プロローグ ー始まりの音が密かに鳴ったー
ちりん ちりん。。。
あの子が教室に入ってくると鈴の音がなる。通学鞄についている小さな鈴の小さな音。今まで教室に入ってきたクラスメイトの女子がみんな通学鞄にジャラジャラ色々つけている中。鈴一つつけたあの子。好印象。僕的に。
今、この雑踏あふれる教室のなかで、この鈴の音が聞こえたのは、たぶん僕だけ。廊下側、一列目、一番前つまり教室の入り口すぐのこの席に座っている僕、相生藍だけだ。そして、あの子は僕の左隣、つまり廊下側から二列目、一番前の席に座る。嘉藤冬だ。昨日の自己紹介で覚えた。印象的だった。
「嘉藤冬です。冬って書いて”とう”です。中学では”とうとう”とか”とうさん”とか”とうちゃん”って呼ばれてて、ちょっと複雑な心境だったので気軽に冬って呼んでください。」
と無表情で言っていた。クラスの何人かはクスクス笑っていたけれど本人はなんというか・・・至って真面目だった。好印象。僕的に。なぜなら、自己紹介で、至って真面目に
「相生藍です。女みたいな名前ですけど、もちろん男です。あー・・・中学では”アイアイ”とか呼ばれてたんですけど、アホっぽいんで、相生とか ちょっとそこの人ー とか そんなかんじで呼んでください。趣味は読書。よろしくです。」
と言った僕は、この嘉藤冬の自己紹介は、とても共感出来たのだ。とうとうって・・・・うんうんそれはなんというか・・・微妙だよな。複雑な心境になるよな。アイアイって猿みたいな名前で呼ばれてた僕には分かるぞ!嘉藤冬!
僕たちの学校は朝のHRの前に、読書の時間がある。今日からさっそく、その時間が導入されるらしい。チャイムが鳴った。みんな席に着く。まだ入学して二日目なのにさっきまで、うるさかったのが嘘のよう。みんなそそくさと先に戻る。たぶんまだ、お互いにお互いを様子見ている期間なのだ。だからあっさりと席に戻れるんだろうな・・・そんなに深い話で盛り上がってたわけじゃないってことだろう。
「出身中学どこ?」
「名前なんだっけ?」
「今日、電車のなかにいたよね?一緒の駅から乗ったんだよ〜」
とか、そんな会話。質疑応答。尋問。疑問。疑念。
「相生藍〜 本を出せ〜 出して読むフリだけでもしろ〜」
僕はハッと我に返る。もう読書の時間が始まっていた。
「あ・・・はい すいません」
どこかから「フリでいいのかよ(笑)」という声が聞こえた気がしたが、そんなことはどうでもいい。僕は慌てて通学鞄から本を取り出そうとした。
ら。。。。落とした。というよりなんでか僕は本を吹っ飛ばした。なんでかってゆーか慌てただけなんだけど・・・というかそんなこともどうでもよかった。問題は吹っ飛ばした本が隣のあの子の通学鞄にぶつかったことだった。
ちりんっ!バサッ!
僕はなんだか血の気がひいた。この静寂の中、1人で慌てて、しかもなんか大きい音をたててしまった。しかも嘉藤冬まで巻き込んでしまったことに対して、なんだかもう・・・なんだかもうな気分になったのだ。
「す・・・すいません・・・・」
小さい声。震える声で謝りながら、本を拾おうとした。
「気にすることないよ。アイアイ。」
僕は耳を疑った。ア、アイアイ?
「本。折れてない?アイアイ。」
また。だ。嘉藤冬。が。僕に。話しかけた。というか何だ。アイアイって。
「あ うん 大丈夫 ほら。 ちょっと角が曲がっただけ。・・・鈴も、大丈夫?」
僕は本を拾って見せた。
ちりん。。。
「ん 大丈夫。元気。 心配してくれてありがとう。 アイアイ。」
僕は、アイアイって猿じゃないんだから!・・・って言おうとしたら
「はぁ〜い 私語は謹んで〜 というか読書の時間しゅ〜りょ〜」
嘉藤冬は、何事もなかったように、前を向いて凛とした姿勢で担任の方を見ていた。僕は少しむぅっとして自分の席に座り直した。
「では今日はHR、1時間目を使って、委員会を決めます。えーと・・・とりあえず委員長と副委員長かな!誰か立候補は〜・・・」
「はいっ!」
僕はビクっとした。いきなり真後ろから大きな澄んだ声。挙手をしたときのがたっとした振動が伝わり、心臓にガツんときた。
「丹下担任。わたくし、愛川葵。委員長に立候補致します。」
「お、おぉ・・・愛川か。えーと・・・」
「ご心配なく。おそらく成績上位で決めたとしても、結果は変わらずわたくしになります。わたくし自分が頭がキレること自負しておりますし。リーダーシップもあります。異論はございますか?」
「いや!ない!ないぞぉ!愛川!その積極性!熱意!うん!委員長にぴったりだろう!」
「ありがとうございます。皆様も。異論はございませんか?」
クラスのみんなはざわざわしつつ「いいんじゃない」「いいで〜す」とちらほら返事をした。僕は心を落ち着けようとしていた。
次の瞬間、僕は頭を掴まれてぐきっと後ろを向かされた。僕の顔の前には、後ろの席、廊下側、一列目、二番目の席の人物。むこう3年、僕のクラスの委員長兼生徒会 風紀委員長 愛川葵の顔があった。
「い・ろ・ん・は?」
笑顔は作っているけど、目が笑っていない彼女。威圧感がすごいな。
「あ、ありませんよ」
「それはよかった」
目を細めて笑う彼女に、ぼくは完全にヘビににらまれたカエル状態だったと思う。何だってこんなに僕に威圧的なんだ?愛川葵。
「じゃあ、副委員長は俺がやります〜」
今度はへらへらとした声が教室に響く。
「ね?いいよねぇ?葵ちゃん♡」
愛川葵の左隣の彼が、愛川葵に馴れ馴れしく話しかけた。
「いいでしょう。認めます。わたくし、あなたの性格は嫌悪しますけど、仕事に関しては認めていますから。」
お?お?知り合いか?こいつら。
「や〜ったぁ!葵ちゃんお墨付き〜!ということでいいですよね?丹下せーんせっ♡」
「ああ。いいぞ。お前は見た目に反して、しっかりしてるんだろう。成績で物事は言いたくないが・・・うん。問題ない。」
「わーい ありがとうー!」
この男・・・なんて名前だっけ?うーん・・・
「はぁーい。俺の名前思い出せなくて悶々としてる俺の右斜め前のアイアイの為に改めて自己紹介しまーす♡」
「なっ・・・っ!!!」
「桂木勝也でーす♡みんな仲良くしてねっ!ちなみに葵ちゃんとは、家が道二つはさんだ近所☆同中同組っ☆葵ちゃんは成績、中学1位☆ちなみに俺は5位☆よろしくねっ☆趣味はギターとサッカー!・・・って言っとけばモテるかなぁーって思ったんだけど、俺、音痴・運痴なのでむりですね!ということで、趣味は読書ってーことでっ☆分かったかなー!?アイアイっ♡」
この男・・・っ!し、失礼ってゆーか不躾すぎる。なんだこのノリ。僕を巻き込むな。僕をだしに使うなよっ!
このとき僕はこの男、嘉藤冬の後ろの席のこの男、鏑木勝也に心底嫌気がさしていて、まあ後にもっと嫌気がさすことがあるのだけれど、まあでもなんだかんだこいつは、なんだかんだ、本当になんだかんだ。今でも僕にあきれずに、僕とつるんでくれることになる。
しかし、そのことを知る由もない僕はもちろん反論した
「ア、アイアイ!アイアイって!人を猿みたいに呼ぶなよっ!」
「ブフッ!」
ちりん。。。
笑った拍子に机が揺れて、鈴が揺れた。
教室に響いたのは小さな鈴の音。これは始まりの合図。一日の始まりの合図。僕の三年間の始まりの合図。僕とあの子と彼女と彼の始まりの合図。
僕は左のあの子を見る
笑いを抑えながら
「怒るとこ・・・そこなんですね? 可愛いですよ?アイアイ」
可愛い顔した嘉藤冬が言った。
僕の初恋の始まりだった。