1.雑踏の中、見上げる
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マンチェスターの中心街。
あちこちにレンガ造りの大きな建物な立ち並ぶ町並みのなか、多くの人が行き交っている。
中心街のなかでも特に人が多いのは、駅の周辺だ。国中を結ぶ鉄道網では人や物問わず多くが運ばれて、ひっきりなしに行き交っている。
玄関など特にひどい有り様だ。階段を上がった先の駅舎で列車を求める人、列車から長旅を終えて降りてくる人と多くが詰めよって混雑を生んでいる。
今もまた、大きな”波”が押し寄せている。到着した列車から降りた人たちが、荷を抱えて出てきたのだ。
その波のなかを潜ってやっとこさで出てきた三人の男たちは路地の隅に寄って、その光景に感嘆の息を漏らした。
うねるように動く波に、シルクハットの男が思わずといったように言葉を絞る。
「ここも、人が多いなぁ」
「ロンドンと全然変わらないですね、センセ」
「静かにしてろよ、誰が聞いているかもわからないんだぞ!」
無邪気なように笑うノッポの男を、チビ男がたしなめる。
慌てたように周囲を警戒して目を凝らす二人を、今度はシルクハットがたしなめた。
「あんまり回りをじろじろ見るなと言ってるだろうが。怪しまれたいのか」
「わ、わかってますよ先生!」
チビに倣うようにノッポも口笛を吹き出すのを見て、”先生”は眉間を揉む。
「ロンドンからマンチェスターくんだりに来てまで、こいつらは相変わらずか……」
ロンドンからマンチェスター、列車にすれば190マイルほどにもなる道のりを遠路はるばるやって来たと言う三人組。
ピンと伸ばした背筋、きっちりと仕立てたスーツにシルクハットをいなせに着こなす男はともかく、チビとノッポの二人はスーツに慣れないのか時おり窮屈そうに身じろぎする。
二人は退屈げに靴を鳴らしたりとその行動の節々に粗野が介間見えるのだから、余計に奇妙なものであった。
「さあて、仕事はどこにするかなぁ……」
街を眺めて先生は思案していた時だった。
わずかな地響きと、歓声のようなものが聞こえてくる。
「おお……すごいよアニキ! 雑騎士が戦ってる!」
慌てたような歓声とともにノッポが指差す先、約330ヤード。
白く塗られた建物の間から現れたのは、戦いあう騎士の姿。たたらを踏む緑の騎士を、白黒の騎士が殴り、圧倒する。
「いやマジだなすげぇや……見てます先生?」
「見ればわかるよ。緑のと白黒のだな。だが白黒は雑騎士じゃない、重騎士だ」
「え、それほんとですか」
「嘘言ってどうするよ。よく見てみ。白黒の方には頭があるし、滑らかな動きとパワーで圧倒している……んー?」
「どうしました?」
「いや、なーんか白いの見覚えあるような……いやそれにあの手足……まさかあれも雑騎士じゃ──」
「どっちなんですか、先生」
多くの人が足をとめるのと同じように、三人もまた突然始まった試合を面白そうに眺めていた。
「────っ!」
しかし、その間に突然の緊張が走る。
背後から、サイレンが聞こえてくる。警察車両が先陣を切って走り、そのあとを警察ワークナーが轟音と振動をたてて走っていく。
「ひー……ビビったよアニキ……」
「心配するな、弟よ。俺たちが相手じゃないから大丈夫だって」
「そ、そうだぞ二人とも。なにも気に病むことは無い。ドンと構えていれば──」
ドン、と当てられて先生の言葉が途切れた。少年がぶつかったのだ。
腹にハンチング帽を被った頭がめり込み、息が詰まる。よろめき転びそうになるがバランスをとって必死に耐えた。
「おぉ……っごぉぅ──」
「おっとごめんよ!」
「──お、あ、こら、危ないから人混みのなかを走らないの!」
先生の注意も届かないようにハンチング帽の少年は走り続け、人混みを巧みに掻い潜って路地裏に姿を消した。
「なんだい、アイツは。大丈夫ですかい、先生」
「あぁ、ガキだよガキ。全くもう礼儀がなってない。親御さんは何を教えてるんだ」
せっかくの服が汚れるじゃないかと、いやそうに服をはたいて埃を落としてく。
「はたきますか、センセ」
「そこまでの気遣いはいら──」
胸に手を当てて言葉が止まったのを承諾ととったのかノッポが背中からはたき出すものだから、先生は叩いて止めた。
「ぎゃっひっ!」
「イランと言うとろうが!」
頭を押さえるノッポをよそに、全身を叩きまさぐる”先生”の姿を、チビは不思議そうに見ていた。
「ない───ない、ない、なぁぁい!」
「何が無いんです」
「あの”ブローチ”がないんだよぉ!」
思い当たって、あぁ、と二人が頷く。
先生は服もひっくり返しそうな、紳士然とした立ち振舞いも吹き飛んだ慌てよう。
落としてないかと、足元からやがて四方にまで周囲に目をやって、少し行った先の路地裏への角に目を止めた。
ふいに、先程までの出来事が思い浮かぶ。
「あぁっ……さっきのガキンチョ……」
大口を開けて唖然とする”先生”の言葉に、取り巻き二人も合点がいったように深く頷いた。
「なるほど、スラれたか」
「あーあ、ひどいねそりゃ」
「そうそう。先生が盗まれるなんてひどいことだよ」
「冗談キツいよね」
「うるさぁぁぁぃ!」
口々に言う二人を一喝。
慌てて姿勢を直す二人に、鋭く言った。
「さっきのガキに決まっている!あのブローチをさっさと取り返してこいお前らぁ!」
「ブローチって……やっぱりあれですかぁ?」
「いくらセンセでも、あれはちょっとなぁ……」
「いいから行く!」
「ひいぃっ!いくぞ弟!」
「あいよアニキィ」
文句を垂れてた二人が、慌てたように路地裏に走っていくのを見届けた先生は、周囲の視線を取り繕うように背をピンと伸ばし、咳払い。
視線は鋭く、それでいて何事もないように、マンチェスターの街を散策しだした。
●
路地裏のなか、物置の平らな屋根に身を隠していた少年は、取り巻きの凸凹二人が慌てて走っていくのを見て、ほっと息を吐いた。
「へへへ、気づかない気づかない!」
さすがにそばから見上げても屋根の上は見えない。ここならすぐにはバレないだろう。
寝転がって空をあおぎながら、”今回の成果”を手にする。
「うぅわ、ひっでぇなぁ、これ。なんでこんなの持ってんだ?」
赤錆びだらけのブローチを日にかざして、文句を漏らす。だが中央にはめられたうっすら桃色がかった結晶をじっと見つめて、気づけば口が緩む。
「…………でも、きれいだ」
あとで宝石だけ剥がしてしまおうかと考えて、少年はブローチを懐にしまった。
──ががん、と轟音と振動が響く。
見上げれば、狭いビルの谷間から覗いて見えたのは、大きな白と黒の騎士。
ゆっくりと歩くその姿は、見る人すべてを引き付ける。
「かっけぇなぁ……ありがとよ、あんたのお陰でさまさまだ」
思わず声を漏らす。
どんな騎士もぶっつぶす、町のヒーロー。
注目を集めているその存在は、少年にとって”良い餌”だ。
”あれ”が動いているときは、スリには絶好の機会。人々は大口を開けて見上げてばかりと隙だらけ。
だからと言ってやり過ぎては意味がない。タイミングを知られたら、警戒される。
第一、手軽すぎて張り合いがないのが特に悪い。つまらない。でもやり易いから、甘えてしまう。複雑だ。
「欲しいときに来てくれれば一番なんだけど……そううまくはいかないよね」
叩いた胸のプローチは、大当たりだろう。
こんなのがいつも採れる訳でもない。今回は、本当に”良い隙”があったのだ。
それで追われるのはいつものこと。些事に過ぎない。
だから、通りすぎる”騎士”に感謝を込めて、大きく手を振った。
次もまた「良いものがとれますように」と、心から願った。
──少年は、まだ知らない。このブローチが、今までのたのしい人生で最悪で最高の出来事を呼んでくれることを。




