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決意

「だ、誰か助けてっ!」


 今や半べそ状態の王子は必死に助けを求めていた。


 すでに魔道書から手を放し、ぶんぶんと腕を振って見せる王子だが、なぜか魔道書は王子の手に吸い付いたように離れようとしない。


 激しく腕を振り回したせいで、王子はふらふらと手すりにしがみついて寄りかかってしまった。無茶するからだ。


「情けない声を出さない。男なんですからまったく。いいからこちらに降りてきなさい。それを何とかして――」


 ベルさんが呆れたように王子を見上げた時だ。

 いままで小さく脈打っていた波動が、ひときわ大きく鼓動を打った。


 そして、その鼓動は波となり、その魔力そのものが力となって、私たちの体を弾き飛ばそうと押してくる。


 魔力抵抗のできない黒装束の男たちや騎士団のメンバーは、あらかた闇の波動にはじかれて部屋の壁際まで飛んでく。


 抵抗できる私でさえ、両足をふんっばってないとそこに立っていられない。


 サンドラやブリトニアさんのことが気になるけど、あまりのにも突然のことで私には余裕がなくて。


 だけどそこはさすがと言うか、ベルさんがとっさにサンドラをかばい、ブリトニアさんはその場で自力で耐えていた。


 サンドラをかばうベルさんも凄いが、魔力抵抗が苦手だろうブリトニアさんまでその場で踏ん張れるとは、やっぱり騎士団長っていうのは凄いんだなぁ。なんて感想を持ってしまう。


 のんびり考えてる時点で余裕あるじゃん。とか突っ込まれそうだが、のんきに現実逃避もままならなくなってきていたのはすぐだ。なにしろ鼓動はゆっくりと、でも確実に。『ドクリ』と空気を震わせながら、脈打つごとに何倍も膨れ上がる。 


 王子の持つ少量の魔力が引き金になってしまったんだ。魔道書は勝手に発動をはじめ、もう一段階深い闇を連れてきてしまった。


 最初の比ではない重い空気が室内を一気に押しつぶそうと襲いかかってくる。


「まずいっ。全員下がりなさいっ!」


 やや早口でベルさんは言うと、初めて唇を動かし、長い長い力ある言葉を聞き取れないほどの速さで紡いでいく。


 そして、ベルさんの言葉に応えるように杖の先が光り出し、目に痛いほどのきらめきが広がると『光よっ!』という言葉と共に、私たちのまわりを光りの膜が覆った。


 初めて見たけど、これは『神言しんごん』をつかった古の魔術の一つだ。


 神言っていうのは、創生の時代に神様たちが使っていたと言われる『忘却の知識』の一つだという説がある。


 まあ難しいことは置いておくけど、今のところ、神言を使える種族はドラゴン族のほんの一部と、エルフ族のほんの一部に限られている。という、かなり高度で希少な魔法の一つなのだ。


 そりゃ母がベルさんをほめるのもうなづける。なにしろ神言魔法は光魔法の上位版だ。たとえるなら、魔王と正面切ってガチバトルができる魔法という。そんな魔法が使えるベルさんがすごくないわけない。


 だけどいくらすごくても、この魔法はあまりにも使い勝手が悪すぎる。


 魔力消費は半端ないし、呪文は長いし、小技があまりないしで、今残っている使える神言魔法は全盛期の四分の一以下ってくらいまで減ってしまってる。もともとの数も少ないけど。


 おかげさまで使える人はすっごい一部に限定されてるというね。


 つまり、今回のようなことでもない限り、まったく使い道のない魔法と言い切ってもいい。まあ、一つでも覚えていれば、魔導師や魔女仲間には自慢できるかもしれないけど。


 だけど本当に助かった。ベルさんの張った光りの膜は、禍々しい闇の波動をしっかりと跳ね返してくれていた。


 もしも、ベルさんが神言魔法を使えなかったらと思うと、ぞっとする。


 そう感じるほど、室内に満たされつつある闇の波動は恐ろしい悪意に満ちているのだ。


「ベル、ベル! このままでは、ギルデイ様が本当に死んでしまうっ!」


 サンドラが悲鳴のような声を上げて、ベルさんの服にすがりつく姿が私の視界に映り、私は意識をサンドラたちの方に戻した。


「わかってます。ですが、今の私にはあなた達を守るのだけで精一杯なんです」


 サンドラの気持ちがわからないわけじゃないが、ベルさんの言うことは私にも理解できてしまう。


 神言魔法を使わなくちゃならないレベルの殺人的悪意から、私たち全員、サンドラや騎士団、黒装束の男たち、そして私。それだけの人数をたった一人で守るベルさんが、これ以上動くのはかなりきつい。


「だが、このまま我らが助かったとしても、帰るべき国を失っては意味がない」


 そう言って、私の隣でベルさんに訴えるブリトニアだが、その額には冷や汗をかき、立っていることさえ辛いはずだ。


 ベルさんの魔法で守られていても、体の底から這い上がってくるザラザラとした嫌悪感がじわじわ迫ってくるのに、私でさえそう感じるのに、ブリトニアさんは精神力でこの場にとどまっているんだから、本当にすごい。


「それもわかってます。ですが、他の大技なんて使ったら、この光りの防御結界なんて簡単に壊されちゃいますからね? 魔力消費が異常なんですよ。神言魔法って」


 ベルさんはそういうと、ふーっと息を吐き出した。


 そうですよね。この結界を維持するだけでもむちゃくちゃ大変ですもんねぇ。


「わかってる。これ以上の無理を強いるつもりはない。ここは俺が騎士として動かねばならん場所だ」


 そう言って、青い顔で表情を引き締めるブリトニアさんだが。


 私は引きずるように足を動かそうとするブリトニアさんの腕をつかんで止めた。


「無理ですよ。ブリトニアさん」


「メリルの言うとおりですよ。この結界の中にいても、今にも死にそうな顔じゃないですか。はっきり言って、結界の外に出た途端、外の悪意にさらされて死にますよ?」


 ベルさんがきっぱり言えば、ブリトニアさんは「ぐっ」と言葉を詰まらせ、その場に片膝をついて悔しそうな顔を見せた。


 納得はできないけど、動けない事実を受け止めたのかもしれない。


「それではどうすればいいのですかっ! ギルデイ様をお救いすることもできず、我が国を救う手だてもないなんて、これでは……あんまりですっ」


 サンドラがそう言って、ベルさんと私に視線を投げつけてくる。両目に涙をたっぷりためて、複雑な感情の絡まった表情で苦しそうに眉を寄せてみせるから、見ているこっちもかなりつらい。


 そんな顔させたいわけじゃないのに。


「これに気付かない英雄達メンバーではないのですがね。ここにいる全員に申し訳なく思いますが、最悪は、サンドラの死守を優先させます」


 ベルさんはそう言って口元を少しだけ笑みの形にゆるめると、私のほうに視線を向ける。


「そういうわけで、いくら私が鬼だ悪魔だと罵られても、大事な友人の娘さんを死地に送るようなまねはできませんから、責任もってメリルのことも守ってあげますよ」


 そう言って綺麗な微笑みを見せるベルさんに、私の胸がぎゅうっとしまる思いを感じた。


 普段は腹黒でただのウエイトレスを戦いの場に引っ張り出すような人だけど、無茶ぶりもひどいけど、でも――今のはちょっと、目がしらに来ちゃいましたよ。


 私だって、大事な友達を、両親を、両親の大事な友人を、大好きなこの国を、そういう大事なもの全部を見捨てて、自分だけが生き残ろうなんて思えないですよっ。


 ここで動ける人間なんて、もう私しか残ってないじゃないっ!


 初めて感じた悪意に恐怖と絶望と嫌悪感。私はそれらに足がすくんだ。正直に言えば、怖くてしかたないけど。


 でも、何もやらないで後ろで隠れるだけなんて、私らしくもないっ。


 私は肩にかけていたカバンを下ろし、カバンの中身を漁る。


「メリル?」


 私の行動を不思議に思ったらしいブリトニアさんの声が聞こえて、ブリトニアさんの声でベルさんとサンドラもこちらに顔を向けた。


「メリル、なにを?」


 少々鼻にかかるサンドラの声が、ちょっとだけ私の胸に痛い。


「よく考えれば、方法がないわけじゃないでしょ?」


 私はカバンの中身を漁りながら答え、目的のものを手に取ってその場に立ち上がった。三人の視線が不思議そうな色を浮かべて私の手元に集中する。


「それは……ハンマーか?」


 ブリトニアさんがそう言うのもしかたないが、これはハンマーなんて物騒な代物ではありません。なにかって――。


「いえ、ただの肉叩き機です」


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