話題の人
「ベル。お客様がいらっしゃったのなら、そう言ってくださればよろしかったのに。わたくし、また後で出直しますわ」
鈴を転がしたような綺麗な声でそう言って、困った顔を見せる訪問者は、私から視線を外し、背の高いベルさんを見上げた。
入ってきた訪問者は少女といってもいいほど、幼さの残る顔がなんとも愛らしくて、まるでお人形さんみたいで、すごい感動を覚える。
本当にこんな美少女が世界には存在するものなんだなって。
ふわふわの肩下まである明るい金髪の巻き毛が、彼女が微かに動くたびに同じように揺れて、どれだけ柔らかいのかと思うし、大きく丸い目には、陽に透けた若葉のような緑色の瞳がキラキラと輝いて見え、長いまつげは綺麗にみんな上向きだ。
小さく形のいい唇は艶やかで、ほんのりとさくらんぼのように赤く染まっている。
また、彼女の着ているドレスもとてもよいものだと見た目で分かるもので、大きく膨らんだスカートに柔らかいフリルとレースの飾りが豪華であり、淡いピンク色のドレスは派手すぎず、愛らしい彼女によく似合っていた。
「大丈夫ですよサンドラ。彼女は私の友人の娘さんで、メリルです。メリル=フレアレス=ディランサム。あのディランサム家のご令嬢です」
その名前は言わないでー。とは思うものの、ここに居る時点でもう名前を隠す意味もないか。と私はうな垂れてから、とりあえず気を取り直して失礼のないように、私は改めて少女へと挨拶をするためにイスから立ち上がった。
少女を正面に。
「はじめまして。メリルと申します」
と頭を下げれば、少女は背筋をすっと伸ばし、それは優雅に、しかも完璧な作法でもって挨拶を返してくれた。
「お初にお目にかかります。わたくし、アレクサンドリア=アンジェリカ=スフィアークと申します。まさかスフィアークの英雄であるディランサム家のご令嬢にお会いできるなんて、光栄ですわ」
目の前の少女はそう言うと、花も色あせるのではないかというほどに、愛らしい笑みを顔に浮かべて見せてくれる。
いや、もうなんか、光栄なのはむしろ私よね。
まさか、今話題のアレクサンドリア王女と、こうして会って話まで出来る日が来るとは思いもしなかったよ。
「ありがとうございます。私こそ光栄です。アレクサンドリア様も、今回のご婚約おめでとうございます」
社交辞令としては言わなくちゃいけないだろうと思い、私はお祝いの言葉を口にした。まあ、私本人があまり気乗りしていない言葉ではあっても、一応は……。
私がおめでとうを口にすれば、アレクサンドリア様は一瞬困ったような顔をしたと思ったら、すぐさま満面の笑みを見せて、また丁寧に「ありがとう」と返してくれた。
「婚礼の儀式はまだ先ですが、バルドバイドと我が国に、長い平和をもたらすきっかけになると思えば、両国にとっても待ち遠しい行事ですわね」
アレクサンドリア様はそう言うと、どこか寂しさを思わせる顔で微笑んで見せた。
だけど、それはその歳の少女が見せる顔ではなくて、ずっと大人っぽいもので、私にはそれがたまらなく寂しく思えてしまう。
だって、私の場合は嫌だから逃げ出したけど、彼女は嫌だからって逃げ出せない。
逃げられない責任を背負って、彼女に寂しいような、大人のような顔をさせてしまっているんだとしたら、それはすごく悲しいことだと思えてしまう。
「あの、幸せになってくださいね。私たち、スフィアークに暮らす私たちは、みんなアレクサンドリア様の幸せを願ってますから」
私がいろいろ思ったとしても、結局は言葉を送るしか出来ないのだけど。
せめてジェナスさんが言うように、王女様が幸せで、できるだけ笑って暮らせるように願うしかない。
私の言葉に、アレクサンドリア様は少しだけ驚いた顔を見せるけど、すぐに少女らしい笑顔を浮かべて見せてくれて。
「はい。幸せになれるよう努力しますわ」
そう言って、しっかりうなづいてくれるアレクサンドリア様の笑顔に、彼女はきっと強い人なんだろうな。と私はそう感じた。
とは言え、こうしていつまでもお姫様とお話してる場合でもないか。と、私はあらためてベルさんとアレクサンドリア様に顔を向けた。
なにしろ、お姫様はベルさんにお話があってきたんだろうし、私がここに居たら話しにくいことかもしれない。
私はベルさんに助けてもらったついでにお茶してるようなものなんだし、長居するのも悪いよね。
「あの。じゃあ、私そろそろ帰ります」
私がそう切り出せば、ベルさんもアレクサンドリア様も残念そうな顔を見せた。
それはそれでちょっとだけ嬉しかったりもするけど、だからと言ってそれに流されるわけにも行かないし、きっとジェナスさんだって心配して待っているに違いない。
「それは残念ですね。ゆっくりしていただいていいんですよ?」
そう言って笑顔を浮かべるベルさんの表情は、どことなく胡散臭いが。
「わたくしの事ならお気になさらないでくださいませ。折角いらしたのに、もうお帰りになるなんて……」
そう言って本当に寂しそうに眉尻を下げるお姫様に、危うくほだされそうになりつつも、私は帰る決意を揺るがすことなく、二人に別れを告げてベルさんの部屋を出た。
それでだ。
ベルさんの部屋を出たのはいいけど――。
「私、どっちから来たんだろう?」
大理石の綺麗な廊下が左右に続き、窓から見える景色は庭のように見える。
手入れの行き届いた植木、綺麗に花壇を飾る美しい花々。切りそろえられた芝生に大きな池まで見える。
本当にどこまでも私の常識からかけ離れた世界だわ。
(庭が見えるということは、ベルさんの部屋はお城の内側、と言っていいんだろうか? そうなると出口は反対方向ということになるのかな?)
私が一先ず窓から見える中庭を眺めていれば。
「右ですわ」
「うひゃっ!?」
突然かけられた声に驚いて、私は変な声をあげてしまった。女の子としてもっと可愛い悲鳴が出ないものだろうか。
そう心の片隅で落ち込みつつ、後ろを振り返れば、今さっき別れたばかりのアレクサンドリア様が私を見上げていた。
キラキラ光る瞳と視線がばっちり合うと、可愛らしい顔で微笑まれてしまう。
恥ずかしいところを見られちゃったなぁ。
「メリル様、城内ははじめてですわよね? ベルが、きっと帰り道が分からずにお困りだと言っておりましたので、よろしければ、わたくしがゲートホールまでご案内いたします」
そう言って胸を張るように見せるアレクサンドリア様は、歳相応の愛らしさがあって、私は思わず微笑ましい気分になってしまう。
しかも出口まで案内してくれるなんて、こちらとしてはありがたすぎる申し出なんだけど、でもさすがに不味いだろう。
一国の王女様に道案内させるって、申し訳ないを通り越して、私が悪いことをしてしまった気分になりそうだ。そう思ったら、私は慌てて首を横に振ってしまう。
「とんでもないですっ。道さえ教えていただければ、自力で何とかできますから」
少なくとも方向音痴ではないから、道さえ教えてもらえれば、ちゃんと城内から出れるはず。建物の中で迷子って意外と笑えないよ。
でも、私が恐縮して出した言葉に、アレクサンドリア様は可愛らしい笑顔を苦笑いで曇らせてしまう。
私、なにか気に障るようなことを言っただろうか?
「あの、アレクサンドリア様?」
「いえ。やっぱりメリル様も、私が王女だから気になさっていらっしゃるんですよね」
「え? あの……」
そりゃ一国の姫君だし。とは思うものの、私はなんと答えていいものか迷って、結局は口を閉じてしまう。
王女様に遠慮とか礼儀とかは、当然しなくちゃいけないと思うけど、アレクサンドリア様の言葉や表情を見れば、本人が何かを気にしているふうなのは、なんとなく分かる。
「分かってはいるのです。わたくしが王の娘だから、みなさんが気を使ってしまわれるのは仕方ないことだって。分かってはいるのですけど、わたくしは……」
アレクサンドリア様はそう言うと、両手を胸の前でぎゅっと握りうつむいてしまう。
愁いを帯びた美少女の長いまつげが頬に影を落とす。
少しだけ赤く染まった頬は、まるで恋する乙女のようだ。
あれ? なんか変なスイッチでも押したんだろうか? 私。
しかも、小さい少女がさらに小さくうつむいてしまう様は、さながら小動物でもいじめている様な気分になるから不思議。
なんて他人事のように考えてる場合じゃないよね。
さっきまで、私よりもずっと大人びていたはずの少女が、わけが分からないが気落ちして、両肩を小刻みに震わせている。
これではどう見たって、他人からは私がいじめてるようにしか見えないじゃない。
こんな私たちを兵士やらなんやらに見られでもしたら。そう思うと、私は嫌な焦りでおろおろとしてしまうが、そんな私の心中など知る由もないお姫様は、うつむいていた頭を勢いよく持ち上げて、私に抱きつかんばかりの勢いで近づき真剣な眼差しで見上げてきた。
あまりの勢いに、私が若干後ろに仰け反ってしまうほどだ。
「メリル様っ!」
「はいっ!」
勢いに乗ったお姫様は、頬をバラ色に染めながら、鼻息も荒く大きな目をさらに大きく見開いて、まるで告白でもするかのように声を張り上げるものだから、私もその勢いに押されて慌てて返事をしてしまった。
(な、なんなんですか。いったい)
私が彼女の勢いと行動に驚きと疑問を感じている中、彼女はじっと私の目を見据えていて。
「わたくしと、その。お、お友達になってくださいませっ!」
そんな言葉を放ち終わると、お姫様は右手を胸に当てて、大きく息を吐き出していた。
そこまで緊張するようなことだったのだろうか? と言う疑問は、とりあえず廊下の端っこに捨てておこう。
とは言うものの、王女と友達って……。
「あの、そう言っていただけるのは嬉しいのですが、でも王女様がただのウエイトレスと友人は、不味くないですか?」
私はそう言ってしまった後で、王女様が完全に表情を曇らせてしまったのを「やっちまった」なんて、心の中で後悔してしまった。
「あ、いえっ! 駄目とか嫌じゃないんですよっ!」
私だって歳の近い友人が欲しくないわけじゃない。けど、王女様の友人にただの一般人は不味いのではないかと思ってしまうわけで。
私の両親は確かに有名人かもしれないけど、私本人はただのウエイトレスだし。
有名な両親でさえ現役を退いてしまっているし、父は家督を叔父さんに譲ってしまったから、うちは爵位もないただの一般人なわけだし。
なんて、言い訳のような私の言葉には、自分自身すら納得させる理由にならないような気がしてしまう。
結局、王女の曇った表情を見て、申し訳ない気持ちになってしまうのは私のほうだ。
「わたくしが突然変なことを言ってしまったのです。お気になさらないでメリル様。でも、わたくしは普通のお友達が欲しいのです」
王女様はそう言うと、やはりとても真剣な瞳で私を見つめた。
「昔から周囲には大人しか居ませんでしたし、お兄様もレクロンも歳が離れておりますでしょ? それに両方とも男子ですから、なかなか一緒に遊ぶこともできません。社交の場では皆様とてもよくしてくださいますが、それもやはりわたくしが王女だからですわ」
王女様はそう言うと、少し寂しそうに眉尻を下げてしまう。
そう言えば、王女様には五歳上の兄と五歳下の弟が居たことを思い出す。
私は兄弟が居ないからよく分からないけど、でも周囲に大人しか居ないとか、立場のこととか、遊びたくても遊べなかったりとか、そういうのはなんとなく分かる気がした。
私も立場は違うけど、友人と呼べるような子は居なかったし、毎日の修行で忙しくて気づけば周囲は大人だらけ――というか、怪物とか魔獣や魔物だらけだったわ――両親の期待は煩わしいし、愚痴のひとつも聞いてくれる友人が居たら、どれだけ違っていたか。
自分のしたいことを自由気ままに出来なかったことが、今の私をここに存在させているんだもの。
そう思うと、王女様の言っていることが、少なくとも二年前までの私に似ていて、ある種の共感と言うか、そういうものを感じてしまった。
「お互いの身分や立場に関係なく、様々なことを話したり、一緒に遊んだり出来る普通の友人が欲しいと、ずっと思っていたのです。メリル様なら、よいお友達になれるのではないかと……」
王女様にそう言われてしまうと、私も自分の顔に微妙な笑顔が浮かぶのを感じる。
そう言えば、私もそうだったなぁ。なんて昔を思い出して。
「私も、小さいときから毎日厳しい修行ばかりで、友達はおろか、学校にすら通ったことはなかったんです。だから、王女様の気持ちはなんとなく、分かる気がします」
私の場合は両親が勉強やらは見てくれていたし、礼儀作法もそう。だから学校に行く必要もなくて、当然のように同じ年の友人はできなかったわけで。
立場は違えど、王女様となれば一般の学校に通えるわけもなく、家庭教師に教えられているんだろうから、当然周囲は大人ばっかりだったんだろうなぁ。
「ふふふっ。わたくしたち、ちょっと似ているのかもしれませんわね」
王女様はそう言うと、どこか困ったような顔で笑みを浮かべていた。
王女様の言葉に、私もおかしくて頷いてしまう。
「そうかも。じゃあ、せめて様付けはやめてください。なんだか妙な感じがしちゃって」
私がそう返せば、アレクサンドリア様は少しだけ驚いたように両目を見開いたあと、とても嬉しそうに顔を笑みでほころばせる。
その顔はこちらも嬉しくなりそうなほどにキラキラ輝いて見えた。
「あら? では、メリルもわたくしのことはサンドラと呼んでくださいませね? それに友人同士は敬語などは使いませんわ」
「それを言うなら、あなたもですよ」
「そうね。じゃあ、わたくしもそうするわ」
私たちはベルさんの部屋の前で小さく忍び笑いをしながら、私は王女様改めサンドラに城のゲートホールまで送ってもらうことにした。
次はゆっくりと一緒にお茶を飲もうと約束を交わして、私は無事にレストランまで帰りついたのだけど。
帰るころにはとっくに夕方を過ぎてしまっていて、ジェナスさんがそれはそれは心配そうに私を出迎えてくれたのには、正直申し訳ない気分でいっぱいになってしまった。
なんだかんだと、気分の悪い呼び出しと尋問には腹立たしいことこの上なかったけど、人生ではじめての友人が出来たことは、私にとって一生忘れられない思い出になりそうだな。と思った。




