1.誰も彼も霧の中
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夜霧漂うマンチェスターの街に蹄の音が響く。
二頭立ての馬車だ。通常のものと比べるとまるで鋼鉄の箱のような、堅牢な作り。暗色の色合いは、夜の闇に紛れて目立たない。
まるで戦車でも作ったようなそれは、現金輸送車と呼ばれるものだ。
支店から本店へと現金を運ぶ道すがら、通るのは見張らしの良い広い道ばかり。夜で人は居なくとも、その姿はよく見える。
静まり返った工業地帯を脇目に通っていると、水の音が聞こえてきた。マンチェスターの街を南北に割る運河は、船もなく今日も変わり無く静かに流れていた。
日常変わらぬ通りの淀んだ腐臭のなか、橋を進んでいると不意に前を横切った人影に、御者は馬の脚を思わず止めさせる。
道を左右にくねらせて、重い馬車はようやく止まる。
人通りの多い日中であれば、こうもうまくはいかなかっただろう。事故もなかったことに馭者はほっと息をつく。
何事かと馬車から顔を出した男─警官だ─に、馭者は顔をしかめ人影を指した。
「なんだ、何があった」
「浮浪者が飛び出してきたんですよ。さすがに踏みつけたらあれですから避けたんですけどね。迷惑ったらありゃしない」
「まったく、しょうがないな」
「それなら踏んでもよかったんじゃないか」
「馬がかわいそうだからやめてくれや」
警官は嘆息する。
馭者も同意するように笑って、ふいに月明かりを遮った影に、頭上を見上げた。
光々と灯っていた月明かりがぷっつり途切れ暗闇が周囲を包み込む。
空を見ても雲があるわけでもない。突然のことにいぶかしがるように周囲を見渡して──
「なんだ……?」
「──ああっ!」
霧を割って現れたものに、顔色を変える。
馬も怯えを隠さずに震え、暴れる。
馬の悲鳴のようないななきだけが、霧に響いた。
「──ふっふっふ……テスト良好。新聞をご覧あれ、スポンサー様……!」
●
日も昇ったマンチェスターの町には、人が多く行き交っている。
手元に新聞を広げていたロックは、眼を引く記事を見つけて、先を行くユリエルに声をかけた。
「へぇ、見てみろユリエル。『現金輸送馬車 またも消え去る』だとよ」
「そう」
「『マンチェスターの街に現金輸送車が忽然と姿を消してまる三日。馭者一名警備三名も行方不明。マンチェスター警察のグラント警部が必死に捜査をしているも手がかりなし』と」
「そうですか」
「おいおいユリエル。もう少し新聞にはしっかり眼を通した方が良いぜ?」
目の前を歩くユリエルは、聞く耳を持たない。人混みを掻き分けて、足早に先を行く。
「それよりも、ちゃんとエスコートしてくれませんこと?」
「足早すぎるんだ。してほしいなら追い抜いてどうする」
「あなたが足を早めれば良いじゃない」
早めた足をもって並べば、ユリエルはこれ見よがしに記事を覗き込み、これまた見よがしに悲痛な顔で首を振った。
「これは怖いわねぇ。でも今この瞬間の私に関係あって?」
「それはわからない」
眉を潜めてあきらかに不機嫌と示されても、ロックは意にもかさない。
「こんな灰と喧騒にまみれたマンチェスターの街にも、重大なことはいくらでもある。些細な出来事が事件と思わず繋がっていることもだ。それを調べるのは探偵だけにとどまらない大切なことだ」
その答えに、ユリエルの眉は一層細まる。
「なら、それで私の問題は解決出来て? 探偵さん?」
「あぁ、それならもっといい方法──」
「失礼。ご高説はあとでよろしくて」
ユリエルはある建物の前で足を止めた。
軒先に吊り下げられた鉄の看板には、騎士の印。
雑騎士の部品の販売製造、果ては改造まで請け負うショップ。
《鉤の騎士》と銘打たれた店へ、ユリエルは足を踏み入れた。
「今度こそあるはずですとも!」
●
「ちっくしょうめがぁ!」
「口が悪いから止めなさい」
慟哭がマンチェスターの空へと響く。たしなめるロックの言葉もまともに耳に届かないようで、わなわなと手を震わせている。
「罵りたくもなりますわ!これで何軒目ですか、雑騎士の部品がまともにないって言うのは!」
「十は越えたよ」
天に吠えるユリエルを見て、ロックは肩をすくめた。
「まあさすがに妙ではあるが……そんなにおかしいか」
ノックスのパーツの在庫が無い、とユリエルが言い出したのは朝のことであった。
どうも部品が足りないことを見落としてしまったらしく散歩がてら買い付けにと、すぐに事務所を出た。
そしてほうほうの体で駆け回るユリエルを、新聞を買った帰りのロックが見かねてついていったのが、つい先ほどのことだ。
日も昇りきった今までマンチェスター中を駆け回っても、目当ての品が見つからないらしい。
──何をそんなに求めているのやら。
騎士について深く精通しているユリエルに対し、ロックはあくまで使いことが精々。
ロックがいくら騎士について学んでいようとその差は歴然。
ピンと来ないロックにユリエルはもはや憤慨した。
「今回必要なのはもはや基幹部品! 腕のパーツ、ようは骨なのですよ!」
わなわなと全身を震わせたかと思うと、天を振り仰いで吠えた。
「なんだってどこにもないのないのよー!」
「そんなに不味いのか」
「馬車の車輪とかその軸程度ですよ」
「最重要じゃないか」
そうですよ、とユリエルは口を尖らせる。やっとわかったかと言いたげなその眼差しに、ロックは肩をすくめた。
「つぎはサルフォードにでも行けば……」
「落ち着け。マンチェスター中でダメなんだ。その周囲までむやみやたらに歩き回ってもしょうがないだろう」
隣街にも足を伸ばそうとするユリエルをなだめる。
「まだホンの十三件ですよ!?」
「車輪や軸程度の品がそんだけ探して見つからないんだ。他も似たようなもんだろう。店売りは素直に待っていた方が良い」
「待つ。それじゃあノックスがまともに戦えなくなります……」
悲痛に顔を歪める。
「ベロムズは、着々と準備を進めているんです」
ユリエルがノックスの整備にさらに力を入れたのは、ブロストン邸での事件を終えてから。
”騎士”に対して、ユリエルが吹っ切れたことは大いにある。
だが、直接の関係はベロムズにあった。ユリエルの祖父ジルストを殺害し逃走した、重騎士研究者。
「ベルディの家で使用人が使った雑騎士、あれはまさしくベロムズの作った四指の手を使っていました」
雑騎士の手は、万力のような板のごとき二つ指であることが多い。
だがベロムズの作り出したの手は”四指”。それは重騎士に近いものだと、ユリエルは言う。
「剣も自在に操る強度、強弱も自由度も幅広いあの手を作れるとあれば、重騎士にとって画期的です」
気に入らないような語り口でも、その評価は真剣であった。
ブロストン家での使用人が使っていた重騎士も、”四指”であった。
家の者が言うに、四指の雑騎士はちょうど数日前に納入されたもの。業者が新式という謳い文句でお薦めした”肝いり”だと言う。
その業者も、すぐに行方をくらましていた。
──それはつまり、ベロムズが市井にもぐって雑騎士を作っているということだ。
「前回の戦闘の補修で予備部品が足りないんです。これじゃすぐにダメになってしまいます!」
「だが、なんで雑騎士なんだ。ノックスは重騎士だろう」
「ああ、ノックスの手足は雑騎士です」
「──は?」
「正確にはほとんどおじいさまの手作りで、一部に既製の雑騎士パーツが使われているだけですけれど──」
「あぁ……待て。ちょっと待て」
──一拍。
「──それでですね」
「待てと言ったろう」
話の腰を折られて、ユリエルは不満げに頬を膨らませる。
「ノックスは重騎士だろう。”召喚”できるし性能も雑騎士とは段違い。──それの手足が雑騎士……だと?」
「重騎士は古の戦場とかで埋没したのを発掘するでしょ。そこで不全だったり、部品しかないものを接いで、新造パーツで無理矢理まとめあげたのが雑騎士。もとから付けられはするのよ」
「……『産業革命の大量生産技術がなればできない代物』だったか、雑騎士は」
「J・ポートマンの『”騎士”の栄達』の言葉ね。その通り!」
「勉強はしたからな」
できの良い生徒の答えを聞いたように、ユリエルは笑顔で頷いた。
ロックは図書館で読んだ覚えがある。
曰く──雑騎士とは新旧も種別も問わず合わせて、騎士の形に仕立てあげたもの。
故に”雑”。
「素性もわからない雑種ねぇ……なぁ。前から思ってたんだが、それなら丸々作る訳にはいかないのか?」
「ハリボテにしかならないわよ? ジャンクでも当時品の方が良いんですもの」
「”良い”?」
「とにかく頑丈、比較しちゃうと現代製は煉瓦程度よ。安定して作れるだけいいけど」
「それでも”騎士”とはね」
「重騎士の心臓部が全身を頑丈にする”血液”を出しているんじゃないかって言う説もあるんだけど、詳細はさっぱり。でも強くても問題ないから、弱い心臓部を使ってる」
「不思議だねぇ、"騎士"ってのは」
当然のごとく、雑騎士のパワーは重騎士に劣ってしまう。そこで遜色ないものに仕立てあげた”おじいさま”の腕がよくわかる。
「しかし……それなら『ノックス』も雑騎士に──」
「ならないわよ『召喚』できてるんだから!」
遮ってまくし立てる言葉に気圧されて、ロックは口を閉じた。
「修理に雑騎士を使ってるだけだから問題ないの! ──そう、修理よ修理パーツ! 飛ぶように売れるものでもないんだから!」
はっと思い出したようにユリエルが迫る。
「そういえば、店に入るときの話、結局聞かせてもらってないわね! 『良い方法がある』とかどうとか!」
「さぁ!」と息巻き構える。
遮ったのユリエルだ、というのは飲み込んで。
「あるところからもらってくれば良い」
「……はい?」
ピンと来ないようで、ユリエルは首を傾げた。
●
「工事現場ですか?」
「そう雑騎士を使っている、ね」
そこは建築現場だった。
組み立てられた足場や行き交う人と資材の間をかい潜り、ロックは作業員へ指示する男へと声をかけた。
ずいぶんと二人は慣れ親しんだ様子で話すと、どこかへと案内を始めた。
戸惑いながらもついていく。多くの作業員が、真剣な眼差しで作業をしている。
案内人が立ち止まるのに合わせると、その前を雑騎士の腕が通っていった。
資材をつかみ、階上へと持ち上げているのだ。
「──……うん……?」
その姿を見て、ユリエルが首を傾げる。
高所に道具を持ち上げる雑騎士。その手に黒いカバーがを巻かれていた。
「なんかあったか?」
「いえ……なんで騎士の手にカバーを巻いているのです?」
「ああ、ただのゴムってやつですよ。特に弱い資材は、あれを巻いておかないと傷がついちまう」
案内人の作業員は言った。
いちいち資材にシートを巻くのは面倒だから、雑騎士の手に巻いているという。
「よく気づきましたな、お嬢さん。スポンサーも施行主もみんな気にしないってのに」
「いえ、まぁ、私も”騎士”とかが、生業ですから」
ぎこちなく答えたユリエルに、案内人は感心するように声をあげた。
「ここですよ」
いくつかの提案や質問をかわしあった末に案内されたのは、作業事務所の掘っ立て小屋だった。
案内人の上司らしい男は、いくぶん若い男であった。三十路に届いているかも怪しいほど若々しく、精気に溢れていた。
彼はロックの姿を一目見るなり、似合わない濃い口髭もつり上げて、満面の笑みを浮かべた。
「おお、ロック少年。お久しぶりだな」
「そちらも相変わらず、お元気そうで」
握手とともに二三言葉を交わしたかと思うと、ユリエルの方へと向いた。
「彼女は騎士技師ってわけでね、何でもある部品を探してるそうなんだが、余ってないか?」
「君の頼みなら、その位は構わない──どこの部品だい?」
ユリエルが慌てて型番を伝えれば、そばの資料をあさってその髭の若い男は、あっさりと頷いた。
「それならいくつか余裕はあります。差し上げましょう」
その言葉に、ユリエルは眼を向く。
さすがに部品と言えども、いい値段はするものだ。
それを看過することは、ユリエルはできなかった。
「しっかり、代金はお支払します!」
「構いませんよ。すぐに必要になることはありません。よしんばそうなってもひとつで十分。余裕はあります」
「ですが、こんな……」
とんとん拍子に話が進み、ユリエルは眼を白黒させている。
その戸惑いを見て、髭の若い男はにこやかに笑いかけた。
「安心ください、お嬢さん。エリックさんや、ロック君にも世話にはなりましたから、この程度で恩を返しきれるとも思いませんよ」
「せっかくなら依頼でも欲しいんだが」
「そうそううまくは有りませんよ。騎士操縦士の働き口ならいくらでもありますが」
「やめてくれ」
──恩……?
ユリエルを余所に、二人の話は弾む。ずいぶんと慣れ親しんだ様子。
「やっぱりお知り合い、ですか?」
首をかしげるユリエルに、二人は眼を見合わせた。説明してないことを思いだし、ロックは額を打つ。
「師匠がいたとき、色々な事件を手伝ってね。ある事件の容疑者の一人だった」
「殺人の嫌疑を晴らしていただいたんです。あれがなければ縛り首、社長どころかここにもいませんよ」
眼を剥くユリエルを髭の”社長”は慌てて訂正する。
「この位の恩でもないなら、こう簡単にはお渡しできませんとも」
それでも尽力はしますけど。そう言って社長が笑う。懐かしむ社長のその表情はとても穏やかで、恩義を感じているのだとユリエルにもよくわかった。
「代金を、なんて言うならその分喜んでお届けいたしますよ。なあにこちらは運送建築解体レンタル売買なんでもござれとね」
「手広いことで」
「それくらいでも稼げるのさ」
「とにかく、二三日のあいだで良いんで、この住所に送ってください!」
社長も引き下がらない。
それならば、とユリエルが送り先の住所を伝えれば、男は首をかしげる。
「……はて」
「なにか?」
「見覚えあったような……いや、気のせいですかね。手広くやってますので」
「とにかくお支払はしますんで、よろしくお願いしますね!」
引っ掛かったように社長は似合わない髭をつり上げて、眉間を揉んで考えこむ。
その間にユリエルは、ロックを引っ立てて逃げるように去ってしまった。
●
「ううむ、ほんとうに買えちゃったわね……」
「ああいうところからも手に入るものだよ」
事務所への帰り道。ユリエルは感心するように何度も頷いていた。
「どこかの誰かから予備とか買ってればよかったか……」
「やってなかったのか」
「店から買うか作るかばかりでしたし……意外でしたね」
意外そうに見るロックに、思い出すように指で空をかき回し、
「私が買い付けることになってたのはそこらにあったりすぐ入ってたりするものばかり……珍しい部品はおじいさまが自分で用意の道筋つけてたり、作ってたわね」
「作ってた。自分で?」
「自分で。作っちゃうほうが早いなんて良くあるでしょ?」
「確かになぁ……師匠も良さげなパイプになるよう調整してたっけ」
ロックも然りと頷くが、よぎる疑問に眉を潜めた。
「今回はやらなかったな」
「下手に手を出すよりは、業者のほうがよかったりするのよ」
顔を歪めて、嘲るように笑った。
祖父のように何度か手を満足のいくものを、ユリエルは作れなかった。
「私はそこら辺はどうにもね。でもおじいさまは違う。あの人なら自分で部品も作っちゃうんだから」
「すごかったんだな、じいさんは」
「ええ、そうでしょう!私の自慢のおじいさまよ!」
頭を抱えたあげくこぼれ出た言葉は、掛け値無い本音。
ユリエルは、鼻高々に胸を張る。誇らしげに満面の笑みを浮かべていた。
同意をするように、ロックも頷いた。
「だがそれなら、元の手足はどこに行った」
「さぁ……私が見たときには有りませんでしたし……なにやら召喚は義肢でも問題有りませんでしたから……」
当然のように浮かぶもうひとつの疑問に、ユリエルは呆気なく答えた。
「おじいさまは、なにも言わなかったわ」
静かに、かぶりを振る。
素っ気ないけれど、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「……あんたもか」
「あら、何か言った?」
「いいや、何も」
●
「おぅいロック、ちょっと待ちな!手紙が来てる!」
事務所への石段を上がろうとしたロックを、ひょっこり顔を出したマスターが呼び止めた。
差し出された手紙を受け取ると、宛名を見て眉をつり上げた。
「おれ宛……?」
「いよいよ名前が売れてきたんじゃない? まさか家賃の催促とは言わないわよね?」
「かもなぁ!」
からかうユリエルをこづき、マスターをけたぐって、ロックは封を開けた。
丁寧な筆致で書かれた文面に眼を通して、ロックはにやりと笑う。
──拝啓、ロック・ロー・クラームさま。直接おたずねあなたのご高名をお聞きし、是非ともお願いしたい依頼がございます──
「──依頼だ」




