5.港湾捜査最前線
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マンチェスター運河。
広大な港湾には多くの貨物が雑騎士によって積み上げられ、その足元をまた荷を担ぐ作業員が行き交う、有数の港である。
その港に、貨物船がまた一隻入ってきた。
波間を切り、もうもうと大きな動輪を動かしてゆっくりと岸壁に寄っていくのは、蒸気貨物船。
繊細な動きの船を、岸の方で構えていた雑騎士が広げた指で受け止めた。
肘がたわみ、膝が軋みをあげて、船が制止される。
動きの止まった船からロープが次々に下ろされ係留されて、接岸が完了された。
あと繋がれたタラップから作業員に荷を持っていってもらったり、雑騎士に大型コンテナをまるごと運んでもらうだけ。
さぁ、タラップを下ろせ。作業員が列をなして待っている。
掛け声合わせて意気揚々とタラップを下ろそうとした船員たちが、戸惑った。
作業員は、たしかにいる。だが退屈そうに遠巻きに眺めているだけ。
代わりに列をなしているのは紺色の服の──……
「なんで警官が……?」
船員たちに、答えを持っているものはいなかった。
●
いくつものコンテナや木箱が集う港の半ば、ぽっかりと空いた空間がある。
”緩衝地帯”と冗談めかして言われる広場に、小さなテントが三つほど作られていた。
そこに出入りするのは、紺の制服姿の警官たち。
この場所こそが、此度の一斉摘発作戦、臨時指揮所。
船が来る度に調査を行い、怪しい箇所があれば引き留め追求する。
そのために人が集められる場所が、このテントのひとつであった。
そのなかには多くの男性がいる。不満げに苛立つもの、肩身狭く縮こまっているもの。その様相は様々だ。
確実なのは、険悪な気配が満ちているということ。
警官らと、男たちの言い合いいざこざはうんざりするほどに起きていた。
そして今も、また一つ。
「警部さん、私はいつになったら解放されるんです。私のには調べ終わったんでしょう」
「お子さんの調査がすんでからです」
「まだ捕まってないんですか?」
「大方逃げ回っとるんでしょう。なにかあると疑いたくなりますな」
「追いかけてるからじゃないですか?」
言い合うのは、淡い灰のスーツ姿の男とトレンチコートの男。
「大体、さっさとお子さんを帰さなければよかったのです。それも小さけれど荷を持ってると言うのに」
「そちらが逃したのがいけないのでしょう」
そうだそうだと周囲の男も囃し立てる。
グラントが厳しい視線を飛ばせばすぐに収まるが、不満はそれで収まるのでもない。
周囲で耳にする作業員もそれは同じ。警官らを取り巻く視線も巻き込んで確実に悪いものになっていく。
それでも、捜査を進めなければならない。
グラントもまた困り果てて、岩のような顔をいっそう険しくさせていく。
そこにロックが顔を見せたのは、苛立たしげに腕を震わせたその時であった。
興味深げに周囲を探るユリエルを背後に、まっすぐ向かいグラントのもとへ向かい、笑みを浮かべて言った。
「なにをしているんだ、おっさんよ」
「警部だ!──なんだ、探偵か。なにをしている」
「何って、その人のこと、ヴィギン・モンドさんを見に来たんだ」
そう言って、淡い灰スーツの男を示した。
心当たりもなくて、男は眼を丸くする。
「私、ですか?」
「この男がどうか、したのか」
「ちょいといいかい。こいつが来たんでね」
ロックが指し示したのは、グラントに向け敬礼する警官一人。
「警部。ホプキンズ少年について、報告させていただきます!」
「──臭いな」
ポツリと、グラントのつぶやいた言葉に、警官は眉をひくつかせ冷や汗一つ。
誰でもわかるほど、やけにコーヒーの臭いを漂わせていた。
●
「誠に、申し訳ございませんでしたぁッ!」
港に、悲痛な謝罪が響く。
深く、深く頭を下げる。膝までつけて、頭を地面にすり付けそうなほどの、深い礼。
グラント警部。一世一代の謝罪であった。
「あ、あぁ。いえ、《小鳥の宿り木》さまの方、でしたか。まあ息子も無事でしたことですし……?」
茶豆問屋の息子たるヴィギンとしても、困惑しきりである。
先ほどまで尋問されていたとはいえ、彼がなだめても、グラントは頭をあげようとはしない。
「まさか、まさかあの人の店の仕入れ先様であったとは! その仕事に支障を来していたのか、俺は!?」
「安心しろ、もう問屋の店主さまが届けてくれたよ」
「なに!?」
ロックのそっと告げた言葉に飛び上がるように驚き、そっくり返ったように目を剥き、泡を吹く。
慌てふためくその姿に、それまでの厳格な様はどこにもない。
それどころかロックの言葉に、救済の光を得たように純粋な眼差しを向けている。
その変わりように男も戸惑うしかなかったが、ロックの言葉に、思い当たるものがあった。
「ああ、父さんがやってくれましたか。足が悪いってのに無茶をする」
「どうも親切なおまわりさんが手伝ってくれてね」
そう言って目を向けたのは、コーヒーの香りを漂わせる警官だ。
彼もまたしきりに頭を下げ縮こまっているが、思い当たる節もなく、ヴィギンは首を捻った。
「そ、そうか……そうか。はは……うちの警察はちゃんとしているだろう」
グラントは天を仰いで、一呼吸。
どたばたと慌てて警官たちに仕度を整えられながらロックに尋ねる。
「……えっと、なんです、この人?」
「あなたのお得意様のお得意様」
「なるほど、じゃあうちの客だ」
けれどもロックの言葉に、その表情も一気に晴れた。
しきりに頭を下げるグラントに、そっと声を掛ける。
「警部さん、ぜひにうちにいらしてください。良い豆とお茶、紹介しますから」
「そ、そんな! わたしはあなたにひどいことを……!」
まだ、顔をあげない。その声は、もはやひどい鼻声だ。
「しっかり仕事をなっただけです。それで拒んでも我らが店の沽券に障ります。お越しの際には喜んで迎えましょうとも」
「おぉ……そんな、そんなことを」
「面をあげてください。町が誇れる警部なんですから。そんなあなたがこうも思ってくれるとは、光栄です」
「そう言って頂けるとは……あぁ、お前」
「なんです?」
ようやくあげられた顔はそれはもうぐちゃぐちゃで、ひどいもの。
そんな彼に警官が一人呼び止められた。
振り向き敬礼をしたのは、いまだコーヒーの臭いをまとわりつかせている警官だ。
「この方を、手伝ってやってくれ。一刻も早くご帰宅させるのだ!」
「はっ!」
「わたしにはまだ職務がありますので、これくらいしかできませんが」
「ありがたく、借り受けさせていただきます」
恥じ入り苦念を隠せない警部にそう告げて、ヴィギンは小屋を離れていった。
その時の笑顔に、グラントもそっと胸を撫で下ろす。
「あぁ、よかった。よかった」
「お疲れさまです」
はい、とユリエルに手渡された手拭いを受け取って、目尻をぬぐう。
「警部さんは、それでいいんですか……?」
「いい、とは」
「なんと言うか、謝るのは意外でしたから。もっと……こう、警察のかたって傲慢なものなのかと」
「迷惑をかけたからには、しっかり謝罪し報いる。それが大切なことです。まあ、個人の裁量ですがな」
目頭を赤くしながらも、巌のような顔立ちに不思議と似合う、晴れやかな笑顔であった。
●
「密輸品捜査、ねぇ。こんなに大勢つれてきて、よくもやる」
ロックが周囲を見る視線は呆れいつになくあきれが混じっているようにも見える。
それも無理もないように、ユリエルには見えた。なにせ港の至るところに警官の姿がある。
右を見れば警官がいて、左を見れば警官がいる。入り口からすでに二十は越えたか。
どこかにでも押し入ろうかという大勢。以前の川沿いの偽工場に乗り込んだ時も、同じようなものだった。
「密輸品捜査だからってこの大勢とは、よくやるよ」
「今回は量が必須だからな。しかし、知っていたのか貴様」
「その親切なおまわりからね」
「あぁ、そういうことか。何をやっとるんだかな、あいつは」
しょうがない、とぼやきながら、頭を抱える。
だというのに少々誇らしげに口許がほころんでいるのがユリエルの目に止まった。
「なら事の次第はわかっているな?」
「近頃押収した美術品、その密輸入の玄関がここらしい。だからここで網を張った」
「その通り! ここならばきゃっらとて早々に持ち込めまい。隠しても見つけて見せるがな!」
「ならもっとしっかりやってくれよ、他の人たちもずいぶん不満たらたらだぞ」
ロックが苦言を呈する。
なにせ警官隊を動員して、荷という荷を出来る限り開けてなかを覗き込む大騒動。
この指揮所のテントに来るまでの作業員と受取人、そして警官らの険悪な気配はたまったものではない。
「そのような事を言われてもな。問題無ければ終わり次第帰している」
「他にも三人ほどいたんだが……?」
「ありゃ別口だ。ちょうど良い機会から捕まえた」
「そうかい」
「それでお前さん、なにか用か」
「おぉ、わかる?」
「お前さん、うだうだとうろついたりはせんだろ」
違うのか、と固い顔で眉だけあげる
「まあ、そうなんだが──」
ロックが一息つく。
グラントがぐっと顔を寄せて食いつくのを見計らい、言った。
「──『ビルストイの騎士』があったぞ」
「ほうビルストイ──ビルストイ?」
その口から出てきた言葉に、思わず瞠目する。
「えっと四、五十年前にさる高名な彫刻家の作った彫像……でしたっけ。去年に盗まれてしまったとかいう……」
先の美術商の話を思い出せば、二人は意外なように目を見開いていた。
「知っていたのかね、お嬢さん」
「えっと、以前調べたことがありまして……」
──”うん、さっき調べた。”間違ってはいない。
そっと目をそらしてしまったが、二人がむしろ感激しきりに涙ぐむことに、逆に驚かされた。
「そうか、そうか。ユリエルがほんとに騎士以外とにも目を向けているんだなぁ……ほんと嬉しいよ」
「ちょっと、ひどくないですかねその扱いは。警部もなんで頷いているんです!」
「いやぁ、お嬢さんほんとに騎士ばかりだったからなあ……」
頷き合う二人をムッとユリエルがにらめば、そのひとしおの思いもさっと収まった様子。
居心地悪いかのように、グラントは咳を一つして、居直った。
「で、結局その『ビルストイ』はどこで見たんだ」
「それがな、あったんだよ。どうも件の少年が持っていったらしい樽の中に」
「──なんだと? じゃあ結局あいつは」
「待て、そういうわけじゃない。ほら、この樽。あの子が持ってきていたらしいものなんだが──」
目が光ったように見えたのは、気のせいではない。そうユリエルは思った。
感情を煮えたぎらせるグラントを前にしながらもロックは一歩も引かず、泰然とした様相を崩さない。
「……言ってみろ」
ポツリと、一つ。
数瞬でひとまずの落ち着きを取り戻したグラントの苛立った視線にも臆さず、ロックは語った。
劇場に潜り込んでからのこと、そして、そこで見たものを。
しかし警部の視線は険しく、なおのこと怒りに満ちている。信じられない、とでも言った様子。
それも仕方ない。ユリエルが聞いた時も、信じられなかったのだから。
けれども、埃まみれで涙をにじませていたあのホプキンズ少年が、証拠の一助となったのだから。
だが、ここに少年はいない。すでにあの茶豆問屋で店主とともに笑っているだろう。
そこに向けて、父たるヴィギンもすでに発った。
なら、警部にが効くのは──。
「ある劇場の倉庫に『ビルストイの騎士』が置かれている。そしてそこにはな、それが目じゃない代物が山ほどあったんだ──」
血の色のような激情は、いつの間にやらその目から消えていた。
ただただ、剣呑にその目を光らせるだけ。獲物を潜み睨むような、猟犬のするどい眼差しがあった。




