3.浮上するのは──
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半月の照らす夜。マンチェスターの工業地帯は薄もやに包まれていた。
川沿いの開けた一角の中に、巨大な建物の姿が浮かぶ。造船所だ。
大きな壁と大きな屋根としか言い様のない飾り気のない姿を、運河に沿って見せていた。
いくつか倉庫を抜ければ町という通行の便のわりに、夜ということを考えても人気が少なく、不気味なほどに静まり返っている。
その周囲に集まるのは、グラント率いる警官隊。家屋や物陰に身を潜め、突入の時を今か今かと待ち構えている。
一行の中に紛れたロックは、草むらの影に身を隠していた。そのそばにユリエルの姿もあることに、ロックはいい顔をしていなかった。
「別について来なくてもよかったんだが」
「あら今さら? 一緒に居ちゃいけないかしら」
「しかし君はまだ依頼人でもあるから、危険な場所には連れてきたくは無かったんだが……」
「相方とか言っといて、今さらでしょ」
それにね、とロックに指を突きつけて。
「大切なお父さんがいなくなるかもしれないっていう瀬戸際でしょ。端から見てるだけじゃ我慢できないわ」
まだ間に合うんですからね。そう言って、拳を握った。ユリエルは息巻いている。
「前には出るな──」
また口を開こうとして、ユリエルは手で遮った。
見て、とユリエルの目が示す先、静かに流れる運河の水面がにわかに波立った。水面の下を、何かが動いている。
「なんだ、あれは……潜水艇か何かか?」
「いえ、進み方からして、潜水してる雑騎士。水深からするに、川底を屈んで歩いているのかしら。腰と脚を痛めますのに」
無茶をしますね、とユリエルは苦い顔。あれが鯨か、とロックは噂を思い出して納得した。
その後ろから、小型船も静かに続く。エンジンはかけられていない。横にふらつく不安げな動きからみるに、潜水する雑騎士に引っ張られているらしい。
傍らにやって来たグラントは、険しい眼をして船を睨んでいた。
「ううむ、一機出てしまったか」
「どうしますかね」
「うちの警察騎はまだ余っている。全部は回せなかったからな。むしろ取り巻きが減って好都合というものよ」
雑騎士はもう居ない、と笑っていたその目は、鋭く工場だけを見据えていた。
カンテラに灯を点し、高く掲げた。
「──よし、突撃!」
「行くぞ」
「はいっ!」
ときの声をあげたグラント警部に率いられ、周囲からわらわらと溢れだした警官隊が造船所へ突撃する。
一気に押し入った隊の中、ロックとユリエルも続いた。
●
広々とした工場のなかは、引き込まれた水を囲うようにいくらかの作業機械が転がっているだけで、がらんとしていた。
搬入扉をこじ開けた警察騎が二機、悠々と並んで立てるほどには広い。
「馬車がありました!」
「馭者と警官も無事です!」
「おお、みんな居るか!」
先に入った警官から、すぐに報告の声が入る。
隅の物置から引き出された人々と馬を見て、グラントは喜びの声をあげた。
馬が五頭、人も十数人。馬車も奥に転がされていた。
人々の中に、メアリーの父、ジャックの姿もあった。
大柄毛深、頬の傷、茶の髪と、メアリーの話した人相にも違いはない。
「あなたが、メアリーの親父さんかな?」
「手紙を、読んでくれたのか」
「ああ。メアリーが──娘さんが探していたよ」
「──何もないのか?」
「何もなくベッドであなたの帰りを待っているよ」
そのことを聞いて、ジャックは安堵するように肩を下ろした。
同時に、残念そうなため息も漏らす。
「何かあったのですか?」
「……いや、終わった暁には娘の治療薬をくれてやる、なんて言われて残ってしまったんだ。実物も、確かにあったし」
そうしたら、来る日も来る日も防水加工に付き合わされた。実験のためだと、疲れた顔で言う。
「雑騎士の実験?」
「ああ──たしか、改造された雑騎士を三機と、おかしな──」
「まて、三機だと?」
先の言葉は、ざばり、と大きな水音に阻まれた。
工場に引き込まれた水から大きな水柱が立っていた。
それは高く伸ばされた”騎士”の腕だ。
がばりと開いた四指を、警官隊へと振り下ろす。
「うわあぁぁぁっ!」
一斉に警官隊が逃げ出し、そこに腕が叩きつけられた。
続くように水面が盛り上がり、手をかかりに雑騎士が真っ白な上半身を現した。
市井のものとは違う、体格の広い改造を施された雑騎士だ。
「水の中にまだ居たのか──引っ捕らえろ!」
警官隊が散り散りに退いて行く中、グラントが叫ぶ。
早速警察騎が制圧のために腕を伸ばすが、白の改造雑騎騎は体格に見合わぬ速さでその懐に潜り込むと、あっさりと殴り飛ばした。
たたらを踏んだ警察騎は背後のもう一機を巻き込んで倒れこみ、巻き込まれそうになった警官隊の悲鳴が上がる。
「くっそう、まだだ、まだやれるぞ!」
「ダメ、パワーが違う!」
「それでも一機だ!」
興奮するグラントにユリエルが指摘するが、聞いてくれる様子はない。
その時、改造雑騎士がもう一機、水面から顔をだした。それは森のような、萌える緑の色。
「二機も居るじゃないの!」
「一旦逃げるぞユリエル!──ジャックさん、あなたも逃げて!」
「ああ!」
白の改造雑騎士が振り上げた腕が、工場の屋根を引き剥がす。
崩壊する天井から逃れる警官隊の波のなか、グラントやジャック、人質も慌てて外へと逃げ出した。
その中に、ロックとユリエルの姿はなかった。
●
「こいつはいかんな」
波の中、抜け出したロックは造船所脇のくず箱の陰に隠れていた。
警察騎も力負けし、警官隊は総崩れ。これでは捜査どころではない。
「結局警察のもやられちゃってるじゃないの」
「良くあることさ」
ロックは懐から、煙草パイプを手に取った。
その馴染み深い金属の鈍い輝きに、ユリエルの目の色も変わる。
「やっぱりノックスを出すのね」
「これが結局一番だろうに。”あいつらの相手なら一度やってるしな」
「ええ、そうね──けれど、一つ良いかしら?」
”十戒”を唱おうとする口を、ユリエルが止める。
「あの警部さんたちには、正体をばらさないようにして」
「──何で?」
「どうしても」
ユリエルの願いに、ロックは眉をつり上げた。
ノックスを用いれば、強力な力となってグラントらに加勢できる。怪しまれることもなく、協力も楽にできる。
だが、それをユリエルは望まない。
その眼差しは、真剣であった。
何を考えているのか、ロックにはいまだ推し量れない。これもまた、彼女の祖父の薫陶なのだろうか。
「わかった」
「あぁ、ありがとうございます!」
どちらにせよノックスは借りているだけであり、ユリエルはその持ち主であるから、断ることはない。
パイプを掲げたその手に、ユリエルの手が重なる。
「君は逃げた方が……と言っても今さらか」
「ここが一番安全でしょ?」
「大した自信だな」
「だからあなたに託したんです」
微笑むユリエルにしょうがないと笑って、共に唱えた。
「──さぁ、始めよう」
●
外に逃げたグラントが見上げる先で、造船所の搬入口が轟音と共に内側から打ち破られた。
そこから投げ飛ばされてきたのは警察騎。
向かいの倉庫に叩きつけられ、瓦礫と共に崩れ落ちてもうもうと粉塵を巻き上げる。
次いで出てきた白の改造雑騎士は、もう一機の警察騎を引きずっていた。一方の手には、いつのまにやら斧がある。
『”サツ”共、さっさとどっか行っちまえ!虎の子が死んでも知らねえぞ!』
斧の刃先を警察騎のコクピットに押し当てて、白の改造雑騎士は叫ぶ。
グラントはただ、唸ることしかできなかった。
あの行動はあきらかな驕り。そうとしか、グラントは受け取れなかった。
改造雑騎士の圧倒的なパワーは、並みの警察騎は今の二機のようにすぐにやられてしまう。
それならやつらは、さっさと倒して逃げてしまえばいいのだ。
あの改造雑騎士らをどうにかできる装備は、警察騎がせいぜいのところ。だが、この場にある二機はやつらの手によってすでに沈黙してしまっている。
暴れているのは白の方だけだが、剣を持つ緑も同じだろう。
「打つ手、なしか……!」
歯噛みし、血が流れんばかりに拳を握りしめて、睨むしかなかった。
「警部、あれ──!」
警官の誰かが、叫んだ。
すぐに、グラントも気づく。
改造雑騎士の後方で、まばゆい光が溢れている。
溢れた光は巨大なつぼみのようになる。やがて弾けたかと思うと、そこには雑騎士のような姿があった。
──いや、違う。
すぐに、その正体に思い至った。
「あれは、重騎士か!」
グラントが呆然と見上げるなか、ゴルフォナイトは白のワークナーへと一直線にはしる。
その脚の速さは段違い。まるで牛のように猛然と体当たりし、列車の衝突のような轟音を当たりに響かせる。
『なんだぁぁっ!?』
突き飛ばされた”白”は情けない悲鳴をあげながらたたらを踏んで、近くの倉庫へと突っ込んだ。
瓦礫に埋もれていく”白”に目もくれず、重騎士は背後に振り返る。
”緑”が振り下ろした剣を間一髪避けると、その腕を掴んだ。
『ちょっせぇぇい!』
いささか若い男の叫びとともに”緑”は勢いよく前へと引き倒される。そして力のままに、”白”の埋まる瓦礫へ押し込んでしまった。
走力も、回避も、その一連の動きに雑騎士の鈍重さは微塵もなかった。
「なんと──……」
その勇姿を、グラントはまじまじと見つめていた。
その活躍にまともに声もでない。それは周囲の警官隊も同じだった。
突然の加勢はいたくありがたかった。己らの不足に、恥じ入る思いがあった。
そして、かの重騎士の姿には聞いた覚えがあったのだ。
「間違いない、あれは、工場地帯で出てきたのと同じやつだ……」
美麗な胴鎧と兜。そして布で縛り括ったような無骨な手足とのちぐはぐさは、またある種の美を醸し出す。
それは、以前の報告にあった”未登録”の重騎士の報告とよく似通った──いや、話通りの姿だ。
その姿を、グラントは胸にしっかりと焼き付けた。
「あれほどの力が、俺らの警察騎にもあればな……」
眩しいように、重騎士を見上げていた。
●
『ぐぅ……いきなりなんだ、てめぇ……』
瓦礫を撒き散らしながら、二機の改造雑騎士は立ち上がる。
その頑丈さに驚嘆しながら、ロックはその姿をにらんだ。
「まだ立つか」
散らばった瓦礫も踏みつけて、ノックスは二機へと歩み寄っていく。
「ロック、腕の予備はまだ無いんだから、気を付けてね」
「わかってるさ」
ユリエルの小言も隅に置いて、一定の距離を取ろうとする二機へノックスはにじり寄っていく。
その泰然とした、まるで無防備なノックスに向かって、白の改造雑騎士が飛び出した。
『痛いだろうが!』
先走った白色は、斧を横凪ぎに振るう。建物をお構いなしにえぐりながらノックスに迫り、空を切った。
『消えた──』
白色の操縦者には確かにそう見えた。だが、違う。
ノックスは足元に、倒れるように屈んだだけだ。
低い姿勢から、斧を空振った腕を取る。さらに白色の股へともう一方の腕を通した。
そのままノックスが立ち上がれば、雑騎士が持ち上がる。
頭上へと掲げ、瓦礫の山へと落とした。
ただ投げるのではない、雑に放っただけの作業。
それでも先ほどの白色が突っ込んだときと遜色ない轟音が響き、粉塵が舞い上がった。
散った粉塵のなか、白色はあちこちから懸命に動こうとする。しかし異音を立てるだけ。
やがて、動きも止まった。
操縦席のひび割れたガラスの中から辛うじて、気絶した操縦者の姿が見えるのをロックは確認した。
「次だ」
その威容をもう一方、緑の雑騎士は見ていた。ノックスの背後から剣を振り下ろすが、振り返ったノックスにあっさりと受け止められた。
ノックスは緑と向かい合い、がっぷり組み合った。
手に手をとり、互いに押し合う。
──だが、そこから先に進まない。
ノックスの腕がいくら”原典”に劣っているとはいえ、曲がりなりにもそこらの雑騎士とは一線を画する。
だが、形勢は動かない。
「どういう改造なんだか。ノックスと競り合うなんて」
「そういう分析は任せた!」
ロックはノックスに手の力を込めさせると、一気に緑の両手を引きちぎった。
その腹をつかみ、押し倒す。
背中から叩きつけられた衝撃は操縦席にも響き、緑の雑騎士は動かなくなった。
ひび割れ砕けた操縦席のガラスから、操縦者は気絶してるのが見てとれた。
「よし、これで終わりだ」
「無茶をするわね。手は大事にしてって言ったでしょ」
すまん、と平謝りしたロックは、周囲を見渡した。
警官隊は工場に突入したのかいくらか少なくなっている。
人質たちは、一部の警官に付き添われて町の方に離れていた。
道ひとつ分けたその町には戦闘音を聞き付けたのか、集まる野次馬が波を立てる。道だけにとどまらず、建物の窓という窓や屋上から身を乗り出して、ノックスを見ている。
やいのやいのとノックスを指差しているのを見て、ロックはなんだかこそばゆくなった。
「ずいぶん注目を集めているな」
「しょうがないけど、あまりいい気分じゃないわ。見世物じゃないのよ」
「ノックスは珍しいんだから、しょうがないさ」
不満げに頬を突いてくるユリエルに苦笑した。
●
ゴブリ、と川が音を立てたのは、そのときである。
川面が一気に泡立ったかと思うと、ノックスに向けて弾けた。
そのなかに、水面から一気に飛び出す”騎士”と思わしき姿がある。
「また水辺から!?」
「口閉じろぉっ!」
謎の”騎士”は眼にも止まらぬ勢いのまま、ノックスにぶつかっていた。
かき混ぜられるような強い衝撃が、二人を襲う。
ロックがノックスに腕を組ませて盾にしていなかったら、もっとひどい有り様になっていたかもしれない。
受け止めたというのに突き飛ばされたノックスは、倉庫も突き破り町の建物にぶつかってようやく止まった。
「ノックスが、押し負けたぁ!?」
「またパワーがけた違いだな……」
周囲の見物客が慌てて逃げ出すのを横目に、突然の乱入者を見た。
『ははは、見つけたぞドランクの孫娘が!』
その声が、響いてくる。
「その声、ベロムズ!?──やっぱり!」
「あんただと思ったよ」
『──ほう、わかるのか、貴様』
その声を聞き付けて、ベロムズも応じた。
「雑騎士なのに馬車も破片一つ落とさせない繊細な手。それでいて、”こいつ”と組み合うパワー。そんな手を作れるのは、まだあんたしかいない」
『嬉しいことを言ってくれるじゃないか!』
「あぁ、ロックはそこかぁ」
「違うのか?」
「私はさっきの二機。──あれ前の改造雑騎士をさらに大きくしただけだわ」
なるほど、と頷いてロックは目の前の乱入者を一瞥する。
それもまた、改造された雑騎士だ。
「だけど、またそんなのに乗ってるんだな」
『当然のこと! 実験場にやって来るとはありがたい!そいつに会えたのは僥倖!』
それはまさしく、機械の巨人。
ノックスとはまるで異なる無骨な装甲は、子供が無理矢理作ったようなハリボテ鎧のよう。
筋骨隆々の大男のような、大きなシルエット。だというのに首には潰れた頭のようなものだけが埋もれているのが、余計不気味であった。、
ノックスよりも一回りも太く大きな手足からは、けたたましく蒸気を吹き出している。
地に濡れたような真っ赤な色に全身を染めて、奇怪な巨人がそこに立っていた。
『このわしの《メカニクナイトIII》が貴様らを叩き潰してくれるわぁ!』
盛り上がった肩に埋もれた兜の中、大きな単眼がノックスを、ロックを、ユリエルを見据えていた。
「やっぱり改造雑騎士か」
『メカニクナイトIIIと言ってもらおう!』
「IIはどこに行ったのかしら」
『IIらの仇ぃッ!』
メカニクナイトの背から抜かれた棍棒を、ノックスは構えた両腕で受け止めた。
その威力は脚が押し込まれるほどにすさまじい。
ノックスの背が、建物に当たった。
『そうれ!』
「ち──」
「動いちゃダメ!」
これに当たり続けるのはマズい。
だが、ユリエルの悲痛なほどに鋭い声が、ノックスの逃避の足を止めさせた。
●
またも振るう棍棒をノックスは受け止める。
腕を盾に、何度も何度も大きく放られる棍棒を受け止める。
ノックスは殴るが、メカニクナイトは動じず棍棒を振り続ける。
『ははは、どうしたどうした!』
ノックスはその場を動かない。
乗るふたりも押し黙ったまま、耐えるように動かない。ただ、しきりに背後を気にしていた。
「ユリエル、後ろの状況はどうだ」
「ダメ、まだ動けない!」
雑騎士との乱闘騒ぎ。寝静まった夜を引き裂く戦闘音は、夜だと言うのに野次馬を町中からおびき寄せていた。
集まっていた見物客は、道を埋めるにとどまらず建物に上らせるほどであった。
誰もかもが、思わぬ決闘に歓声を上げていた。一合いの度に声をあげていたのだ。
──そこに、ノックスが吹っ飛んで来た。
巻き込まれた死者がいなかったのは、僥倖と言える。
だが、ノックスが最初に突き込まれた背後の建物には、逃げ遅れた人々が残っていた。
屋上や窓から次々と逃げ出しているが、ぶつかった影響から残されている人も多い。
振られる棍棒は、建物なぞ容易く破壊してしまう。
ノックスがメカニクナイトを引き離そうにも、その余裕も無いのだ。
「さすがに、それを見過ごすわけにはいけないからな」
「ロック、見て、警部さんたちが入っていく!」
「──ようやっと動いてくれるか!」
ノックスの足元をすり抜けて、グラントと警官隊が建物へ入っていく。
「さっさとやってくれよ……!」
何度もこん棒を弾くが、ベロムズはへこたれず執拗なまでに殴り続ける。
腰だめに構えた棍棒の、槍のごとき突き。それをノックスは、前にだした両腕で真正面から受け止めた。
押し出され滑る脚が、背後の建物にぶつかる。散らばる瓦礫に混じって、わずかな悲鳴が聞こえてきた。
『──なるほど、そういうことか』
「ま、さすがにバレるか」
『らちが明かんな。それなら──』
ベロムズが叫ぶ。
メカニクナイトの肩から、風切りの音と共に鏃が飛び出してきた!




