5.《ノックス:改-あらため-》
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霧の漂う、マンチェスターの大橋。夜半寝静まったこともあり、静かに流れる運河の水音だけが辺りを満たす。
そのなかに、コツコツと響く足音がある。ロックだ。
靴底を石橋に叩かせ歩くと、その足を止めた。
険しい顔で見つめる先に、大きな自動車の明かりが一対。
その前には男が一人、立っていた。
「ようやく来たようだな、探偵くん……!」
傾斜のある橋の上方で見下ろすようにしていたのは、きっちりと仕立てたスーツにシルクハットの男。
その低い声は、嘲るように上ずっていた。
「招待状の時間にはまだ余裕があると思うが?」
ロックが懐から出した手紙に、”先生”は不敵な笑みを浮かべた。
「それはすまない。いささか気がたってしまったようでね。待ちきれなかったのだよ」
「気にするな。それはこちらも同じだ。それよりも、二人は無事だろうな!」
「あぁ、ここにいるとも」
さっと手をあげれば、車からあの凸凹二人が降りてくる。
伴うのは二人。ユリエルとアニーだ。銃口を向けられたり、担がれていたりと身動きはとれそうにない。
「お前たち!」
「ロック……」
「ごめんよぉ、にいちゃん」
ずいぶんと意気消沈した様子。だが、一目でわかるような怪我はないのは、ひとまず良しか。
「ささと返してもらおうか!」
「その前に、ブローチを見せてもらおう!」
ロックが懐から取り出したのは、錆びだらけのブローチ。
「──あの光……」
ユリエルが見つめる先で、自動車の明かりに照らされて、ブローチは鈍く輝いた。
「やっぱりそうなのね!」
「あ、こら、暴れるなってこの女!」
「放しなさいよ!」
チビが引っ張り込んで取り押さえる。アニーのほうはノッポに肩に担がれて、足をじたばたと暴れさせている。
静かにしてろと一喝しても変わらないので頭を痛めながらも、”先生”は悠然と構えて言った。
「ご覧のとおり、二人は元気だ」
「放してもらおうか」
「それなら、交換だ──そのブローチを、投げてもらおうか」
「しょうがない、か」
「ダメよ、ロッ──」
「ああもう、うるさいっての!」
ユリエルの口に無理矢理布が当てられたのをみて、眉を潜めたロックはその腕を振りかぶった。
「そうれ!」
掛け声とともに放たれたブローチは、きれいな放物線を描いて霧に潜っていく。
そして、”先生”の開かれた掌にぴったりと収まった。
見事受け止めたブローチを見分して、先生は満足げに頷いた。
「うん、確かに私のブローチだ。こんな錆を真似する偽物など用意できるはずもない」
「勝手なことを言うな、オレのだぞ!」
「私のだ! ほれお前たち、さっさと返してこい!」
へい、と嘲笑うように返事をして、凸凹二人は人質を突き飛ばした。
一味はとって返すように車に乗り込み、エンジンを吹かす。
それにも目もくれず、蹴躓いて転がった二人にロックは駆け寄った。
口元を覆う布を剥がすと、ユリエルは叫ぶ。
「なんで、投げたの!」
「お前たちを助けるためだ。無事か?」
「あいにく何事もね……卑怯な事を言うわね」
「卑怯……?」
「にいちゃん、次オレね」
首をかしげながらもさっとユリエルの縄をほどくと、アニーの縄に手をかける。
「なにを悠長にしているんです!早く追わないと!」
「いや、大丈夫だ」
追いかけようとするユリエルを、ロックが止めた。アニーの縄が切れる。
何が、と憤慨しそうになった、その瞬間。
甲高い警笛の音が周囲に響く。
そして橋を包む、鬨の声。
「──突撃ぃ!」
グラントの掛け声のもと、橋の両脇から警官があふれでて、一味の車に群がっていく。
車ももはや止められて、”先生”や凸凹二人の悲鳴が遠く響いてくる。
蹴って殴って、押して押されて。車の屋根にまで乗って、一進一退の攻防が続いていたが、一味はさすがに警官の波に押し潰されそうになっていた。
いかに”先生”といえど、数に押されてまともに抵抗もままならない。
「あらまぁ……警察を呼んでいたのですか?」
「誘拐文なんて送られて警察の準備をしない訳があるか」
「ま、そうだよなー」
「そもそも、おっさんの現場でやられたんだ。メンツを潰されてカンカンだったからな。勝手に来たんだよ」
しかりとアニーは頷いているが、ユリエルの表情は険しいままだ。
「──って、そういうことじゃないっの! あのブローチを取り返さなきゃ、喚ばれちゃう!」
「喚ばれる────な、それは」
はと、思わずロックもユリエルを見つめ、一味を振り仰いだ。
「おい、あのブローチはまさか──」
「──ノックスのパイプと同じよ!」
二人の叫びに、背伸びをしていたアニーが首をかしげたその時である。
警官の山の中から光が迸ったかと思うと、警官が弾けるように吹き飛んだ。
衝撃は橋を広がり、霧をも吹き飛ばす。
橋が悲鳴に覆われるなか、その中心で”先生”が屋根も消えた車に足元に踏みつけ立っていた。
握りしめているのは、あの赤錆だらけのブローチ。
「うわぁぁっ!?」
「くっ……」
吹き飛ばされる警官に揉まれそうになりながらも、ロックは耐えていた。
ロックが二人を咄嗟に抱き締めていなければ、三人まとめて衝撃に飛ばされてしまっていただろう。
アニーと一緒にかばわれながら、ユリエルが叫んだ。
「始まった!」
「──動き出せよ!」
驚きおののく警官たちが固唾を飲むなか、ブローチを振り上げ天に掲げると、眩く溢れた光は渦巻くように”先生”に纏わりついて、その身を包み込んだ。
その光の周囲に浮かんだのは、いくつもの言葉。細雲のように周囲に浮かんでは、光に吸い込まれていく。
『ははは、動いた、この力が手に入る!』
光の中から、歓喜に沸く声が聞こえてくる。
警官に混じって慌てて離れた凸凹二人も、震えるようにして見守っていた。
『まったく、こんなものに気づきもしないとは目のないやつらばかりだな!』
「あわわわ……」
「や、やばい……やばいよ……」
恐れ抱き合う凸凹の見る先で、光が一気に膨れ上がり、風船のように弾けた。
「──重騎士だぁ!」
二人の叫びが、橋に響いた。
橋の袂、運河に現れたのは、巨人騎士。
全身の装甲をまだらな赤錆で覆った、細身の鎧姿。左手には錆びだらけの盾を。右手には錆びだらけで先の欠けた、長剣で”あった”であろう剣を握っている。
引き裂かれるような異音を空へと立てながら、剣を横に伸ばす。
呆然と見上げる橋の警官たちへ、ゆっくりと剣を振った。
『はっはっはぁっ! ロンドンの貴族から盗み出したこの重騎士!こんなものに貴様らなんぞても足も出まい!』
ぎこちない動きで剣を箒のようにして、警官を橋から払い落としていく。運河に落ちて、次々と水音を立てた。
『ほうら、逃げ惑え逃げ惑え!』
もう一度腕を伸ばせば、警官がわらわらと散っていく。”先生”の高笑いが、夜空に響く。
●
「大変だよぉねえちゃんにいちゃん!」
アニーが、赤い髪を振り乱してロックにしがみつく。帽子がないことにも気づかない慌てようだ。
三人は逃げ惑う警官の波から外れて、橋の隅に固まっていた。
暴れる赤錆の騎士はつぎつぎと警官たちを追いたてている。その度にはしゃぐ声をあげる先生は、まるで子供が蟻で遊んでいるかのよう。
その錆びだらけの姿を見て、ユリエルは苦々しく声を上げる。
「あぁもう。召喚、首、格納操縦席。間違いなく重騎士だわ。こんなときに本物を見るなんて!」
「やっぱり、そうだったか」
ロックも、一目見て確信した。あの不思議な光。その中から現れた巨人の騎士。
──ノックスと、よく似ていた。
「パイプと同じ……あのブローチが同じ鍵か。盗まれるとは、持ち主はとんだ間抜け……人のことは言えんか」
「あなたが投げないのが、一番よかったんですけれど」
「ユリエルが人質だったからな。仕方がない」
「……帳消しにしといてあげますよ」と、口を尖らせながらユリエルは言う。
「それよりアニー、大丈夫ですか。どこか打っちゃいました?」
「二人とも、うるさい……」
アニーはしゃがんで、耳を押さえていた。
二人が声を出すたびに、びくりと震えている。
赤錆の騎士が動く度に悲鳴のようなけたたましい擦れる音が周囲に響き、言い合う声はどうしても怒鳴るような大声になってしまう。
このような騒音は、工場のなかくらいだろうか。
ノックスを使うせいか、その整備をするせいか。
ロックもユリエルも、これほどの騒音でも”うるさい”程度には慣れてしまっていた。
だとしても、二人からしてもらあの重騎士は非常に”うるさい”のだか。
「しかし、ずいぶんとやかましい重騎士だな」
「あれは中まで錆びだらけね。元の持ち主はよっぽどの間抜けのズブで考えなしね!」
「錆びるのか」
「手入れを怠ればね!海中に沈んだ重騎士とかも結構厳しいわよ」
「……錆びるのかぁ」
ひどく眉を潜めるユリエルは、落胆のため息と共に首を振った。
「まったく、どこのバカなのよ!」
「重騎士の鍵を盗まれたなんて話、どこの新聞の記事にも無かったな。まだこっちまで届いてないか、気づいてないのか……」
「貴族の重騎士だというじゃない。なら言えるもんですか! 紋章とか血とか一族に代々伝わるとか、”尾ひれ”を貴族は気にするのよ。重騎士はその象徴だってのに……」
「没落でもしてたのかねぇ」
「そう信じたい……」
重いため息に、ロックは額を押さえため息をつくユリエルの顔は、悲痛に溢れていた。
「この音はね、重騎士の”泣き声”よ。あのまま動けば、そのうちに立てなくなる」
「なら、どうにかしてあいつからも取り返さなくちゃな」
二人が、示し合わせたたようにアニーを見た。いきなりのことにアニーの眼は、訳もわからずふたりの顔を行き来する。
「アニー。パイプを、渡してくれ」
しゃがんで目線を合わせて、ロックが言う。
じっと、揺れる鳶色の瞳を、覗き込む。
「にげない、の?」
「悪いが、そいつはできない。それがあれば、あの重騎士をやっつけられる」
アニーの手を示す。懐のパイプを服の上から握っていることにも、気づいていなかった。
「これ、なら……」
確かめるようにユリエルを見れば、彼女も深く頷いた。
「じゃ、じゃあ……」
おずおずと差し出したパイプ。そっとロックは手に取った。
そして一緒に、アニーの手も取る。
「ふぇ、え!?」
「──ユリエル!」
「待ってました!」
握られた手に、ユリエルの手も重なった。
あばれる重騎士を指し、叫ぶ。
「墓場に送ってあげなさい!」
「取り戻すんだよ!──行くぞ」
「ええ、合わせて、アニー」
何のことかとアニーが二人を見上げた時である。
「”──さて、始めよう”」
重ね合わさって紡がれた二人のその言葉を、慌てて追っていく。
●
「──彼は明白な悪である!」
「──これは至るには、超常の無きものである!」
「──この解は、誤魔化し無き明白のものである!」
──訳がわからなかった。
アニーはもはや口を動かすのも忘れて、それを見上げていた。
最初の言葉で光の中から出てきた、あの大きな金属のつぼみはなんなのだろう。
「──この解に至るは、明解であるものである!」
「──この解に至るは、妖魔関わらぬ潔白の道である!」
「──この解に至るは、偶然によらぬものである!」
二人が言葉を唱えるたびに、花びらが一つ、また一つと眩しい、金色に輝いていく。
まえに父さんがどこかからとってきた首飾りのような眩しさ。でも、ギラついたあれとは違う、優しい色。
「──この解に、我らに悪は微塵も無し!」
「──ここに至る解法は全てを明かすことができる!」
「──此度の問いはここに全て明かされた!」
そして、さっきの"先生"の騎士の光ともよく似ている。
でも、あんな乱暴な力を感じない。むしろ、暖かいような──。
「──ここに在るは己の闘いである!」
「──ここに十戒は果たされた!」
花びらが光に満ち、二人が高らかに唱えたとき。
つぼみから光が漏れ出して、アニーと一緒に三人を包み込んだ。
「何……なに!?」
「大丈夫だよ」
驚くアニーの肩を、ユリエルが優しく抱く。
それでも、まばゆい光に思わず目をつぶった。懐かしい、暖かさがあった。
ふと目を開ければ景色は一変していた。
目線には、連なる屋根。
足元では、またも警官が右往左往。彼らがこちらを見上げて、大きな口を開けているのがよく見える。
何事かと騒ぎ立てる、なんともな間抜け面。それでも、笑う気にはなれなかった。
たぶん、いや絶対。自分も同じ顔をしている。
隣に座るロックの姿を見て、そう納得するしかなかった。
彼が座るのは操縦席。そこいらの雑騎士と似たような、複雑な機械に囲まれている。
「これって……重騎士……!?
「ええ、そうよ。安心して、この子が《ノックス・改》」
──あなたに分かりやすく言うのなら……
「──《マスクマン》……」
誰の声だっただろうか。
ユリエルか、ロックか。足元の警官か。それとも、自分自身か。
ロックが、操縦捍を一気に押し込んだ。
●
けたたましい駆動音とともに剣と腕がぎこちなく振り回される。
追いたてられる警官は阿鼻叫喚。
橋を逃げ惑い、突き飛ばされててて川へと落ちていく。
なにせ相手は重騎士。警察騎でもなければ手が出せない。
『逃げろ逃げろ!警察のワークなんぞこのゴルフォナイトに敵うものか!『マスクマン』でも呼んでこい!』
『あいよ!』
『──え』
橋を挟んだ向かいに光が溢れたと思うと、巨大な騎士が現れた。
反応の遅れた赤錆を、巨体に見合わぬ速度で殴り飛ばす。
『ぬわあぁぁ!?』
情けない悲鳴と共に赤錆は仰向けに倒れて川に沈む。
弾けた波が川岸に押し寄せて、命からがら岸に上がった警官たちに襲いかかって悲鳴が上がる。
きしむことにも構わずすぐさま赤錆を起き上がらせた”先生”は、相手の姿を見て目を剥いた。
『白黒の、重騎士──《マスクマン》!?』
『ご名答!』
わずかな助走で橋を飛び越えたマスクマンは、そのまま赤錆へと飛び蹴り。
赤錆がどうにかよろけるだけで済ませたのにも構わず、ひたすら殴った。
鈍い響く殴打の音。騎士の戦いに河が荒れ狂う。
たまらんとばかりに慌てて距離をとった赤錆は、剣をを振りかぶる。
先生の悲痛な叫びが響いてきた。
『なんで殴るのなんで蹴るのぉ!? 騎士なら剣を使いなさいよ!』
「あいにく、コイツにはあんまり必要なかったんでね!」
錆びだらけの剣を、マスクマンは籠手で弾いた。
ノックスの拳はさらに厚くなっている。ミトン状のまま、その上から手まで覆うように籠手が当てられて、その拳をさらに頑丈にしていた。
鉄を重ねた籠手は、盾にできるほどに硬い。それで錆びだらけの剣など、そうそう貫けるものでもない。
そしてそのまま殴れば、硬さは威力となって赤錆の騎士に襲いかかる。
赤錆は錆びだらけの楯で受けるが、殴られる度にポロポロとこぼれるように崩れていく。
『なんで崩れるのぉ!?』
『錆びてるから、だろぉ!』
持ち手の周りだけ残して縮んだ盾を見て、”先生”は驚いたように叫んだ。
これで、相手に武器はない。
『ええい! まだ手足がある!』
吠えた赤錆が、腕を振るう。
”騎士”が人型だからこその、最後の武器。
「そいや」
『ぬおぉっ!?』
だが、つき出されたその拳を『マスクマン』はあっさりといなした。
それどころか懐にもぐり、顔面に裏拳一発。
『画面が、画面がぁ!?』
「こっちの方に踏み込んでくれるとは、ありがたいこと!」
もがく赤錆に『マスクマン』の蹴りが一つ、ともに叩き込まれた。
●
ユリエルの膝の上でしがみつきながら、アニーは呆然とその光景を見ていた。
ロックが操縦捍を動かす度に『マスクマン』が動き、錆だらけを叩きのめす。
その動きはすさまじいもの。足元の河を揺らして、赤錆を殴り、叩き、追い詰めていく。
「すっげぇ……」
「ふふ、でしょう?」
頭上から聞こえたユリエルの声に気づいて、思わず振り仰いだ。
「姉ちゃん……」
「いいでしょう? ノッ──『マスクマン』は」
鼻唄でも奏でそうな、今日一番の喜びに満ち溢れた声色。満面の笑み。
先程までの焦っていた姿とはまるで違うその姿を驚いて見つめていると、彼女は首をかしげる。
「あら、どうしたのかしら」
「嬉しそうだね」
「ふふ、ええそうでしょうそうでしょう!?」
「本当に、乗ってるんだもんね」
──これは本当のことなのだろうか。
何度も埃まみれの路地裏から見上げた『マスクマン』。
そのなかの椅子に、座っている。
夢かもしれない。
そう思うたびに画面が、操縦席が、己自身が揺れさぶられて、それが現実であることを叩きつけてくる。
驚いたあまりに興奮すら置き去りにされて、周囲がよく見える。
ふと、気づいた。
「……もしかして、何度も乗ってるの?」
にかりと、静かな微笑みをたたえる。それが答えだった。
「……秘密よ?」
「ずるい」
「私が整備してるのよ。いいでしょ、それくらい」
膨れっ面とともに、ぎゅう、と抱き締められて息を漏らす。
「──むぅ」
「あら、ごめんなさいね──あら?」
はて、と首をかしげたユリエルは、アニーを抱き締め直す。
むず痒くて声をあげていると、ロックの鋭い叫びが引き裂いた。
「──揺れるぞぉ!」
ロックの叫びに、アニーは腕の力を強めて、必死にしがみつく。
顔をユリエルの胸元に埋めても、目の前の”騎士”から視線はそらせなかった。
●
『こ、こんのぉ……』
あんども殴られて、赤錆の騎士はふらふらだ。走行にはわずかに歪みや欠けも見える。
『ま、まだだ、まだやられんぞ。こいつの実力は──』
「さっさと、降参しろ」
『いいや、やれるさ!』
それでも、赤錆は立つ。構える。闘志を燃やす。
「なんだって、そうも血気盛んなのかね」
『せっかく手に入れた重騎士なんだぞ!』
「そうかい!」
一気にノックスが駆け寄るが、赤錆は対応しきれない。
伸ばされた手も掻い潜ると、赤錆の両肩をつかみ、一息に押し込んだ。
『ぬ、ぬおおぉおっ!倒れるものかぁ!』
『倒れろ、よ!』
よろける赤錆は転ばぬように仰け反って、腕を回す。
必死にバランスをとろうとしているその足を、ノックスが払った。
グラリと、赤錆が傾いていく。
『あ、ああれぇえ!? な、なんでこうもあっさり!?』
『整備不良に決まってる!』
『ああっ!』
『借りものなりにしっかり手入れをしておくんだな』
おおきな水しぶきが上がる。辺りに歓声が響き渡った。
『──うわ、うわあ水、みずがボボ!』
水の音と一緒に叫びが聞こえたかと思うと、そのまま河に沈んだ。
横たわった赤錆の騎士。
抵抗をなくし動かなくなったかと思うと、胸元から一気に泡が吹き出した。
「操縦席が開いたわよ」
その様子を操縦席から見て、ロックの後ろからユリエルが心配そうに覗き込む。
「う、浮いてこない……?」
「いや──」
「川下にいた!」
ロックの膝の上で、その言葉を遮ってアニーが叫ぶ。
示した先では浮いた錆びのなか、紛れるようにひっそりと泳ぐ先生の姿があった。波を立てないように気を付けているが、シルクハットが相変わらずなのでどこにいるのか分かりやすい。
「帽子のところにいるぞ、追え、追えい!」
それを目安にして、両岸から警官たちが追いかける。
「まってー!」
「待ってくれよ先生ー!」
その後ろから、錆の破片をいかだにした凸凹二人が、これまた破片を棹にして必死に追いかけていた。
「俺たちが追いかけるわけにはいかないな」
「不完全燃焼……ッ!」
「無事に終わっただけいいだろう。こいつも取り返せた」
悔しそうにするユリエルを、ロックはなだめる。
悪用が嫌いなユリエルも、活躍は欲しいもの。
複雑そうに顔を歪ませていた。
ノックスを置いてけぼりにしたまま、騒動は行ってしまう。静まり返る橋の周囲でノックスの足元、川底には赤錆の騎士が置きっぱなし。
水面から突き出た腕が、なにかを求めるように、空をつかんでいた。




