3.どん詰まり
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そっと紅茶のカップを傾けると、ユリエルの細い眉はつり上がった。
白を基調にした装飾と鮮やかな植栽が特徴のこじゃれたカフェ、そのテラスにユリエルはいた。
学校で何度か耳にした近頃話題であったカフェであったのだが、出された紅茶はどうも今一つであった。
香りは良い。色もきれいな赤みがある。だが、どうにも”薄い”ように感じてしまったのだ。
つい、大家さんの淹れる紅茶と比べてしまう。あの人のいれる紅茶は、まさしく芳醇、と言われるモノだ。
しかしいま手元にある紅茶は違う。
──まざりモノが多いのでしょうか
お茶や珈琲にかさ増した”混ざりモノ”も昔から横行していると聞く。
その中で大家はあれだけの澄んだ紅茶を用意できているのだ。どこから手に入れてきたのだろうか。
何度かユリエルも聞いたことはあったが「乙女の秘密」だなんて誤魔化されてしまった。
その際の指を唇に当てて小首を傾げてウインク、なんて仕草には少しばかりの憧れを持ってしまった。
その時の溢れんばかりの色気は、欲しくないと言うなら嘘になってしまう。
──大切なこと、言えないのは私も同じだものね
ほう、と憂鬱な気分でため息をはけば、店員から静かな会釈が返ってきた。
紅茶による、満足の一息と取られたらしい。
わざわざ訂正するのも可哀想だと、ユリエルは黙ってカップに口を付けた。
紅茶の出所も、そんな仕草も、昔は全く気にしなかったのだけれども。
”こんな”紅茶でも、カフェは割りと繁盛していた。店内の席でも、多くの人が椅子を占めている。
友と談笑する人、世間話に花を咲かせる若者、一人憩いの時を堪能する男の姿もあった。
《小鳥の宿り木》とはまた違う、賑やかな雰囲気だ。
だが、ユリエルのいるテラスに人はいない。
先ほど興味深そうに入って来た男も、席を探す間もなく顔をしかめて店内に戻ってしまった。
まぁ仕方ない、とユリエルも納得する。
普通の人ならこんな場所はお断り。カフェ店員もそう納得するに違いない。
その時カフェの隣、大きな立て板で囲われた中から、ゴウと激しい破砕音とともに、粉塵が噴き上がった。
舞い上がった粉塵がテラスにも降り積もり、凝った装飾も施された白のテーブルを灰色に染め上げる。
ユリエルがカップを手で被わなければ、粉塵は紅茶にまで入り込んでしまうところだった。
──おっと危ない。さすがに勿体ないですものね。
カフェの隣では今、解体工事が執り行われているのだ。
ガン、ゴンと大きな物音が、静かなはずのカフェにまで響いてくる。
風向きもあって塵がまうのは仕方ないのだろうが、周囲に迷惑なのは変わらない。それはカフェも同じだ。
店員が塵を箒で掃いたり机を拭いたりとs絵和しなく駆け回っている。
現場で解体作業に勤しむ雑騎士が見える度に、恨めしそうに見上げていた。
だがユリエルは頬を緩めた。長大なハンマーを振り上げる雑騎士の動きが、非常に滑らかなのだ。
動きにがたつきがないし、淀みや異音もない。
機体に書かれた社名は解体業者と同じだった。丁寧な整備といい、やはりあの会社は良いようだ。
うっとりと眺めている間に、びゅうとハンマーが振り下ろされて、轟音とともにまた粉塵が空に舞い上がった。
立て板の隅に開けられた扉から、見覚えのある影が見えた。
コートや帽子を粉塵まみれで真っ白にしていた男はカフェテラスに入ろうとして、箒を持った店員に止められてしまう。
裏手でコートや帽子の塵をはたき落として、ようやく道を開けられた。
「コーヒーあるかい?」
その求めに店員は静かに応じて、店内へと入っていく。
勘弁してくれ、とでも言わんばかりに顔色を変えていた辺り、悪いことをしたように思うが、仕方ない。
──ここなら雑騎士の姿がよく見える。こんな特等席を、ユリエルは逃したくはなかった。
まっぐうにユリエルのほうにやって来たのはロックだ。傍らに紙袋を置いて、不満げに言った。
「ここはどうだい」
聞かれて、ユリエルは困ったように愛想笑い。
ちょっとばかし頬に手を添えれば、ロックも苦笑いを返した。
「待たせたようだな」
「楽しかったから問題ないわよ」
「そうかい?」
そのわりには、と未だに中身が残るカップをロックが見下ろしてくる。
隠すように、一気に飲み干した。
「それでロック。そっちはどうだった?」
「ダメだ」
そ知らぬ顔でしっかり答えてくれることはありがたかった。
だけれども、その答えの内容には眉を潜めざるを得ない。
「何でですか、ロック。社長さんなら代役を頼めるだとかいってませんでしたっけ」
「たぶん、というだけだったからな。もう少し前だったら行けたかもしれないんだがなぁ──……」
「下手に有名になっちゃいましたからねぇ」
よくも悪くも名の売れた『マスクマン』はそれこそ市民のなかで話題になっている。
ユリエルのまわりの学友や”騎士”の関係でも、話になることは多い。
だから操縦者も注目される訳で、その代役をたてようとロックは考えたのだが──
「仕事も好調で忙しいってわけで、社長も『マスクマン』も二足は履けないってさ」
「あー、まあ、確かに……じゃあ、代役はどうするんです?」
「──俺がやる」
「はぁ?」
疑わしいようにロックを見るが、このようにと顔を覆うように手を動かす姿が真剣なので思わずたじろいだ。
まさか舞踏会のような仮面のことをを着けるというだろうか。
蝶のようにも広がる仮面姿を想像して思わず吹き出してしまう。
「……何かおかしいか」
「それ、たぶん似合いませんよ」
「その方がそっちに話題がいくだろ」
「それこそ勘弁してください……」
そうか、とロックがどこか残念そうに呟くのに、ユリエルが頭を抱える。
そもそも、二人と『マスクマン』の関係を断とう、と考えたのはロックだ。それを”本人”が演じたのでは意味がないのでは。
そう思うのだけれども、目の前の人は意外にも乗り気な様子。
どうしたものかと弱り果てた。
音もなく店員がやって来てロックのもとにコーヒーが出した。
時おり舞う塵のせいか、どうにも香りは広がってこない。
ロックもカップに口をつけて、明らかに眉を潜めるのを見て、ユリエルはつい口許に手を当てて静かに笑った。
「やっぱりいまいち?」
「……口直しは」
「こんな場所であると思って?」
ぐぅ、とロックは唸って項垂れる。そこまで不味かったのだろうか。
「それなら……はい、これとか。新聞もマスクマン特集まで組んでいてありましたよ」
ほら、と記事を表に畳んだ新聞を見せれば、ロックも気に入ったようで面白そうに口をつり上げる。
大衆紙の記事の記事に、つらつらとマスクマンのことが組まれていた。
ユリエルとしては見覚えのある内容と奇怪な与太ばかりで、あまり面白くはなかったのだが。
「張り切るね、ファンクラブは。……だからダメだったんだよなぁ」
「まぁ……ゴシップではすまなそうですからねぇ……」
今回の記事にも、どこぞの重職の多大なる不正が暴かれている。
かと思えば好奇に満ちた爛れた愛を囃し立てる記事もある。
騎士拳闘やらに紛れたこういった記事に煽られて、民衆が当人らに詰め寄ることもあるという。
その光景を想像して、思わずユリエルはうめいた。
ロックも額に手を当てて、いたく残念そうな様子。
「社長さんなら万が一良からぬ悪漢に見つかっても対処できると思ったんだがなぁ」
「えぇ? トースタンみたいにですか? というかそんなにすごいんですかあの人」
「いやその男は知らんがね。社長はなまじ腕っぷしがあるから疑われたんだよ。なぁ、やっぱり俺が──……」
「それはやめて」
きっぱりと、ユリエルは告げた。
社長とロックが会ったきっかけも、殺人犯の疑いがきっかけだったか。
窮地に陥ったなかで、”師匠”へと渡りをつけたきっかけがユリエルの祖父。
そして同じような薦めを聞いて、ユリエルがロックと出会ったのだ。
どこで繋がるかわからないものだと、ついぞ思う。
不意に考えた数瞬のうちに、ロックは机に突っ伏していた。
その手にはあの”いまいち”なコーヒーが。中身はいつのまにやら中程まで減っている。
気の向くままに口直しにしてしまって、しまったのだろう。そうなることはわかっただろうに。
「何やってんだか」とあきれながらも、ほっぽかれた新聞をはらはらとめくっていく。
適当な見出しに次々に眼をやって読み進めて、ふいにある記事に視線をとめた。
「あら──トースタンにはもう会わなくてよさそう」
「ん……『マスクマン』じゃなくてか? 何かあったのか」
「殺された」
「はっ!?」
立ち上がったロックが背後に回る。
ユリエルが指し示すまでもなく、すぐさま目当ての記事を見つけ出した。
「──これか。『ガルボン・クライムス殺人事件、愛人の女を逮捕』」
「愛人はトースタンと名乗っていたガルボンと夫婦だそうよ」
「ううむ……?」
●
マンチェスターの南、ストックポート。
その一角の小さな屋敷でガルボン・クライムスという男が刺殺されたのが前日のこと。
犯人のドロシーは”浮気性な夫”に我慢がならなくなったと叫んでいたと”被害者の妻”アンリ夫人は証言した。
ドロシーの夫『トースタン・トーリン』。
アンリ夫人の夫『ガルボン・クライムス』。
この二人の男は同一人物であり、それゆえのいざこざが、事件のきっかけだったという──。
「──と、このようなことになっているようです。ご理解頂けましたかな」
「えぇ、ありがとうございます」
「構いませんよ、探偵」
クライムス邸。
豪華なシャンデリアのした、絵画や装飾品が飾られた派手な内装。
そしてその中を未だに漂う、おぞましい血の臭い。
案内をかってくれた警官の言葉に真剣に頷くロックを、ユリエルはうろんな目で見つめていた。
「……なんでここに来るんです?」
「まぁ、たまには良いだろう。ちょうど話題になってたんだしな」
面白そう、だなんて理由で血なまぐさい場所につれてくるのは勘弁してほしい。
こぼれた重いため息に、ロックは首を捻った。
いぶかしげに見ていた警官は、不安そうに眉を潜める。
「女性には厳しいお話でしたか」
「いえ、構いませんよ良くあることなので……ゴンツォさん。それにしても、事情にずいぶんお詳しいようで……」
「まぁご覧の通り、これでも警官ですから」
その警官がゴンツォであるというのは、ユリエルには意外であった。
広場で会った《リンファ嬢を敬愛する会》のメンバー。
その時は制帽を上げる彼の顔は自信に溢れ、どこか自慢げである。
彼が身を包む制服はだいぶくたびれてはいるものの、大柄な体格にはよく似合う。
「お二人の話はグラント警部から以前聞きました」
「警部はなにか言ってました?」
「『おっさんというなら訂正しておけ』」
「おっさんも相変わらずだ」
「『警部です』」
そう言ったゴンツォの笑顔はあどけなさすら感じる。
舞台の時に見せた笑みと同じ、柔らかなものだった。
「それで、ガルボンが─トースタンが殺されてしまった、と。犯人も現行犯だし、俺の出る幕はないか?」
「そうですね。二人の”妻”の騒ぎで集まった野次馬が犯行を目撃してます。むしろ我々は片付けですよ」
「警察が手伝いとは、そんなに荒らされたのか」
見てみるか、と示すゴンツォは苦い顔を隠さない。
「二階までどこの部屋もめちゃくちゃ、玄関はご覧の有り様。青空の下めった刺しですからね……」
「うげぇ……」
つい想像してしまって、ユリエルは口元を押さえた。
玄関先におびただしいまでの”真っ赤な華”が今でも臭いを放っているのも余計に、想像の一助となった。
その時の光景が、ありありと思い浮かんでしまう──。
その時、ぐらりと視界が揺らいだ。
「あっ……」
「──大丈夫か?」
「……あ──は、い……」
気が遠くなってふらついたのを、ロックが支えてくれた事だけは、ユリエルにもわかった。
●
気がつけば、ユリエルはソファに身を横たえていた。
かけられたシーツがむず痒いように体を動かして、起き上がる。きれいな彫刻タンスと、磨かれたテーブル。見覚えのない部屋だ。
隅で扉が開き、ロックが入ってくる。ユリエルの視線に、意外そうに目を見開いた。
「もう起きたのか。気分はどうだ?」
「まぁ、ちょっとはマシ、です。ここは……」
「クライムス邸の応接間だ。ここの捜査は一段落したというんでな、ちょっと借りた」
そう言ったロックは、テーブルにおいた盆からポッドを手に取ると、二つのカップに注いでいく。
華やいだ紅茶の香りが、ユリエルの方にまで漂ってきた。
「あいつ、やっぱり”おっさん”の部下だよ。せっかくだから淹れてくれなんてぬかしやがってなぁ」
不満げな物言いでもカップに互い違いに紅茶を注ぐ手つきは丁寧だし、口ぶりのわりには楽しげな表情だ。
もうもうと湯気を立てる茶を淹れきった時の表情と来たら、それなりに満足しているのが伝わってくる。
ユリエルもカップを手に取ろうとソファから立ち上がろうとして、ふらつきまたも支えられた。
「ホントに大丈夫か?」
「なんとか、このくらい……」
「その様子でそう見えるか。何かあるならしっかり言え」
「ぐうぅ……」
ロックの言葉に反論もできず、おとなしくソファにユリエルは戻った。
体を埋めたソファの布地は背には少々固い上、どこか埃っぽかった。
しばし経ってようやく起き上がったユリエルは、ソファの上でカップを手に取った。
程よく温くなった紅茶は口につけやすく、冷えた身を心からも暖めてくれる。
「結構、いいですね」
「大家から習ったんだ。よっぽどの葉じゃなきゃいい味はきちんと出る」
ほぅ、とユリエルは一息つく。
ばつが悪そうなロックの表情に、首をかしげた。
「どうしました?」
「やっぱり、殺人現場は悪かったか」
「──いえ、ちょっと、おじいさまを思い出してしまっただけです」
それを聞いて、ロックの眉はいっそう険しくなる。
今は布で覆われているが、玄関に”真っ赤な華”がたくさん咲いていたことは、一因であろう。
靴跡まで残っているのが余計に生々しくて、いまだ脳裏にこびりついている。
遺体は運び出されて、もう誰もいないのはわかっていた。
それでもその中心に、祖父が倒れているように思えてしまったのだ。
思い返して、またひとつ思いため息を吐く。
「もう慣れたものかと思ったんですけどねぇ……」
「そういえば、ユリエルをこんな現場につれてきたのは初めてだったな」
険しい顔で、ロックが言う。
「気づかなかった俺が悪い」と言って床に頭をつけんばかりに下げるものだから、ユリエルは慌てた。
「いえ、ついてきた私がいけないんです。そうすれば、あれを思い返して倒れるなんて……」
「別にそれを気にすることはないさ。俺だって最初の頃は卒倒したりした」
「それって、やっぱり……」
「同じようなの、それ以上の。色々と見たさ」
遺体を一目見て倒れたり、血を浴びて卒倒したり、突然目の前に落ちてきた遺体に慌てふためいたり。
語られる言葉に、ユリエルはうめくしかない。
その苦いような、笑っているような複雑な表情は悲喜交々。
「無理矢理ついてってそれだから、師匠は相当な迷惑をかけた」
そうロックは語る。弟子になる前の頃だという。
「嫌な思い出も色々ある。連想しそうなものに無理に付いてこなくてもいい」
そうだろうかと首を傾げていると、付け加えるようにして、
「好きなだけ愚痴ってくれてもかまわんさ。俺だって大家やマスターには色々言ったりしたもんだ」
「……私、言ってませんでしたっけ?」
「まあベラベラ喋ってたぞ。”騎士”のことは」
「……そうでしたっけ?」
「そうだぞ?」
最初にロックと会った時も、そのようなことをしてしまったことは、今も覚えている。
それはいたく反省して話す内容には気をつけたつもりではあるのだが──。
「ベルにも、似たようなことを言われましたね……」
「彼女にもか」
「ええ、まぁ……」
彼女の言を踏まえるに、あまり効をなしていなかったらしい。
こうして考えると、本当に彼女に申し訳なく思ってしまう。
──《ストランド》やホームズを嬉しがっていたわけだ!
「言えないことは言わなくていい。とにかくそうやって吐き出せば気が紛れるだろ」
なるほどなるほど。
ならばと口を開こうとして──ふと、気づいた。
「──それ、結局普段通りなのでは?」
「そうだぞ」
あっさりと告げられたその言葉に、眼を見開いてしまう。
面白そうにニヤリと笑っているものだから、
「今までの話は何だったんです!?」
「気は紛れただろ?」
「──ええ、まぁ……」
「ある種の逃避で忘れる程には慣れたんだ。なら今度はぶり返しに向き合えばいいさ。今までみたいに喋りながらな」
つまりは、何も変わらない。
適当な話題を探そうかと宙に視線を惑わしていると、釘を指すようにロックは加えた。
「プライベートなことなら事務所にしておけよ」
「そのくらい、わかってますよ!」
●
ゴッツォに見送られてクライムス邸から出ても、ユリエルの足取りは重いものだった。
「うぅ……」
「まだふらふらだろうに。無理をするな」
「このくらい……わっ」
ちょっとした段差にけつまづいたところを、ロックが支える。
本当に些細な小石。避けるなり、体勢を立て直すなり簡単にできたはずだ。
それなのに支えられなければいけない辺り、相当なもの。
存外、血の臭いは効いたらしい。
「ホントに大丈夫か?」
「おきにいなさらず……」
「全くなぁ──おや?」
集まる野次馬をみて、ふとしたようにロックが声をあげた。
ロックがみた相手も、こちらに気づいて寄ってくる。
ユリエルも見覚えがあった、若い男。『リンファ嬢を敬愛する会』の一番若手に違いなかった。
ハンチングにコート、つり革の長い大鞄。
「あれ、お二方もいらしてたんで。……お嬢さんは顔色悪そうですが、不調で?」
「血に酔ってしまってな。あんたは新聞記者だったのか」
「わかりますか」
「メモとペンを手に動きやすい格好、カメラまであればそうとしか思えない。──まさか他のもいるのか?」
ロックの懸念に、記者は首を振る。
「いんや、さすがにそうまで暇も仕事もないですよ。お嬢さんの顔色は悪そうですが、不調で?」
「血に酔ってねな。落ち着いては来たんだがねぇ」
「私も現場でのめり込みすぎて、見ちまったことありますから、わかりますよ」
「気長になれていきましょうや」と記者も笑顔を見せるものだから、ユリエルは曖昧に頷いた。
「せっかくの取材です。探偵にも聞きましょう。──今回の事件、なにかあると見ます?」
メモとペンを手にグッと迫るその眼差しは真剣そのもの。
だかそのなかに怪しく輝く好奇心も有った。その複雑な様子は、まさしく”記者”。
確認を含んだ、彼の語る事件のあらまし。そこに警察が語ったこととの違いは見受けられなかった。
──昨晩の夜、トーケン夫人がクライムス邸に侵入。ガルボンを探し一階を荒らす最中にクライムス夫人と揉めた。
「一階だけ?」
「ええ。すぐクライムス夫人が飛んできましたから。そこにまんまとガルボンが帰ってきて──……」
そう言って、人に見立てた手に何度もペン先を振るう。
そのままばたりと倒れるジェスチャーに、ロックは満足げに頷いた。
「そんときの野次馬みんなに聞いたから間違いない。それで、なにか変なことはありましたかい?」
「いや。痴情のもつれからの襲撃としては典型的なものだよ。部屋という部屋を荒らして探してるから、余程の恨みだね」
「恐ろしいですよなぁ──やっぱり、そこでおしまい?」
あぁ、とロックが頷くものだから、記者は不満を隠さない。
「でしたか……もう少し、記事に”味”がほしいところだけどな
「二重生活の時点でもう濃すぎないか?」
「ですよねぇ」
ロックの言葉に、記者は燻る思いに折り合いをつけたように、肩を落とした。
新聞というのは記事に色や味を盛りたがるもの、とロックが言っていたのをユリエルは思い出す。
記者が記事を売るのは大衆紙らしい。雑なほどに甘味ごてごてと言ってもいいゴシップが氾濫する界隈だ。
記者が欲しがったのも、そこに盛るに丁度いい材料だったのだろう。
惜しくもそのもくろみは外れてしまったが。
「僕は最初、てっきりやった強盗か何かかと思ったんですけどね」
「まさか身から出た錆びとはなぁ」と記者は天を仰いで、しみじみと唸るように呟く。
「女性問題ばかりだと言ってたろう。そこは怨恨とかじゃないのか?」
「トースタンはね、資産を誇ってたんですよ。”これ”はお忍びだとか色々言ってね」
そうして遊び好きのキザな貴族を演じて、あちこちの女性にちょっかいをかけていたのだという。
ホラ吹きそのものな言動。だがクライムス邸を見るに、あながち嘘は言っていなかったらしい。
「庭付きの豪邸に良いメイドとか、言いたい放題。重騎士を持っているとかまで言ってましたよ」
なんとなしにそう言った記者は、取材対象から険しい視線を向けられていることに、思わず驚いた。
そして傍ら、助手の少女に同じ視線を向けられていることに、二度驚く。
「どういう事だ、”騎士”を持っているだと?」
「前にリンファ様の想い人が話題に上がったとき、そんなことを言っているのを聞いてさ!」
──「『マスクマン』、そんなものが良いのか? 俺も持ってはいるが……」
公演の後のバーの中、そんなことを呟いていたのだという。
「直後にずいぶんと慌てて周囲を警戒してたから、本当なんだろうってな」
「その話、他に聞いたのは」
「一人は確実。靴屋のジェイムソンだ。思わず互いに確かめたからな」
それ以上はしらない。記者は苦い顔でかぶりを振った。
「そのジェイムソンっていうのは?」
「ずいぶんとシャイなやつでね。リンファ嬢の目の前にも出れず周囲をぐるぐる、そういうやつさ。」
●
ぐびり、ぐびりとユリエルの細い喉が音を鳴らす。
ユリエルは差し出された紅茶を一気に飲み干すと、カップをソーサーに叩きつけんばかりに荒く置いた。
その勢いに甲高く鳴ったカップの音が事務所に染み入っていく。
「お疲れさま、だな」
「ほんとよぉ……もう一度はやっぱりキツイわぁ」
まったくだ、とユリエルも大きく息をはいてソファに身を埋めた。
身を受け止めたソファは柔らかくて、どこまでも沈んでいきそうな不安と誘惑を与えてくれる。
なんでも”師匠”がさる筋からの依頼を解決した際にもらったものの一つらしい。
その値段や凝りようには眼を剥いたものだが、もはやそんなものは気にならず、ユリエルのお気に入りだ。
そうして顔までも埋めてだらけている姿に苦笑するロックを、ユリエルはにらむ。
「いやはやすまない。だが、今度は倒れずに済んだだろう」
「でもまだキツいの……どうしたのよ。唐突に屋敷に戻ったりして。なんか二階を見たら帰っちゃうし……」
邸やら駐機場やらぐるぐると回っていたような気がするが、ほとんど覚えていないのがユリエルの正直なところ。
馬車に揺られて気を保つのに精一杯だった。それでも気絶せずにいられたのは、大きな一歩と思いたい。
「──それじゃあゴンツォが面食らっていたのは覚えてないのか?」
──もう一歩進みたい。
「現場の屋敷では部屋という部屋が荒らされていたのは見たな」
「ええ」
「二階を見て、気づいたことは──ないか」
「……荒らされてるのは覚えてるんだけど。何かあった?」
ロックには引っ掛かるものがあった。
惨状に変な所があったのだろうか。ユリエルにはわからず、首を傾げるしかない。
「ゴンツォは二階まで荒れてると言っていたんだ。だが、記者は一階を探っている最中に夫人と揉めることになったと言う」
「……警察の方が、きちんと中まで見たんじゃないの?」
「だが、記者は野次馬から聞いた。それも当時見ていたやつらだ。そっちじゃ一階で荒らしは終わったって言う」
「言ってることが違う?」
二階でも荒らし回ったか否か。食い違うのはその一点。
「そうだ」とロックは頷いた。
「野次馬の言葉、信用できるの?」
「さぁ。所詮は野次馬だが、それを集約した結果があの記者の言葉だ。二階で荒らすのを見たのは居ようがない」
ひとまずは信じてもいいと、ロックは言う。
「お前がうつつな間に、荒らされた部屋を見た」
その荒れた光景にロックは、違和感を感じていた。
まず、トーリン夫人が荒らした一階。
誰かが隠れそうな場所は乱暴に引っ掻き回していた。絵画から家具、壁まで有るものは振り回されたナイフで傷だらけの有り様だったという。
しかし二階は、違うというのだ。
「家具とかに大して傷がない。そしてやけにあっさりしていた」
「あっさり?」
「変に荒したりはせず、棚とかを中心に小物のある場所を中心に漁っていた」
「でも犯人は恐慌……というか狂気に刈られた状態よね」
「これ、空き巣の手口だよ。金目のものとか、小物を目当てに漁っていく」
「ってことは、別人……火事場泥棒ってやつですか?」
「だったらいいがな」
だから、ゴンツォも慌て出した。
そう言って、ロックは革の椅子に身を下ろした。部屋の奥、大きな机に据え付けられた大きな黒革椅子。
そこに身を沈ませる彼は、どうにも浮かない顔で、窓に写る景色を眺めていた。
「何か気になる?」
「どうしてもな」
「……重騎士ですか?」
「かなぁ……だが失くなった物を探そうにもあそこに人はいないからなぁ……」
「え、そうなんですか」
「クライムス夫人はトーリン夫人へ反撃の挙げ句負傷して入院している。メイドも付き添っているからな」
あの家には誰も居ないことになる。
家の人に会わないわけだ。
「まぁそれは一先ず置いておこう」
「あら、突っ込まなくていいの?」
「気になるのは確かだが、トースタンの方は”ついで”。行き詰まったが故の息抜きだ」
「それで私の息が詰まっちゃしょうがないんですけどねぇ……でも行き詰まりなんて──」
「仕事を忘れたのか? 『マスクマン』操縦者探しの対策」
「──あ」
すっかり忘れていた。
「お前が変装が嫌だと言うのだから、考えなくてはいかんなぁ」
ユリエルが心底思ったことは一つ。
──息が詰まっている方がマシだったわ!




