ティータイム
気がつけば、私は綺麗な室内で座っていた。
窓から差し込む午後の光りが、穏やかに室内を照らしている。
クリーム色の壁に若葉色の絨毯。猫足の可愛いテーブルとおそろいのイス。
あれ? と気がついた私は、改めて室内を見回した。
大きな本棚が壁際に並び、棚の中には魔道関係の本がたくさん詰め込まれている。
本棚があるのとは逆の壁には、様々な実験道具が置かれている台があり、その脇に研究用の資材やら呪い用の薬草などが置かれる棚が並んでいた。
室内にはところどころに、見たこともない植物が育てられていて、色とりどりの美しい花を咲かせているし、ふと正面を見れば、大きな窓とバルコニーが見える。
バルコニーにも見たことのない大小様々な植物が育てられているようだ。
ふっと見上げた高い天井には、雫の形をしたクリスタルのシャンデリアがぶら下がっていて、窓から入る光りでキラキラと輝いているし、室内はなんだか花のいい香りまで漂っている。
色気のない石レンガから一変、不思議で美しい室内が広がっていて、私は頭に疑問符が浮かんでしまった。
なんだかぼうっとしている間に、私はどこまで来たんだろうか?
「あ、そうか。レジェナリシア様に引っ張ってこられたんだっけ……」
そう言えばそうだった。
ああ、なんてもったいない。軽い現実逃避を脳内で引き起こしてしまったせいで、ここまでの道すがら、さぞ美しかっただろう城内を見忘れてしまった。
「ふふっ。ここに来るまでの間、ずっとボーっとしてましたからね」
楽しそうな声に弾かれるように、顔を声のほうへと向ければ、部屋の扉なのだろう。大きな両開きの扉の片方を開いて、レジェナリシア様が両手にトレイを持ちながら室内に入ってくるところだった。
「レジェナリシア様」
「はい。ああ、長いし呼びにくいでしょ? 私のことはベルと呼んでください」
そうにこやかに言うレジェナリシア様だが、国王付魔導師を愛称で呼べる人なんてそうは居ないと思うんだけど。
国王付といえば、騎士団よりも位は上になるし、レジェナリシア様にいたっては、国の英雄の一人だから、他の大臣よりもよっぽど地位がある。
王家の人たちは別にしても、国の中で王に次ぐ権力者と言ってもいいんじゃないだろうか。
「あの、無理かなぁ。って……」
私があいまいに笑い返すのも仕方ないと思うでしょ? だけど、そんな私にレジェナリシア様は、胡散臭いほど整った笑顔を見せる。
「呼んでくれないとあなたのご実家にお手紙出しちゃいますよ? お宅の娘さんがスフィアーク王都に居ますよって」
それは楽しそうに言うものだから、私は急いで首を横に振って見せた。
「はいっ。呼びますっ。だから実家には連絡しないでくださいっ」
立場が弱いと、こうも強気に出れない自分がちょっとだけ情けないけど、まあ仕方ない。
レジェナリシア様改め、ベルさんは私の答えに満足そうにうなずくと、トレイをテーブルに置いて、私の横にあるイスに腰を下ろし、トレイの上に置いてあったカップを二つテーブルに並べる。
トレイにはお茶のセットが用意されていて、大きなクッキーがこれまた大きなお皿に山積みされていた。
ちなみに、クッキーはオーソドックスなバタークッキーとチョコチップクッキー、そしてナッツ入りクッキーだと思う。
何を持ってきたのかと思ったら、ティーセットだったんだ。と、あらためて私はお茶のセットからベルさんへと顔を向けたら、彼とタイミングよく視線が合った。
「紅茶はお好きですか?」
ベルさんはそう言って、軽く首を横に倒し、微笑を浮かべながら私の顔を覗き込んで見せた。
その仕草ひとつとっても心臓がびっくりしてしまうほど綺麗だけど、この人は本当に『美しい』という言葉が似合う人だと思う。
「は、はい。大丈夫です」
「やですね。そんなに緊張しないで大丈夫ですよ」
そうは言うけど、普通に緊張するよ。
「はぁ」
私がついあいまいに返事をしてしまうのも緊張のせいだ。
でも緊張して少々硬くなっている私に、ベルさんはおかしそうに笑って見せる。
「本当に気軽でいいんですよ。私は伯父さんみたいなものなんですから」
「伯父って、ははは……」
なんと言うか、こんな人並み外れた綺麗な伯父が居てたまるか。
私の心臓がもたないよ。こんな伯父さんが居たら会うたびに緊張してガチガチだよ。まったく。
私はベルさんに入れてもらった紅茶を遠慮なくいただきつつ、ようやく気持ちを落ち着けて、ほっと小さく息を吐き出した。
本当に、今日はいろんなことがある日だなぁ。なんて、しみじみ紅茶を飲んでほっとしていれば。
「そう言えば、マリリアもゼウセルも元気らしいですよ」
突然、ベルさんが思い出したように言うものだから、私はびっくりして紅茶でむせてしまった。
「ゴホッ! ゴホッ! な、何ですか急に……まあ、元気ならよかったんですけど」
ちなみに、マリリアというのが母の名前で、ゼウセルというのが父の名前だ。
まずあの両親に元気がない。と聞いても私は信じられないだろうけど。
「いえね。メリルが家出した。という手紙を二年ほど前にもらってから、あなたを見かけたらぜひ伝えて欲しいことがある。と伝言を頼まれてまして」
「伝言ですか?」
なんだろう。と言うか、うちの両親もなんでベルさんに伝言頼んでるんだろうか。私がベルさんと会うかどうかもわからないのに。
いや、まさか。お母さんとお父さんの友人全員に伝言を頼んだんじゃないわよね? 違うわよね?
それにしても、伝言ってやっぱり帰って来いとか。そういうことかな?
そうだとしても、帰って来いと言われて、おとなしく帰る気なんてないけど。だって私は将来絶対に自分のお店を持つんだから。
何を言われても、両親が連れ戻しに来たって絶対に帰らないわよ。
私はそう意気込んで、身構えながらベルさんの次の言葉を待った。
身構えて別の意味で緊張している私に、ベルさんは浮かべた微笑みを崩すことなく優雅に紅茶を一口飲んでから、私に顔を向けてさらに笑みを深めて見せた。
ああ、なんか。ベルさんの笑顔が胡散臭い。
ちょっと思ったんだけど、ベルさんの笑顔って、時々胡散臭く見えるのよ。まるで、なにかを企んでいるみたいな……いや、それは考えすぎか。
私が心の中でベルさんにたいして、失礼なことを考えていることなど知る由もない本人は、笑顔をそのままに口を開いた。
「伝言は『帰って来いとは言わないが、手紙くらい欲しい。元気にしてるか心配だ』ということがひとつ。さすがに彼らも人の親ですね。一人娘が心配なんですよ。手紙にも毎回あなたの話が出てきますからね」
そう言ってにこやかに笑うベルさんに、私は一瞬「は?」と呆けてしまう。
てっきり帰って来いだとか。日々の鍛錬を忘れるなとか。そういう話が来るのかと思いきや、普通の言葉が飛び出してきたんだもの。
私の予想を裏切ってくれたおかげで、反応に困ってしまったじゃない。
でも、ベルさんと母の手紙のやり取りに、私の話題が毎回載るのが本当なら、嘘じゃなくてきっと心配してくれてるのかもしれない。
いや、普通に考えれば子供を心配しない親は居ないのかも。
そう考えると、私は両親に申し訳ないことをしてしまったかもしれない。
ちょっと一般常識から外れてはいても、私を可愛がって育ててくれた……少なくとも、両親なりには可愛がってくれたはずで、面白半分なのも事実だろうけど。
そんな両親に、少なくともちょっとは心配をかけてしまって、今の今まで連絡を取ろうとも思わなかった自分に、少しは反省したほうがいいかもしれない。と、自分で思うくらいには、両親に申し訳なさを感じた。
そもそも普通の女の子として接してくれれば、私も家出同然に実家を離れたりはしないんだけどさ。
でも、両親から離れてもう二年以上だし、今は仕事も順調で、少しずつ夢に前進しているわけだし、たまには手紙くらい出そうかな。
近況報告とか、それくらいはしたほうがいいよね。
まあ元気だろうけど、両親が元気にしてるかくらいはやっぱり気になるし。
ベルさんから伝言を聞き、私はちょっとだけ両親のことを思い出して、切ない気持ちを覚えた。本当にちょっとだけ。
ホームシックになるほどじゃないけど。
でも両親の笑顔くらい見たいかな。なんて、私が美化された過去の記憶をちょっと掘り起こしていると。
「それともうひとつ『どうせなら、そのまま騎士団に入ってしまえばいいんじゃないか? そうすればとりあえず、国一番の魔剣士になれる』だそうです」
そう。過去の思い出は、あくまで『脳内美化』されたものでしかない。
「入らないわよっ! 絶対入らないからっ! 最強の魔剣士なんて私は目指してないからねっ! 私はちっさいレストランを経営するって決めてるんだからっ!」
私は二つ目の伝言を聞いて、その場に立ち上がると、ここには居ない両親に向かって叫んでしまった。
さすが私の両親だわ。オチも決して忘れない。
最初の伝言を聞いて、ちょっとだけ切ない気持ちになった私のピュアな思いを返せっ!
「あははっ! まあ、あの二人なら本気でやるだろうと思いましたけど、やっぱり英才教育されてたんですねぇ」
そう言って軽く言うベルさんに、私は身を乗り出してテーブルをばしばし叩く。
「笑い事じゃないですからねっ!? ドラゴンの巣に放り出されたり、一人でトロール退治させられたり、バンパイアを懲らしめるって、一週間まともに寝られなかったり、散々ですよっ!」
過去十六年間の『おちゃめな修行』を思い出せば、それはたくさんの化け物と出会った記憶が思い出される。
今さらながら、普通の女の子が持つ思い出ってないなぁ。そう考えるとちょっとだけ悲しくなってきた。
「それでも生きてますから、さすがマリリアとゼウセルの子ですね」
「嬉しくないですけどっ!?」
「おや? 褒めてるんですけどね。まあ、落ち着いてお茶をどうぞ」
興奮気味の私に対し、ベルさんは独特の柔らかい雰囲気で私を座るように促す。
まあ、両親への不満をベルさんに訴え続けても仕方ない。と、私はしぶしぶイスに腰を下ろした。




