1.”あの人”と出会って始まった
イングランド中部、マンチェスター。
産業革命によって大きく発展しているこの都市も19世紀も末となってきてはいくらかの落ち着きを取り戻したものの、騒がしさは相も変わらず。
昼下がりのあるとき。その日は雨上がりの空からほのかな日差しが入る、穏やか風の吹く日であった。
その平穏を引き裂くように、街の一角の工事現場から、ひどく大きな音が響いた。
「おぉい、あれみろ!」
「まぁ、なんて危ないこと!」
モダンな風情漂う建物の間から行き交う人々が目にするのは、つかみ合う鉄巨人の姿。
約15ヤードにもなるゆっくりと動く機体がぶつかる度にきしみあい、ひどい金属音が耳をつく。
それは人型重機雑騎士。
首のない大柄な体格。布の上から鉄板を接いだような、無骨な機械巨人。
向かい争い合うのは二機。どちらも日に焼けくすみながらも、変わらず映える黄色に身を染めていた。
大樹すらものともしないほどのパワーがぶつかりあう。
人々はその争いに手出しもできず、ただ遠巻きに見つめることしかできない。
首の埋まった機体は長い腕を振り回して、たくましい短い足は地面を踏みしめ揺らす。
ダンスの確認でもしているかのような、ゆっくりとした動き。しかしそれが、雑騎士の精一杯の動き。
『テメェ、どこのドイツか知らんが、邪魔するたぁどういうことだ!』
『だから、ちょっと待てと言っている! あんたに用は無いんだ!』
金属管を通したくぐもった声が、辺りに響く。
中年と青年の、二人の男の声。
怒鳴る中年の男の機体が積極的に長い腕を振り回すのを、若い青年の方が避ける。
『わしらのモン勝手に使うたぁわかってるのかぁ!?』
『監督さんから借りる話は貰っている。なのにあんたが動こうとするから!』
中年の男は作業員。
雑騎士の作業中にいきなり現れた青年が空いたもう一方を乗っ取ったとあれば、気が気でない。
何せ雑騎士は作業機械としては高級品。壊しでもしたらひどくどやされるどころでは無いのだから、必死になろう。
青年の乗る雑騎士を追い立てた末、資材の山を境に向かい合い、必死に取り押さえようとする。
だが、逆に伸ばした腕に相手の腕が絡まり、極められてしまった。
『よぉ……し! 取り、押さえたぁ……!』
『クッそが!動かねぇ!』
「黙ってみていてくださいよ!」
中年が振り払おうともがくのを他所に青年は操縦席を開け放ち、資材の山の上に降りる。
「まだ居てくれたか。ようやく追い詰めた……!」
青年の求める相手は、資材の山に突き立つ鉄骨の上にいた。
騒ぎも気に止めずのんびりと空を眺めていたものの、青年を見るなり気配を変える。
気炎を吐き、しなやかな体を構え、気合い十分の様子だ。
青年もまた、得物──虫取網を構えて、ぶつかり合った。
●
「ありがとう、おにいちゃん!」
「俺にかかれば、この程度の難事も問題ではないさ。お困りのことがあれば、何なりとセイムズ探偵事務所までご連絡を」
少女に、自信満々の達成感に溢れた笑みで、ロック・ロー・クラームは答えた。
石段を降りる少女をエスコート。
石畳の上を跳ねるように去っていく影に、手を振り返して見送った。
「──はぁ」
少女が消えると、ロックは肩の力を抜いて、息を漏らした。
重たい足取りで外つきの石段を登り、二階の事務所に戻ると、ソファの上に悠々と座る男に、目を止めた。
かっちりとした、清潔な給仕の装い。だが礼儀も知らないのかと疑念を抱かせるほどにだらけた様子でソファに寝転がっている。
「なにやってるんだ?マスター」
「さっきのが依頼人かい。ずいぶんとかわいいねぇ」
「下の喫茶店は営業中だろう?」
「男には息抜きってのが必要なのさ」
「あんた毎日息抜きしているようなものだろう……?」
ロックがため息を吐けば男はけらけらと笑っていた。
──イングランド北部マンチェスターの街、中心近く。
その一角、細い通りに構える喫茶の二階こそ『エリック・セイムズ探偵事務所』である。
壁に埋めつくす棚には多くの捜査資料を備え、雑然とした様々な小物が彩る内装には、ソファで寝転がるこの男だけが異物であった。
この男こそが下の喫茶店のマスターというのだから、首をかしげるしかない。
「しかしお前さんよ、猫探しでよくそこまでいい顔になれるもんだね」
「猫探しだろうと立派な依頼だ。それをないがしろにすることは、依頼人を悲しませることになってしまう。師匠もそういっていたぜ」
ロック・ロー・クラームが挑んだ此度の依頼は”猫探し”。
二日もかけて町中を駆けずり回り、一日がかりのおいかけっこの末に、建築現場に積み上がった資材の頂上で動けずにいたところを保護したのだ。
なおその最中に雑騎士を借りたりだのトラブルはいくらかあったが、ささいなこととロックは考える。
「ううむ、そんだけよくやったよ──それで、今回の収入はいくらだい?」
「あぁ……プラスになったぞ!」
「お前それ、今日明日の生活費だけにしかなってないんじゃないか?」
指摘にロックの眉がわずかに揺らいだのを、マスターは見逃さない。
なにせ依頼主は幼い少女。報酬もたかが知れている。それでもロックは断ることも微塵も考えなかったのだ。
しかしさすがに部外者のマスターと言えど、看過はできないもの。
「早く家賃払いなさいよ。もう半年だ。オーナーもピリピリしてるんだ」
「いやぁ、それについては全くもって面目ございません……」
「いくらあの人の弟子だからってね、さすがに限度がある。俺だって追い出したくない!」
大袈裟な手振りを振って、はっとしたように眼を見開く。
言い淀み、唇をかむロックの姿に、下手を打ったとばかりに顔色を変えた。
「いや、悪い、悪かったなあいつは──」
「あの人は─師匠は生きてる。ただどこかにいっちまっただけだ……」
「あー……すまない、すまないなぁ」
表情を暗くするロックの肩を、マスターが叩く。
「まあひょっこり帰ってくるって。なんなら”騎士”の仕事とか紹介してやってもいいぜ?お前も使えるはずだし、そっちならよく稼げるだろう」
どうにか話題をそらそうと笑顔で語った言葉も、ロックは渋い表情だ。
「やめてくださいよ、こっちも依頼があるんですから」
「だからってなぁ……ほとんど猫探しか浮気調査じゃないか。雑騎士で土木工事でもやっていた方がいいだろ」
「それでも大事な依頼人です」
そればかりは、ロックも譲れない。依頼人が第一であることがロックの信条。それは師匠も同じであった。
その固い意思にはマスターもあきれたように首を振り降参の意を示す。
「ま、好きにやれや。俺もそれくらいは応援するよ」
「サボってばかりのあなたが言える台詞じゃないですよ」
「ん?なんの──」
「────マスタぁ!どこでさぼってるのよぉ!」
「──おっといけねぇや」
とぼけようとして、階下から響いてきた声にマスターは苦笑い。
曲がりなりにもこの男は”マスター”なのだから、店に居なければしょうがないだろうに。
「さっさと行ってください、雇われマスターさん」
「やぁねぇ、ほんとに」
あきれたようなロックの顔にも曖昧に笑みを返す。
「しっかりやれよ」とロックに声をかけて、マスターは外の階段を下りていった。
●
静まり返った部屋のなか、ロックが腰かけたのは楢の机に据えられた椅子。
深く吸い込まれるような黒革張りの椅子に身を埋めながら、考える。
依頼のこと、師匠のこと、そして、ここしばらくの金策のこと。
「どうしよっかな……」
ここの主であった師匠ならば、家主に苦言を呈されることはなかっただろう。
『エリック・セイムズ』。
シルクハットと共にインパネスコートを翻し、マンチェスターどころか国中を駆け回っていた紳士は、いくつも難事件を解決してきていた。
そう大きな”口”が連続することなど無いとはいえ、師匠はそれでもやっていけるほどには依頼が舞い込んでいた。
それこそ猫探しから奇妙な謎解き、怪盗との対決から果ては殺人事件まで。
多様な事件を見事に解決していき、素晴らしき推理を披露してくれた。
ロックもかの姿に憧れて、その背を追ってここにいる。
それと比べて、今のロックと来たら。
依頼も数えるほどばかり。ようやく来ても猫探しに人探し、ついでに浮気調査。もはや街の何でも屋。
毎日を過ごすのも一苦労の有り様だ。
とうとう事務所を引き払うことまでもちらつかされたのだから、この惨状には肩を落とすしかなかった。
「ほんとに雑騎士でも乗ってみようかしら」
決意も揺らぐ。
それほどに、その提案はありがたかった。飛び付きたかった。
それでも、手を出せない。出したくなくて、歯を喰い縛る。
「情けねぇなぁ、ほんと」
ずしりと、大きな振動を感じた。ガラス窓が鳴り、カップの水がわずかな波紋を立てている。
窓から見えるのは、大通りの方を、四階ほど背丈の機械巨人が蒸気を引き出しながら歩く姿。
雑騎士だ。その身長、約15ヤード。
体中に鉄板の鎧を張り付けて、関節に布を巻いたような無骨な姿はその巨体と合わせていやが応にも人の眼を引き付ける。
古くから作業のために下賜され、産業革命によって量産された機械巨人。
いまだに工場や新たな建物の建築で需要も多く、いい技術の持ち主なら操縦だろうと整備だろうと引く手あまたという。
ロックも雑騎士を扱うことができるのだから、その技術を使わないのはもったいない。
どこだろうと腕前を見せれば直ぐに雇ってくれるだろう。
だが、それで探偵としてやっていけているとは、到底思えない。
やろうか、やるまいか。
巡る悩みを打ち破ったのは、がたがたと石畳を打つ馬車の音。
喫茶店の前に止まったかと思うと、すぐに慌ただしく石段をかけ上がる音が聞こえてくる。
「──はいはい、ただいま出ますよ」
激しくノックされた扉を余裕をもって開ける。
だが、はがされるような勢いに引っ張られてたたらを踏むことになった。
「突然、申し訳ありません」
そこにいたのは十五か六か、まだ若い少女。急いでいたのか、息を荒げている。顔色も少々悪い。
細身の体を地味な細身のドレスで包み、髪をまとめあげて帽子に収めている。
そのまとめ方が少々雑で、もったいないと思うほどには美しい金の色だった。
不安げに揺れる藍色の瞳が、ロックをとらえた。
「エリック・セイムズに、依頼をお持ちしたいのですが」
開口一番切り出したその言葉に、ロックの表情は曇る。
──まただ。
「すまないが、彼は今はここにはいない。いつ帰ってくるのかも定かではない」
そうですか、と少女は落胆するように、細い眉を歪めた。
ですが、と。
ロックの言葉に、目を瞬かせる。
「弟子の私がただいまは代役を勤めております。私でよければ、やって見せましょう」
暫し躊躇するように、少女は眼を泳がせた。
さて、どう出るだろうか。
師の名を名乗ることはロックには出来ず、依頼が持ち込まれる度に不在のことを伝えていた。
代役をかって出て、何度嫌な顔をされただろうか。
目の前の少女もまた、眉を歪めている。渋るような、悩むような。様々な感情が顔に浮かぶ。
──あぁ、またダメか。
これでダメなら、もうこの事務所も終わりだろう。”遠く”の師匠になんと言えばいいのやら。
諦めが心に満ちかけた、その時。
「──いえ、お願いします。どうにか……!」
少女のその言葉に、ロックは眼を見開いた。
「よろしいのですか?」
「ええ」
それでも、と興奮ぎみの少女を無下に扱う訳にもいかず、応接にも使う中央のソファへと座らせた。
一息つかせるためにハーブティを淹れて出せば、少女は細い指でそっとカップを手に取る。
一口流し込み、ほっと、息をはく。その表情は、それまでとは段違いに柔らかい。
「あぁ……おいしい」
「それは良かった。下で入れ方を教わったかいがある」
「あぁ、そういえば、喫茶店でしたっけ。馭者の方がそんなこと言ってましたっけ」
「ええ、御時間があればご案内してもよろしいのですが……時間が惜しい」
そう言って苦笑するので、少女は首をかしげた。
「ずいぶんとお急ぎでしたからね。馬車がなかなか捕まらなかったようで、さぞやお疲れでしょう。好きなだけお飲みください」
「あら、馬車のことがどうしてわかりますの」
「そのドレスです。泥しぶきの跡が膝下にまである。乾いてないから、ついさっきのものでしょう」
指摘されてようやく少女も気づいたらしい。拭おうとしたが、泥汚れの大きさにすぐに諦めたよう。
「雨が降ったのは午前中だ。大方跳ねさせても構わず走って、途中で馬車を見つけて乗り込んで、ここまで来たんじゃないかな」
「……えぇ、その通り。まるでお見通しなのね」
「まあ、これはよく観察しただけのことです。いらしたときには、息も上がっていたようですしね」
「素晴らしいこと」
微笑み、満足げに頷いて、少女はまた一口すすった。少しばかり平静を取り戻したと見える。
くい、と今度は一気に飲み干してから、意を決したように口を開いた。
「私は、ユリエル・アウグストルといいます。あなたになら、この依頼をお願いできそうです」
「えぇ、お聞かせ願います」
ロックもまた姿勢を直した。そっと、組んだ両手を膝の上。
真剣な眼差しが、見つめ合う。
「祖父を、ジルスト・アウグストルを殺した犯人を、探して欲しいのです」
「殺した、犯人……ですか」
「ええ、私が学校から帰ってきてからのことになります──」
ユリエルの語るあらましを耳にしながらも、ロックは思わずひきつりそうになる頬を、引き締めるのに必死だった。
──あぁ、まさか、殺人事件が舞い込んでこようとは!