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貧乏探偵 ロボを駆る─テン・コマンド・ノックス!─   作者: 我武者羅
5.中国人を登場させてはならない
30/63

4.届けよ、その声──

4/6

 町の中心近くのそのカフェは、大通りに面していることもあって常日頃から賑わっていた。

 手頃な価格での美味しい菓子までも人気であり、多くの人が贔屓にしている。

 多く客が来ることには店員もなれていたのだが、それでも今日のような集まり具合は、経験がなかった。

 

 店に面する通りに、多くの野次馬が集まっている。その多くが注目するのは、テーブルに座る一人の女性。

 店員や客の何人かは、彼女のことを知っていた。近頃広場で演舞を見せる踊り子だ。

 彼女を知らない人でも、彼女が"外"の人であることは一目でわかる。

 切れ長の瞳か、彫像のごとき肢体か、妖艶ともつかぬ不思議な甘い気配か。

 とにかく老いも若きも性も越えて、目を引き付けるのだ。


 彼女と席を共にする一人、ユリエルは彼女に集まる視線にただただ感嘆としていた。

 そしてその巻き添えを食らっていることに、居心地悪そうに身をよじる。

 平静なように見えるロックも顔がひきつっているようなので、同じ気持ちなのかと少しの安堵を得た。

 リンファに注目が集まっているのだが、その次は必ずといって良いほど席を同じくする二人に目を向ける。

 どのように思われているのだろうか。興味本意の視線というものは中々に痛かった。


 そしてその多くを一身に受け止めていることにも物怖じせず、リンファは優雅にカップを傾けている。

 そよ風でも浴びているかのような堂々ぶりで東洋茶を含んだ彼女は、繊細な眉を吊り上げた。


 リンファかざっと一睨みすれば、野次馬はあっさりと散っていく。

 遠巻きにまばらな視線を感じるだけになって、リンファは一息をついた。


「よし、これでいいわね」

「こいつはまた……」

「気分良く眺めていたいとか、そんなことらしいけどね。こんな所までが見て何が面白いんだか」


 はぁ、とため息と共に茶をすすり、その眉を潜めた。


「どうにもいまいちねぇ、これ。あなたの下の所のが一番だったわ。店の名前何でしたっけ」

「《小鳥の宿り木》です」

「やっぱり場所、そこに変えないかしら?」

「あなたが用意したんですから構いませんが……公演に間に合います?」


 リンファはそっと目をそらした。


「……これからも贔屓にさせてもらうわ」

「オーナーに伝えておきましょうか」

「ありがたいけど……そちらは何か不満かしら?」

「いいえ、別に」


 ユリエルがむすっとした顔を隠さないことの、なにが不満でないというのだろうか。


「当たり強くないかしら?」

「この子もファンですから。心の準備もしきれてなくて、色々緊張してるんですよ」

「あら。ありがとうね」

「……どうも」


 乱暴な返事も、リンファは大して気にしてないように笑顔で答えた。


「あなたは大丈夫なの?」

「震えた仏頂面で依頼人とはまともに話せないでしょう」

「お世辞が上手ね」

「……──ところで、用事は何よ」


 ユリエルの言葉に、目をしばまたかせた。はてと首を傾げる。


「言ってなかったかしら。……いえ、そのね──」


 じっと、その菫色の瞳に、目を凝らした。何を言い出すか、身構えて。


「──『マスクマン』は見つかったかしら?」

「まだです」

「だめなのねぇ……!」


 悲痛な唸りと共に、机に突っ伏した。

 二人がさっとケーキの皿をとらなければ潰していただろうが、その事にも気づけたかどうか。


「一昨日昨日で見つかるならゴシップがとっくに見つけているでしょうよ」

「それでも……それでも待ちきれなかったのよぉー!」


 悲痛な叫びに、ユリエルはそっとそばにカップケーキの皿を戻してやった。

 涙をにじませながらフォークを口に運び、えづきながらも咀嚼する。

 喉煮詰まらせたように咳き込み、慌てて出された紅茶を飲み込んで、ようやく落ち着きを見せた。


「──ふぅ、取り乱してしまったわね」

「色々と大丈夫ですか?──ハイどうぞ」

「ハンカチありがとね──貴方のところの店を贔屓にするのは決定ね」

「食べた感想がそれなの?」


 ユリエルの怪訝な視線に、むしろ鼻高々になってリンファは言う。


「美味しい店を選んで食べる。それだけでしょ?」


 居丈高で自信に溢れるの振る舞いは威厳すら漂わせる。鼻声でないならなお良かったのだが。


「……それでね、依頼してから三日考えて思ったのよ」

「と、言うと?」

「確実に会う方法。……事故現場にでも関わればあるいは──」

「いや、それは止めなさいよ」

「──やっぱり……ダメ?」

「ダメです」


 口を出したユリエルに、小首を傾げるが、それでもきっぱりと断言する。


「そもそも動いてる機体にむやみに近づくことのほうがよっぽど危ないんですから、それも止めてくださいね」


 ──『マスクマン』のことをむやみに追いかけたりとか。

 告げられて、びくりとリンファは顔をひきつらせた。


「そ、それは言わないでぇ……!」

「そもそも『マスクマン』を追いかけて急に飛び出したり、馬車とかに引かれたらどうするんですか!」

「うぅ……ほんとにごめんなさい」


 先程までの優雅な様子もどこへやら、へこむ彼女の様子に、ユリエルは息を吐いた。

 ──本当に、ただ会いたいだけなんですね。

 だから周囲も見ずに、飛び出してしまう。

 気を張るのも、バカらしいように感じてしまう。

 ロックもまた眉間を揉んで、諭すように言った。


「そのためにも依頼をしたのでしょう。しっかり探しますから、腰を据えてお待ちください」

「ええ、そうね、そうよね!」

「こうしてみると、落ち着きがないですね」

「素の時はよく言われるわ」


 依頼の時は演技をしていたと言うのだろうか。


「素ですか」

「……私への理想を臆面もなく公言する人たちに、こんな姿は見せたくないでしょ……?」


 周囲をうかがって、こっそりといった言葉に二人も頷いた。


「でも全くもって探偵の言う通りよね。新聞でも見つからないもの、そう容易くはないわよ」


 そう言ってリンファがめくるのは、どこかから取り出した大衆紙。

 乱暴にめくる紙面には有名人の不祥事やらと、センセーショナルな見出しが踊る。


 ほら、とリンファが指したのは中程のページの端のコラム。それにはユリエルも、見覚えがあった。

 『マスクマン』を探す探訪記だ。


「ほら『マーティン&モーティンの『マスクマン』を探せ』」

「まだやってるんだな、このコラム。いまじゃただの遺構放浪記だろうに」

「もう三桁になってましたか……」

「彼らが探し続けても、手がかりは掴めていないんですから道は長いわ。それでも私は諦めないのよ!」


 闘志を燃やすリンファにユリエルは苦笑する。

 不意に紙面に目を落として、一つの見出しに視線が止まった。


「あら、この記事」

「ああそうよ、それよそれ。あの男のことは聞いたかしら?」

「トースタンのことですか?」


 「そう!」と力強く、リンファも応じる。


「いきなりで驚いたわ。なんだっていきなり死ぬのよ!!」

「ずいぶんと色々やってたみたいですからねぇ」

「新聞にも書いてあったわね」


 そう言ってリンファが取り出した大衆紙にも、てかでかと『クライムス事件』のことが書かれていた。

 現場で会ったたファンクラブの記者とは別の人らしい。事件の内容は彼とも同じだ。

 だがこちらは非常に鮮烈に、被害者男性の一面を卑劣というほどに書き立て煽っている。


「ひどいわよねぇ。偽名で二重生活? よくやってるわよ本当に」

「ずいぶんなことをしますよね」

「全くよね。ねぇ、あなたたちならどんな現場かわかったりするんじゃない?」

「全部に首突っ込んでいる訳じゃないですよ。……まあ今回は行きましたが」

「えっ! どうだったの!?」

「どうって……載ってませんか?」

「直接聞いてみたいのよ!」


 キラキラと目を輝かせるものだから、ユリエルは参った。

 事件現場をを知りたいだなんて物好きだと思う。だけれど同時に「ちょうど良い」とも考えた。

 ──細々と話せば、慣れるのに良いんじゃない?


「えぇ、まぁヒドイ現場でしたよ。ですよね、ロック?」

「荒れてない場所なんてどこにあったか」


 ユリエルが話す当時の状況をロックが補い、加えていく。その話をリンファは興味深げに頷きながらも聞いていく。

 情報のほとんどはロックが語るものであった。

 ほとんどの光景はうろ覚えであるから仕方ないのだが、自分の口が思っているよりもあっさりと現場のことを口にできていることには驚きを感じていた。


 ──言ってみるもんですね。

 もしかしたら、あっさりとトラウマも克服できるかもしれない。

 一人心のなかで頷いていると、リンファがふとしたように言った。


「ところでさ」


 そっと『クライムス邸』の記事をなぞり、


「これ読むと、トースタンの奥さんが襲ったって言うんでしょ」

「え、そうらしいのだけれど」

「じゃあ、どうやって知ったのかしらね」


 ユリエルは言葉をつまらせた。

 トースタンがガルボンであることを、その住処を。

 見たこともない彼女は、自分から気づいたのだろうか。それとも誰かから聞いたのだろうか?


「──それ、は……怪しいそぶりがあったからでしょうか?」

「そこら辺書いてないのよね。探偵さんはそんな調査も多いんでしょうけど、どうなのよ」

「今回はどうなんです、ロック。──ロック?」


 彼の方が詳しいからと思ったのだが、彼からの返事はない。

 彼の顔はリンファを向いたまま、眼だけが窓の外、道路の方に向いていた。

 いつの間にやら野次馬は去り、通行人が行き交うだけになっている。


「──まぁそういった調査が多いのは確かです。今回の夫人がご依頼担っていたかは、あいにくわかりませんが」


 そう言うと、不意にロックが立ち上がった。


「ちょっと失礼する」

「ちょ……ロック!?」


 早足で、彼は店から出ていった。車道も馬車の合間から慌ただしく駆けて、向こうの路地へと行くのが見えた。


「あら……もしかして聞いちゃいけなかったかしら」

「さぁ、何なんでしょうねもう」


 彼の席には、律儀にも効果が数枚おかれている。三人分払っても、少しばかり余ってしまう。


「でもなんだって彼を追いかけるのかしらね、探偵さんは」

「彼……?」

「あら見なかった? 軽装の若い男の子」

「いえ、私は。……知り合いですか?」

「私の……そう、追っかけかしら? 宿までつけてきたことあるくらいだけど」


 軽い言葉に、眉をつり上げてムッと言葉を返す。


「それは十分しつこいストーカーです」

「あらそう? 言い寄るどころか近寄ることもないのだけれど─」


 ──あの男よりマシでしょ。

 トースタンのことか。

 心底うんざりするように吐き出すものだから、ユリエルはほとほと困って頭を抱えた。


「ずいぶんと危ないことを……私からも今度文句を言ってやりましょうか。どんな人です」


 はてと首をかしげたリンファが言う特徴を聞いて、思わず立ち上がった。


「あら、わかるかしらね。ハンチングと金髪、軽装。わりとどこにでもいる若者の格好でしょ?」

「それって──」


 その言葉は、店を揺らす振動にかき消された。

 天井から塵が落とされて、店の客が思わず周囲を見渡す。


「あら、地震?」

「じしん?……いえ、これは……」


 目の前の道路で、通行人がざわめいて走り出した。

 ユリエルがそれを見たその瞬間。視界は轟音とともに下ろされた巨大な脚に埋め尽くされた。


「伏せて!」


 ユリエルが声を張り上げたその瞬間、飛び散った石畳が店の窓を突き破った。

 突然のことに、店内は悲鳴に包まれる。


「──ちょっと、これ!」

「避難したほうがよさそうよリンファさん──重騎士(ゴルフォナイト)よ!」


 頭上から引き裂く音と共に、埃が降り注ぐ。

 嫌な予感を感じながらもテーブルを押し除けてリンファの手を取ろうとして。

 けれどもその手は崩壊した天井に阻まれた。


「り!……リンファさん!?」

「ユリエルちゃん! こっちは大丈夫だから!」


 声が返ってくることに、安堵する。

 見上げれば、粉塵のなかに青空が見える。そして、怪しく光る黄色い眼光も。

 ユリエルは横に広がるその頭に目を見開いた。

 それは間違いなく『幅広帽』。一座のいる広場にまで来たあいつが、何でこんなところに現れたのか。


「あれって……この前の!」

「え、何か見えるの?」

「それは……!」


 ──見えていない!?

 慌ててリンファの姿を探すが、瓦礫と粉塵に阻まれて叶わない。

 これでは視界が悪いのも当然である。

 周囲の人は瓦礫に戸惑いながらも、泡を食ったように逃げ出そうとして、右往左往。

 多くの叫びが、耳をつく。


「仕方ありません、そっちはそっちで逃げてください──重騎士の襲撃です!」

「何ですって──ヒャァッ、何!?」

「リンファさん!?」


 粉塵裂けた頭上に見たのは、巨大な腕。

 通常の重騎士より非常に大きな『幅広帽』のその手は、リンファを丸々包み込んで、持ち上げてしまった。


「ゆ、ユリエルちゃん!?」


 慌てて手を伸ばしても、届かない。

 『幅広帽』はその手にリンファをつかむと、どこかへと歩きだした。


「そ、そんな……」


 瓦礫のなか、呆然とその背を見ていたのもつかの間。

 意を決して、その後を追って走り出した。 





 小さな路地を歩く人影が一つ。水溜まりを踏みつけて汚した裾も気にせずに歩いていた。

 まばらな人のなか、背後からの声に足を止めた。


「なんでしょう」

「いやなに、ハンカチ落とされましてね。それで慌てて追いかけてきたんですよ」


 ──ハンカチ?

 なんのことだろうかと、男は内心首を捻った。

 使い古した褐色の布地に見覚えはなく、首を振る。


「いえ、私に覚えは───」

「そうですか……リンファさんの見間違え──」

「──私のです」


 そっと両手で奪い取ると恭しく掲げ、懐から取り出したきれいな布に、そっと包み込んでいく。


「リンファが拾ってくれたハンカチ、大事にさせていただきます」

「あぁ、それは良かったですよ。───靴屋のジェイムソンさん」

「ぇ……」


 男の戸惑いにロックは首をかしげ、


「違ったかな。その手ですよ。固くなった手のひらは”やっとこ”の痕か? 靴墨のあともまばらに残ってる」

「そ、そうですか。……じゃあ、なんで名前を知ってるんです」

「ご友人がいっていたのでもしやと思いましたが。その通りでしたか。では、彼女にもしっかりお伝えいたしますよ」

「ああ、ちょっと待ってください」


 立ち去ろうとするロックを、今度はジェイムソンが呼び止めた。


「一つ、お尋ねしたいのですが──あなたとリンファはどういう関係なんです」

「ただの仕事の関係だよ」

「嘘ですよ。ならなんで彼女があんなに素晴らしい笑顔をしているんですか」


 尋ねたい、というわりには切羽詰まったような、焦りや苛立ちの混じった様子であった。


「話せば見せてくれるよ」

「そんあことない! 僕にはあんなに見せてくれたことはない!」

「はぁ?」

「そうだ、そうだよ、なんだってあなたは最近ちょくちょくそばに出てくるんですか!」


 その強い語調に、眉をつり上げる。


「あんなに火照った顔で喫茶店に入ったときから、ずっと怪しいと思っていたんだ!。それからというもの、いっつもリンファに微笑みかけられて!女の子はべらかせて何をやってやがるんだ!」

「人聞きの悪いことを言うな。まるで見てきたみたいだ」

「見てきたよ!そこのカフェでも一緒だったろう!」


 泡を吹くようなその激昂ぶりには、ロックも目を見開く。だがいたって動揺も見せず、淡々と話続ける。


「安心しろ。俺も彼女も、互いに興味はない──」

「『マスクマン』にお熱、だって言うんだろ?」


 聞き飽きたと、ジェイムソンはひどく口を歪めた。


「そんなことは百も承知だよ。正体どころか姿も見せない謎の騎士サマ。俺なんかに敵うわけもない」

「ずっと見ていたりするなら、お前が振り向かせれば良いだろ」

「そんなこと出来るものならやっている……なのに、あの人は放蕩野郎の尻を追っかけて、あんたに粉かけて……ッ!」


 不意に、ジェイムソンのその目が剣呑に染まる。男が懐から取り出したものに、ロックも目の色を変える。


 彼が握りしめているのは、細い金のペンダント。細い鎖から垂れ下がるのは、滴のような輝く”金”。

 だがその鈍い光は、ただの金とはまた違っていて──


「おまえ、そいつは!」


 踏み出そうとしたロックの前に何かが投げられた。とっさに受け止めたは良いものの、足を止めてしまう。

 それは先程男が取った褐色のハンカチ。


「決意の礼だよ、くれてやる。すがって自分を慰めていろよ!」

「決意だと!」

「そうだ。決めた。今、踏み出せた。もう我慢できない! ()()やってやる──ッ!」


 男がペンダントを空に掲げると、光が瞬いた。それは一気に膨れ上がり、狭い路地に満てていく。

 建物が押し広げられて砕けていくなか、瓦礫の雨に人々は逃げ惑う。

 その波と共にロックは路地を抜けて背後を見上げた。


 重騎士(ゴルフォナイト)が、そこにいた。

 もっと近くにいるのではと錯覚させるほどに大きな上半身。太い腕と厚い胸板。

 その上に、横に張り出した形状の頭部が乗っかっている。それはまるで、帽子を被っているようで──


「──おいおい……アイツかよ」

『来いよ”騎士”ども! かかってきやがれ『マスクマン』!──僕がお前を倒してやる!』


 先日、一座の広場で戦ったあげくに逃げ出した重騎士に違いなかった。





 人々が逃げ惑う。逃げる人も構わぬように馬車が走る。時おり振り返っては、彼らは空を見上げる。

 街の通りを重騎士(ゴルフォナイト)が歩いていた。幅の広い帽子を被っているような重騎士。

 二まわりも大きい上半身は窮屈なようで、時おりそばの建物に肩を擦っては瓦礫を足元に降らせる。

 

 そうなればまた悲鳴が沸き上がることになるのだ。

 逃げる群衆の中、押し退けられた子供が転んで、取り残された。慌てて立ち上がろうとする少年を、大きな影が覆う。


「──危ない!」


 呆然とそれを見上げる彼だったが、飛び込んだロックが彼の身をさらった直後『幅広帽』の大きな脚が下ろされた。


 足元のことなどともなく歩みを止めない『幅広帽』を見送って、ロックは伏せた体を起こした。

 かばった少年へと、優しく話しかける。


「大丈夫かい、少年」

「うん!」


 むしろ面白かったとでも言いたげな少年の笑顔にロックも笑って頭を撫で、駆け寄る女性に振り向いた。


「──デューイ!」

「奥さん、お気を付けて」

「私は姉です!」

「それは失礼。デューイくんも、気を付けるんだ。そしてお姉さんを守ってくれよ」

「うん!」


 揃った姉弟は再び逃げ出した。『幅広帽』が去っても、この通りにはいられない。

 傷ついた建物がいつまた崩れるのか分かったものではないのだ。

 馬車も人も建物も、何も気ににするでもなく『幅広帽』は我が物顔で歩いていく。

 彼が気にするのは、大切そうにその手に包んだ”もの”だけだ。

 再び『幅広帽』を追って走ると、同じ方に走るユリエルの背を見た。彼女もまた『幅広帽』を追っている。そばに並べば、彼女もロックにすぐに気づいた。


「ロック、いきなりなんなのよこれは!」

「ちょっとな、話した男が重騎士を持ち出してきたんだ!」

「そうじゃなくて、あれってこの前の広場の奴でしょう!」


 普通”騎士”で違いのないはずの体格が、あの幅広帽は二回りも違う。

 その差は一目瞭然。あの特徴的な姿は見間違えようもない。


「なんだってあいつがリンファさんを連れ去るのよ!」

「堪えきれなくなったんだとよ!」

「なんなのよ、もう!」





 町の中心に、アルバート広場がある。パレードや感謝さいも執り行われるほど大きな広場だ。

 だが、今日の祭りはいささか趣が異なった。広場を囲うのは、警官隊と警察騎。

 彼らが一点に見つめるのは、マンチェスター市庁舎の前にたたずむ、『幅広帽』一騎のみ。


 彼の周囲にはすでに二機もの警察騎が転がっている。

 取り押さえんと待ち構えていたが、あっさりと倒されて情けない残骸を衆目にさらしていた。

 そのあっけなさは、警察に二の矢を躊躇わせるほどだ。


 しかしその状況でも『幅広帽』は動かない。

 彼が背にする、マンチェスター市庁舎。

 二十年ほど前に名工アルフレッドによって建てられた荘厳な趣は、市の誇りだ。

 その象徴の一つといえる大鐘塔。95ヤード(87メートル)にもなる塔の屋根に、女性が一人縛られていた。

 リンファだ。

 縛られていなければ風にあおられて落ちてしまいそうな、危うい場所。

 吹くすさぶ風に裾がはためく度に、周囲の野次馬からは悲鳴が上がる。

 その危ない様子にも『幅広帽』は目もくれない。

 周囲をにらむようにして、叫ぶ。


『来いよマスクマン! 俺はここだぞ!』


 悲鳴のような絶叫に、警察も野次馬がどよめいた。

 腕を組み、がんと構えて居直るその姿。もはや堂々とした威容すら感じとれるあの重騎士が何ゆえ? 


「マスクマン……?」


 規制線の外で、老人が首をかしげた。


「そうか、マスクマンなら……!」


 そばの照らすで、男が思わず拳を握った。


「マスクマンがいるのなら!」

「頼りになるマスクマン!」

「あの方なら、やってくれるわ!」


 屋上で、窓で、馬車の屋根の上で。市民たちの期待の声が募っていく。


「あーあ、盛り上げちゃってもう……何をしたいんでしょうね」


 野次馬に紛れていたユリエルは、ふととなりのロックを見た。

 険しい顔をしていたはずが、いつのまにやら俯いて苦しい表情を見せていた。


「恋は盲目……ということなのかな。マスクマンより強いと見せたいらしい」

「だからってやりすぎです」


 そうか、とロックは笑って、顔をあげた。意を決した強い眼差しがそこにあった。


「──ユリエル。ノックスを出すよ。避難してろよ」

「あ、ちょっと」

「勝手に動こうとするなよ!」

 

 ユリエルが手を伸ばしても遠く、ロックはあっという間に人混みに紛れてしまった。


「ふぅむ……」


 危険だと、先日言われた言葉がぐるぐる脳裏をめぐる。

 どうしたものか、ユリエルは伸ばした手を宙に惑わせて──


「──よし」


 その手は、見上げた先の尖塔に向けられた。





 アルバート広場に陣取った『幅広帽』。それを見る視線の中で最初にその光を見つけたのは、ある少年であった。


 屋根の上の、上の上。祖父が星見に使っていたという小さな塔のてっぺんに、少年はいた。

 嵐で吹き飛ばないのが不思議なほどのおんぼろ塔は、床板に足をかけるだけでも軋みをあげる。

 狭苦しい住宅街のなか、一段と高くてノッポな家をさらに嵩ましする姿は、まるでノッポのシルクハットだ。

 母はあまりのみすぼらしさに嫌がって片付けたがっているが、少年にそんなことは関係ない。

 むりくりに改修しては、いつもいつもよじ登る。

 空も町も、世界の全てすら見渡せそうなこの小さな塔は、少年をお気に入りであった。 

 ──今日は、その認識を確固たるものにする記念日となった。


「カッケぇ……」


 塔の縁にへばりついて、ただただ声を漏らしていた。

 少年が見るのはアルバート広場に佇む重騎士の姿。

 町を闊歩し、あっという間に警察雑騎をなぎ倒すその”勇姿”に、少年は心を打たれていた。

 重騎士の行いを母は唖然として眺めていた。馴染みのある町を壊していくその光景に憤慨していた。

 それでも少年にとってその重騎士の歩み(勇姿)はそのような感傷など吹き飛ばされるほどの衝撃であったのだ。


「やっぱりかっこいいなぁ重騎士は!」


 雑騎士(ワークナー)で十分だろ、だなんて心ないことをのたまう大人も多い。

 だけれども、重騎士は格段に違うのだ。

 個性豊かでありながら、絞られた体格。雑騎士など眼でないパワー! そして何より鋭い眼光を見せるあの頭部!

 だらしない体型で首も無い雑騎士とは段違い。

 だと言うのになんで女子も大人も、さっぱりわからないのだろう。

 自分が絵画がどうこうわからないのと同じかも知れないとふいに考えたが、どうでもいいかとすぐに棚上げした。


 そんな格好いい重騎士の姿を見れる機会は、とんと少ない。

 町中にあるのは雑騎士ばかり。作業ならそれで事足りるというのだからつまらない。

 ロンドンの方では感謝祭の催しに姿を見せるという話を聞いて、地団駄踏んで悔しがったこともある。

 それほどに、重騎士が外に出てくることは珍しいのだ。

 ──最近はその限りじゃ無いみたいだけれどな!

 そう、今はあのヒーローがいるのだから。


 一人ごちて、うっとりと広場の重騎士を眺めていた。

 退屈なことに、あれはずっと動かない。

 それでもいくらでも見ていられる──……


「……──ん?」


 ふいに、妙な気配を感じた。何かが背筋を撫でたような、冷たい感覚。

 この塔はどうしても風が当たるから、冷えたのか。 

 「参っちゃう」と、羽織る上着を直そうとして、ふとしたように下に視線を向けた時だった。


 そばの道路に妙な人がいた。袋を抱えて、周囲を見渡す若い男だ。

 それだけならいたって普通、日々目にする様子だ。

 だけれど、今は”騎士”がいる。


 あれだけの大騒ぎをそばにおいて、いたって冷静に辺りを探る男は、よく目についてしまった。

 まさか泥棒だろうか。

 怪しさのあまりじっと見ていると、男も少年に気づいたようで、こちらを見上げて立てた人差し指を口に当てた。


 それが余計に疑わしくて視線を強めると、不審者は苦笑して懐に手を入れた。

 まさぐったあげくに取り出したのはキセルだ。

 得意気にキセルを空に掲げる姿に、ただの変な手品師なのかと安堵して。


 彼を巻き込んで光の柱が立ち上ったことに。目を見開いた。

 奔流とともに、光で書かれた文が空に舞っては光にのまれて、いっそう膨らんでいく。


「これって……」


 まさか、と思った。 

 聞いたことがある。重騎士特有の『召喚』の時に見られる光。

 呆然と見つめるうちにどんどん膨れ上がっていく。

 視界が全て染まったかと思うと、一気に弾けた。

 光も消えて現れた、その姿は──……


「あ……」


 息を呑む。

 まばゆく輝く白色の美しい体。夜のような、暗い色の逞しい手足。

 鎧と布、鎧紐をあちこちに通したちぐはぐな姿なのに、まるで整っている。

 それは、まさしく──


「『マスクマン』だぁぁーッ!?」


 最近現れた、町のヒーロー。謎の重騎士『マスクマン』。


「あ、ああっ!」


 思わず身を乗り出して、勢い余って塔から転げ落ちそうになる。 

 塔も大きく軋みを上げそうになって揺れて、慌てて動きをとめた。

 

「え……」


 ふいに、揺れが収まった。冷や汗を感じながらも体を起こすと、目の前に”顔”。

 『マスクマン』が、伸ばした指を添えて塔を支えていた。


「あ、……ありがとう!」

『……気を付けろ』

「……うん!」


 暖かみのある緑の眼差しに礼を言えば、返ってきたのは静かな、頼もしい声。

 そしてゆっくり振り向いた彼が向かうのは、あの広場。


「あいつのところにいくんでしょ、頑張ってよ『マスクマン』!」


 届かなくてもいい、そう思いながらも慌てて声を張り上げる。

 だけれど『マスクマン』はそっと肩越しに少年を見ただけ。

 すぐに彼が視線を戻したことにほんのちょっとの落胆を持った。聞こえなかったのだろうか。

 それも仕方ないのかもしれない。周囲の歓声は大きくなっている。

 自分だったら、全てを聞き取れるはずもない。

 ──でも、ちょっとは話せた。

 それだけでも、嬉しかった。学校のみんなに自慢はできるかな、と思いながら行く彼を見て。


「──あ……」


 彼は小さく拳を上げていた。

 歓声はもう地鳴りのように響いてて。あの腕も、他の人に向けたものかもしれない。

 それでも。

 ──さっき、見てくれた。やっぱり、見てくれていたんだ! 


「ガンバってよぉーッ!」


 また、声を張り上げた。今度は手を添えてまでの大声だ。

 少年は舞台に向かうその背にずっと、大きく手を振っていた。

 歓声が、地鳴りのように響いている──。


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