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貧乏探偵 ロボを駆る─テン・コマンド・ノックス!─   作者: 我武者羅
5.中国人を登場させてはならない
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6.快晴の空の下

6/6


 野次馬も、警官らも、倒れた『幅広帽』を固唾をのんで見ていた。

 己の”手”に潰されひしゃげた頭部が、その衝撃を語っている。


「ぐ、ぐうぅ……」


 呻きながらも操縦席から這い出てきジェイムソンは、先ほどまでの威勢も嘘のようにおとなしかった。


 警官が遠巻きに取り囲んでいることも、一因。

 頼みの綱の重騎士(ゴルフォナイト)も、やられてしまった。

 鐘塔の上にいるはずの彼女のすがたも、視界が滲んで見ることは叶わない。

 呆然と見上げていると、そっとハンカチが差し出された。


「──ほら、あなたに涙は似合いません」

「なに、を──……」


 ジェイムソンの言葉が止まる。今の声を、聞き間違えようがない。

 何度となく聞いた。いつまでも聞きたかった、あの声。


「リンファ、さん……」

「はい、リンファですよ」


 彼女はそう言いながらジェイムソンの顔に手を添えて、涙を拭う。

 拭かれて、気づく。涙を吸っているのは、見覚えのある褐色の布。


「それは……」

「あら、落とし物でごめんなさいね。これくらいしかなかったのよ。汚かったかったかしら」

「ああっ、いえ、そんな、そんなこと……」


 やっと、会えた。話せた。憧れの、想う人が目の前にいる。

 だというのに、言葉がでない。


「あ、あの……その……」

「私のこと?」

「──はい」


 大きく、深呼吸。


「リンファさん。あなたに惚れました。私と、お付き合いをしていただけないでしょうか」


 ようやく言えた、この言葉。

 緊張は、不思議と無かった。吐き出せたからか、それとも──


「ごめんなさい」


 その言葉を聞いても、心は穏やかだった。

 そっと下げられた頭で、黒髪が揺れる。埃にまみれて艶が隠れた髪に目が奪われる。

 ──それでも、ただそれだけ。


「気持ちは嬉しいけれど……その、ね」

「やっぱり、こんなことして──」

「確かにそれはあるわね。あんなに、いっぱいの人に迷惑をかけるんだもの」


 ぐうの音も出ず、視線を落とす。

 傷だらけの鉄板が、倒れ伏した重騎士が映って、心がざわめいた。


「でも、それだけじゃない。私には、心に想う人がいる。それに、ケリをつけなくちゃいけないから……」

「あぁ……」


 彼女が見上げた先には()がいる。その眩しい眼差しに、納得がいく。

 やはり、彼の相手は強大であった。

 己は負けたのだ。いくつもズルをして、無茶苦茶をやって。それでもなお負けたのだ。

 こんなことで「踏み出した」のだと、意気がっていた己を恥じる。


「そう……ですか。こんな僕の、ざれ言を聞いてくれて、ありがとうございます」

「戯れ言ではないわ」

「──え」


 かけられた声に、思わず顔を上げた。

 そっと頬に手が添えられる。細い指は滑らかで、暖かった。


「あなたが勇気を持って想いを伝えてくれたことは確か。それは嬉しいもの」

「リンファ、さん」

「ずっと、苦しそうだったもの。言えて良かったわ」


 その笑みに、涙をこらえられない。せっかく拭ってもらったというのに。

 それでも、彼女の笑顔が眩しいことははっきりと見える。


「──ありがとう、ございます。僕は、ずっとあなたを応援しています」

「ありがとう──頑張るわ」


 その一言が無性に嬉しくて、何度も頷いた。

 声は、出なかった。




 

 警官に囲まれてジェイムソンが連れられていく。

 抵抗もせず警官に付き従う、大人しい姿だった。

 だけれども『幅広帽』から這い出てきたときよりはだいぶスッキリとしているように、ユリエルには見えた。


「用は、お済みになられましたかな」

「ええ、ありがとうございます。警部さん」


 『幅広帽』から降りるリンファにグラントが手を貸した。

 身のこなしが軽いのだが、それを踏まえてもグラントの体は揺るがずに彼女の体を支えて見せる。

 礼を言われる警部をその後ろで控えるゴンツォが恨めしげに見ているのが、印象的であった。


「すみませんね、お話したいなんてわがままを言っちゃって」

「まあ関係者ですからな。周囲からも強い要望がありましたし、仕方がありません」


 ゴンツォにとどまらず周囲の警官が一様に頷いたのは気のせいだろうか。


「奴も、ずいぶんな男です。窃盗の上、あなたを連れ去ってからこんなところで大暴れだ」

「どうなりますか?」

「死にはしないでしょうが……ちょっとばかしかかりますかな」


 そうですか、リンファは複雑そうな面持ち。

 けれどもユリエルとしては、グラントの言葉に気になるところがあった。


「窃盗……何か取ってたんですか?」

「ああ、()()だよ」


 爪先でグラントがこづいたのは『幅広帽』。


「えぇ……? この子、盗まれたものだったんですか」

「あぁ。何がそんなに意外なんだ?」

「だってあんなに見事な使いぶりだったじゃないですか!」


 すごかったなぁ、と恍惚とした様子のリンファに辟易としながらも、グラントは言う。


「クライムス邸の現場に顔を出したんだってな」

「ええ。……あ」

「あいつは重騎士を持っていた。郊外の貸出駐騎場の名簿にも載っていた─トースタン・トーリンとしてだがな」


 呆れたように言ったのは、爛れた生活を思い出してか。


 三日前─クライムス氏の事件の後にトーリン家を名乗る者が重騎士の状態確認に来ていたらしい。

 それから何度か使用の痕跡があったが、この『幅広帽』─その名は《ウェルズ》─の使用者を知らず、ガルボンの事件を知ってもそれがトーリンとは知らずにいたために発覚が遅れたのだという。


「トーリン夫人に夫の正体を告げ口したやつかと思ったがそいつも違うようだがな」


 だが、重騎士をガルボンが持っていたという話が記者から提供されて捜査が進展。

 トーリン夫人の騒動の最中に、重騎士の鍵を盗み出した男がいることを突き止めたのだという。


「まぁ、これをやってくれたのは部下なんだがな! よくやった、おれも鼻が高いぞゴンツォ!」

「いえ、情報提供があったお陰です。それに、被害も出してしまいましたし……」

「そこは、気にしても終わらない。雑騎士の準備ができただけで良しだ。だが提供があったのもお前あってのことだ、もっと誇れ!」


 複雑そうな面持ちのゴンツォも胸を張って見せるが、どうにも虚勢は感じてしまう。

 グラントも、その姿には苦笑する。


「そこは慣れろよ」

「はい!」

「そこまで捜査できちゃうなんて、本当にすごいのね、あなた」

「はいッっ!」

「町のために、頑張ってください、ね?」

「──はいっっ!」


 リンファの微笑みを称えたお願いに、一番威勢の良い声を張り上げた。

 敬意ともつかぬ、だが明らかに目上のものを見る眼差しに、グラントは呆れる。


「あいつ、メロメロになりおってぇ……」

「警部がそれを言いますか?」 

「私はそこらの芸能人にうつつをぬかしてる訳ではないからな!」

「同じでしょうに」


 その言葉には意も貸さずに、グラントは足早に去っていく。


「調書を取らねばならんのでな、失礼しよう!」


 ゴンツォもそれに従って、ユリエルのそばを通り際に、ぼそりと呟いた。


「探偵に、礼をお伝えください。本当は彼の手柄ですから」

「ちゃんとお伝えしますよ」

「それは良かった」


 ユリエルがそっと微笑めば、彼も安堵したように笑みをこぼす。


「やっぱり、そのほうが似合いますよ」

「ありがとうございます──では、失礼します。リンファ様」

「かしこまるのは止めてっての」

「いえ、あなたは私の──」

「ゴンツォ! お前も手伝わんかぁ!」


 彼を呼ぶ声に気づいたゴンツォは敬礼を送ってから、慌てたようにグラントの後を追った。


 見れば、野次馬の中で護送の馬車が立ち往生していた。

 警官が必死に道を開けようとしているが、声や物が周囲から投げかけられて、もみくちゃにされている。

 グラントとゴンツォもその中に果敢に飛び込んだが、すぐに見えなくなった。

 聞こえてくる声の中、犯人への罵声は少し。彼の告白をはやし立てる声援と慰めが多いのが、意外であった。


「意外と忙しない人ねぇ」

「ええ、ほんとに──でも、私はこれからよ」

「え?」


 その光景を笑って見ていたリンファが、見上げた。


「ねぇ、よろしいかしら『マスクマン』」


 その先にいるのは『マスクマン』。

 ジェムズのことも、彼らの行く手もじっと見つめていたが、ここで彼女の言葉を聞いた。


「彼からも事は聞いてしまっていたでしょう。でも、だからこそ、私の話を聞いてもらえないかしら」


 リンファの声を聞くかのようにマスクマンがひざまつくと、胸部が開く。

 そこから、人が姿をみせた。


「──え」


 その姿に、ユリエルは思わず声を漏らす。

 パリッとしたタキシード。風にあおられて、背のマントが翻る。

 シルクハットをあげて見えた顔は、舞踏会にでも使うような羽のマスクに覆われていた。

 どこぞの劇場からでも飛び出してきたようなその姿に、唖然とするしかなかった。


「あなたは──」

「それこそ、マスクマンとでも。──なにか、ご用ですかな」

「……ククゥ……!」


 『マスクマン』の芝居がかったような大層な手振りに、ユリエルは笑いを必死に押さえ込んだ。

 余計なこと、とばかりににらむ視線を感じて、必死に唇を固く結んだ。

 だが、リンファはそんな姿も全く気づかない。

 ただ胸の前で握った手を震わせて、ぼうっと彼のすがたを見ていた。

”マスクマン”に面を向かった不安に握りしめた手も、震える。

 それでも毅然と向かい、解き放つ。


「私は、あなたに恋をしています。この身を焦がすような想い、受け止めてくださいませんか」


 まるで芝居がかったような手振りと共に、はっきりとした言葉が送られた。

 手を彼に差し出して、じっと見つめる。


 その時間は、どれ程だったのだろうか。傍観者のユリエルにもわからないのだ。

 あの二人にとって、どうなのやら。


 そしていか程か経ってから『マスクマン』が静かに言った。


「ありがとう──だが私も答えられない」


 その言葉に彼女の体揺らぐ。それでも、どうにか立っていた。


「私は『マスクマン』だ。危険なことに巻き込む訳にはいかない」

「お慕いしております。これまでも、これからも──」

「だからこそ、だよ。君のような人のことは私の心にも刻まれる。だからそばには置けない」

「『マスクマン』さま──」

「願っていてくれ、町の平和を」


 さっと手を振ると、マスクマンは重騎士へと入っていく。

 ゆっくりと動き出した『マスクマン』は周囲の声援に送られながら、広場を出ていく。

 歩弓はやがて走りとなっていく。

 やがてその身が光に包まれると、光の泡となって虚空に消えた。





 リンファはただ、『マスクマン』が去ったほうを呆然と見つめていた。

 もう『マスクマン』の姿はない。ただ、夕日に染まった空があるだけ。

 周囲で整理をしていた警官たちも、野次馬も、誰も彼女へ声を掛けなかった。


 触れれば、彼女がいる”その世界”を壊してしまいそうだった。

 やがて彼女が静かに口を開くまで、ユリエルはずっと待っていた。

 それくらいには待っているのが、ありがたかった。


「行っちゃったわねぇ……」

「ええ、そうですね──ねぇ、どうでした?」

「どうってなぁに? ユリエルちゃん」

「告白、して」


 そうねぇ、と指を口に当てて考えて、


「まぁ、断られちゃったのは残念よ。募った思いも水に流されて。でも不安も一緒に流されてくれた」

「不安……ですか?」

「相手が相手だからね。会えるかな、言えるかなってどこかで考えちゃうものよ。……まだわからないかしら」

「──いや、そんな、ことは……?」


 眉を潜めてぐるりと首を捻るのを、リンファはけらけらと笑う。

 思わず睨んでもからかうように笑うばかりだから、つい石畳を蹴った。


「まあそこら辺は、そのうちにわかるわよ。……それよりも問題があってねぇ──」


 はぁ、と地の底からわき出たような大きなため息と共に暗い声を出すものだから、その顔を覗き込む。


「なにかありました」

「いやねぇ、明日から同じ公演できるかわからないのよ」

「────は?」

「いや、ほら……今やってる舞踏って『恋い焦がれる女の子の命も厭わぬ冒険』って話じゃない」


 そうだと、ユリエルも頷く。

 あの物語の燃え上がる想いには、ユリエルも心打たれたもの。


「あれよかったんですよ。また観たいです!」

「あら、ありがとう。でもねぇ……演じてて心の中に燻っていた”あの娘の恋心”もさっきのできれいさっぱり消えちゃってね、またできるかどうか分かんない……」

「えぇっ!?」

「私はあの娘をどうやっていたかしら!?」

「知りませんよぉ!」


 つかみ合いになりそうな言い争いも、平行線のまま決着はつかない。

 なにせ解決法を教えてと来たものだ。”恋”なんてユリエルにはよくわからない。

 そう力説しても、リンファはしつこくねだってくる。

 ──鼻で笑っていたのはあなただろうに!


「分かりませんって!」

「教えてぇーっ!」

「むしろ私に教えてくださいよぉ!」


 揺らされてすがられても、ユリエルはただ悲鳴をあげることしかできない。

 ひょっこりと顔を出したロックも困惑したように頭を掻くばかりだ。


「──どういう状況だ、これは」

「『恋を教えて』って!」

「なんだってそんなことに」

「──あら居たの、探偵さん」

「民衆のほうで色々やっててな」

「へぇ──……」


 ロックに気づいたリンファが、ふいに黙った。

 ぶつぶつと何やら呟いて考える姿に、ユリエルの脳裏では嫌な予感に毛羽立つよう。

 その感覚はちょうど《ノックス》の警報音のようなしつこさで──


「探偵さん!」

「なんでしょうか──」

「恋人になってぇっ!」

「──は?」

「この人はァッ!」


 ユリエルは激昂した。






「全く、なんだってあんなこと言うんですかあの人は!」

「まあ、落ち着け」


 事務所にユリエルの声が響く。

 アルバート広場からもずっと憤慨していたユリエルだったが、一晩寝てもずっとその気持ちは収まらない。 苦笑しながらもロックが放った新聞を手にとる。

 だが『広場の決闘』なんて記事を目にしては苛立ちのあまりに破ってしまいそうで、テーブルに叩きつけた。


「まったくもうあの女ァ……ッ!」

「口汚いぞ」


 テーブルに開いておいたまま無理にでも読み進めていく。

 ロックも嬉しそうにその記事を目にしては、笑みをこぼしていた。


「彼女はマスクマンには出会えたし、告白も出来たんだ。依頼も万事解決。報酬もがっぽりだ!」

「よかったですねぇ、『マスクマン』さん?」

「妬いちゃうよね、彼には。あんな人に告白されて」

「──ふん!」


 ユリエルが振るったクッションを、ロックは間一髪避けた。

 彼が手にしていたハーブティーはこぼれた様子はない。

 差し出されるがまま口にすればちょうどいい温度で、するり芯まで染み入っては体を暖める。


「あくまで認めないつもりですか。あの仮面とマントのダッサイ格好」

「ダサくはないだろう。良い雰囲気じゃないかマスクマン。誰なんだろうなぁ」

「ええ、あのときなら格好良かったでしょうね」

「だろう!」


 わかってくれたか、とばかりに目を輝かせるロックに、静かに告げた。


「──演出ってすごいですよね。リンファさんと話しててよく理解できました」

「あっ……そう」


 明らかに意気消沈した様子。

 そんなに似合わないのかと愚痴る姿は、もはや本人と認めているのではないだろうか。


「まったく、しょうがないですね。もっと私が良い衣装を見繕いましょうか?」

「はは、()もそれを喜ぶんじゃないか?」

「──ええ、そうですね、そうですね!」


 彼の意思は堅い。ユリエルの口が、ひきつった。

 ずい、と彼の体に手を伸ばし、引っ張り立たせてその姿を見上げた。


「ちょうど良いですわ、合わせを手伝ってください。ロックの背格好はよく似ていますしぴったりですね!」

「ほう、そんな奴がいるとは面白いな。どんなもんあのか楽しみよ」

「この人は……!」


 憤慨しながらも二人は連れたって外へと踏み出した。

 ──そして、その歩みは階下への石段に行き着く前に、止まった。


「……ロック、これ、外に出た時に気づかなかったんですか?」

「いや、なかったぞ、こんな()()()……」

 

 手すりから身を乗り出して見下ろす地上には、行列が長く、長く伸びている。

 その頭は、階下の喫茶《小鳥の宿り木》。尾を見れば十件先まで人が並び、今もさらに継ぎ足されている。


「……何事です?」

「さぁ……?」

「──ありがとうございましたぁ!お次の方どうぞ!」


 聞き覚えのある低い声が入り口から聞こえた。見ればそこには、客を見送っているグラントの姿。

 いかつい顔を精一杯に曲げてにこやかにしている。


 ユリエルは思わず目を疑ったが、グラント警部で違いなかった。

 そばにまで降りたってじっくりみたのだから、間違いようがない。


「おぉ、ふたりともぉ!」

「どうして店員なんてやってんだ、おっさん」

「非番で朝一に来たはいいんだが、客が溢れてな。おかみさんが大変なようだから手伝っているんだ」

「……ところで昨日の事件はどうした?」

「部下にもたまには手柄と経験をやらんとな」


 訂正すらもしない彼の額には、汗がにじんでいる。


「それがなんで、こんなに汗水たらしてなぁ……」

「なんか紹介があったそうだぞ──あぁ、いらっしゃいませ、ご案内します!」


 そう言って新たなお客を連れて、慌ただしく店の中へと戻っていった。


「紹介……? 」

「すごいことになってるわね。いったいなんでやら」

「それは、後ろのやつに聞いてみよう」


 ──後ろ?

 振り返ってみれば、そばの路地から姿を覗かせるのはフードを目深に被った人の姿。

 身を縮ませているが長身と細い体躯、そしてフードからこぼれた白いはだの美しさは明らかである。

 それは、リンファだった。


「その……昨日はありがとうね、あと、ごめんなさい……」


 昨日までの威勢もどこへやら、ずいぶんとおとなしい、意気消沈したようす。

 なぜそうも身を隠しているのやら。

 注目を避けようとしているようだが、そのおどおどした様子が余計に目立つ。


「ごめんなさいって……なんのことです?」

「えっと、その……とりあえずこれ」


 差し出されたのは、大衆紙の中のページ。昨日の事件のことを報じるなか、リンファのことにも多く割かれている。

 その中に《小鳥の宿り木》の写真も小さく添えられていた。


「これでこの店に注目が集まった、と…」

「その、ごめんね……ついぽろっとこぼしちゃって……」


 同僚から店の話を聞かれて初めて、記事に店が載っていることをリンファは知ったという。

 贔屓ともしっかり書かれていたことが気になって覗きに来て、この行列を見たという。


「とまあ、こういうことでして……」

「そうまで落ち込むようなことでもないと思いますけど」

「いや、見てみろよ」


 ロックの示す窓から覗けば、店中を走り回って縦横無人に動き回るグラント警部やマスターの姿がある。


「サボり魔のマスターがああも動き回らなきゃいけない状況だぜ……?」

「うわあ……」

「せっかくの贔屓だってのにこれじゃあ勿体ないよなぁ」


 マスターもああも動けることも驚きだが、そうまでして店がようやくというのも確かなほどの繁盛。

 さらに外では継ぎ足されていく人たち。先も見えない光景を、ユリエルは見たことがない。

 リンファも青ざめていた。


「あぁ……ごめんなさい。こんなことになるなんて、待たせている人にも急な店員さんにも迷惑よね……」

「大丈夫ですよ、あの人たちはそのくらい承知でしょうから」


 落ち込む彼女をどうにか慰めるが、気は休まらない様子。

 それで状況が変わるものでもない。

 どうしようかとユリエルが首を捻っていると、ロックがポツリと言った。


「……手伝いましょう、か」

「あら。あんな大人数を相手にしたことないですよ?」

「おっさんをここに縛り付けるわけにもいかないだろ」

「まぁ、大家さんを見捨てることもできないわよねぇ……」

「わ、私も手伝うわ!」

「いや、余計に目立たないか?」

「変装すれば大丈夫!」

「本当かねぇ……」

「それも面白いんじゃない、ロック。給仕でも列の整理でも、どこでもいいかも」


 ため息と、焦燥と、微笑みと。

 三者三様の面持ちで、裏口に回った。

 行列はまだまだ伸びている。



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