幻想風景
こんにちわ。厳しい夏の到来ですね。
受験の天王山なんて呼ばれているとか呼ばれていないとか。そんな事はさて置き、受験について話していきましょうか。
受験(勉強)という言葉を聞くだけで、嫌になる人も少なくないのは客観的事実ですよね。
なぜでしょうか。
それは、イメージがそうさせているのです。
イメージは幼少期から青年期で、ほとんど確立されるのが大半です。勉強が楽しくないか、つまらないかが自分の中で確立されるのです。そのイメージって誰から恩恵を?親と先生です。これらに、恵まれない人は
「オイオイ、ニートのオレじゃ無理じゃねーの?!ハァん?」
「熱が強いですねキミ。もう一人恩恵を与える人物がいました。【自分自身】です。」
「何言ってんだオマエ。ププ。」
「アナタ自身ですよ。」
「よく分からないけど、続けてクレ。一応この場に来ているオレらはやる気がないって訳じゃないんだからな!」
「ズキューーン☆」
「(大丈夫かな…コイツ…はやく帰ってカップ麺食いてぇな。)」
親と先生に恵まれなかったら?
自分自身なんです。だけども、自分自身を恵むという行為は、親と先生に恵まれるより難しいことです。
というより、恵むって何?
今日、他大陸には恵まれない人達がいる。
貧困層の子供達の中には、学校に行けない子も沢山いる。そんな恵まれない子達が、自分自身を恵むことは難しい。キッカケの情報すらない場合が殆どだ。
だけど、日本を見てみよう。情報普及の割合が世界水準で考えたとしても、かなり高いことは明らかな事実である。
恵むという行為は、情報なくして達成することは不可能なのです。情報の中で気持ちが何度も揺らぎ、自分の物の見方を確立していく。イメージを作るのです。
幼少期から青年期に、親と先生を媒体に大量の情報が刷り込まれ、イメージが確立される。そのイメージを全取っ替えするのは無理です。
「オマエさん、当たり前な事を話しすぎじゃないか?」
「バレました?だけど、導入みたいな物のですし、聞いてくださいよ。それに、有名な著者が言っていましたよ。当たり前のことを気付かせる本が良い本だって。」
「灯台下暗しダゼ!コンチクショー」
「(熱が強いわ。めげるな俺)」
「はやく、イメージの変え方教えろよ!」
…………
…………
「zzZZ..…!」
なんだか変な夢を見ちまったな。イメージの変え方教えろよ夢!クソッ!イメージを自分自身で変えるなんて出来るのか?何考えてんだオレ。どうせ意味なんてありゃしない。
いつだってそうだ。人の言葉なんて間に受けたっていい事なんて何一つなかった。よし、もう一度寝よう。
…………
…………
「イメージをすぐに変えるなんて無理なことですよ。徐々に慣らしていかないと、とてもとても」
夢だよな?これって夢でいいんだよな?
にしてはリアル過ぎないか。なんか気持ち悪くなってきた。
「すいません。トイレ行っていいですか?」
「今からスパッと良いこと言おうとしたんだけどなぁ…まあいいや。後ろのドアから出て左だから。トイレ。」
やや小走りで、教えてもらった通りに行くとトイレに着く。鏡で、まじまじと自分を見ると、一人暮らしの家の薄汚い鏡に映る冴えない自分の姿が。それが、本当にリアルで吐いてしまった。何かがおかしい。
どう考えたっておかしいだろ。
寝たらガイダンス教室に転移したのか?異世界っていうには、なんか微妙なクオリティだしな。ガイダンスに戻るのか?いや、そんなことより、このビルから出てちょっと左に行くと商店街があって、そこを抜けると……
なぜ、こんな事を知っているのだろうか。
さっきだって、トイレの道を教えてもらわなくても行けただろう。
「どう考えたっておかし過ぎる。って?」
鏡に映るのは先ほどのガイダンスの胡散臭い教授。なんで頭で思った事が…
「気付くのはやいよ君。こんなに早かったのは君くらいだよ。まあ機械の性能が向上したから、すぐ気付いただけなんだけど。」
気色の悪い笑顔で鏡の中で笑っている。
この薄汚いチビなおっさんは一体誰なんだ。だいたい白衣って…
「トイレで二人きりで話すのもなんですし、お茶でもしながらお話しましょうか。」
まだ気色の悪い顔で笑ってやがる。白衣のおっさんとお茶って意味わからないけど。
わからない事だらけだし、行ってみるか。本当は、わからないことは何一つとしてないことを自分は知っている。わかった事以上にわかりたいからお茶をしに行くのだ。