美人でもやっぱり男
私も現実逃避したい。
むしろ哀れなほど空回る『殺意』には同情を禁じえないが、これじゃあ先に進めないし、そもそも魔道書を手に入れるのに、もっと適した罠を仕掛けるべきだと思う。
と、もうトラップのことはいいや。とにかく――。
「ベルさんが悪いんですよっ! 何とかしてください!」
私がキッとベルさんを睨み上げれば、ベルさんは通路を見つめた後、心底嫌そうな顔をして私を見下ろし。
「え~~?」
と、顔と同じようにものすごい嫌そうな声を発した。
いや、「えー」は私が言いたいんですけど。あんた大人でしょ! 二百歳越えたおじいちゃんでしょ! もしかして長く生きて精神も一周しちゃったのか!?
あ、でも。人間の平均寿命から言ったら、一周じゃすまないのか。
などと考えながら――多少違う方向に考えが傾いたのは気にしちゃいけない――プリプリと怒る私に、ベルさんが非常につまらなさそうな顔を見せて拗ねるが、その見た目の美しさや、拗ねた顔がメチャクチャ可愛く見えても、もう騙されてやらない。
でも、騙されたことはまだなかったかな?
「『えー』じゃなくてっ。サンドラと侍女さん助けに来たんじゃないんですかっ」
「メリルの魔法を見たかっただけじゃないですか。なんか思惑と違って、トラップが思いのほか使えなかったですけど~」
確かに、トラップが使えなかったことには同意するけども。何で私に魔法を使わせたいのかは謎だ。
ベルさんは「ふぅ」と息を吐き出して、右の手のひらを正面に向ける。
「損した気分です」
などと言いながら、ベルさんの手のひらには魔力の塊が生まれていた。
「それは私が言いたい台詞です」
私はそう言い返して、ベルさんの後ろへ下がった。
ベルさんの手のひらに集まる魔力はあっという間に凝縮され、あたりを凍えさせるほどの冷気を吐き散らしはじめる。
さすが王宮魔導師というよりも、さすがエルフだ。と私はベルさんの手のひらを見つめていた。なにしろエルフは人間よりもずっと魔力が高い。
体内の蓄積量も半端じゃないし、回復力だって桁外れだ。だけど、さらに規格外なのは、『英雄』の称号を持つベルさんだからこそ、水の高位呪文である『冷気』、つまり『氷』を呪文や文言なく発動できてしまう。
通常の場合。魔法を使うときは呪文と呼ばれる『力ある言葉』を口にすることで発動させることが多い。それというのも、未熟な魔導師だと、どうしても集中力に問題があることが多くて、明確な『形』を精神で構築するのが難しいためだ。
まあ、難しいことはさて置き。魔法を使うには想像力と精神力が必要だってことと、呪文は魔法を使う補助の役目をしてる場合が多い。というのだけ覚えていればいいと思う。
使い慣れれば、どんな道具も補助は必要なくなるでしょ? 魔法の場合も同じだ。
ただ誰でも使える『道具』と違って、『魔法』は精神力に依存するから、精神力が低いとか弱い人は、必ず呪文を使ったほうが成功率が上がる。というわけだ。
十分な冷気があたりを埋め尽くし、ベルさんの手のひらの魔力が氷の塊へと形を変えれば、ベルさんは軽く手のひらを押し出すように、魔力の塊を前方に放つ。
すると、小さな氷の塊だったものは、ベルさんの手のひらから開放されると同時に、空間を埋め尽くす無数の氷の針へと変化して、風を切る音を通路に響かせながら氷の雨が横殴りに通路を進んだ。
氷の雨が通った後には、通路に邪魔なものは一切なくなっていく。
(氷の雨って……チョイスがエグイ)
氷の雨――アイスレイン――は水の高位呪文の中でも、制御の難しい魔法なんだけど。それをこんな簡単に使いこなすって、やっぱり母(規格人外)の友人は規格外だなぁ。なんて遠い目をしてしまう私は悪くないと思う。
氷の雨は制御が難しいから、普通は広い場所で使う。つまり外。しかも敵の上空に氷の塊を打ち上げて雨のように降らせるから『氷の雨』なのに。
上空に打ち上げるのだって、氷の針をすべて制御するのはほぼ不可能だから、投げっぱなしで放置が常識だっていうのに。
横殴りの氷の雨って……なんだろうか、この悪夢。
人が避けるのはほぼ不可能な速さで進む魔法の氷は、通路をどこまでも走り続け、一際大きな『破壊音』が通路に響き渡ると、やっと通路は静かになった。
綺麗に掃除された通路には、壁や天井や床に氷の塊が刺さっているが、トラップは跡形もなく破壊されている。
それにしても、通路の奥のほうで一際大きな音が聞こえたんだけど。もしかして――。
「うーん。壁、ぶち抜いちゃいましたかね?」
ベルさんは遠くを見るような仕草で軽く言うが。
「学者先生たちが泣きますよ。まだこの遺跡って調査中ですよね?」
何度も言うが、ここは調査中の遺跡で、これ以上建物が壊れないように、保護呪文が施されているのだ。保護呪文がある限り、これ以上の風化はないし滅多なことじゃ壊れない。
そう、普通なら大きなハンマーを振り下ろしたって壊せないのに。壁を魔法でぶち抜くって……もう突っ込み放置していいかな? 私。
「張り切りすぎちゃいましたねっ。まあ、トラップも綺麗に掃除できましたし、時間も短縮できると思えばいいんですよ。さっさとサンドラとアンジーを連れて帰りましょうか」
ベルさんは爽やかな笑みを顔に浮かべながら、私の後ろに回りこむと、私の背中を押しながら通路を無理矢理に進ませる。
「ちょ、押さないでください。行きますからっ」
「私、マリリアと違って剣術はからっきしなんですから、メリルが前衛になってくれないと困ります」
「いや、待ってください。前衛になるのはいいんですけどっ。いや、よくないですけどっ。ベルさん普通に前衛行ける魔導師ですよねっ? ウエイトレスを前にするのやめてもらえませんっ!?」
「いやですね~。仲間内で一番剣術できないのは私なんですよ? オジサン肉弾戦は大の苦手なんです。女性相手なら素手勝負も喜んでやりますが、男相手なんて。暑苦しい」
「本音出てますよっ!? しかも発言がエロオヤジ臭半端ないんでやめてくださいっ!」
どんな美女よりも美しい繊細な顔のつくりをしてるベルさんからは、絶対に聞きたくないオヤジ臭発言は、さすがに私の顔も引きつる。
男の人という意味では、ある意味間違ってはいないのかもしれないが。
「寝技が好きです。と言わないだけマシでしょ?」
「言っちゃってますからねっ!?」
「軽いジョークじゃないですか」
「えーーー」
ジョークって、笑えないとダメなんじゃないだろうか?
いまだ背中を押され続けて居る私は、自分の足で進んでいないはずなのに、すでに通路をだいぶ進んでいた。
このままでは、本気でぶち抜いた壁から中に入る羽目になりそうなんだけど。
「ああ、小さい時は『ベルたん』って言って、私にいつもくっついてくれたのに。お風呂も一緒に入るってわがままを言って、ゼウセルに悔しい思いをさせてやれたのに。私の膝の上がお気に入りで、『あたちのとくとうせきー』ってはしゃいでいたのに。どうしてこんなに素直じゃなくなってしまったんでしょうか? 将来は『ベルたんのおよめたん』と言う夢は潰えてしまったのですか?」
知らないよ。
なんでいきなり私の恥ずかしい過去をほじくり返してるんですか。
なにこの精神攻撃。私に多大なる精神的ダメージが蓄積されてるんですけど。
いい加減に風呂ネタから離れてくださいよ。
ベルさんは「しくしく」とわざとらしく泣きまねをしながら、私の両肩に腕を回して後ろから抱きしめてくる。
あれですよ。緊張と恥ずかしさはあっても、『ときめき』はありませんからね? 何がしたいんですかベルさん。あ。しかもいい匂いがする。
でも、これがただふざけて遊ばれてるだけなら、私は意地でもベルさんの抱きしめ攻撃から逃げるところだけど。
すでに通路を通り過ぎ、壁にできた大きな穴から、瓦礫を避けつつ私たちは室内へと入っていた。
室内に足を踏み入れれば、感じるのは強い殺気だ。しかも一人二人じゃない。
室内は広々としていた。高い天井は三階分くらい吹き抜けになっていて、私たちが入ってきた場所の正面側、少しだけ遠くのほうに両開きの扉が見える。
本来ならこの室内の正しい出入り口はあの両開きのドアだったはずだ。
緩やかなドーム状の室内は、壁伝いに柱が並び、二階部分に当たる壁沿いに細い通路が部屋を一周しているようだった。
まあ壁をぶち抜いてしまって、一部そこにあっただろう二階部分の通路や、柱は崩れ去って跡形もないけど。たぶん壊れて困るようなものはなかった。と信じたい。
私とベルさんがふざけたおしゃべりをしていれば、あたりに漂う殺気とは別に、急激に膨らむ魔力を感じた。と思えば、スイカより少し大きなくらいの光りの塊が、私たちめがけて飛んでくるのが見える。
攻撃的な魔力のこもった光球の数は十個前後というところか。
ジェナスさんの言葉で、敵側にも複数の魔導師が居るだろうことは分かっていたけど、ここにもきちんと魔導師は配備されているらしい。
まだ姿の見えない敵の数は複数。というくらいしか、今のところわからないけど、完全に囲まれていることだけはしっかり感じ取っていた。
騎士団が来るまでは、まだ少し時間がかかる。
ここは、時間稼ぎの意味でも、私とベルさんで乗り切るしかないようだ。
そう思ったとたんに、私は自分のやる気がどん底までなくなりそうな感覚におちいった。
まあ、先行のお仕事って言えば、時間稼ぎと情報収集がおもなのかもしれないけどね。
そういうのは、ウエイトレスじゃなくて、兵士や騎士にやってもらってください!
ここまで来ていまさら逃げられる状況でもないみたいだし、仕方ないけどさぁ。ちょっとくらいスネても別にいいよね~。
などと面白くない気分を肺から押し出しながら、息を吐き出す私の前に、光りの塊が迫っていた。




