噂の話
ほかほかレストランの客入りは上々で、常連さんもたくさん来てくれる。
ジェナスさんの人柄がお客様を引き寄せるんだろうなって思うと、私も一生懸命がんばって、将来はそういうお店を作りたいな。と、心から思うんだよね。
いつものように笑顔で接客に力を注ぎつつ、モーニングの人波がやっと落ち着いたころ、常連さんの一人である酒場のママさんが、遅めの朝食を取るために店へと訪れた。
酒場のママさんが来れば、とりあえず一区切りの目安になっていたりする。
「今日のモーニングセットはまだ残ってる?」
そう言って店に入ってきたママさんに、私は笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ。もちろんですよっ」
私がそう答えれば、ママさんも綺麗な笑みを返してくれる。
カウンターで洗い物をしていた私は、手をいったん止めると、厨房にいたジェナスさんに声をかけ、ジェナスさんもすぐに厨房から出てきて、ママさんに「いらっしゃいませ」と笑顔を向けていた。
「今日も忌々しいほど晴天ねぇ。雪でも降らないかしら」
そう言って色っぽい仕草で気だるげに、肩下まであるウエーブのかかったブルネットの髪をかき上げて、カウンター席に座る酒場のママ、マリアさんに、ジェナスさんが困ったような笑みを見せた。
ジェナスさんは話しをしながらも、マリアさんの好きなハーブティーを準備する手を止めたりはしない。
「雪はうちも困るけど、マリアのところだって困るんじゃない? 客足が引いちゃうよ」
ジェナスさんはそう言うと、暖かいカモミールティーをマリアさんの座るテーブルに置く。
湯気の立つ白いカップを細く長い指で持ち上げると、マリアさんは一口中身を飲み込んで、ほっと息を吐き出した。
マリアさんは見た目からして本当に色っぽい大人の女性で、大きく豊かな胸の谷間が、嫌でも目に付くほど胸元が大きく開いた服に、細くくびれた腰と長い足によく似合う細身のパンツがまたセクシーだ。
黒っぽいグレーの瞳は眠たげで、ぽってりとした唇に赤い口紅がマリアさんの魅力をよりいっそう際立たせているように思う。
マリアさんの色っぽさに目を奪われる男性は多くて、酒場ではそれはすごい人気者なんだと聞いたけど、それもマリアさんを見ていれば大いに納得。
だって、女の私が見ても、マリアさんは綺麗で色っぽいもの。
「いいのよ。たまには暇な日があったって。最近じゃ王女様のご婚約決定のあおりで、お城の兵士や騎士たちの足が遠のいちゃってるんだもの。私の潤いが減って困ってるの」
マリアさんはそう言って大きく溜息を吐き出して見せた。
「私の潤いはメリルだけだわ~。今日も可愛いわね」
マリアさんはそう言うと、満足そうに笑ってみせる。
その笑顔にこっちの頬が熱くなってしまいそうだ。
「うちの子は貸し出さないけどね。でも、僕のところはもともと兵士さんたちが来ることは少ないからあんまり感じてなかったけど、やっぱり影響はすごいよね。うちの常連さんたちもその噂で持ちきり」
ジェナスさんはマリアさんの言葉に頷いてみせると、厨房に足を向けた。マリアさんにモーニングセットを持ってくるためだ。
ちなみに、モーニングセットの正式名称は『爽やか朝のもりもりセット』だったりする。
普通にモーニングセットでいいような気もするんだけど、まあ。今さらな突っ込みはしない。
「王女様の婚約って、隣の国の王子とのやつですよね」
洗い物の続きを再開しながら、私は顔をマリアさんへ向ける。
マリアさんはカップの中身を一口飲み込んで、カップをテーブルに置いてからうなづき、柔らかい笑みで私に顔を向けた。
「そう、それ。いくら平和のためとは言え、ほんの二十年前まで戦争してた隣の国の王子と、まだ少女と言っても差し支えない王女を結婚させようなんて、どっちの国王もまた飛んだ計画を立てるものよね」
マリアさんはそう言うと、どこか心配そうな顔で笑っていた。
「そう言えば、道具屋さんのおじさんも、この前、洋裁店のケリーさんとその話で盛り上がってたみたいでした」
「そうでしょうね。今一番ホットな話題ですもの。メリルは変な男に騙されちゃダメよ? 恋の相談ならお姉さんがいつでも乗ってあげる」
「ははは。その時はどうぞよろしくお願いします」
恋とかなんとか、私にはよく分からないけど、とにかくマリアさんの言うとおり、今、一番国民の誰もが注目している話題といえば、スフィアーク王国の王女様と、隣国バルドバイド王国第一王子との婚約の話で間違いない。
何しろスフィアーク王国とバルドバイド王国が、二十年前まで戦争をしていたのを知らない人はいないわけだから、その両国が互いの子供を結婚させるなんて、それはもう話題を独占するに決まってる。
いくら王子や王女たちが戦争を知らない世代だとしても、つい最近までいがみ合っていた両国の子供をよく結婚させる気になったと、私でも思うし。
それは間違いなく、政略結婚以外の意味なんてないように思ってしまう。実際そうなんだろうけど。
だけど、まだ少女といってもおかしくない王女に酷な話じゃないか。と、町の噂は持ちきりで、私だってそう思うところがある。
そう考えると、私よりもまだ若い王女様が望まない結婚をするのは、やっぱりかわいそうな気がしてならない。だって、自分だったらやっぱり嫌だって思うもの。
とにかくスフィアーク王国の王女、アレクサンドリア=アンジェリカ=スフィアーク様は、先月に十五歳になったばかりで、その見た目の可愛らしさだけじゃなく、素直で純粋な王女は多くの国民に愛されているから、彼女を心配する声は後をたたない。
たとえば、アレクサンドリア様には、兄であるジョセル第一王子と、弟であるレクロン第二王子が居るのだけど、バルドバイド王国には王子が二人だけで他に兄弟はないらしいから、必然的に王女が婚約するしかなかったこととか。
バルドバイドの第一王位継承権を持つ王子と結婚するから、どうしたって王女がバルドバイドに行かなくちゃいけないこととか。
その他もろもろ。まあ、心配事を上げればきりはないんだけど。
終戦後、二十年経っていると言っても、すぐに手を取り合って仲良くしましょう。なんて出来るわけがないのも事実で、だけどやっと手に入れた平和というのは、スフィアークにとっても、バルドバイドにとっても重要であり貴重なことだから。
今の両国に必要なものは、信頼と歩み寄る心だという人もいるけど、長い間に出来た互いのわだかまりは大きくて、歩み寄ることはすごく難しい。
その難しい課題を乗り越えるために、両国の国王様が出した結論が、互いの子供を結婚させることだったわけだ。
そうすることによって、平和を維持していきたいという、両方の国の願いとか、これからの国のあり方とか、より良いものを現実にしていきたい。と言うのを形にした第一歩でもあるんだろう。
様々な意味で大いに意義のある両国の王女と王子の婚約だけど、一般国民の私たちから見れば、やっぱり複雑な気分にさせられてしまう話ではあるよね。
王女が国の犠牲になるみたいで、私も少し居たたまれない気持ちにはなる。
「この国に暮らす僕たちにも様々な考えを持った人が居るけどさ。せめて王女様が結婚された後も幸せな笑顔を浮かべて居てくださればいいよね」
厨房からモーニングセットを持って戻ってきたジェナスさんの言葉に、マリアさんも「確かにね」と頷いていた。
私もジェナスさんの言うとおり、結婚後も王女様が幸せで居てくれたらいいなと思う。