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2.温泉へ行こう/前

「」は日本語、『』は異界語というくくりでお送りしております。

あと、ナイアラは聞き取りはそこそこできますが、話すほうはカタコトです。

「ねえ、あれおいしそう」

「さっきも食べてたじゃないか」

 車を降りるなり、屋台に並ぶ名物コロッケを見て瑠夏(ルカ)が言うと、カイルは呆れた顔をした。

『ねえー、ルカちゃん、はんぶんこ、しようかあ?』

『あ、いいねえ!』

 あ、おい、と声を掛ける間もなく、ふたりで屋台に突進して行ってしまった。その後をカイルがやれやれとゆっくりついていく。瑠夏との付き合いですっかりこっちに馴染んでいる彼がいれば、心配はないだろう。

「それにしても、車って、つくづく便利ね。馬車に比べたら乗り心地も段違いだわ」

「街道が整備されていることが前提ですが、この燃料と動力を魔法に置き換えられれば、向こうでも使えそうですね。たしか岩小人がそんな機械を作っていたと、何かで読んだ覚えがあります」

「操縦には訓練が必要みたいよ。免許証、という許可証がないと操縦や所持が許されないらしいし」

「確かに、これだけ高速で動くものなら、訓練は必要でしょう。そこは馬術と変わらないのでは?」

 こちらはこちらで車を前に真剣に話しているが、どことなくずれているようにも感じる。それよりも、イルはともかく、ヘスカンの今の外見……銀の髪に銀の目の長身の青年という姿は相当目立っているが、大丈夫だろうか。

「とにかく、しばらくここで休憩するから、トイレとかは済ませておいてくれ」

「わかりました」

「ええ」


「ねえ、お兄ちゃん、温泉行きたくない?」

 などと妹が言い出したのは、約1ヶ月ほど前のことだ。

「お前、行きたくないかじゃなくて、連れて行ってくれの間違いじゃないのか? それと、旅費はどうするんだ」

「ナイアラがこないだ来た時に、手持ちの装身具と金貨をいくつか換金したから大丈夫。このまえ旅行雑誌を見せたら、こっちの温泉旅館に行ってみたいって話になったの。皆、興味があるみたい」

 温泉旅館、なるほど。

 たしかに、妹やイルの話ではこちらの温泉旅館みたいなものは、あちらにはなさそうだしな。

「来月有休取ろうと思ってたから、そこでよければいいよ。で、皆って何人だ」

「ええと、私と……お兄ちゃん入れて6人かな」

 全員の名前を挙げつつ指折り数え、その手をこちらに示す。

「じゃ、レンタカー借りないと乗れないな。場所はどこか決めてるのか?」

「ふっふーん、目星は付けてあるんだ」

 そう言ってにんまり笑う妹が差し出した旅行雑誌には、世界遺産からそれほど遠くない場所にある、山中の温泉宿が載っていたのだった。


 車を出て、サービスエリアの建物の横で腰と肩を伸ばしていると、イルが何か飲むかと聞いてきた。

「中にお茶のサービスがあるから、それでいいよ」

「へえ? そんなものまであるの。至れり尽くせりなのね」

 かなり流暢になった日本語で感心している姿を見ると、随分こっちに馴染んだなと思う。


 フードコートはまだ朝が終わったくらいの時間でがら空きだったが、店舗エリアのほうはすでにたくさんの人で賑わっていた。

「それにしても、本当に、どこまでいっても本当に人がたくさん住んでるのね。あっち(アーレス)とは大違いよ」

「日本は狭い島国だからね。人口密度は世界でも上位だったはずだよ」

 はは、と笑いながらそう述べると、イルは肩を竦めた。

「地図を見たけれど、確かに狭いわよね」

 フードコートの座席に座り、お茶を飲みながらそんなことを言う。こういう場所で無防備に荷物を置いたまま席を離れる人にも、未だに少し驚いているようだ。

「人の出入りがこれだけある場所なのに、倫理観の高さにも呆れたわ」

「まあね」

 苦笑しながら茶を一口飲み込む。

『ねえ、イリヴァーラ、これおいしいよお! 一口どーお?』

 ナイアラが、外の屋台で買った食べ物をいくつも抱えてやってきた。

『そんなに買ったの?』

 満面の笑顔のナイアラとイルが何を話しているのかはよくわからないが、だいたいの想像はつく。ぱくぱくと抱えた食べ物を口に運びながら話し続けているが、たぶんあれがおいしいとかこれがおいしいとか、そういうことなんだろう。買い食いをしている時の妹の顔とそっくりだ。

「こちらは食べ物が美味しいですからね、ついつい食べ過ぎてしまうんですよ」

 そう言いながら、ヘスカンも串焼きをひとつ齧りながら戻ってきた。

 サービスエリアのフードコートで豪快に串焼きを齧る銀髪の青年……ということで、またチラチラと視線を浴びている。意外にもカイルがそれほど目立っていないのは、彼のおかげだろう。

「ねえ、カイル」

「ん?」

「メガ盛りだって。食べられる?」

 ちらりと目をやると、横で広げているサービスエリア案内の小冊子のページには、丼に山盛りに盛られたご飯の上に、溢れんばかりに焼肉を乗せたメガ焼肉丼の写真があった。

「え、いや、どうかな」

「だって、カイル結構食べるじゃない」

 わずかに引き攣る彼の顔に気づいてないのか、瑠夏は期待に満ちた視線を送っている。

「さすがに、行軍中でもないのにこんなに食べたら、太るよ?」

「そうかあ……」

「確かに、こっちに来るようになってから、少し太った気がするわ……」

 聞こえてくる会話につい笑ってしまうと、ふたりのやり取りが耳に入ったのか、イルまでがそんなことを言い出した。

『だってえ、美味しいからってたくさん食べて、あっちでもじっと借りてきた本読んでるだけで動かないんだもん、そんなの当たり前だよお』

『わかってるわよ!』

 笑うナイアラに憮然と返したあと、「たしかに、最近全然旅にも冒険にも出てないからなのよね」と呟いた。

 世界を跨っても、心配するところは同じらしい。


「それにしても、“温泉”がこんな娯楽だなんて、全然思わなかったわ」

 車窓から外を眺めながら、イルがしみじみと呟く。

「湯治は、こっちじゃ温泉がある場所ならどこでもやってることなんだけどね」

「そうね……あっちでも探せばあるのかもしれないけど、私の感覚では、旅の途中で運良く見つけたらゆっくり汚れを落とせるなって喜ぶくらいかしら。わざわざ入りにまではいかないわ。どうりでルカが風呂にこだわるわけよ」

 向こうでも、きっと、風呂に入りたいと大騒ぎしたんだろうと容易に想像できて、つい笑ってしまう。

「そんなに入浴は大変なんだ?」

「宿でもそうそう浴室付きの部屋なんてないのよ。湯桶がある浴室付きなんて、貴族向けの宿でも少ないわ。給湯器みたいな便利なものはないから、沸かすのも汲むのも人の力だし。

 だいたい盥で行水か、井戸の横で頭から水をかぶるのがいいところよ。野営中なら、近くの水場で水浴びかしら」

「へえ、それじゃ冬は大変なんだ」

「ええ、ヘスカンみたいに寒さに強い種族なら平気で水に入るけど、凍えないようにさっと身体を拭いて終わりっていうのが多いわね」

 もっと魔法でなんとかする仕組みになっているのかと思ったら、そうでもないらしい。口に出してそういうと、イルは肩を竦めた。

「魔術師は数が少ないし、魔法はもっと高価よ。いちばん普及している傷を治す魔法薬ですら、1本の値段は都に住む平民の、ひと月の収入に相当するわね。入浴できるような設備を魔法でって考えたら、貴族でもなかなかない贅沢よ。それこそ王城か上級貴族か、それとも自分が裕福な魔術師でもない限り無理だわ」

「へえ……魔法ってすごい技能職なんだね」

「魔法はただで無限に使えるものじゃないもの。必要な触媒には高価なものも多いから、仕方ないわ」

 ファンタジーな世界も、いろいろと世知辛いらしい。

「……こっちみたいな機械がないのは、やっぱり、魔法でどうにかなってしまうからかしらね」

「そういうもの?」

「理論とか原理とか、細かい事まで調べなくても魔法でなんとかなっちゃうから、そこで止まってるのかもしれないわ」

「ふうん?」

 難しい顔で外を眺めながらぶつぶつと考え込むイルをちらりと見て、そういうものなのかなと思った。




「せかいいさん、どれ?」

「この地域全部が、世界遺産だよ」

 きょろきょろと周囲を見回すナイアラに、合掌造りの家屋が立ち並ぶあたりを指差すと、「へえ」と面白そうに声を上げた。

「ぜんぶ、木? 草?」

「ああ、そう。木と草と紙でできてる、って言えばいいのかな」

 ナイアラは目を丸くする。

「どろぼう、はいる? だいじょうぶ?」

 防犯が気になるらしい。たぶん、彼女の目から見たら、スカスカなんだろう。

「たぶん、防犯カメラとかはついてるんじゃないかな。何か対策はしてると思うよ」

「それでも、あんな頼りない作りで問題ないって、ちょっと驚きよ。あんな戸板なんて、すぐ破れるじゃない」

 眉間にしわを寄せて、イルも呟く。

「昔は余所者なんて来ないような場所だったんだよ。今でこそ、近くまで高速道路も通って便も良くなったけど、その前はここへ来るだけで、車でも何時間もかかったんだし」

「そうなの?」

 イルは首を傾げる。

「今みたいなトンネルはなかったから、峠道を通って、延々山を越えるんだ」

「……たしかに、それじゃ大変ね」

 ぐるりと周りを取り囲む険しい山々を見て、そこを越える苦労は容易に想像できたのだろう、イルはわずかに顔を(しか)めた。

「ここが世界遺産になる前の不便な頃は、この半分も人が来なかったんじゃないかな」

 駐車場と集落の間を行き来する人々の群れを見ながら、ちょっと人が多くなりすぎて、いまいち情緒に欠けるようになってしまったのは残念だったなと考えた。

 もうひとつ、隣にある集落の方が落ち着いているから、そちらにすればよかったかもしれない。




「はい、お待ちかね、温泉宿に着いたよ」

 山あいを流れる小さな谷川に沿って数件の温泉宿が立ち並ぶ温泉地に、ようやく到着した。資金ならあるからというのに甘えて、さらに妹のイチオシもあって、部屋に露天風呂まで付いている、贅沢な旅館だ。

「お待ちしておりました」

 チェックインを済ませて仲居さんに部屋まで案内してもらい、室内にあるあれこれの説明を受ける。

 中でも、部屋の外の川に向かって張り出すように(しつら)えられた露天風呂には、さすがに皆驚きを隠せないようだった。

「な、なんて贅沢なの……」

 イルが呆然と呟くと、仲居さんは「外国から来たお客様は、皆、最初は驚いて、それからお喜びになるんですよ」と笑った。


 男女で部屋を別れて荷物を置いたあと、「部屋風呂なら“変装”を解いて入っても、大丈夫だよ。風呂はどこからも覗かれないような作りになっているから」と言うと、ヘスカンは「なるほど、ではさっそく……」と脱衣所のほうへと向かった。

「あ、浴衣があるから、入ったあとはそれを着ているといいよ」

「浴衣ですか?」

 衣装戸棚の中から温泉宿によくある浴衣を取り出し、ヘスカンとカイルを相手に着方講座をやった後、「じゃ、俺はちょっと外を散歩してくる」と、外へ出た。


 夕暮れにはまだ早いが、傾いた太陽は既に山陰に差し掛かっている。昼間は暑いと感じるほどだったが、初夏の山風はまだ冷たさを感じられて清々しい。

 玄関先で思い切り伸びをすると、後ろから「ナート?」と声がかかった。

「外に行くの?」

「ちょっとその辺を散歩でもしようかと思って。瑠夏たちは?」

「ナイアラとさっそくお風呂ではしゃいでるわ。私も散歩に一緒させてもらおうかしら」

「ああ」

 山のほうを眺めながら待っていると、イルは急いで靴を履き替えて出てきた。


「──山の感じは、向こうとあんまり変わらない気がするわ。こういう、いかにもな集落は、ちょっと落ち着くわね」

「そう?」

「変だけど、ああ、どこも一緒なのねってなんだか安心するの」

 ほっとしたように呟くイルの顔を見ながら、「気に入ってくれたんなら、よかったよ」と笑った。



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