彼女の見ていない彼らの話 『御伽噺の魔法使い』
シリアス成分多いです。
魔法使いになりたかった。
御伽噺の魔法使いに。
人々を惑わす悪しき魔法使いではなく、人々を助け導く善き魔法使いに憧れた。
異界の偉大な魔法使いと同じ名だから、そんな風になれるだろうと思い込んで。
今振り返れば、いっそ馬鹿馬鹿しく思う、幼子の夢だ。
……善き魔法使いになりさえすれば、——救えるのだと、ありもしない希望を抱いていた。
◆◆◆
温かな掌が頭を撫でる。
酷い息苦しさと呑み込まれそうな倦怠感の中、その感触は鮮明だった。
慈母のような優しい手。
その手がいつまでもあることを望んで、——そして、頬に添えられた悪意に絶望した。
「ははうえ」
呼び声は、いつだって届かない。
不鮮明な視界の中、微笑む母の姿を見た気がした。
硝子の器の感触が、唇に当たる。
本能の警鐘が、液体を呑み込むなと訴える。
咄嗟に振り払おうとし、けれど、拒絶は悪魔染みた手に妨害され——。
「わがきみっ」
ただ独りの異母弟の、切羽詰まった叫びが聞こえた。
人が床に倒れる音と、母の悲鳴が響く。
鉛のような体に鞭を打ち、寝台から起き上がろうとした彼を、小さな手が支える。
そして、笑い声が聞こえた。
彼の耳になじんだ、狂気を孕む笑声。
「ばかね」
声が響く方向を見ても、その主の姿は良く見えなかった。
「——それで自分を見てくれると思ったの?」
嘲りと憐れみが入り混じった言葉は、その場の二人に向けられていた。
母と。
……自分と。
「……可能性は、ほとんどないって、思ってました」
掠れた声を、何とか絞り出す。
母が自分の傍にいたのは、ほんの少しでも多く、父の目を向けられたかったからだ。
そこに、母の父への愛情はあっても、自分への情はなかった。
「ばかね」
「ばかなんです」
知っている。
「ちちうえや、あなたと同じくらい、ばかだって、知っています」
知っていた。
——その光景を目にしたのは、偶然に近かった。
神域の奥深く、深き森には稀有な光指す場所。
清らかな水を湛えた泉の周囲には、色とりどりの花々が咲き乱れている。
透明でありながら触れようとする者を阻む水面の底には、二つのしゃれこうべと共に、深紅の衣装を纏った女が横たわっていた。
濃い目の茶色の髪を優雅に結い上げた女は、今は穏やかに目を閉じている。
その女を覗き込むように、女と同じ髪色の男が一人蹲っている。
男の後ろには、背後を守るように赤銅色の髪の女が佇む。
——どう、言い表すべきなのか、彼には、その言葉の持ち合わせがなかった。
もう二度と目を覚まさない、赤の眠り姫を捕えて離さぬ、父の眼差しを。
そして、不毛な逢瀬を見守る、赤銅色の従者の表情も。
「知っています。……そんなこと」
母のすすり泣く声が聞こえる。
彼は己の愚かさを、昏い視界と共に受け入れた。
ずっと。
ずっと。
魔法使いになりたかった。
御伽噺の魔法使いに。
「ははうえを、救えるようになりたかった」
そう、ありもしない希望を抱いていた。
「だけど、ぼくじゃだめなんです」
——ただ独り救える男は、母を求めてはいなかった。
知っている。
知っている。
それでも。
「……御伽噺の、善き魔法使いになれたら、良かったのになぁ」




