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ただ、一輪の花を  作者: 詞乃端


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10/15

彼女の見ていない彼らの話 『御伽噺の魔法使い』

シリアス成分多いです。

 魔法使いになりたかった。

 御伽噺の魔法使いに。

 人々を惑わす悪しき魔法使いではなく、人々を助け導く善き魔法使いに憧れた。

 異界の偉大な魔法使いと同じ名だから、そんな風になれるだろうと思い込んで。


 今振り返れば、いっそ馬鹿馬鹿しく思う、幼子の夢だ。


 ……善き魔法使いになりさえすれば、——救えるのだと、ありもしない希望を抱いていた。


 ◆◆◆


 温かな掌が頭を撫でる。

 酷い息苦しさと呑み込まれそうな倦怠感の中、その感触は鮮明だった。

 慈母のような優しい手。

 その手がいつまでもあることを望んで、——そして、頬に添えられた悪意に絶望した。

「ははうえ」

 呼び声は、いつだって届かない。

 不鮮明な視界の中、微笑む母の姿を見た気がした。

 硝子の器の感触が、唇に当たる。

 本能の警鐘が、液体を呑み込むなと訴える。

 咄嗟に振り払おうとし、けれど、拒絶は悪魔染みた手に妨害され——。


「わがきみっ」


 ただ独りの異母弟(おとうと)の、切羽詰まった叫びが聞こえた。

 人が床に倒れる音と、母の悲鳴が響く。

 鉛のような体に鞭を打ち、寝台から起き上がろうとした彼を、小さな手が支える。

 そして、笑い声が聞こえた。

 彼の耳になじんだ、狂気を(はら)む笑声。

「ばかね」

 声が響く方向を見ても、その主の姿は良く見えなかった。

「——それで自分を見てくれると思ったの?」

 嘲りと憐れみが入り混じった言葉は、その場の二人に向けられていた。

 母と。

 ……自分と。

「……可能性は、ほとんどないって、思ってました」

 掠れた声を、何とか絞り出す。

 母が自分の傍にいたのは、ほんの少しでも多く、父の目を向けられたかったからだ。

 そこに、母の父への愛情はあっても、自分への情はなかった。

「ばかね」

「ばかなんです」


 知っている。


「ちちうえや、あなたと同じくらい、ばかだって、知っています」


 知っていた。


 ——その光景を目にしたのは、偶然に近かった。

 神域の奥深く、深き森には稀有な光指す場所。

 清らかな水を湛えた泉の周囲には、色とりどりの花々が咲き乱れている。

 透明でありながら触れようとする者を阻む水面の底には、二つのしゃれこうべと共に、深紅の衣装を纏った女が横たわっていた。

 濃い目の茶色の髪を優雅に結い上げた女は、今は穏やかに目を閉じている。

 その女を覗き込むように、女と同じ髪色の男が一人(うずくま)っている。

 男の後ろには、背後を守るように赤銅色の髪の女が佇む。


 ——どう、言い表すべきなのか、彼には、その言葉の持ち合わせがなかった。

 もう二度と目を覚まさない、赤の眠り姫を捕えて離さぬ、父の眼差しを。

 そして、不毛な逢瀬を見守る、赤銅色の従者の表情も。


「知っています。……そんなこと」

 母のすすり泣く声が聞こえる。

 彼は己の愚かさを、昏い視界と共に受け入れた。


 ずっと。

 ずっと。

 魔法使いになりたかった。

 御伽噺の魔法使いに。


「ははうえを、救えるようになりたかった」


 そう、ありもしない希望を抱いていた。


「だけど、ぼくじゃだめなんです」


 ——ただ独り救える男は、母を求めてはいなかった。


 知っている。

 知っている。


 それでも。


「……御伽噺の、善き魔法使いになれたら、良かったのになぁ」


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