるわ」
「へぇ……!」
「ほんと!」
「おい……」
ユリエルの言葉に、二人は目を輝かせた。
どんなことがあるのかと、ユリエルに早速迫っているのを、ロックは複雑そうに見ていた。
「また勝手に言う……」
「別に良いでしょ、これくらい」
「そうだがなぁ」
ユリエルのウインクに、ロックは肩を落とす。まあ子供が来ることは、多々あること。
断ることでもないのだが。
「まあ、構わん。依頼があると言うのなら、もっと歓迎するがな?」
「……まぁ、確かにあんちゃんなら、それなりにやれそうだな」
「でも、今日みたいに早朝からちょっと困るよ」
”今朝”のことを思い返してか、二人は揃ってしかめっ面。
抗議の視線に、ロックは笑った。今日一番の、得意気な笑みだった。
「だから朝にした。これでも精一杯の譲歩だぞ」
少年二人は、渋い顔。憎たらしそうに歯噛みする。
「じゃあ、また今度、絶対だぞ!」
そう言って、ジミーはフォードに潜り込んだ。
いつのまにか静かになっていた二人だが、《フォード》の唸りに気づいてか、再びもがきだした。
うねる防水布の姿は奇妙で、おぞましさすら感じさせる。
それを”騎士”がつかんでいるのだから、近寄りがたいもの。
だというのに、ウェインは「相変わらずだ」と笑うだけ。
「これも、いつもか?」
「まあここまであ、たまにだよ」
「何とまぁ、大胆ねぇ……」
『それじゃあ』
二人の様子を気に止めるでもなく、あっさりと言って《フォード》は駐騎場を出ていった。
遠く響く重い足音に、ロックとユリエルは手を振って見送った。
●
日はまだ高く、町は元気に動き回る。
馬車がはしゃぐように走り、荷運びの雑騎士はけたたましい音をあげて、石畳に足を踏み出している。
そこにあるのは、普段となんら代わりの内、町の姿。
舞い上がる埃を払い除けて進むのは、事務所への帰り道。
「──なぁ。良かったな」
ポツリとロックが呟いた言葉に、ユリエルは瞬いた。
「何がかしら」
「奇特なやつが後輩だろ?」
その言葉に、ユリエル目をそらす。だけどもそのひきつった顔は明らかなもの。
「そ、そんなつもりはないわよ……?」
「それで言うかい」
あきれたその眼差しに、ユリエルはうめく。
「会ってみたい、話してみたい。それを叶えたばかりでなく、”これから”までも手にするとはお見事」
確かに以前、言ったこと。それが数人なのは予想できたけど、まさか少年二人とは予想外。
とはいえ、とても楽しそうに騎士と触れていたのは幸いだった。
「別にいいじゃないですか……操縦席をいじるなんてあんな情熱、勿体ない」
「仮装の方はいいのかい?」
くすりと、笑うようなロックの言葉に、ユリエルは赤い顔を隠す。
「……まあ、それも」
隠すようにしながらも、揃えた指に隙間をつくって気恥ずかしそうに微笑んだ。
●
日も落ち、赤く染まる。ばたばたと町を歩く姿も増えてきた。
事務所の窓から物憂げに空を見上げて、ユリエルはため息を漏らした。
「残念ねぇ……」
「何が残念なんだ?」
「 な、なんですかロック?」
いつの間に居たのやら、背後にロックの言葉に、ユリエルは思わずのけぞった。
その驚きように、ロックのほうが面食らってしまう。
──悲鳴は、聞かれてしまっただろうか。
ユリエルの疑問も晴れることなく、ロックは言う。
「いやなに、コーヒーが入ったが、ずいぶんとつまらなそうにしていたからな」
言われてみれば、鼻をくすぐる薫りが漂っている。
その源に引かれるようにして、ユリエルは椅子に身を沈めた。
満たされたカップを手に取れば、焼けるように温もりを与えてくれる。
早速一口、その爽やかな味わいに、ほっと息をつく。
「昨日のこと、思い出してしまって。せっかく、そっくりな騎士に会えると思っていたものですから」
「まあ、今回は縁がなかったってことだ」
「あの人もずいぶんショックだったようですからねぇ。私も同情のあまりため息の出るものです」
そうしてまた、吐息を一つ。
双子の騎士の価値を知るユリエルにしてみれば、端で聞くだけでも、惜しんでしまうものだった。
当人のギルボン・ブライスでは、どれほどの衝撃になったことやら。
──その様を二人は耳にして居る。なにも探偵としての調査や習慣によるものではない。
”事”の詫びにとやって来たギルボンの妻─ジミーの、さらにウェインの母たちが、ありありと語ってくれた。
此度の顛末は、喧嘩両成敗。そう言うのがもっともふさわしかった。
何せ依頼主は奥方に浪費をこってりと絞られて、首謀者らは詐欺的行為をしっかりと戒められたという。 ちょうどよかったと奥方二人は笑っていたが、その目の奥の剣呑な輝きに、ユリエルは愛想笑いを返すしかなかった。
二人が去ってからも、肩を落とすのは避けられないもの。気疲れとだろうか。”母”の強さの片鱗を垣間見た。
少年二人がやって来るのは、いつの事になるのやら。
「ずいぶん強い奥さまだこと」
「そう言ってやるな。どっちもだったからな」
ユリエルのため息もロックは笑い飛ばす。
──あぁ、あなたも変わらず強いこと。
感心しながら、テーブルの上に手を伸ばした。
ユリエルがコーヒーとともにつまむのは、当の奥様方が包んで渡してきた茶菓子の一つ。
ナッツが香ばしいクッキーは甘く、スコーンのように固いのに、舌触りは非常に滑らか。
こんな味を出すには、どれだけの砂糖とバターを使ったのやら。想像するだに恐ろしい。
──あまりに甘くて後が怖い。
そう思いながらも、ユリエルは手を伸ばすのを止められない。
ああ、甘味に勝るものは無しか。
また一つ貪りながら、ふとしたようにユリエルは言った。
「そういえば、これ食べても良かったものなんですかね。ロックは気にしてないようですけど」
「置いてったものだ。もらっといて良いさ」
「まさかこれ、口封じとかそんなものじゃあないですかね」
「だろうな」
事も無げに、ロックは言う。
「もうずいぶん食べてますよぉ……」
「気にしないで良いさ。もう終わったものをそう蒸し返すものでもない。それにたかがクッキーと来たものだ」
気にすることはない。そう言いながら、ロックも一枚、口に放り込んだ。
「ううむ、やっぱりおいしい……」
ユリエルもまた一枚つまんで、笑みを綻ばせた。こうもおいしいクッキーはなかなかない。
大家のお手製のものにも負けていないのだ。
明日のためにとっておこうか、それとも。悩んでいる間にも少しずつ、クッキーは減っていく。
あぁ、右手よ。お前はなんとわがままだというのか。食い意地ばかりでみっともないったらありゃしない
いくら押さえ込もうとも、勝手に右手は動き出す。あぁ、誰か止めてくれ──
「……何してるんだ、お前」
「──あ」
あきれたようにロックが見つめていることに気づいて、ユリエルはそっと手を引っ込めた。
掴んでいたクッキーをまた一枚かじるのだけれど、気恥ずかしくて、縮こまってしまう。
それでも口は止まらずに、ちまちまモソモソと、削るように食べていた。
「いやまあ、その、おいしいのがいけないのよ!」
「好きなだけ食え。我慢するのはいけないからな」
そう言って、クッキー缶をユリエルのほうへ押し出した。いくら減ってはいるものが、まだ量は十分にある。
大半はユリエルが口にしたものだけれども。思い返せば、ロックはどれほどだったのか。
……ほとんど食べていないのでは?
「あなたももっと食べて良いんですよ」
「なに、十分食べてるさ。食べ過ぎてしまうとコーヒーもつまらない」
コーヒーを燻らせながらいうものだから、ユリエルはまた一つつまんで、口にする。
それで、おしまい。缶に蓋をして、戸棚に仕舞い込んだ。
「もういいのか?」
「せっかくのコーヒーですものね」
ロックの苦笑も横目に、ユリエルはカップを傾ける。
漂う香りに身を寄せれば、不思議と心も安らぐもの。
「──あ」
吐息を漏らして楽にしていると、ふと思い出した。
「どうした」
「まさか、あの偽マスクマンも同じなんですかね、これ」
「ただの見せかけだってか? さあ、どうだかね」
「ですよねぇ」
あの”騎士”のことをすっかり忘れていたことに、ユリエル自身が驚いてしまう。
とはいえ、これはそういうものなのだろう。後回しでもしかたがないこと。ロックはそう言っていた。
故に術もなく立ち往生して、おかげで依頼にユリエルは関わったのだから。
「資料もなし、推測ばかり手がかりもなし。ちまちまと進めますかね……!」
緩やかな決意も新たにして、グッと伸びを一つ。固まった背筋がほぐされて、血の気が巡っていく。
美味しいお菓子に飲み物、ちょっと気になる調べもの。
どれか一つでも良いのに、揃えば一層、素晴らしい。退屈にはほど遠い。心赴くまま調べてられそう。
ずいぶんと気楽になれたようで、心地良さに頬も緩んでしまうもの。
「──ところで、こんなものあるんだが」
思い出したように、ロックが言った。それこそお使いに一つ忘れたとでもいうような気軽さ。
彼が放ったものを難なく受け取って、ユリエルは首をかしげる。
よく目を通す新聞の一つ《マンチェスター・ガーディアン》。
だが、ずいぶん古い。気を付けなければ破れてしまいそう。
「新聞ですか? しかもこんな二年も前のがなんだっていうんです」
「開いてみたまえ。五面、下のほう」
「これって──」
言葉の通りのページに目を通して、ユリエルは凝視せざるを得なかった。
紙面にかぶりつき、じっと動かない、動けない。目線は何度も紙面をなぞり、忙しなく動いていく。
しばし経って、強ばった喉をようやく、震わせた。
「…………これ、なんです」
「”騎士”の事件だよ。地方で、重騎士同士の戦闘が会ったとの報だ。それきりで続報もなし」
掠れるような声がロックに届く。紙を握りしめ、皺寄せになるのにもユリエルは厭わない。
「そういうことじゃないでしょうよ」
「すまんな。探し当てたは良いが、あいにく客が来たものでな」
「そこじゃないでしょ!」
不機嫌に声をざわめかせて、紙面をテーブルに叩きつけた。
記事にあるのは、小さな写真。山あいの森のなか、向かい合う二機の姿が写る。
遠く、横合いから撮られたその写真は──
「その”そっくり”な二体。こいつの手足とかよく似てるぞ、偽のマスクマンに──」
「なんだってノックスの写真が載ってるのよ!」
片や自慢げに。片や青ざめて。
──はて、今なんと言った?
互いの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「昔の記事の写真を思い出してな。探しだしてよく見れば、偽のマスクマンによく似ているんだ、これが」
「おじいさまの遺した、ノックスのかつての全身図、らしいもの。それによく似ているんですよ、これ」
互いに、目配せ。
空気が張り積めているのは、気のせいだろうか。緊張の成果、自ずと唾を飲み込んだ。
「──その図とは!?」
「──ほかの記事は?!」
頷きもよそに、二人は共に資料室に飛び込んだ。




