4.七夕の祝い事/前
「七夕?」
「そう、七夕」
7月が近づいたある日、こちらを訪ねて来たイルが「七夕というものがあるのね」と言い出した。
「忘れてた。そういえば、もうすぐだったっけ」
「で、訊きたかったのだけど」
ずいぶんと真剣な顔で本を開く。夏の夜空の星景写真だが……。
「織姫と彦星って、このふたつの星なんでしょう? 年に一度、星が星に会うため、天の川を渡るというのは本当なの?」
「えっ」
本当かも何も、お伽話だと、今まさにイルの持つその本にも書いてあるのだが。
「いや……あれは、七夕伝説になぞらえて、星に絡めただけで……」
「そうなの? だって、神がふたりを星にして、会うのは年に一度とお決めになったのでしょう? 神ならそれくらいやってのけるのではないの?」
少々興奮気味に、ひと息にそこまでを言い切るイルはどうしたんだろう。
「え……あ、いや。それは、あくまで物語だけの話で、夏空によく目立つふたつの星を当てはめただけ……って思われてるんだけど」
「そうなの?」
「ああ、それより、そんなに七夕が気になる?」
「……そんな伝説があるなら、何かあるんじゃないかと思ったの」
「何か?」
なぜかイルはしおしおと大人しくなって、決まり悪げに視線を外す。
「……だって、ヘスカンもナイアラも、カイルですら、こちらの人間以外の種族に会ったっていうのに、私は全然なのよ。彼らは人間が知らないことも知ってるようだし……」
「うん」
「七夕みたいな特別な星の動きがあるなら、何か人間以外の種族でもイベントがあるんじゃないかと思ったのよ」
なんだそんなことかとつい笑ってしまうと、イルは不満そうにこちらを睨みつけた。イルたちと会うまでは全く知らなかったが、この世界にも人間以外の種族が結構いるらしい。面白いのは、その異種族たちから、イルやナイアラたちもその中にカウントされていることだろうか。
「だったら、皆にその人間じゃない種族を紹介してもらえばいいのに」
「そんなの、つまらないわ。紹介されるんじゃなくて、私も自分で会ってみたいのよ」
「じゃあ、七夕祭りでも行ってみようか」
さっそくネットで検索してみるが……。
「って、めぼしいところはほとんど旧暦の七夕か」
「旧暦って、昔の、月の満ち欠けで決めてた頃の暦?」
「そう。7月7日に七夕祭りやるとこって結構少ないんだな……ああ、夏休みの都合か」
イルは「どういうこと?」と首を傾げた。
「大人の事情も相まってってことも入ってるんじゃないかなと思ったんだ。旧暦とか祭りっていう伝統を守るにも、祭りで人集めするのも、夏休みでお盆が近い旧暦の七夕のほうがちょうどいいってことかな、と」
「……なんだか、ロマンも何もあったもんじゃないのね」
眉を寄せてイルがぽそりと呟く。
「……なら、当日はその星を見たいわね」
「ん……星か……」
「難しい?」
考え込む俺に、イルが眉尻を下げる。
「こればっかりは天気次第だからなあ……それに、少し田舎に行かないと、天の川もよく見えないだろうし」
「じゃあ、無理には……」
「いや、考えてみるよ」
夏季休暇は7月から取れたはずだし、申請はこれからで、仕事のスケジュールも……と、頭の中でどうにか算段を付けつつ、この時期でも星が見えそうなところ……と考えた。
当日、関東はやはり雨。
やっぱりこのあたりじゃだめかと空を見て、すぐに天気予報で夜は晴れていそうな地域を探す。
「宿の予約とかは全然やってないから、最悪車中泊になるけど大丈夫かな」
「車中泊?」
スマホをいじりながらそう言うと、イルはいったい何が大丈夫なのかと、不思議そうにこちらを見た。
「うまく宿が見つからなかったら、ひと晩車の中で寝ることになるかも」
「ああ、そんなの全然問題ないわ。野営なら慣れてるから」
野営という言葉がさらりと出てくるとは、さすがというか。つい笑ってしまうと、イルは何か変なことでも言ったかと首を傾げた。
「いや、アウトドアに慣れてる子が一緒だと気が楽だなと思って」
「そういうものなの?」
「少なくとも、車中泊で喜ぶ女の子は少ないからね」
「あら、おもしろそうなのに」
ひととおり検索をしたところで、今から向かえそうな場所に目星を付けた。
「結構北まで行かないと雲が切れないみたいだな」
「北?」
「そうだな……宮城か岩手のほうまで行ってみようか」
東北自動車道をひたすら北上する。
平日とはいえ、さすが南北を結ぶ主要な高速道路だけあって混んでいる。とはいえ、あまり急ぐ必要もなく、日暮れまでにある程度晴れている山の上に辿り着ければいいか、くらいの気楽なドライブだ。時折渋滞に引っかかったり、サービスエリアでちょくちょく休憩を挟んだりしながら、のんびりと走る。
そうやって太陽がだいぶ傾いてきた頃、宮城と岩手の県境近くまで来てやっと、雲のあまりない青空になってきた。
「ここらで大丈夫かな」
もう一度この地域の天気予報を確認すると、明日の昼まではずっと晴れマークが並んでいた。
「ここはどのあたりになるの?」
「ええと……ざっくりいって、本州の北のほう。くの字に曲がった北側の真ん中あたり……で、うちから500キロに足りないくらいの距離かな」
「500っていうと……ずいぶん移動したのね」
この短時間でそんなに、と驚くイルに笑いながら、高速を降りる前にもう一度給油してさらに山のほうへと進む。少し行ったところに駅もあり、観光協会の窓口も見つけた。
「ちょっと、山のほうの旅館が空いてないか、聞いてみようか」
「こんなところでも聞けるのね」
最近ではネット予約が当たり前になってしまったせいか、少し寂れてしまった印象はあるが、それでもまだ、このあたりの観光名所のパンフレットやイベントの案内などが所狭しと並べられ、窓口は十分機能しているように見えた。
「いらっしゃい」
「すみません、今夜泊まれる旅館かホテルはありますか? できれば山のほうがいいんですけど」
じろりと俺とイルを見て、窓口のおばさんは「ちょっと待ってね」とパソコンをカタカタと弄り始める。
「山のほう、山のほう……っていうと、このあたりかね」
地域の観光地図を広げて、ぐりぐりと赤ペンで印を付ける。
“樋沢温泉”という文字の並んだ温泉街から少し山の上に登った場所にある旅館のようだ。
「ここに“紅葉亭”っていう旅館があってね、そこが空いてるみたいだけど、どうですかね」
おばさんはその旅館のパンフレットを取り出しながら、そこがこの温泉地に古くからある老舗の旅館でどうとか、源泉に近いからどうだとか、いろいろと説明する。
「悪くなさそうだし、どうかな」
「いいんじゃないかしら」
温泉もあるし、夕食も付くし、ならそこに決めてしまうことにする。
「じゃあ、ここでお願いします」
おばさんは、「じゃあ、こっちから連絡を入れておくから、これを書いて、写しをあっちで渡してちょうだい」とにっこり笑った。
宿は思っていたよりもずいぶんと山の奥だった。空は赤くなり始めていて、太陽は既に山陰に入っている。街の明かりもうまく隠れてあまり見えない。
「これだけ登ったら、宿の庭からでも星がよく見えそうだね」
「天気も崩れないみたいで、よかったわ」
宿のそばの道路沿いを整地しただけの駐車場はいっぱいで、場所の割に客は多いように思えた。
「平日なのに、いっぱいなんだな」
荷物を降ろしてチェックインを済ませ、仲居が案内してくれたのは、山間の沢に面した、景色のいい部屋だった。
「そうそう、今日はお祝いで宴会のお客様もいるんです。少しうるさいかもしれないんですが、ご了承いただけますかねえ」
「お祝い?」
「はい。おめでたいことがあったとのことで、ご親戚総出でいらっしゃってるんです」
「そうでしたか。では、こちらは気にしないでください」
それであんなに駐車場がいっぱいだったのかと納得する。そういえば、ナンバーは皆県内だったな。
「ナート、こっちでは、こういう宿でお祝いごとをするものなの?」
「地域によってはそうみたいだよ」
それじゃ夕食前にひと風呂浴びようか、と、連れ立って大浴場へと向かった。
「あの、お客様」
「はい?」
部屋に戻るなり、さっきの仲居がやってきた。
「実は、宴会のお客様が、ぜひ夕食をご一緒にと仰っておられるのですが、いかがしますか?」
「え?」
「これも何かのご縁なのだから、ぜひ一緒に祝ってもらえないかとのことでして」
思わずイルと顔を見合わせる。さすがにこういうことは初めてだ。
「どうする?」
「……興味があるわね」
少しだけ考えて、了承することに決めた。迷惑でなければの言葉を添えて。
「何のお祝いなのかしら」
「さあ……こういう場所でやるようなお祝い事は、そう種類はないと思うけど……さすがによくわからないな」
こんな、居合わせた他人まで巻き込みたがるのだから、たぶん相当ないいことなんだろう。





