20,小さな前進
少し剣呑な空気になっている中、レインは表情を一つも変えずに、からかうような発言をする。
「アリーシアのことなら、何でも」
「誤魔化さないで」
アリーシアはすぐ横にあった本棚を、言葉の勢いで叩いた。その拍子に、本棚からは五、六冊ほど床に落ちた。
益々形相が悪くなるのを感じながら、アリーシアは飄々とした男を窺った。
ピリピリとした空気を切ったのは、少し甲高い少年の声だった。
「図書館では静かにすること、これ常識ですよ」
生意気な口調の少年、エリオン。ブラウンに近い金髪にメガネによってか、濁ったように見える碧眼の儚げな美少年で、アリーシアの友人である。
史上最年少で、王立図書館の四階と五階の特別区域の管理を任せられた者だ。本人も熱心な研究者なために、衣服がよれよれの髪がぼっさぼさで、儚げさが今では皆無になっている。
「エリオン、久しぶり」
「はいはい。今日は何の用で来たのですか」
「最近、社交界で騒がれている事件を」
「……そんなこと、僕は知らないですよ?」
エリオンは研究が熱心すぎて、流行にかなり疎い。森に引きこもっているお陰で、情報が入りにくいアリーシアと張り合えるほどに。
そんなエリオンは当然社交界の噂など、一切も入っていないので、首を傾げているだけだ。
「私も最近知ったことなんだけど、社交界ではある事件が噂になっているらしいの」
エリオンは食い入るように、耳を傾け始めた。
「最初の被害者は、伯爵令嬢。次は公爵令嬢。その次は侯爵令息。他にも被害者はいるのだけれど、皆が伯爵位以上の令息、令嬢ばかり。共通の被害は、ある日のパーティーから帰った後から、魂が抜けたように人形になったことと、睡眠時間が日に日に長くなっているらしいの。だんだんと体も痩せていっているらしく、このままいけば、餓死は免れないと言われている」
「……それは、かなり大きい問題ですね」
「そうなんだよ。今まで知らなかったのが、不思議なくらいだよ」
エリオンはアリーシアの言葉に、大きく頷いた。二人とも情報に疎いことは、恐ろしいことに無自覚なのだ。
「森の守護者であるアリーシアに、お鉢が回るなんてどういうことですか?」
「それは簡単なことで、国家魔術師で高位の令嬢であって、顔の割れていない、私にという訳らしい。四大公爵家でも、皆独自に調べたらしいけれど、どれも犯人まで至るところが、何の手懸かりもなかったらしいよ」
「……確かに妥当な判断ですね」
エリオンは少し考えるそぶりをすると、不安が拭いとれない表情で、助言をくれた。
「僕の知る限り、そんな事件は過去に無かったはずです。しかし、魂吸いの力などを使う悪魔や魔法などがあったはずですよ。では、ご健闘祈りますよ」
ガイン大陸には妖精がいるように、悪魔も存在する。妖精は取引をせず、気に入った人間を勝手に手助けするが、悪魔は人間と魂の契約をして、小さなことから大きなことまで叶えることができる。ただし、それだけの代償を持っている場合だけだが。
エリオンはとても有力な助言を残して、研究室へと入っていった。
エリオンは王立図書館にあるすべての本の内容を覚えている、超人だ。一つ、アリーシア達が調べるものが減った、感謝しかない。
友人が入っていった研究室を見つめ、アリーシアは気合いをいれた。
「ミア、カーライン、ラエル。これからは、事件に関与しそうな魔法や悪魔を調べましょう」
遠くから、『はい』や『了解』の声が聞こえると同時に、下の方か『うるさい、静かにしろ』と叫ばれた。
その頃にはレインの怪しさは、頭からすっぽりと抜けていた、アリーシアだった。