9.眠るもの/目覚めるもの
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「……どう、なった……?」
再び倒れ伏して沈黙した重騎士を、グラントは固唾を呑んで見上げていた。
ワイヤーをかけられた《たてがみの騎士》が、ゆっくりと動き出した。
軋みをあげて首を回し、グラントを見据える。
すくみそうになった体を、必死に鼓舞する。
「お、おお……?」
『こいつはもう大丈夫だ、おっさん』
「警部と呼ばんかぁ!──探偵か?」
おう、と目の前の重騎士が言うのを、眼を瞬かせて、グラントは見つめていた。
『乗ってた男は拘束した。とりあえず大丈夫だ』
「そうか。なあお前、そこから動かせるか」
『動かせるのはできるが、いまちょっと厳しいな。ワイヤーの拘束が残ったままだ』
「どうせ引きちぎれるんだろ」
『それもそうだな─いいのか?』
「構わんよ。時間が惜しい」
そう答えたとたん、膝立ちのまま《たてがみの騎士》が両手を天に突き上げた。
引き裂かれたワイヤーは地に引かれて落ち、大蛇のようにの垂れ来るって塵と残骸を撒き散らす。
その所業に、周囲から悲鳴が上がった。
『おおっと、すまない』
「ちゃんとやってくれ。ううむ、さすがのお前でも重騎士は難しいか」
『いや、それよりも、この脚なんだが』
「──脚?」
どうしたものかと、膝に矢を受けたかのように《たてがみの騎士》は膝を叩く。
顔が二眼状になっていることもあって、妙に人間臭いような仕草が、やけに様になっていた。
『俺は地下組だったろう。だがこいつのせいで道が塞がった。次はこいつが天井をぶち抜いて道ができた』
「それなら好都合ではないか。さっさとみんなを引き上げてくれて構わんのだぞ」
『そうか? 地下は地下で捕り物の最中だった。漏れたのが何人か逃げ出すかもしれないが』
「その程度の余裕はあるさ。うちの部下は優秀だからな。お前さんが取り残されてる間にあらかた済ませてるはずさ」
『それなら良いがな。じゃあ、ちょっと動かせば──』
慎重に、《たてがみの騎士》が脚をあげる。
ミシリと異音が響きながら、塵と共に脚が見えていくのを、グラントは固唾を呑んで見守っていた。
皆の視線が、ほぼ一点にあつまっていた、その時のことである。
意識の外、劇場残骸の一部が突如として盛り上がり、ひび割れ弾けた。
舞い上がった土煙の中に、”騎士”の影が浮かぶ。
『──なに!?』
「また重騎士か!?」
『貴様も抵抗するか?』
”三”の警察騎が一騎、振り向きながら答えた、その瞬間。
立ち込める塵を切り裂いて、影が飛び出した。
『え、なんで──』
油断なく構え、それでも驚きを隠せなかった”三”。影はその脇を一目散に駆け抜ける。
向かうのは、膝を埋めた《たてがみの騎士》。──ロックの元へと一直線。
その早さ足るや、まさしく風の如し。その強靭な脚は、重騎士の証左。
その影を見て、グラントは呆然と呟いた。
「──”今さら”だと?」
その背後で耳ざわりな甲高い悲鳴が、周囲に響き渡る。
乱入者の拳が、《たてがみの騎士》の両腕で受け止められていた。
失敗していれば、その拳は胸を貫いて”心”まで潰していただろう。
にじむ冷たい汗を感じて、ロックは息を呑む。
真っ先に受け止めてひしゃげた右腕が、その威力を雄弁に物語る。
『なんだ、お前は』
ロックが、声をあげる。上ずったような気がしたが、気にもならない。
足元の警官らにも、気を配る余裕などない。
彼らも呆然と、その乱入者を見上げていた。
乱入者は周囲も意にかさず、空いた左腕を振りかぶる。
またも衝撃が突き抜けて。次いで浮遊感がロックを襲う。
『──ぐ、がぁッ!?』
えぐりこむようなフックが重騎士の脇腹に突き刺さる。その勢いは止まらない。
重騎士の体を押し込み、埋まった膝まで引きずり出して、吹き飛ばした。
取り押さえようとする”二”も”三”もあっさりといなし、重騎士の方へもろとも投げ飛ばす。
のし掛かった二騎に《たてがみの騎士》はもがく。だが退かす前に重い足音が、そばに寄った。
衝撃に舞い上がった塵に紛れて、血のように怪しく赤い眼光が、じっと見下ろす。
きしむ体の音は重く、静かに響いてくる。
──なんだよ、こいつは。
舐めるようなその視線を受けて、ロックは歯を食い縛る。
その姿は、まさしく。
「なんだって『マスクマン』がここにいる……ッ!」
──いや、あれはまだ修理中。いるはずがない。
ユリエルの愛でる《ノックス》に、目の前の重機士はよく似ている。
胴鎧も兜も、そこかしこが異なっている。手足なんて、似たようなものを使っているだけ。色使いはまるで逆。
くすみ、澱んだ、枯れ枝のような灰白の手足。何もかも吸い込み飲み込むような、艶めいた漆黒の胴と兜。
『マスクマン』とは─《ノックス》とは違う。
──この『マスクマン』は、偽物だ。
それでも、そう唱えなければ目の前の重騎士は『マスクマン』に見えてしまう。
それほどに、その”立ち姿”はよく似ていた。
『偽物野郎が、なんだってんだ』
露骨なまでのロックはその姿に精一杯の気炎を吐いた。
のし掛かる警察騎で、まともな身動きは望めない。
彼らを壊してでも動くしかない。そう覚悟を決め、操縦桿に手をかけて──
『”偽”マスクマン』が答えることもなく。手出しをすることもなく。
不意に外れの方を向くと、一気に駆け出した。
その巨体に見合わぬ軽い駆け足の音が響き、遠ざかっていくのが聞こえる。
『逃げた……?』
呆然とその姿を眺めた。
なぜ、逃げたのか。何を目的としていたのか。脳裏に思考が駆け巡る。
追いかけんとペダルを踏み込もうとし──銃声が、その足を止めた。
それはカークライト劇場跡。拳銃を掲げたグラントが、重騎士の脚が埋まっていた坑に向けて叫ぶ。
「逃げようと思うなよ、貴様らぁ!」
操縦席の画面は時おり霞んだようにぼやけるが、それでもその光景をしっかりと捉えた。
警官の囲む坑から、怯えたように誰かの煤だらけの顔が覗く。
彼らが恨めしそうに見つめるのは、いまだ行われる大捕物。
煤埃まみれの男たちが四方八方に逃げ回るのを、警官らが群がるように追いたてる。
どうやら、重騎士の脚が埋めていた坑から逃げ出したものたちがいる様子。
騎士同士の戦闘のなか、外に出るとは。
衝撃を受けていたとはいえ、なんと目ざとく大胆なことか。
「よくもまあ、やるよな」
おもわず感嘆の息を吐いて、ロックは操縦席に身を倒した。
警察騎をぶつけられたときに壊したのか、時おり磨りガラスのように画面が霞む。
それでもきれいに細月が写りこむ。
「俺の分はもうちょい後かねぇ……」
脇に転がる男を見て、嘆息。それはまさしく”樽”を喜んでいたあの大男。ぴくりと、その眉が震えている。
「──ぐ、ぐうぅ……お、れは……」
「よう、起きたようで」
「んん?……あぁ、あんた、あの樽の!」
「やぁ、樽の」
「て、めぇかよ。おれの騎士を、とりしやがって」
「なぁに、あんたに樽を渡したろ、その礼にもらっただけだ」
「てめぇ!」
わめくその姿は、大柄な体を詰め込んだスーツには、あまり見合わぬもの。
がぁ、と迫るその口を塞いで、ロックは再び席に身を沈めた。
うめき声が脇から聞こえてくる。鋭い眼光に冷や汗たらり。あぁ、早くおさらばしたいもの。
逃げた男らも次々にとらえられ、周囲の騒ぎも収まってきているのだから、すぐだろうが。
騎士を起き上がらせようとして─眉を潜めて、ため息をつく。
「そっちの操縦者─ああ、三番さん、動かせる? こっちじゃどっか引っ掛かったみたいでダメだった」
『ちょ、ちょっと待ってください。──これでどうです』
悲鳴のような音を立てながら、”三”の腕が動く。
ひどく酔ったあとのようなぎこちなさで《たてがみの騎士》を起き上がらせると、今度は”二”の手をとった。
鈍くも”二”が立ち上がるが、すぐに膝をついてしまう。
次いで”三”は自力で起き上がるが、明らかに動きが精細を欠いている。
どちらも操縦席のガラスは粉々に砕け、その中で操縦者も居心地悪そうに体を押さえている。
二人で違うのは当たりどころだろうか。
「大丈夫か」
『ええ、まぁ、これくらいは……とにかく、仕事です。まだみんな頑張ってるんだ』
「気概でできるもんかい」
なんと健気なことだろうか。ロックも思わず感心した。
その足元に、グラントが近寄ってくる。見上げて、叫ぶ。
「おぅい、貴様ら! 容疑者の拘束はひとまず完了した。待機していろ」
『や、良いのかい?』
くいと騎士の親指を向けるのは”偽物”の逃げ去ったほう。
「わかってるだろうに」と、霞む視界でも明らかなほどにはグラントが大きく肩を竦めている。
「その状況でやろうというのならな」
ため息混じりのあきれた言葉に、今度は《たてがみの騎士》が肩をすくめた。
その際に響く軋みの音と来たら、操縦席の中が震えるほど。ここまで痛めては、走れようはずもない。
なら、直接走る──
「──わけにもいかねぇか……」
もう、あの”騎士”の姿は無い。闇の中、まばらにガス灯が見えるだけ。
不満げな面持ちで、浮かせた腰をそっと下ろした。
「どうせ大きな作業は日が昇ってからだ──お前たちは一度休め。”一番”はもうそうしてる。毛布もたっぷり貸してやるぞ!」
グラントのお言葉に三人は見合わせて、揃って苦笑する。
答えは、二つ。
●
エリック・セイムズ探偵事務所の扉が開かれたのは、日が十分に高く昇ってからのことであった。
ふらふらと入ってきたロックは、資料室から顔をだしたユリエルにも目をくれず、そのままソファに倒れこむ。
「あら、帰っていたの」
「あー……まぁ、色々あってねぇ」
珍しく精彩を欠く口調から察するように、ユリエルは眉を潜める。
だが、ロックの姿を一目見るなり目を剥いた。
「ちょっと、コートくらいは脱ぎなさいって。というか塵だらけじゃない。誰が掃除してると!?」
「俺とお前で3対7……」
「そういうことじゃないでしょ、もう!」
抱えたいくらかの瓶を机に置くと、コートを掴み上げる。ロックは身を起こして、されるがまま。
くたくたの身としては、文句のひとつも言いようもないのが本音のところであった
けれども、そんなこともどうでも良いのも、また本音。
「まったく、色々大変だったんでしょうけど、もうちょっと身の整理くらいはしなさいね」
「いやはや、申し訳ないねぇ……」
「それじゃあちゃっちゃと埃を払う! ついでに着替えなさいよ!」
掲げたコートの汚れを見て、鼻を鳴らす。煤と埃と土まみれ。
どこかで冒険でもしたような”勲章”だらけ。
「まったく。ずいぶん楽しそうだったみたいですね、もう!」
その憤りを聞き流しながら、いくつも置かれた瓶をロックは眺めていた。
透き通ったガラス瓶の中には、ぎっしりとつまったいくらかの豆と茶葉。
「それは?」
「これ? 朝に問屋さんから配達が来たときに、ついでにもらったんだって。お礼だそうよ?」
報酬はちゃんとくれてるから、と渡された包みをしっかり懐にしまってから、ロックは瓶を眺めた。
何やら見繕ってくれたらしく、上物に見える。書かれた産地も、噂に聞く高級品が多い。
「それでさ、これだけ良いやつなのか、わからないのがあるのよね。大家さんったら困り顔でね」
そう言って渡された瓶を見て、ロックはおもわず瞬き一つ。
詰め込まれた豆は乾いた、きれいな緑の色をしていた。
「乾燥させたコーヒー豆よね。これを煎って、焙煎させるのでしょう?」
「そうなんだが……これをくれたのか?」
「そうだけど、そんなに良いもの? 手間だから大家さんも困ったのかしら」
どうしよう、と頬に手を添えるユリエルを見て、ロックは口許を緩めた。
「良いや。だがそんな顔にもなるはずだ。スリランカ産のコーヒー豆ときた」
「そんなに良いもの?」
「まあもう”それ”くらいしか残ってないだろうしな」
「──え?」
「最後の一瓶……かもしれない」
「──ええ?」
神妙なその物言いに、不意打ちでも食らったようにユリエルが固まった
「はは、まさか、そんな冗談……」
「スリランカのコーヒー農園はな、病害で全滅した。文字通り。一つ残らずな」
「えぇ……」
「使えるかどうかもわからんが、好きにして良いんじゃないか。焙煎して飲んでもいいんだし」
「……生えますかね」
「乾燥させてるだけだが……お前なぁ」
唐突な思い付きには、ロックも呆れを隠せない。
「ま、そこらは後で良いでしょう。そんなにクタクタで、ご飯はちゃんと食べたんですか? 持ってきましょうか?」
「いや、ひとまず寝るからさ……」
そう言って力なくソファに身を横たえるのを、しょうがないとユリエルは苦笑する。
「もう、それならたっぷりしっかり寝ててください。睡眠は万事を助けます」
良いこと言った、とばかりに満足げに頷く。
その言葉は実感に溢れていた。
「ほぉら、掛布ですよー」
「おぉ、ありがとう……いやあ、いつものソファがありがたくて仕方ない……」
「そんなに大変だったんですか──いや、言わなくても良いわ」
珍しいロックの疲労ぶりからして、あからさま。ユリエルは嘆息する。
「どうせ夜通し手伝って、振り回され振り回しでしょう」
「まあな。美術品が一杯見つかって、警察は大わらわだよ。もちろん『ビルストイの騎士』もしっかり確保した」
「あぁ、それは良かった」
そっと薄い胸を撫で下ろす。
『ビルストイの騎士』を知り、見てしまった身としては、気がかりになっていた。
「それに重騎士が二騎も出張ってきたけど一つ乗っ取って、戦ってさぁ──」
「まぁ。ノックスもないのに無茶してますね。いったいどうやったのか、甚だ疑問に感じます」
そう言った次の瞬間には、ぐいとユリエルは笑みを浮かべてロックに迫った。
うつらうつらと、彼は船を漕いでいる。鼻息がこそばゆい。
「それでどんな”騎士”だったのか教えてくださいよ、乗っ取ったのと戦ったの! それくらい良いでしょう? ねぇ!」
「……おまえさんは結局ぶれないねぇ。それが良いんだが」
「はい?」
何を言っているのだろうかと、ユリエルは首を捻る。
大きなあくびに涙をにじませて、ロックはポツリと呟いた。
「『マスクマン』の偽物とやりあってさ──」
「──はぁ!?」
その反応は見事なもの。大口を開け呆然とした一瞬のうちに、ロックはもう夢の中。
「え、『マスクマン』? 偽物? どういうことよ。ねぇ、ちょっと、寝るなぁぁっ!?」
天も地も貫く叫びが、事務所に響く。
そんなことなど露知らず、ロックの寝息は非常に心地良いものであった。




