3.夏祭り
「ああ、あそこの神社か」
瑠夏から皆でお祭りに行こうと言われて、そういえばもうそんな時期かと思い出す。
「みんなで浴衣着て行くんだよ。お兄ちゃんも持ってるよね」
「ああ」
「じゃ、早く準備して。カイルとヘスカンの分もお願いね」
「なるほど、そういうことか」
瑠夏の後ろで荷物を抱えていたふたりは、「よろしくお願いします」と部屋に入ってきた。
まあ、そうは言っても、女性陣と違って男の着付けなどそうはかからない。
さっさと着替え終わって下で待っていると、しばらく後に「できたよー」と声がした。
「これ、可愛いけどやっぱり機能的ではないわね」
「いざとなったらすそまくればいいんだよ」
「ちょ、それは絶対だめよ」
「カイル見て見てー!」
賑やかに降りてきた3人を見て、今日は目立ちそうだなと考える。
目鼻立ちだけで目立つのに、それが浴衣を着ているとあってはどうなるやら。
久しぶりに来た祭りは盛況で、ずいぶん多くの屋台やら露店やらが出ていた。
「相変わらず賑やかだなあ」
道路にみっちり溢れた人混みに、皆も驚いているようだった。
「じゃ、8時にこのあたりでまた合流しよう。何かあったら携帯に連絡で」
この人混みを集団で動きまわるのは大変だし、見て歩きたいものも違うだろうと、あらかじめ全員ばらばらで動くことに決めていた。
ナイアラとヘスカンはさっそく露店の食べ物を見て歩こうと、そちらにむかって突進していく。瑠夏とカイルはもちろん一緒だ。あっという間に人混みに紛れてしまった4人を見送って、俺とイルは顔を見合わせた。
「何か見たいものある?」
「いろいろあるのね。でもその前に、神社の境内のほうを見てみたいわ」
神社といっても、ちょっとしたお社と小さな祠があるだけの、小さな神社だ。もちろん神主なんてのも常駐していない。
「たしか、300年だか400年だか昔、疫病退散でご利益があったんだったかな」
子供の頃に読んだ、地元の民話集みたいなものを思い出す。
「そうなの。じゃあ、この神は癒しの神ってことなのかしら」
「んー、祇園さんだって聞いたけど、本来なんだったかな。あんまり詳しくないんだ」
そういや、そもそもここは何の神様を祀っているかすら、よく知らなかった。なんとなく、毎年初詣に来て、夏休みにはラジオ体操をやるところ……という認識しかしていない。
そんなことを考えながら、ちゃりんと賽銭を投げてぱんぱんと二礼二拍一礼をする。イルも見よう見まねで同じように手を叩く。
「あっちの小さい祠は?」
「たしか、地元の人たちが、あちこちの大きな神社を詣でてはそこでもらったお札を持ち帰って祀ったんだって聞いてる。だから、あの祠ひとつひとつに神様がいるんだってさ」
「へえ? おもしろいのね。日本人てあまり信仰が篤いように見えないのに、普通に何でも神様だって拝むのよね」
イルは興味深げにひとつひとつ祠を覗いて歩いていた。
「でも信仰ってそんなもんじゃないのかね」
「あっちは本当に神がいる世界だから、たぶんこっちとはだいぶ感覚が違うわよ」
「なるほど」
境内からまた外に出てのんびりと露店の間を歩いていると、真剣な顔で露店を覗くナイアラやヘスカンを見かけた。ふたり揃って食べ物の露店に張り付いているのはどうなのか。
そういえば、サービスエリアでも、ふたりとも食べ物屋をチェックするのに余念がなかったことを思い出す。
「ああ、軽く何か食べようか。夕食も兼ねることになるし」
「そうね」
人混みをかき分けながらゆっくりと露店を覗き、焼きそばやたこ焼きなどを幾つか買う。どうしてこう、ソースが焼ける匂いというのは食欲をそそるのだろうか。
「あ」
「おっと」
急に押されたのか、イルが前につんのめって転びそうになった。慌てて支えると、足元からブチッという景気のいい音が響く。
「あ……どうしよう、壊れちゃったみたい」
軽く持ち上げられたイルの足先には、鼻緒の切れた下駄がぶらぶらとぶら下がっていた。
「しまったな。手持ちのタオルじゃすげ替えはできないし……」
汗をよく吸うからと、薄地ではなくタオル地のハンカチにしてしまったのは失敗だったな、と思う。これはどうしたものだろうか。
──家まではここから徒歩で10分ちょいか、と考え……。
「仕方ない、一度帰るか」
「え、でもこれじゃ」
「ちょっと荷物持ってくれるかな」
手早く皆に先に帰るとメールを送ると、イルに買った食べ物の袋を渡し、それから彼女を抱き上げた。こう言ったら失礼かもしれないが、瑠夏よりは遥かに軽いんじゃないだろうか。魔術師だから、たぶん身体もあまり鍛えていないんだろう。考えていたよりもずいぶん華奢に感じる。
「え、ちょ、これは」
「はい、下駄も持って」
ひょいひょいと足にぶら下がっていた下駄も外して渡すと、俺はすたすた歩き出した。
「ねえ……こ、これ、結構恥ずかしいわ」
周りをきょろきょろと見回して、幾人かの通行人に見られていると気付くと、真っ赤になってそれっきりイルは黙り込んでしまった。
「抱えてるおじさんも、相当恥ずかしいんだけどね」
はははと笑うと、「なら、下ろしてくれても」と困ったようにイルが小さく返す。あまりこういう経験はないのか、いつもの落ち着き払ったようすとはだいぶ違う印象がかなり新鮮だ。
「いやいや、さすがに浴衣の女の子を裸足で歩かせるわけにいかないでしょ。ま、住宅街に入ればすぐに人もいなくなるよ。恥ずかしいなら、それまで顔を伏せてればいいさ」
こくんと頷いてまた黙り込むイルが妙に可愛いと思う。
「鼻緒は、明日、店に持っていって直してもらおう」
なんだか妙な緊張感に襲われて、あれこれと他愛もない話をしつつ、すたすたとひたすら歩き続けた。
「着いたよ」
その声で顔を上げるイルを、玄関先でいったん下ろそうとして……ふと、なんだか勿体無く思う。もっと……。
「ナート?」
どうしたのかと顔を上げて首を傾げるイルと目が合い……彼女の唇に、つい、自分のそれを重ねてしまった。
「ごめん」
唇を離してそう囁くと、イルは目を細め、軽く眉根を寄せた。
「謝るようなことをしたと思ってるの?」
「いや、その……同意をもらってなかったし」
「……嫌だったら、あなた今頃丸焼けよ」
眉間の皺を消してイルがくすりと笑い、その笑顔に少しほっとする。
「よかった」
「正直言うと、どうしてかしらね……なんだか嬉しいわ」
少し照れ臭そうに目を逸らすイルがやはり可愛いくて、俺はもう一度彼女に口付けた。
ダイニングで買ってきた焼きそばその他をもそもそと頬張りながら、「こういうソースの味って、癖になるのね」などと話をしていると、玄関のほうがにわかに騒がしくなった。どうやら皆帰ってきたらしい。
「ただいまあ!」
からんからんと下駄の音も高らかにナイアラが扉をくぐり、家の中をぱたぱたと走ってくる。
「ちょっと、その格好で、しかも家の中で走り回るんじゃないわよ」
イルがさっそく小言のような説教を始めるが、どうもナイアラは聞いてないようだ。
「あのね、イリヴァーラきいて! おまつりで、へんなひとから、おまえはバケネコか、それともケットシーかってきかれたよ」
「バケネコ? ケットシー?」
妙な顔になるイルと首を傾げるナイアラに、「どっちも猫の妖怪というか……?」と呟くと、ふたりとも余計に怪訝な顔になった。「ナイアラにそんなことを言うってどういうことなの?」と、イルが考え込む。
「ねえねえ、こっちもまものみたいなのっているの?」
「いや、そういう伝説とか話があるだけだけで、全部想像の産物だよ」
ナイアラが興味を惹かれたのか、身を乗り出して訊いてくる。
「でもね、あたし、うまいことばけてるなってほめられたんだよ。なんでわかったんだろう」
「え?」
さらに続いたナイアラの言葉に、俺も絶句してしまう。
化けてる?
「きょうていがどうのっていうから、なにそれってきいたの。おとなしくして、むやみにけんかしなきゃ、だいじょうぶっていわれたよ」
「協定? どういうことなの。喧嘩って?」
「それ、体格の良い男性ではありませんでしたか? 目が黄色い」
「ヘスカン?」
黙って聞いていたヘスカンが、ぐいと顔を寄せてくる。
「私を見て、西洋竜まで来てるのかと驚く人に会ったんですよ」
「はあ?」
くつくつと笑いながら、ヘスカンが何かを思い出すように宙を見る。
「少し話してみたのですが、なにやら、この国を訪れている人間でない種族は“協定”というものを守る義務があるようですね。内容は、要約すると“人間の法律を守り、諍いなど起こさず、和をもって尊しとせよ”ということらしいです。牛串を奢ったら、この付近の事情までいろいろと教えてくれました」
「人間じゃない種族って……」
「意外にいろいろな次元から入り込んでるのかもしれません。ここも魔法的次元的に閉じられているわけではありませんから、十分あり得ることですよ。私たちも来ているわけですしね。
ああ、そうそう、このあたりで問題を起こすと、小姑のようにうるさい奴が出張ってくるから気をつけろとも言ってました」
「じゃあ、“協定”っていうのは、そのことだったのかな」
「カイル?」
黙って話を聞いていたカイルまでが、じっと考え込むように眉を寄せる。
「ヴァンパイアがいたんだよ。僕に気づいたみたいですぐに祭から離れたんだけど、人間を連れてたから……もしかして“魅了”の力で餌になる人間を狩りに来たのかと、それなら止めなきゃと思って追いかけたんだ」
「え」
ヴァンパイアと聞いて、イルたちに緊張が走る。こちらでも向こうでも、吸血鬼というのは恐ろしい魔物らしい。
「……それが、“協定”を守っているんだから手を出すな、ここらの全部とイズモを敵に回したいのかと言われたんだけど……そのことだったのか?」
「イズモ……?」
「出雲なら……出雲大社っていう大きい神社があって、年に1回日本中の神様がそこに集まって会議を開く……んだったかな。そこじゃないかと思うけど」
「……ねえ、本当にこの世界、神はいないの? 知らないだけで実はいるんじゃないの?」
イルが呆れたようにこちらを見る。
「いや、科学的に実証されてないからいないってことになってるんだけど」
「そういうこと? 人間が知らないだけで、神はバッチリ存在していそうね」
イルは、はあ、と溜息を吐いて、「次はこの世界の神のことでも調べてみようかしら」と呟いた。
この話だけ、「真夏の吸血鬼2」の「7.夏だ祭りだ」と連動しております。