3.誰も知らないその工場
「ついて来なくても、構いませんよ」
「そういうわけにもいかないでしょうよ、依頼人なんだから」
屈強な男たちの間をすり抜けて足早に進むユリエルのあとを、必死にロックが追っていた。
「私の依頼は犯人の居場所を突き止めることです。突き止めてくれたのだから、いいでしょう」
「だからって一人で突っ込まるもんかい。そもそもそことの確証も無いわけで」
「この港倉庫街と推理したのはあなたでしょう!?」
気が立ったように興奮するユリエルの勢いに、思わずたじろいで、ロックはほほをかく。
二人の姿は、マンチェスター運河沿い、港の倉庫と工場が密集する一帯にあった。
巨大な蛇のように西から北へとうねってまたがるマンチェスター運河の港には、日が沈みかけても変わらず多くの船が行き来し、積み荷を下ろしている。
積み荷は食料品から、鉄鉱石などの原料や加工した鉄材や機材まで様々だ。
たいして詰め込むのは、この辺りの工場で作り上げた紡績機などの工業品が多い。
この運河周囲の一帯は、産業革命によって工業地帯となってより一層の発展をした。
今も作業員、船、工場に雑騎士と騒音がオーケストラでも組んでいるほどに重なりあい、耳をひどく刺激する。
ガンガンと、叩きつけるような音が多く響き、二人の声も自然と大きくなっていた。
ユリエルが苛立っているのも、大いに関係あるだろうが。
”この工場地帯に犯人の手がかりがある”と聞いて、ついていくどころか先走る辺り、かなり高揚しているのは明らかだった。
「本当に、この辺りにいるっていうのでしょう」
「あくまで推理ですがね」
道端に寄ってロックが取り出したのは、一枚の紙。
ユリエルの祖父が殺された研究室で散らばっていた資料。そこにくっきりと残っているのは足跡だ。
「その跡を追ってここまで来たのではないのですか?私にはできませんでしたけども」
「俺にもできない。それなら横道逸れずにあなたを案内してますよ」
ほら、と懐から出したピンセットで、足跡の土を崩していく。
「この足跡は多くを教えてくれる。これは泥とヘドロだ。このマンチェスター一帯だと運河の汚い辺りとなる」
話す度にユリエルが頷くのを見ながら、続ける。
取り出したピンセットも用いて、土の中から光る紐のようなものを掻き出し、つまみあげた。
「金属くず?」
「内容物は粉やヒモ状の金属くずが沢山。精密さを要求される金属加工をする場所に関係すると考えられた。資料泥棒とも合わせて、港の工業地帯辺りの騎士関係者と考えられるんだ」
おぉ、と目を輝かせるユリエルが面映ゆく、ロックはそっと目をそらす。
「この手の事件で同業者が関わっていくことは大いにある。研究成果を盗むなんて事は最たるものだ。大概の泥棒は事の当人に一番価値あるものを盗っていくからな」
大袈裟な手振りで指折り数え、
「だいたいは、研究記録、関係する技術。あとは──実物かな?」
「……重騎士の実物、ですか」
「ま、そんなもの早々ないわな!」
ロックは笑って、頭を掻く。
「重騎士は上流階級御用達ときたからな。最近じゃ郊外で乗り回しているやつもいるそうだが」
「……ええ、そうね」
歯切れ悪い様子に、ロックの笑いも引っ込んだ。
「すまない、気分を害してしまった。研究に重騎士全ては必要な訳ではないから、必ず持つものでもないな」
「まぁ、良いですわよ」
ツンとした様子のユリエルは、澄まし顔で話を変える。
「でも、私はこの辺りに研究者なんてもの、当ても覚えもないわよ」
「ああ、それなら簡単」
今度こそ、笑って答えた。
「話を聞けばいい」
●
「それで、ここの辺りか」
何人かの作業員に聞いてたどり着いたのは、古びた倉庫であった、
いくらかの資材や多くの足跡は周囲にあるのだが、人の気配は少ない。
「ここ、ですか?」
「そう、雑騎士の製造工場。最近で夜遅くにも動いているのはここくらい」
一年前ほどで来たというこの工場。しかしを雑騎士作っているというがその姿もなく、輸出している様子もないとあって皆が妙に思っているという。
しかしかつて暖気を求めて潜り込んだ浮浪者が中を覗き見て、たしかに雑騎士を作っているのを見たと言うのだ。
そこで見たのは、老人が一人だけ。
「でも、ここにいるのですね」
「そう決まった訳じゃ──」
隣で撃鉄が上がった音を聞いたときにはもう遅い。
「行きます」
「……何で銃を?」
「おじいさまのものです。これくらいの防犯は必要でしょう?」
「過激な──あ、飛び込むな!」
どこに隠していたのか拳銃片手に、ユリエルが入っていくのを、慌てて追った。
工場のなかに雑騎士の姿はない。多くの足跡や車輪の跡の奥に、廃材の山が天井までうず高く積み上がっているだけ。
その山を囲うように二階から繋がるキャットウォークに人影を見た。
ユリエルはそれを目にするなり、発砲。しかし響いたのは金属に当たって弾ける音。
人影は身をかばうようにうずくまっただけで、すぐに起き上がった。
放たれた銃弾は外れたらしい。
震える腕でもう一度撃とうとするのを、ロックは制した。
「何するのよ!」
「待て、さすがに焦りすぎだ。犯人と決まりきったわけでもない」
「ははは、危ないじゃないか、お嬢さん!」
ひしゃがれたような声が、聞こえる。
屋根の穴から射す月光が、歩く男の姿を写し出す。
曲がった背、頭頂部は禿げ上がり、左右の髪は広がるように伸ばしている。右目のモノクルが、月光に写ってキラリと光った。
その姿を見て、ユリエルは叫んだ。
「あれは──ベロムス!」
「知り合いか?」
「祖父と同じ、重騎士の研究者だそうです。写真がありました。でも、ここ数年会ったという話は……」
「──ああ、そうさ。ここ数年会っていない奴はごまんといるさ。研究者には冷たい世だからね」
ベロムスはふんと鼻を鳴らし、乱入者を睨み付ける。その厳しい眼差しが向かうのは、ユリエルだ。
その視線を遮るように、ロックが立った。
「さて乱暴なご客人。こんな遅くに発砲だなんて何のようかね? 私は研究で急がしいのだ」
「いやはや、夜分にとんだ失礼をしました。私たちは探偵でしてね、とある事件の調査をしているのです」
「ほう、事件とな。何を探しているのかね。この私に銃弾を撃ち込むまですることかい」
足元を示しながら、ベロムスは首を振る。先ほど銃弾の当たった場所。
やれやれと手を上げて、呆れた様子。
それも然りと、ロックも深く頷いた。
「ええ、ちょうどそんなところです。ジルスト・アウグストル氏強盗殺人事件といったところでしょうか」
「──殺人、死んだ、 ジルストが?」
「その通り。悲しいことに、ジルスト氏は死んでしまった」
「──死んだ。死んだか」
ポツリ、ポツリと、噛み締めるように呟き続けるベロムス。
ぶるりと体を震わせたかと思うと、地の底から響くような声が漏れ聞こえてきた。
「──そうか、そうか。やつめ、死んだか。死んだのかぁ!」
あれは、笑っている。嗤っている。
「やっぱり、あんたが犯人か?」
「一応聞いておこう。なんでここがわかったのだ」
暗に、そうだと答えていた。
狙いを定めるユリエルを、ロックは押さえる。
「あんなベットリ足跡つけておいて、内容物から居場所はわかる。なんならこの床にごまんとある足跡も見てみるかい?」
「いやはや、単純なことだ。慣れないことはするべきでないな!」
「あなたは!」
大笑いするベロムスへ、ユリエルが拳銃を撃つ。
しかし震える腕で当たるはずもなく、キャットウォークを鳴らすだけ。
「威勢のいいことだ」
「待ちなさい──!」
「だから、待て!」
ロックの静止もよそにユリエルは拳銃を構えたまま、ベロムスへと走り出した。
近づけば当てやすくなるだろうが、二階にいる相手を直接追う事はないだろうに。
ロックも捕らえるために、別れて走った。
「なんで、おじいさまを!」
牙向くほどに睨むユリエルを、ボロムスは嘲笑う。
「お前らが邪魔をしたんだろう!」
「俺たちはそれを突き止めた。それだけのことだろうが!」
「なにも知らぬ小僧どもが!」
叫ぶ二人を鼻白むように笑って、見下した。
「ヤツは、ジルストはワシに黙っていた! あんなモノを手にしておきながら、自分だけが一歩進んだ先に行けるとせせら笑っておったのじゃからな!」
「そんなこと無い!祖父はあなたを讃えていたわ!」
「嘘をつけ!そんな話なんぞ来んかったわ!」
吐き出すように、ベロムスは叫ぶ。
ユリエルの銃撃から逃げて、キャットウォークを渡るベロムズだが、半ばまで渡ったその足が止まる。
「そのままだ、動くなよ」
対岸に、階段を昇ったロックがいた。
鉄パイプを手にゆっくりとベロムズへ近づいていく。
「撃つなよユリエル、話は聞かなきゃならない」
「止まったなら今度こそ、当てます!」
「だから撃つなっての!」
血気盛んなユリエルを諌める。
しかしベロムスは憤慨収まらぬとばかりの、険しい顔。
「それで研究データを盗んだ上に殺すとは、ずいぶんといい度胸じゃないか?」
「ふん、やつはデータも独り占めしていたのだ。いくら依頼しようとも、貴様にはやれんだの言い訳をしてしがみつく。そんな傲慢な野郎にあのデータは預けておけなかったからなぁ!」
「あなたは!」
走り出したベロムスを、ユリエルは撃つ。
銃撃の中、キャットウォークを走るベロムスは物陰へと消えた。
そこは積み上がった廃材の山だ。
『小娘、貴様もやつと同じだ!傲慢で恥知らずなことに、研究を秘そうという!それが我慢ならん!』
そして倉庫中に声が響いた。少しだけくぐもった、金属管を通した声。
すぐに二人の顔色は変わった。
「──ちょっと、これ、騎士に乗ったの?」
「元はその工場だ、雑騎士があっても不思議はないんじゃないか?」
『──はは、違うな。こいつはそんなチャチなものではなぁい!』
ベロムズの叫びと共に、廃材の山をなにかが突き破った。
機械の腕だ。四つの指を持つその手は人のように鮮やかに曲がり、拳を作る。
ハサミのような、分厚い板のような雑騎士の手とは大違いであった。
「これって──」
「ヤバイぞ、撤退だ!」
「あっ、もうちょっと!」
「ボサっとすんな!」
キャットウォークから飛び降りたロックは、その手をつぶさに見つめるユリエルを背に抱えた。
そのまま脇目も振らずに工場から逃げ出していく。
その間も、機械の腕は止まらない。めきめきと廃材を引き剥がして、その姿を表していく。
『これが私の集大成なのだよ。私がここに作り出した騎導機身!』
必死に走るその背後で、倉庫が崩れていく
トタンの天井を突き破って、それは姿を表した。
全身を被うのは、打ち付けた鋳造の鎧。にはない眼差しが一つ、遥か高みから爛々と光を灯して二人を見下ろしていた。
「こいつぁ、まさか騎士か!?」
「ただの雑騎士……なんですけど、あの腕はそうには……!?」
『そう、その通り!』
興奮を隠せないように、高らかに名乗った。
『機械騎士と言ってもらおうか!』
訂正したベロムスは、己のその言葉が面白いように、高笑い。
『見よ、強靭な腕、頑強な脚!作業用なんぞとはまるで似つかぬ傑作よ!ははは!この私の作ったこの技術の結晶メカニクナイトならばお前たちもあっさり潰せるぞ!』
傍らの別の倉庫に手を突っ込み、引き出したのは抜き身の剣。
足元へと一気に叩きつけた。