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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編
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ひとつ、ふたつ、ななつ 後編

 真っ白な面は赤い薄い唇とぼやけた眉、そして細い目がくっついている。能の舞台からそのまま飛び降りた役者がいるようだった。しかし、その面と顔の表面には区切り目がなく、面と顔が一体化していた。


 それは、人を模したなにかだった。


 まるでからくり人形のように、ぎこちない動きで巫女は遊子のほうを見ると、かちりと動きを止めた。そして、両手を大きく広げて見せた。広がった袖からはみ出たものを見て、ぞくりとする。


「……構えてください」


 遊子は両足を適度に開き、いつでも動ける構えをとる。これは対人用の構えであって、今目の前にいる相手に対して有効だとは思わない。でも、他に思いつかないのでこうしている。


 他の皆には、それがどのように見えているのだろうか。ちらりと総一郎たちの方を見ると、総一郎と鈴城、小柳は目をこらしている。対して、遊子の周りにいた護衛たちは首を傾げるばかりだ。

 

 どちらにしてもしっかり形をとらえてないだけ幸せなのかもしれない。巫女の袖から、外骨格生物の触角や足が無数にはみ出していた。立ち上がり、前に進むと袴からぎちぎちと気持ちの悪い音が聞こえる。


 その姿を確認するとともに、遊子にまとわりついていた生ぬるい空気は独特の匂いを発した。生臭い、潮のような匂いがした。


「シーフード好きなのに」


 思わず独り言が漏れてしまう。


 遊子にしか見えていないもの、それは、海老のような何かだった。


 にいっと笑った能面は、ばね仕掛けの人形のごとく直立するとともに、異常な速度で遊子に近づき止まった。

 遊子が動く暇もなかった。

 

 遊子は右手にしっかりこうがいを掴んだまま、動けない。


 かちかちかち、と能面が歯を鳴らす。細い目は見開かれ、白目が見えた。


 化け物が何を考えているのかわからない。ただ、遊子を吟味するように眺めている。生臭い匂いがさらに濃厚になり、温い空気が重苦しく身体を包む。

 

 能面は鳴らしていた歯の動きを止め、首を傾げる。

 唇がぎこちなく、動いている。


『……こ……ども? お、おんな? ちが、う。ちがう』


 濁った声、女のものだが不明瞭で聞き取りづらい。水中で喋っているような、そんな聞き取りづらさだ。


『もしか、して、おま……は、お……なの?』


 能面の言葉に遊子は顔を引きつらせるより他なかった。

 遊子にしかこの女が見えないように、この女もまた他の者には見えない遊子の姿をとらえていた。

 遊子は、笄をさらに強く握りしめる。


海老の触角のような手が動く。化け物が品定めをするように遊子に触れようとしたとき、遊子の身体が後ろへと引っ張られた。

 後ろを見ると、総一郎が遊子の襟をつかんでいた。


「何が見えている。どういう状況だ」


 総一郎の質問に遊子は、能面の化け物を見る。

 化け物は首を傾げながらも、遊子の後ろをじっと見る。


『……とこ?』


 海老が触角を総一郎のほうへと向ける。彼女もまた、総一郎をはっきりと認識できないのだろう。

 この場は非常に不安定だ。遊子のようにどちらもはっきり見えることが異常なのだ。


海老女が手を伸ばす。何かを探すように、左右に揺らしながら伸ばしている。総一郎の身体に触角が触れそうになる。


「やめ……」


 遊子が総一郎と海老女の間に割って入ったそのときだった。ばちんと大きな音が響き渡った。

 

 曖昧なぬるま湯のような空気が張り詰める。まわりの光景が一瞬でセピア色に染まる。鳥の声も風の音もなくなり、ぱりんと硝子が割れたような音だけが響いた。


 一体、何が起きたのかと遊子は周りを見渡した。そこに、あの海老女も総一郎たちもいなかった。ただ、自分だけが呆然とその場に立っていた。


(何がおこった?)


 遊子は状況をのみこもうとしたが、身体が上手く動かない。眼球だけをぎょろぎょろと動かし周りを見る。


 静かなセピア色の背景の中、目につくものがあった。

 境内の西側、大きな木の根元で男がうずくまっている。がつがつと音が響く。地面を掘っているのだとわかった。着物を着た、古風な男。いや、頭に髷を結っていることから、古風どころではすまないだろう。いつの時代の風体だと言いたくなる。

 

(何をしている?)


 それを確かめようとしても確かめることができない。これ以上、身体がいうことをきかない。


『や。だ、め。……返して』


 遊子の後ろから女の声が聞こえる。聞いたことがあるような、ないようなそんなか細い声だ。

 眼球を動かし、声のほうへと向ける。視界の端に見えたのは、鳥居の下で倒れ込んでいる女だった。白い寝間着を着ている。髪はざんばらで、かろうじて紐で結わえているだけだ。白い着物の裾は土まみれで、臀部は赤く汚れていた。


『やめて……、返し……て……』


 女の声は小さくくぐもっていき、消え入るようだった。


(この声)


 遊子は、声に聞き覚えがあった。さきほどの海老女の声によく似ていた。もし、独特の濁りさえなければそのままの声だろう。


 女が手を大きく伸ばし、それが崩れ落ちようとした瞬間、また硝子の割れる音が響いた。


 目を瞑って、再び開けると、目の前にはいかついSPの男がいた。


「大丈夫ですか?」


 遊子の身体を揺らしている。遊子はわけがわからないまま、周りを見る。生ぬるい空気は変わらないが、セピア色の背景ではない。そして、がきん、がきんっと、奇妙な音が響いている。


 あの海老女に向けて総一郎たちが刀を向けていた。すでに海老女の触角はかなり短くなっており、地面に落ちた脚は、黒い粒子となって消えていく。


 遊子は身体を起こそうとするが、全身に激痛が走った。


「だめです、いきなり吹き飛ばされたんですから。とっさに、総一郎さまが庇いましたが、身体のあちこちを打っているはずです」

「吹き飛ばされた?」


 もしかして、遊子が総一郎と海老女の間に割り込んだせいだろうか。


 しかし、海老女にそんな悪意はなかった。故意に吹き飛ばしたというより、遊子という異質に触れたことで、場が乱れてしまったのではなかろうか。


 ゆえに、はっきりと海老女を認識できなかった三人がああして対峙している。遊子が干渉してしまったためだろう。


 遊子は、境内の端に子どもたちが怯えているのを見つけた。三人かたまって削れていく海老女を見ている。

 遊子にはっきり見えている子どもたちに、総一郎たちはまったく気が付いていないようだ。


 子どもたちはあちらの世界にいる。そして、こちらとあちらの世界が見えるのは遊子だけだ。もし、連れ込んだ海老女が消えてしまえば、この場はどうなってしまうのだろうか。


 遊子はまだ痛む身体を起こす。


 総一郎たちは、海老の化け物をただの化け物として認識している。


 化け物もまたおそいかかる総一郎を敵だと認識しているのだろう。


(さっきの光景)


 あの倒れ込んだ女は、海老女でいいのだろうか。

 そして、『返して』とは何を意味しているのだろうか。


 なんらかの行き違いがあるのでは、と遊子は思わずにいられなかった。


 周りを見渡した遊子は、ある場所に目がいった。


 そこには大きな木があった。こぶをたくさんつけた大きな木。そうだ、あれだ。遊子たちが見せてもらった写真に写っていたあの木だ。先ほどまで気にならなかったその場所から遊子は無性に目が離せなかった。

 

(これって)


 先ほど見たセピア色の風景、ちょうど髷を結った男がここで蹲っていたはずだ。さきほど見た光景では幾分小さかったが、同じ木だとわかる。


(なにかがここにある)


 しかし、それがなにかわからない。遊子は目をこらして、木を見る。幹にはぐるりとしめ縄が巻かれている。

 木のそばには、「蛭子えびす」と書かれたのぼりが立っている。


(!?)


 一瞬、盛り上がったこぶがまるで孕んだ腹のように見えた。


 伸びた枝が膨らんだこぶを撫でるように動いて見えた。


 遊子の中でなにかがつながった。


「動かないでください」


 おさえようとする護衛の男を振り切り、遊子は木のほうへと走る。途中、脚がもつれそうになりながら、木の根元に座り込んだ。


 遊子は笄を地面に突き立てる。踏み固められた地面を掘る。

 

「なにやってる! 大人しくしてろ!」


 遊子の行動に気が付いた総一郎の声が響く。しかし、遊子は手を止めない。笄がつぶれ使い物にならないと素手で地面を掘る。掘らなくてはいけない、早く見つけてやらないといけない。


 総一郎たちは海老の化け物で精いっぱいで遊子を手伝ってくれるわけがない。

 遊子は、ただひたすら掘り続けるが、埒があかない。


「手伝って! 早く!」


 遊子は護衛の男たちにも声をかけ、地面を掘るように言った。渋っていた護衛たちだが、一人だけ穴掘りを手伝ってくれた。


「あった」


 茶色に変色した石のようなものがそこにあった。もろく、力をこめれば崩れそうなそれを遊子は、丁寧に土をはらってやる。


 遊子は両手でそれを包み込むと、立ち上がる。

 そして、海老女の方を向く。


「お前の探しものはここだ。これを探していたんだろ」


 遊子は化け物に向かって言い放った。

 能面の巫女は、手足を半分そぎ落とされながらも、子どもたちを守ろうと総一郎たちの前に立っていた。

 総一郎たちには見えないのでわからないのだろう。遊子は、化け物が常に怯える子どもたちを背にして戦っていたことに気が付いていた。


「そいつらは、お前の子じゃない。ちゃんと自分の子どもくらい見分けてやれ」


 遊子の声が届いたのか、化け物が半分千切れた腕を振りかざすのをやめた。

 

「東雲さん!」


 鈴城は遊子を制止するが、遊子はそれを無視する。一歩一歩近づいて、化け物に手の平の上にあるものを確認させる。


『……あっ。ああ』


 濁った女の声が能面の唇から洩れる。

 面と輪郭の間にゆっくり亀裂が生じる。不気味な白い能面は亀裂からゆっくりとはがれ落ちる。面が落ちたそこには、ごく普通のただの女の顔があった。

 涙を浮かべ、ゆっくりと小さな汚れた石のようなものをみる。そして、ゆっくりと受け取ると頬に当て、泣きながら笑みを浮かべた。その手はすでに海老の触角の形容をしておらず、消えかけた細い女の手の形をしていた。


「お前からもう奪うものはいない」


 海老女はゆっくり地面に倒れ込んで、そして、影を薄くする。黒い粒子が拡散し、ゆっくりと消えていく。


「だから、返してくれ」


 遊子の願いを受け止めてくれたのかわからない。ただ、女はそのまま消えていった。






「子どもは三人いたんだね」


 鈴城が確認するように遊子に聞いた。遊子は頷く。嘘を言っても仕方ない話だ。


 行方不明の子どもは見つかった。栄養失調と脱水症状をおこしかけていたが、命に別状はないようだ。今、護衛たちが応急処置をしている。いかついおじさんたちに、怯える程度に元気があった。


 子どもは他にいない。遊子はたしかに、見た。見つかった少年も、周りに友だちがいないことを気にしてきょろきょろ探していた。


 遊子はいかつい護衛からスポーツ飲料を奪い取ると、少年の口に運ぶ。少年は、いかついおじさんよりはましだと思ったのか、ドリンクを受け取ると勢いよく飲み干した。


「ねえ、おばさん、どこへ行ったの?」


 少年は遊子にたずねた。

 

「私にはわからない」


 そのように答えるしかなかった。


 少年のしゅんとする反応から、あの海老女は子どもたちを可愛がっていたのだろう。悪気はない、ないのだ。


 だから、性質が悪い。


 少年もまた、あと数日このまま見つからなければ、餓死していただろう。

 他にいた二人の子どもと同じように。


 七つにもならない二人の子どもは、神さまの元へと返ったことだろう。


 悪意がないからこそ、気づかずにやってしまう罪がある。


 遊子は、空になったペットボトルを少年から受け取ると、消化がいい栄養食品を少年に渡す。ちょうど鈴城がやってきて渡すように差し出したものだ。


「ありがとう。おにいちゃん・・・・・・

「おにいちゃんだけじゃなく、おねえちゃんにも言いなさいな」


 鈴城が少年に言うと、少年はよくわからない、と首を傾げた。


 遊子は、少年の頭を軽くなでると、社務所の外を眺める。


 赤いのぼりが風にたなびいている。


 『蛭子えびす』、と書かれたそれは『蛭子ひるこ』とも呼ぶ。二柱の神の間に生まれながら、その子として認められなかった神だ。


 いつのまにか片方の意を忘れ去られていたのだろう。


(一応観光地だからな)


 よりめでたいものだけを表にだし、本来の意味を消し去ろうとしていたのだろう。いくら覆い隠そうとも、それまでの歴史で積まれてきた人の念はなかなか消えるものではない。


 だから、あの奇妙な場の力が逆に強まり、昔いた一人の女を元にしてあの海老女ができたのかもしれない。


 それにしても。


 先ほど、少年の言ったことを思い出した。


「はは、おにいちゃんか」


 遊子は皮肉な笑いを作って空を眺めた。

 



 


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