4.語り合い
夜の帳も落ちた。
遠く工場の鉄の唸りは眠りにつき、代わりに鬱憤を晴らさんと飲み騒ぐ声が、風にのって聞こえてくる。
探偵事務所の中、ユリエルの姿はソファにあった。
暖炉とランタンの薄明かりに照らされて、静かに読書の真っ最中。
弾ける薪の音を脇におき、めくるめく冒険の世界に思いを馳せながら、気ままに椅子に揺れていて。
「──あら」
ふいに、顔をあげる。いつもの音だ。
事務所の石段を叩く靴の音。本を閉じて膝掛けとともに除けていると、扉が開く。
「帰ったぞ」
「はい、おかえりなさい」
ロックに、ユリエルは微笑んだ。
くたびれた様子で埃だらけのコートを掛けたロックは、流れるように肘掛け椅子にその身を放った。
大きく絞り出すように息を吐いた彼は、テーブルの上の鍋に目を止めた。
悪戯めいた笑みでユリエルがそっとその蓋を開ければ、ふわりと広がる香りに声を漏らす。
「こいつは、大家さんか」
「そうよ。大家さんがシチューを作ってくれたの。ほら、早く用意して。あとはあなただけよ」
「先に食ってても良かったんだがなぁ」
「一人で食べてもつまらないでしょ。ほら、早く手を洗う。真っ黒じゃないの!」
コートも汚れているが、彼の手足もずいぶんひどい。膝も手も土と泥だらけ。
ユリエルが手渡した濡れ布巾が、あっという間に黒くなる。
よく見れば爪まで黒い。ユリエルの鋭い眼差しに、ロックはそっと目をそらし、そ知らぬ顔で爪も拭った。
二人揃って椅子につけば、食卓の出来上がり。
大家の作ってくれた乳のシチューは、素晴らしいとしか言い様のないものだった。
ごろごろと入った野菜は口に入れる度に解れるし、鶏肉は柔らかく、噛めば旨味が溢れでる。
具材がどちらも大振りなものだから、濃厚なルーがよく絡み、頬が緩みそうになるその味わいに舌鼓を打つ。
「前にな、隣のセントヘレズで一番というシチューを食ったが、表情を作るのが大変だったよ」
ロックの言葉に、ユリエルも自ずと頷いた。そう言うのもわかってしまう。
そこらで買うより、大家の料理を食べるほうが”確か”。なのだ。
店も大家も”自分”も、それぞれの良さがある。だがそれでもなお、となってしまうのは悩みどころだ。
「私がやってもどこかいまいちなのに、何が違うのやら」
「聞いてみるのが一番だろう。大家ならなんとでもないように言ってくれるさ」
「それが一番よね。でも……できないのよねぇ」
あぁ、いったい何がいけないのやら。いくら嘆こうとも、掬う匙は止まらない。
一皿をすぐに平らげたユリエルは、新たなルウを注ぎ入れていく。
二度三度と入れて、重くなった皿に満足。ゆっくりt机に置いて、言った。
「それで、どうだったのよ。そっちは」
「ん? 調査の話か。色々と面白そうだ」
「へぇ……」
なんとないようにロックが答える。面白そうとは、どう言うことなのやら。
報告の際は大概平静を装うものだから、ユリエルには”成果”がすぐにはわからない。
己の皿にもルウが波々と注がれるのに目を輝かせていることから、そちらは目に見えるのだけれども。
──やぱり練習しなきゃいけないわよねぇ。
内心深くで決意を固めていると、ロックが動く。
組んだ両手を机に置き、にこやかな笑みを浮かべて、言った。
「まずな、取引相手のヴァストンという家とその召し使い。ありゃ居ない」
「……へ?」
ユリエルの手からこぼれ落ちたシチューの皿を、ロックは素早く両手で受け止めた。
手早く匙をいれては頬を緩めている。
危ういところと助けてもらったのはとてもありがたい。せっかくの食事が悲劇になるのを防いでくれた。
けれども、そんなことユリエルには気にしていられなかった。
「ありがとう、ございます──で、えっと、なんですって。取引相手がいない……?」
「いや、構わない──正確にはな、ヴァストンという家族は居た。東の町でそれなりに裕福な医者だ。貞淑な奥方の仲は円満、子供を愛する理想的なご家族とご近所に評判だ」
「子も持たずにお亡くなりになったという老貴族という話だったのでは……?」
「さっぱりだ。信頼のおける手伝いは若くも長く勤めていて、辞めた人も居ないときた。まるで話が違うんだ」
「ううん……?」
わけもわからず首を捻っていると、ロックは言った。
「そのヴァストン家は名前を使われただけだ。完全な”白”。もう無視してかまわない」
ロックが、大きなため息をついた。シチューを咀嚼しながらも、ユリエルは首をひねる。
なんとも妙な話だ。ギルボン・ブライスの話では、相手は”死んだ独居老人の元執事”だったはず。
当の相手が居ない、騙りとなると、また話が変わってくる。
訳もわからない。身を乗り出して、ロックの話に入ってしまう。
「じゃあ重騎士はどうなるんです。ちゃんとあったのはブライスさんが見たんですよね」
「そこなんだよ。足跡を追うと、ある倉庫から『白と赤の重騎士』が出てくるのをある馬丁が見ていた」
「なんだ、ちゃんとあるじゃないですか」
驚くユリエルを、それは早いとロックが窘める。
指を立てて振るうなんて仰々しい仕草までする辺り、ロックも相当に”楽しんでいる”のは明らかであった。
「だがそこは当然、ヴァストン家ではない。その家も調べるわけだが、こちらも事情が違ってくる」
こちらは古い家に広い庭と大きな倉庫。住むのは老夫婦二人と手伝い一人。
娘は既に嫁ぎにでた。しかし家は近くだったのか、時おり孫らしい少年が遊びにやって来る。
庭での園芸を日々嗜む老夫婦にしても、明るい彼との交流はとても大きな楽しみになっているそうで。
なんとも羨ましくもなる、悠々自適な隠居生活。ため息がでるほど理想的。
「彼らもまた違うんだ」とあきれた口ぶりを隠さない。
けれども、ユリエルはその詳細な説明に舌を巻く。
「よくもまあ、そこまで集められましたね」
「ほとんど一日がかりだよ。物乞いに扮して散策したり、厩舎の馬洗いを手伝ったりとかね。駄賃もくれてやったから懐が寒くなる」
家賃がいかにきつくても、情報集めのためなら惜しくはないと、胸を叩いてロックは笑う。
探偵ならよくやること、らしい。
「どこぞの誰かの日常だの”外れ”は手に余るほどもらうんだがね。草むしりで良い話を聞けたのは良かったよ」
「どちらの方にです?」
「いや、『良い庭ですね』とか『参考にします』と言ったらあれよあれよと」
「まさか」
「そこの老夫婦さ」
ユリエルは思わず額を打った。
今は外れとわかったから良いものの、話す前には疑惑のままだろうに、なんと大胆なこと。
「よくやれましたねぇ、手足がそこまで真っ黒なわけです。良い勲章ですでね」
「ただの対価だよ。彼らがこの問題にあまり関わっているわけではないらしい。なんでもその倉庫を貸しただけだからな」
老人が言うに、大きな倉庫はかつて携わっていた建築用の雑騎士を駐騎させていたらしい。
雑騎士が入るのなら、重騎士とて変わりはない。
「あとは、その頼んだ人の問題ですかねぇ」
「”友人に頼まれたから置かせてくれ”と言われて快諾したらしい。孫らの願いだ。聞き入れるさ」
その友人の名は老夫婦は聞いていないそう。メラス・カマスかどうか、わからない。
さてどういうことだろう。”友人”というのも果たしてどこまで本当やら。疑ってもきりがない。
匙を進めながらもユリエルは思案するが、すぐに放り出した。
「そっちはどうなのさ。良いもんだったかい?」
「そりゃあもう!」
今度は、こっちの番。
飛び跳ねんばかりの笑顔で、ユリエルは頷いた。
少年たちと会った話。もらった紅茶が素晴らしくて、あの重騎士は”内”も”外”も見目麗しく。
駐騎場、整備員、雑騎士に、あの少年たち。
”調査”と言ったけれど、先のロックと比べると、もうとりとめのない一日の思い出話。
なんだか劣ってしまうように思えたけれども、彼の目を見れば、杞憂なのだとほっと胸を撫で下ろす。
ロックは目を輝かせて聞き入り、時おり引っ掛かることを尋ねて、ユリエルはその都度詳細を思い返していく。
だが、ひょんに聞かれることが微細なものまであるものだから、決して油断ならない。
駐騎場の家族のそれぞれの職なんて、覚えていた自分を誉めたくなったもの。
それでもふとしたことまで、じっくりと思い出す。ぎこちない問答を、彼は真剣に聞いていた。
「しかし──……」
話を終えて、咀嚼した彼が、ポツリと言った。
「ずいぶんと楽しかったみたいだな」
「当然よ! やっぱり騎士をさわってなきゃ落ち着かないわね」
「結局はそこにもどってしまうか」
「もうこれは性分というものよ。あなただってそうじゃない?」
「……──ああ、そうだな」
私は受け入れたわ、とふんぞり返るほどの自信に溢れた笑み。それを苦笑するでもなく、ロックはただただ聞いていた。
●
食後の紅茶をたしなみながら、ユリエルは考える。今回の事件はなんとも、妙なもの。
詐欺というには大がかり。事故というにはあまりに奇妙。証言はあるのだから、夢ではない。
ヴァストン家の元執事は、そして重騎士はどこに消えたのか。
頭を捻り、考えて。そして力なく椅子に身を預けた。
「ダメねぇ、わからない」
「ほう、なにがだい」
「いやね、事件のこと、私なりにも考えたんだけどねぇ。詐欺だとすると、なんだってこんなことに”そっくりな”本物の重騎士なんて使うのよ」
苛立ちのままにカップを一息に呷り、具合悪くも咳き込んだ。
差し向けられた水をすすり、落ち着くの見計らって、ロックが言った。
「偽物だとは疑わないんだな」
「あそこの整備員の腕は良いわ。”首”なんて絶対に間違えないわよ」
だからわからない、とあえぎながら、渋い顔。
「間違いなく本物。でもこれが詐欺だとすると、そっくりじゃないとそもそも成り立たないのよねぇ」
「ギルボン・ブライスが重騎士を買おうと動いたのは、自前の《フォード》とそっくりな《ムーア》だったからだ」
「でもわざわざそんなことするんじゃあ、かなりのお金がかかる」
「君が今朝こぼしていたね。全身仕立てるんじゃあ、雑騎士丸ごと作るだけの金がかかるって」
その通り。ユリエルは頷く。
「できるけど時間はかかる、それでも詐欺にするには価格が良心的どころか、裏がありそうなほどに安い」
「だからワケわかんないのよぉ……」
大きなため息とともに項垂れる。その肩を、ロックが叩いた。
「それこそ、朝に言ったことだ。区切りをつける。道がないなら、少し戻って考えれば良い」
「または別のほうを見る。調査の最中で拾ったっていう布切れとかだ。持ってるんだろう?」
ああ、そういえば。思い出して、カバンをまさぐる。
先ほどの話のなかでは、ほんの少しの興味だけで流されていたこと。
ユリエルが開いたハンカチのなかには、いくつかの布の切れ端。その赤の色にロックの目はすぅっと細まっていく。
「ああ、これだよ。これこれ」
「ロックは変なものは気に止めるようにって、前に言ってたでしょ。だからね」
「覚えてくれたか。それはありがたい」
「《フォード》の装甲に引っ掛かっていたんですよ」
ここのとこ、と肩を指し示すのを横目に、ロックは布切れに手を伸ばした。触れた端から、ホロホロとほぐれて繊維片へと変わっていく。
「気を付けてね、ずいぶんと古いやつもあるから」
これなら大丈夫、と手渡された切れ端を、ロックは熱心に眺めていた。
ランプのそばに寄って、隅までがぶりつくような眼差しには、ユリエルも苦笑する。
「こいつは割りと厚手か」
「この生地、見覚えがあったわ。私もよく使ってる防水布─ようは外套よね」
「だが騎士のものの、だったな」
「ええ、そうよ。ロックは見たことも使ったこともあるでしょう。実際あの駐騎場にもいっぱい転がってたわ」
厚手に織られたこの生地は、騎士の雨避けに使われているものだ。ロックも工事現場で触れた覚えがある。
だがその時は見たのは地味な暗色ばかり。この生地のような、覚めるほどの鮮烈な赤色を目にするのは初めてだった。
「だが……こんなに派手だったか?」
「あんまりそういうのはないわねぇ。それこそマントにするくらいかしら」
「ああ、式典の時に軍の騎士やら良いとこさんがつけてるやつ」
「あれはあれでちゃんとしたやつなんだけどね」
参列するときの貴族様がたは、よくマントを羽織る。
まばゆいまでの色が見上げんばかりの重騎士と相まって、素晴らしい偉容を誇る絶景だ。
ユリエルは”おじいさま”が生きていた頃、カタログに載っていたのをたまたま覗いたことがある。
”毛付””金装飾”だののオプションまで羅列された値段に呆れてため息を吐いたのは、いい思い出。
どこでああも金がかかるのやら。
「まあ、あの手のはしっかり金を払わなきゃ足元を見られるからな」
「買うのも着けるのも手間ですけどね。《フォード》は原型そのままのシンプルな形状だからマシだけど。ただ……」
「ただ?」
「この布じゃあ式典には、ちょっと無理よね。後から染めてるんですもの」
「後から?」
意外なように手元の細切れをロックは見直した。
──ほら、これも。
そう言ってユリエルが示した布切れをぐい、と前のめりに険しく見て、目を大きく見開いた。
切れ端のなか、少しばかり色が淀んでいる場所がある。
「『安く買いたい』とか『言わなきゃわからない』とか。理由もどうあれ染め直して誤魔化すのも多いの」
指差す場所も、そう。
何度も染めたのだろうか。ところどころ赤色が淀んでまだらになっている。
とはいえ、ロックも言われて初めて認識したほどには、その差は小さなもの。
「こんな程度だから、わかりづらいけど、騎士用にでっかくしたら、結構目立つわ」
「へぇ、そうかい」
「これじゃあ色移りも考えなきゃいけないわよ? まあフォードにそんな跡はなかったけどね」
「ほう……」
なんとなしに相づちを打ったことにも気づかないように、彼はじいっと細切れに見入っていた。
●
──わからないことも、あったりするものね。
繊維片を見つめ、考え黙るその姿を見ながら、ふいに考える。
その差がかすかとはいえ、まだら模様に気づいていなかったのは意外だった。
ユリエルのほうが騎士について詳しいのは、自身で分かりきっていたこと。
観察や推測と、”探索”ならば、ロックの方が上。だけれども、こうして見落とすこともあったとは。
しっかり自分がそこを補うことができたと、誇りに思う。
ロックとともに行動するようになってから、観察力が上がってきているのは、確からしい。
現にノックスを整備する際に、些細な問題点を発見することも多くなっている。
”おじいさま”の作った”義肢”と比べて自分のものがいまいちだからかも知れないが、それはそれ。
改善しては問題を見つけて、直す。それまでの蓄積から新しく作っては、問題を見つけていく。
昔から同じ繰り返し。だけれども、今はその発見が明らかに早いのだから。
そして彼は彼で、”騎士”についてもしっかり身に付けてきている。
騎士そのものにまつわる造詣を着実に深めている上、騎士を動かす事は完全に顔負けと来た。
それを嬉しく思う反面、危機感のようなものも得ているのだから、心が休まらない。
──やっぱりうかうかしていられないなぁ
”もう要らなくなるのでは”。心のどこかで、そんな囁きが身を焦がす。
ずいぶん勝手な思いだけれど──
「なるほど、助かった」
「──あら、ありがとう」
はっと、暗雲の中から浮き上がる。
ポツリと呟かれた突然の言葉に反応できたのは幸いだった。
「それで、なにか分かったの?」
「ああ、ずいぶんと進展した。あとは二三、突き詰めれば良いんだがな」
「それじゃあ、また調査かしら。朝早くからなら、もう寝ちゃう?」
「もう少し、ゆっくりさせてくれよ」
そう苦笑しなあらカップを掲げるので、ユリエルは紅茶を注ぎ入れる。
漂う香りを堪能するロックをじっと見つめて、ふと、呟いた。
「ねぇ」
「なんだ」
「さっきの赤い欠片、なんで最初の話の時に突っ込まなかったのよ」
他のことは、いくらでも突っ込んでいた。まあ、些細なことも多かったけれど。
それでも、”赤い布”も聞いても、良かったはず。
「ああ、それか」
ロックがカップに口をつけて、暫し。
飲んでいるのか、いないのか。じっと気の遠くなるような、一瞬。ようやく、ポツリとこぼした。
「楽しそう、だったからな」
「ふーん。……それって──」
「長くなりそう、だったしな」
「まあ──それもそうね」
「自覚はあるんだな」
「さすがにそろそろ自覚しましたとも」
──私の話を邪魔しないように、と?
苦笑をこぼしながらも、思う。
珍しいこともあるものだ。気になることにはしっかり食らいつくというのに、それを後回しだなんて。
「ふふっ……」
「なんだ」
「いや、えっと、その……ふふ、なんだか、おかしくて」
ユリエルは、笑みをこぼすことを耐えられない。
ひきつりそうになるほほを隠していると、じろりとロックが見ていることに気がついた。
嫌そうなその眼差しを見つめ返せば、今度はそらす。
それがおかしくて、いつまでも見ていられそう。
ともなればロックは眉間にシワを寄せ、カップを一息。
放り出さんばかりにからのカップをおくものだから、ソーサーが悲鳴をあげる。
そんなことにも気に止めず、ロックは傍らの毛布をひっつかんだ。
「……明日は早いぞ、さっさと寝ろよ」
「あら、もう少し思索するんじゃなかったの?」
「もう済んだ。もう寝る!」
身をくるんでロックはソファの潜り込む。
よびかけても、動きもせずにだんまり。
「はいはい。それじゃあ、私もさっさと寝ちゃいますか」
しょうがないと笑いながらも茶器を片付けて、ベッドに向かう。不思議と、その足は弾んでいた。
杞憂だったのだろうか。少し心も軽くなって、鼻唄なんて歌ってしまいそう。
ああ、なんだろう、この気持ち。
ふてくされてるようなだけだというのに、そんなロックを見ているのが楽しくて仕方ない。
早く、寝られるだろうか。




