社畜代行サービス
悪乗りでやった。反省はしている。
皆さんお仕事お疲れ様です。
サラリーマン戦記
そこに広がるのは絶望だった。
絶てぬ物無しと謳われた剛剣の担い手が、
知らぬ物無しと恐れられた魔法の奏者が、
出せる物無しと崇められた商いの神童が、
そして何よりも、
「――脆い」
負ける事無しと、啓示を受けた勇気ある者が、その場に捨て置かれていた。
魔王。
魔を司る彼の王は、精霊の啓示により使命を与えられた勇者の一行すら、ただの一撃で壊滅に追いやって見せた。
「ぐっ……」
それでも、彼の者達は数多の死線を越え、幾度なく絶望を乗り越え、あらゆる障害を突破して来た人類最高峰の者達。その命は確かに健在であった。
だが、戦えはしない。
解ってしまったのだ。魔王の初撃。その一振りに於いて彼我の実力差を。
今まで超えて来た壁には希望があった。薄氷を踏み、進むような薄っぺらい道だとしても確かに突破口が見出せた。
例えば初めて出会った悪鬼の王。
例えば魔王の遣いである黒騎士。
例えば最強の名を持つ古の大龍。
勝ち目などないと思えた。それでも、希望は確かに見えていた。
だが、目の前の存在にはそれが存在しない。
絶望と云う闇で全てを飲み干す闇の支配者。それが魔王であるのだから。
「――さて、此処まで良くも辿り着いてくれたものだ。我には及ぶまいが、其方らの実力、見事である。脆く儚い人の身でこの魔王の眼前に現れた事、賞賛に値する」
魔王が云う。
その語りは定型句にも似ていた。惜しみない賛辞が含まれ。素直な賞賛が耳を打つ。同時に耳を打つのは乾いた音だ。拍手の音色。小馬鹿にされたような、しかし、そこに意を唱える事が出来ない差が、彼等の間には存在した。
「そこで、だ。其方らの働きにより我が軍団の機能は低下している。我一人で人類と敵対するのは心細い。……世界に半分を与えよう。勇者よ。我の物となるが良い」
玉座に腰を掛けたまま、魔王は云う。
誰が。そんな拒否の言葉は響かない。差を理解してしまったがゆえに、勇者は考える。世界の半分ならば救えるのだと、魔王の提案を呑むのもありではないかと。
刹那に満たぬ逡巡。
それを、彼は恥じた。
この身は何だ。勇者である。例え望まずに与えられた役目だとしても、知らぬままに祭り上げられた偶像しても、己の生き方を強制されたとしても、この身は勇者なのだ。
ゆっくりと、彼は周囲を見る。
瞳に映るのは苦楽を共にしな三人の仲間たちだ。瞳を見れば、彼らが云わんとしている事が解る。そんな間柄だ。視界には、三人がゆっくりと、頷くのが見えた。
ならばもう、答えは決まっている。
「――断る!」
高らかに叫ぶ。拍手の音は消え、沈黙が場を支配する。
ああ、云ってしまったのだと云う僅かな後悔と、満足感が勇者の心を満たしてくれる。口元には笑みが浮かび、身体が軽くなる。
目の前では、魔王が深々と、溜息を吐いていた。
「残念だ」
一言と共に広大と云って差し支えのないこの空間を支配するのは高まる魔力の奔流だ。
勇者たちを一撃で壊滅に陥れた魔法。それが再び、彼らに牙を剥かんとする。全霊であり、万全であるからこそ、一撃は凌げた。けれど、二度目は、ない。
魔力が膨れ上がる。膨張し、行き場を失った膨大な魔力は風船に詰められた水のような物だ。何か、きっかけがあれば爆ぜ、その爆発は周囲を吹き飛ばすまで止む事はない。
そうして、
「――責めて我が手に掛かる事を光栄に思うが良い、勇者よ」
世界が、光に満ち溢れた。
◆◆◆
「こんばんはー、出張社畜代行サービスの者ですー」
「……は?」
その疑問は誰のものだったのだろうか。この場にいる全員の総意であったのかも知れない。眼を見開き、目の前に現れた一人の人物を見る。
見慣れない黒の服装は貴族が纏う燕尾服に似ているものの、どこかしつこさがなく、豪奢でもない。それどころか、仕立ての良い素材を使っているのであろうにみすぼらしさを覚えてしまう。髪は黒髪、七対三で分けられた髪型はしっかりと撫でつけられているのか、跳ねる事を知らない。片手に携えられているのは光沢のない黒の箱だ。大きさはさほどでもない。首元には濃紺色のネクタイを締め、眼鏡を掛けた人物はそこにただ、立っていた。
「貴様……、我の魔法をどうやって……!」
最初に正気に戻ったのは魔王だった。
彼の者が放った必殺の魔法はどこにもない。あれだけ膨張していた奔流の、大気の圧迫感も覚えない。それは文字通り、消されたとしか言い様のない状況であった。
しかし、それは不可能だ。対峙すらしていないも、魔法を受けた勇者には解る。反魔法公式を発動しようにもあれだけの魔力を解呪するのは至難のわざだ。しかも、あの魔法は式を構築して術を発動させるのではない。ただ、詰め物の魔力と云う爆薬を詰め込むだけだ、下手に干渉すればそれだけで爆発が巻き起こり、術者である魔王を覗いてことごとく消滅するだろう。
だが、突如として現れた男は事もなげに云ってのけた。
「お客様との商談の邪魔ですので消させて頂きました。あ、これはサービスですのでお気になさらず」
「なん……だと……?」
訳が解らない。あれだけの魔力をどこに消してと云うのか。
理解がまるで追い付かない勇者の下に男はゆったりと歩み寄り、倒れ込んだ勇者の前に跪く。片膝を着き、そして両足を折ればそこにあるのはジパングの礼儀作法の一つである SEIZAだ。
魔王はおあっけに取られたまま、動けない。彼の王を気にする事はなく、男は胸に手を差し込んだ。
瞬間、緊張が走る。
この男が何者化か解らないも、その実力の片鱗は確かに覗かせているのだ。抵抗出来なくとも、鍛え込まれた身体と戦闘勘は勝手に意識を臨戦に切り替える。
だか、男が取り出したのは一枚の紙であった。やけに品質が良い。如何なる素材を使っているのか、純白の紙とその中央に黒字で刻まれた文字が書かれた札にも似た紙を男は差し出す。
両手で紙の端を持ち、頭を小さく下げて自分の方に名前が見えるようにして、だ。
「申し遅れました。私、このような者です」
「あ、はい」
倒れたまま、勇者は紙を受け取る、そこに記されているのは、
「出張社畜代行サービス、主任のスズキ……?」
名前と地位なのだろうか。書かれている文字は解らないものの、頭に直接情報として文字の意味が流れ込んで来る。それだけでこの紙一つが超難易度の術式で編まれている事が解った。
「はい。只今、勤労感謝の日スペシャルと云う事でサービスを行っております。
もし宜しければ御利用頂けないかと思いまして」
「えー……と、スズキさん?」
「はい、何でしょうか」
「この出張社畜サービスって、なに?」
恐らくは何等かの組織なのであろう。だが、そんな組織があるなどとは勇者に訊き覚えはなかった。全世界を巡り、裏表問わずに情報を集められる勇者であろうとも。
そこに割り込んで来た声は女のものだ。普段の活力はない。ただ、信じられないと云った風に商人は云う。
「出張社畜サービス……訊いた事があるわ。それは過去に魔王を倒す勇者の前に顕れ武器を与えたり、強敵を共に倒したり、時には敵として現れたりすると文献で見たけれど……まさか実在していたなんて」
「今回は勇者様方を御手伝いさせて頂きますので御安心下さい。我々。出張社畜サービスは社会に飼い慣らされた方々の味方です」
「それは……助かる、が」
何故。
そんな疑問が湧き上がる。
何故、この男が力を貸してくれるのか。何故、この男が現れたのか。解らない事だらけだ。ただ、今はそんな疑問はどうでも良い。このスズキと名乗る男の力が有ればこの戦いに勝つ事が出来るのだから。
そんな疑問は察したのか、スズキは浮かべた笑みを崩さず、唇を開いた。
「――貴方は、この世界の奴隷でしょう?」
「――――」
言葉に、詰まった。
違うと、そう叫ぶ事は出来ない。そうじゃないと、そう云う事も出来ない。
この身は勇者だ。
だが、望んでそうなったのではない。
この身は勇者だ。
だが、願ってそうなったのではない。
この身は勇者だ。
だが、そこに、〝己〟はない。
気づいてしまった。否、眼を背けていた現実を突きつけられてしまった。
選定された。周囲は確かに祝ってくれたが、それは単なる人柱に過ぎない。
勇者になった。自分の生きたい道を捨てるとうに云われ、されるがままに勇者にならされた。
魔王と対峙した。殺されると解った瞬間、安堵していた。もう、勇者から解放されるのだと。
「……俺は……」
俯き、床を見る。
此の身は偽りだらけの勇者。自分で自分を認める事すら出来ない仮初の勇者だ。
「――ですが、其れをサポートするために我々がいる」
「――え?」
顔を上げれば、そこにはスズキが立っている。堂々たる振る舞いでネクタイを締め、片手にはケースを持って。
「我々の世界では、今日は勤労感謝の日」
踵を返し、背を向ける。対峙するのは圧倒的な力を持つ魔の王と。
「仕事に勤しむ者の感謝し、生産を祝い、民同士が感謝し合う日」
手にしたケースが変形する。
取っ手を前方に開かれたカバーは外側から内側に閉まり、そしてその背同士を合致させる。内部に仕込まれていた数多の金具とボルトは動作に従い吹き飛び、ケースを中心に終結していく。
「この日くらい、休んでも良いじゃないかと誰かは云った」
飛び出した二枚のプレートがケースの前方に装着され、同時にボルトが位置を確定し、固定する。
「平等の祝日。しかし、それでも働かなければ世界は回り、動かない、ならば――」
腕を上に振るい、衝撃により取っ手がケースの尻にスライドする。六連のボルトが
嵌め込めれ、合致に合わさり、魔力を込めればそこに生み出されるのは白く光る一本の大剣だ。
「――誰か(我々)、その役目を担いましょう。それが例え、魔王討伐と云う使命だとしても」
「けどそれじゃあ方たちの休みが――!」
良いのです、とスズキは云う。正気に戻った魔王に対してあくまで笑顔を崩さずに、
「それで、誰かが救えるのなら、この程度の仕事、造作もない事――!」
駆けた。
魔王と社畜。その決戦が幕を開けた。
商人「あ、あれは伝説の営業ブレード……!?」
魔法「知っているの?商人!?」
商人「数多の営業周りを超えた者に授けられると云う伝説の剣……、クレーマーのクレームを両断し、突き付けられた無理難題を快刀乱麻、一流の営業者にのみ、与えられるという魔法剣よ。私ですら持っていないのに」
戦士「……仕事って大変だな」