No.2一章『反撃』
「あ~、ちょいと不味いかもな」
俺はまるで他人事のようにこのいかにもヤバそうな状況に対してそう呟いた。
「いや、ちょいとじゃなくて結構不味くない⁉︎」
「う~ん。そうでもないんだよな~。確かにこのまま放置してたら、ガードの薄いフォルダのデータとかがクラッシュしたり、盗まれたりする可能性ならあるだろうけど、大事なデータはしっかりガードしてあるからな……」
俺はこのことを重く受け止めすぎている妹を安心させるように余裕たっぷりの表情でそういった。
「じゃあ、大丈夫なんだね?」
「いや、万一というのも考えられる。それにそのフォルダには、お前が昔、なんかのパーティでアニメの美少女キャラにコスプレした時の写真が入っているんだよな~」
「……すぐにどうにかして~~!」
妹は俺の言ったことにどうようしたのか、一瞬の沈黙の後そう言って、ポカポカ俺を殴ってきた。……まぁ、腕細いから余り痛くなかったし、それどころかその愛らしい姿に不覚にも萌えてしまったことは俺の胸中にそっと仕舞っておこう。
「は・や・く~~!」
「……分かった。分かった」
俺は妹の不可視の圧力から逃れるように室内の明かりを点け、警告メッセージを発しまくっている画面と向き合った。
「あっ、ちょっとそこのコンソールグラスとって」
「はい。お兄ちゃん」
「サンキュ」
俺は余裕のあるしかし、真剣な表情でそれを受け取った。
……そういえば、コンソールグラスを渡す妹の口から何やら「いいからさっさとしろ」という言葉が聞こえた気がするが……いや、俺を愛慕してくれている(と思う)妹がそんなこと言う訳ないよな。うん。きっと気のせいだ。
そんなことを考えつつ、俺はコンソールグラスを掛け、視界に投影された入力枠にIDとパスコードを入力し、情報の渦にダイブした。
――だが、この時俺はこの事態を軽視し過ぎていた
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「……っ!」
俺は意外と重い事態の深刻さに気付き歯噛みした。
「まさかっ……! 私の黒歴史画像が盗られたの⁉」
「いや、そう言う訳ではない。というか自分のコンピュータへのクラッキングはもう阻止した」
俺が焦っていることに気付いたのか、ガチで心配した声、そして「盗られたら殺すよ」という様なオーラを放って聞いてくる妹を安堵させるように俺は素早く否定すると妹は「そう」と言って他のところに目を向けた。
……てか、こいつは自分の黒歴史画像さえ守れれば、俺のコンピュータのこととかどうでもいいと思っているんだろ。とか思ったが今はそんな場合ではないとかぶりを振った。
「じゃあ何でそんな深刻な顔しているの?」
それでも、普段あまり焦らない俺が焦っているのを見て不思議に思ったのか、俺にそう問うてきた。
「それはだな……」
俺は事態の深刻さと複雑さから、言葉を詰まらせ状況を整理する。
このクラッキングは妹の黒歴史画像を狙った……訳では勿論なく、コンピュータの機能を短時間ながら著しく低下させたり機能停止に追い込むプログラムが送られてきたことによるものでクラッキングのレベルも強固なセキュリティを敷いて、一流のサイバー攻撃に対する技術を訳アリで持っている自分が対処できないものではなく、事実数分で追い返して見せた。
ただ、問題はそこじゃない……
「……対処しているうちに分かってきたんだが、今回のクラッキングは俺のところにだけ行われた訳じゃない。この都市全体に仕掛けられている」
「えっ⁉」
妹の明後日の方向を向いていた瞳の色が驚愕に染まる。
それに構わず、俺は言葉を続ける。
「しかも、もう既に一般用の回線は完全に掌握されてしまっていて、この町の機器に無差別にウイルスを送り付けてる。俺のコンピュータはその無差別に攻撃を受けたうちの一つだったという訳だ」
「そんな……」
「冗談言わないでよ」と言おうとしたのだと思う。だが俺はそれを制するようにさらに、言葉を続ける。
「まだ、話は終わってないぞ。クラッキングは自動運転システムや公共交通機関の管制センターにも行われているようだ。一般回線よりもセキュリティは堅いにしても、耐えられるかどうかは微妙だ……」
「…………」
妹の瞳に映し出される感情は驚愕から動揺へと変わり、絶句してしまう。
だが、それは数秒のことで、妹はさらに質問を重ねる。
「……誰が、何のためにこんなことをしているの?」
「まだ、はっきりとは分からないが、これは社会を混乱させたり不安を煽ったりして何らかの作戦を遂行しやすくする環境を作る『不正規戦』という奴だろう。まぁ、国家規模の組織が間接的かあるいは直接関わっているのは、規模からみて間違いないだろうな。多分その作戦とやらもこの都市にある中央官庁にある国家機密とかそんなもんを盗んだり、あわよくば混乱しているうちに日本所有の星を掻っ攫おうとかそんなところだろ」
「そんなに深刻な状況だとは思わなかったよ……」
「俺も自分にされたクラックを阻止するまで分からなかった」
自分が楽観しすぎていたことに悔しさを浮かべる妹を俺はそう言って慰める。
「……お兄ちゃん、これからどうする?」
妹は俺に縋りつくような目で聞いてきた。……どうやら俺に選択肢は一つしかないようだ……まぁ、そんなことされないでも俺はもうすることは決めていたけどな。
「……戦うよ。それに、明日が高校への登校初日だってのに休校になっては嫌だしな」
そう言って俺はコンピュータに全神経を集中させ、長い夜の幕が上がった――。
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カタカタ……カタカタ
「すいません! こちらに攻撃しないでください! 僕……ユーザー名『Shadow』は味方です!」
俺はコンソールグラスについているマイクにキーボードをクソテンポの速いボカロを弾いているピアニスト並みの速度で叩きながら必死にそう叫んだ。
俺が何やっているかって? そんなの見ればわかる。誰がどう見てもピンチの公共交通機関管制センターへの助太刀のはずだけど……
「あ~もう! 何で交通管制センターの方が俺に攻撃するんだよ! 助けてやっているのは見て明らかじゃないか! 攻撃するなよ! ほんと頭の固いというか、脳が足りない奴らだな! これだったら、完全に掌握されていた一般回線を一人で取り戻したときの方が、優しく思えてきたよ」
そう、俺は助けてやっているのに、クラッカーと見做され攻撃してるクラッカーと同程度または、それ以上の攻撃を受け、連絡しても一向に攻撃をやめない管制センターの人間に正直、憤怒し、呆れていた。
あっそうだ一応ここで、戦い始めてからここに至るまでの経緯を振り返っておくね。
――俺は、戦い始めて最初の二時間で一般通信回線の奪還に成功した。……まぁ、今、その通信回線の権限は俺が持っているから誰も使えないけどね(一通り終わったら管理会社の方に返すつもり)。
その後、状況を確認したところ攻撃を受けているのは残り二箇所で、自動運転システムと公共交通機関管制センターの二つで自動運転システムの方はクラッキングにしっかり対処して追い返しつつあるんだけど、公共交通機関管制センターの方は状況が芳しくなかったのでそっちに助太刀することにしたんだけど……
「結果がこの様か」
そう俺は吐き捨てた。
「もうやってらんね~。方針転換だ! 公共交通機関管制センターをクラックしている所を徹底的に攻撃しよう」
そう言って俺は公共交通機関管制センターが持つことに賭け、発信元への攻撃を開始した。
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――それから約三時間の記憶がない。おそらく激闘を繰り広げて、記憶が曖昧になっているんだろう。
取り敢えず結果だけ言っておくと、俺は発信元をコテンパンに攻撃し、相手の機器までもダウンさせ、再起不能にして公共交通機関管制センターへのクラッキングを食い止めたようだ。
「わぁ、もうこんな時間か……」
三時を指す時計を視認して、俺はコンソールグラスを外しながら、死の瀬戸際にいる人のような声で呟いた。
「ふぁぁぁ~。やっと終わったね。お兄ちゃん」
「そうだな……ってまだ起きてたのかよ……」
欠伸しながら労う妹に俺は弱々しい声で返答する。
「あぁ、もうだめだ……これ以上睡魔に抗えない……」
最後にベットに移動しようと試みたが叶わず、俺は夢の世界に引き込まれた。
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「『閣下』、東京への大規模クラッキング作戦は失敗しました」
「……そうか、ご苦労だった」
貫禄のある声で長身痩躯の老紳士は言った。
内心ではどんな叱責を受けるのかと覚悟していた青年将校は拍子抜けしながらも、今日の作戦の報告データが入っている端末を渡してから、お手本のような敬礼をし、退出した。
「うまくいくと思っていたんだがのぅ……中々思いどおりにいかないものじゃわい」」
青年将校が出ていくのを見届けた後、老紳士は溜息を吐いて、そう吐き捨てた。
「……にしても、『Shadow』か……此奴は何者なんだ? 我が隊の、一流のサイバー攻撃部隊を総動員しても奴にダメージを与えるどころか、発信元すら突き止められんとは……まぁ、こういう奴がいることを知れただけでも良しとしようかのぅ」
そう自分を納得させて、葉巻を取り出し、一服する。
「では、次の段階に進むとするかのぅ」
そう言って、報告書を読み終えた老紳士は部屋に微かな葉巻の香りを残して執務室を後にした。
【用語解説】
――コンソールグラス――
スポーツ用のサングラスのような形状の入力補助装置で、掛けると視界に三次元的にウィンドウやキーボードが投影され、入力をキーボードオンリーでした場合より数倍速い作業ができる。
ただ、投影されたものに指をあてて入力するときに実際にはないものを触ろうとするので慣れていないと突き抜けて入力ミスを起こしてしまうため、一般には余り使われていない。
2078年に登場。
ちなみに工藤拓海が使っているのは、音声コマンドに対応させた自作モデル。