30,黒い靄
髪飾りをつけてくる約束をした舞踏会まで、あと4日。今日のアリーシアは、これまでにない、のんびりとした時間を過ごしていた。
花の模様をあしらったティーセットに、一口サイズのケーキ。まわりには、香り豊かな薔薇がたくさん。アリーシアは、公爵家の薔薇園でティータイムを楽しんでいた。
参加者は、妖精三人に呼んでもいないレイン。
「この事件が起こる前の噂、知っているか?」
唐突に、カーラインが口を開いた。皆は左右に首を振る。
「闇の神子って、知っているか?」
これに対しても、さっきと同様、首を左右に振ると、カーラインは口角を少し上げ、得意気に話始めた。
「俺たち妖精を束ねるのが、王と女王だ。そのさらに上にいるのが神であり、神子は神に愛された人間のことだ。まぁ、闇っていうくらいだから、闇の神に愛された人間のことだ。本題は、その神子が今この王国にいるらしい。理由っていうのが、嫁探しらしいが、俺からしたら馬鹿馬鹿しい話だ」
カーラインの話に、アリーシアは首をひねらせた。
「しかし、神子というのは、神に愛されただけあって、凄く美しい容姿をしていると聞いたよ。神子だというなら、引く手あまただろうに」
「俺もそれは思ったが、まぁ貴族のひとがたにとっては、神子なんて下手すれば王より上の立場なのだから、喉から手が出るほど欲しいだろうよ。さらに極めつけは、この世とは思えぬ美しさなんだからな。愛している人がいようが、婚約者がいようが、関係ないのだろうよ」
「それは……酷いね。だけど、私には関係のない話だね、結婚するつもりもないのだし」
あまりにも、身も蓋もない話に、アリーシアは顔をしかめた。
「本当に結婚しないのか……、こんなにアプローチしているのに……」
耳聡く聞いていたレインは、明らかに落ち込んでいた。
出会った日から、殆ど間を開けずに求婚をして、どうやったかは知らないが、アリーシアのパートナー役を持ってきた男でも、相当のダメージを受けたらしい。
「しかし、どうしてそこまで結婚しようと思わないのか?」
そこで終わらない男、レインはすぐに立ち直ったようだ。レインの質問に、アリーシアは一瞬だけ顔が曇ったが、気のせいだったかのように、嫌そうに顔を歪めた。
「結婚なんて、面倒くさいだけじゃない」
「うっ…………!?」
レインはテーブルに突っ伏した。
「邪魔ですよ、レイン様」
嗜虐的な笑顔を浮かべたミアが、レインの上でティーポットを傾けた。容赦なく流れ落ちるあっつあつの紅茶。かけられているレインは、少しの身じろぎもしない。
心配になったアリーシアは、レインの顔を覗くと、一瞬にして飛び退いた。
「なっ……何あれ……」
暗い顔をしたレインの周りから、黒い靄のようなものが、溢れ始めた。靄が触れたところは、枯れたり、錆びたりと、驚く暇もないほどあっという間に時間が進み、荒廃した。
「……そんなに、俺と結婚が嫌なのか……いや、俺そのものが嫌われてるのか……そうだったら俺は……俺は生きていけない……」
ブツブツと、レインは光が少しも見えない目をさ迷わせている。
大事になりそうな勢いのあるこの状況を、アリーシアは何とかしないと、と思い、レインに話しかけた。
「レイン、貴方を嫌ってはいないよ。……ただ、私が結婚ができない理由があるの」
アリーシアの声に反応したレインは、ゆっくりと顔を上げた。それにともない、黒い靄も消えていった。
「良かった、俺は嫌われてはいないのだな。本当に、良かった」
感度極まったのか、レインの頬に涙が流れた。その様子をアリーシアは、困ったような顔で、他人事のように眺めていた。




